86 帰り支度。
ピアースは胸を撫で下ろした。
賞品にされたが、無事ガリアンに残ることとなったのだ。
安堵が広がって、へにゃりと笑みを溢す。
「念のため、確認しますが、本当に今残って医師の資格を取らなくていいんですね?」
「はい。また改めて来て、資格を取ります」
ルアンの問いに、ピアースは背筋を伸ばして答えた。
「ガリアンの医者として、人々を救う新しい夢を叶えます!」
ピアースの丸眼鏡の向こうにある青い瞳には、決意がある。
ルアンはそれを見て、仕方なさそうに笑った。
翌日、ルアン達は帰り支度をする。
とはいえ、するのはルアンの世話係のメイドウだ。
ルアンは最後に、と時間が許す限り図書室で読書を満喫した。
一冊読み終えて、そこで読むことをやめる。
まだ読みたいという気持ちで一杯になり、続きの巻を見つめた。
「だめよ、ルー。もう読書はおしまい」
「……わかってる」
「ほら、読書が済んだら部屋に戻る」
「……わかってる」
クアロに引きずられるように、図書室を出る。
与えられた部屋に戻ると、ロニエルがいた。
「ロニエルさん」
「ルアンちゃん、もう帰っちゃうんだってね。寂しいなぁ。あ、これ、ラアン君にお手紙。渡してもらえるかな?」
「はい」
ロニエルは持っていた封筒を手渡した。
愛想よくルアンは微笑んで受け取る。
「差し支えなければ、兄とどんな内容の文通をしているのですか?」
興味本位でルアンが問う。
「んぅ? ルアンちゃんのこととか、ロアン君のこととか、家族のことだとか仕事のことだとか、そういう話を書いているよ?」
「……そうですか」
別に愛の告白をしているわけではない。
ただの文通のやり取りに拍子抜けをする。
やはり兄ラアンは、父レアンの息子っぽくない。
なんとも純粋。
「あ、あと会いたいって書いてあったなぁー」
それに想いが込められているとは気付いていない風に、ロニエルは無邪気な笑みで言った。
ちょこっとは想いを伝えようとはしているみたいだ。
しかしやはり純粋。
これでは恋敵のフレデリックの方が、分がある。そばにいる分。
「私もラアン君に会いたいって書いた!」
それを読んだ兄ラアンを想像した。
喜ぶのではないだろうか。
「ありがとうございます、兄はきっと喜びます」
「今度はラアン君と来てね! バイバイ!」
ヒラヒラと両手を振って、ロニエルはルアンの部屋をあとにした。
透かしてみたが、もちろん中身が読めるわけがない。
ルアンはトランクの中に入れるように、とメイドウに渡した。
「ラアンに想い人ねぇ……あの子、相当強かったわよね。超人的な速さだったし、綺麗で純真無垢って感じ。そんな娘を好むなんて、ラアンも隅に置けないわね」
「からかわないでよね」
「あら、兄を庇うわけ?」
「そんなんじゃないわ」
頭を撫でようとするクアロの手から逃れて、ルアンはベッドに飛び込んだ。
翌日、城を発つ。
城の前に出てすぐに、そんなルアン一行を呼び止めた兵士が二人いた。
「どうか、ガリアンに入れてください!」
それは自警組織ガリアンに入りたいという希望者。
見知った顔だったこともあり、ルアンは。
「いいですよ」
あっさりと許可をした。
入りたいと申し込んだのは、王子襲撃の夜にルアンと共闘した兵士だ。
大荷物を持っていて、すでに旅立つ準備をしている。
「えっ、そんなあっさり許可してくれるのですか?」
素っ頓狂な声を出して顔を上げたのは、ルアンが蘇生させた若い兵士。
「ええ。城に仕える兵士ということは、素性ははっきりしてしるはずですし、あなた方を評価もしています。こちらの答えはイエスです」
ルアンは淡々と理由を話す。
「評価している、とは?」
「そちらの兵士さんの戦いっぷりも、あなたの根性も」
「あ、ありがとうございます……。オレは、アレン・チャイアと言います。オレは一度死んだようなものです。生き返らせてくれたのは、他でもないあなたです。この命、あなたに捧げたいと考え、そしてガリアンに入ることを決心した次第です」
ピッと頭を下げて、アレンはそう心情を打ち明けた。
薄茶色の髪と、瞳は青灰色。
それからチラリと横の長身の兵士に目をやる。
「こっちはデク・アーロンです」
「デク?」
ルアンが首を傾げて、密かに笑う。
デクは額が晒されるほどの短い髪型、色は橙色。細い小さな瞳も、橙色だった。
デクの棒じゃない。それは目にしている。剣の腕前は確かだ。
「あなた様の戦いに惚れたそうです」
「よろしくお願いいたします……」
デクは低い声でそれだけを言った。
寡黙なタイプだと判断したルアンは、視線に気付いて顔を上げる。
城の窓から、こちらを見ているアルジェンルドがいた。視線が合うと手を振ったため、ルアンはお辞儀で応える。
アルジェンルドの差し金だろう。
アレンの言ったことは嘘ではない。本心でもある。
しかし、きっとスパイを頼まれたに違いない。
それに気付いても、ルアンは二人を迎え入れた。
「まずはギデオン子爵家に行きます。都の外れのお屋敷です。ついてきてください」
ゼアスチャンの手を借りて、馬車に乗り込む。
ルアンが座ればあとから、メイドウとクアロとピアースの順で乗り込んだ。
「よかったじゃない。思わぬ収穫があって」
「……そうね」
向かいに座るクアロは、新たな仲間のことを言った。
スパイも兼ねているなんてことは言わずに、ルアンは窓の外を眺める。
言わない方が面白そうだと、判断したからだ。
「メイドウ。ギデオン子爵家についたら、ウィッグとって着替えるから」
「!?」
ルアンのその言葉に、右隣のメイドウはショックを受けた顔をする。
つまり男の子の姿に変えるということ。
ルアンは普段からウィッグをつけている。髪は本来、短く男の子にも見えてしまう。
女の子の姿でいる必要は、もうなくなった。ルアンはそう言っている。
「……驚くでしょうね。新人さん達」
男の子の姿のルアンを目撃した元兵士の新人達の反応を想像したクアロは、なんとも言えない表情をした。
驚くどころじゃないかもしれない。
「ルアンのこと礼儀正しい少女だって認識しているでしょうから……悪魔で鬼畜だっていつわかることやら」
ひくり、と今までの悪魔で鬼畜なルアンの様子を思い浮かべて、口元を引きつらせた。クアロは寒気まで感じて、ブルッと震える。
「で、でも、猫被りをしていても、ルアンさんの強さに惹かれたのではないでしょうか? きっと優しさにも触れて惹かれるに違いありません」
「フン、優しさ?」
ピアースの言葉に、ルアンは嘲りを漏らす。
「何を言っているの? ピアースさん。私の悪魔的な優しさに惚れさせるわ」
「悪魔的……」
今度は、ピアースが引きつらせる。
ルアンは、くつくつと喉で笑った。
「ほら、ジューム川が見えてきた」
石橋に差しかかって、王都の名物川が見えてきた。
最後に目に焼き付けようとメイドウとクアロとピアースの三人は窓の外を見る。色鮮やかなガラスの石が、川底に詰まって輝いていた。
ルアンも頬杖をつきながら、通り過ぎる川を見つめる。
不思議で綺麗な光景は、あっという間に過ぎた。
しばらく馬車に揺られて、ルアンは仮眠をとる。
しかし、外で騒がしさを聞き取った。
口論だ。シヤンとサムの声。
ルアンは首を傾げたが、気にせずに目を閉じ続けた。
そうして、ギデオン子爵家の屋敷に到着をする。
「ルアーさん!!!」
馬車が停まると、聞こえてきた声。
ふぅ、と息を吐く。ちょっとうんざりしている。
「すでにぞっこんの男との再会ね」
クアロは、ニヤリと笑う。
「ぞっこん、ね」
ルアンが鼻で笑う。
「スペンサーくんだ」
ピアースは、明るく笑った。
ルアンに言わせれば、呑気だ。
馬車のドアが開かれる。話題の男が、開いたのだ。
ほんのりとエメラルドがまとう金髪をハーフアップに結んでいる、緑の瞳の持ち主。自称未来から来た男。スペンサー・フランニス。
「ルアーさん! 会いたかったです!!」
「抱き付き、禁止!」
大いに喜び、スペンサーは腕を広げて抱き付こうとした。
しかし、クアロが頭を掴んで阻止する。
「今日も可愛いです! ルアーさん! 王子とは親しくなってないですよね!?」
期待の眼差しで問う。
クアロとメイドウは顔を合わせた。
「……」
「……」
「……なんでそこで黙るんッスか? 阻止してくれたんですよね? クアロさん? ピアースさん?」
「えっとぉ……」
呼ばれたピアースも、クアロの顔を見る。
「阻止?」とルアンが口を開く。
「なんの話?」
「殿下と親しくなることを阻止してくださいって頼んだんですよぉおお!」
「うわっ!」
きついほどクアロの手にしがみつくスペンサー。目をギラつかせている。
「バカじゃないの」
ルアンはそんなスペンサーを踏み越えて、馬車を軽やかに降り立った。
「ルアン! 献上は上手くいったの?」
「当たり前でしょう。ジャンヌ」
ギデオン子爵家の令嬢・ジャンヌもそこにいて、ルアンはニヤリと笑って見せた。
「スペンス。着替えたら、手合わせお願い」
「スペンス……。はい、ルアーさん!!」
愛称の響きに酔いしれて胸を押さえるスペンサーは気を取り直して、元気よく返事をする。
ルアンはクアロとメイドウを連れて屋敷の中に入った。ジャンヌの父親である子爵に挨拶を済ませたあと、二階の部屋で着替える。そこにジャンヌもいた。
「あのスペンサーって人。あなたの帰りを今か今かと毎日外で待っていたのよ」
「だから何?」
スペンサーの様子をジャンヌから聞いても、ルアンは素っ気ない。
ウィッグを外して、短い髪をとかしてもらい、ワイシャツにベストを着させてもらう。下はズボン。そしてブーツ。金具をカチンとはめて、着替えを終えた。
メイドウはウィッグを抱き締めて、シクシクと悲しんだ。
「ルアン様……お労しい……」
「労しくない。あれ、私のコートはどこいった?」
「あ、こちらにあります」
「久しぶりだな、ガリアンのコート」
メイドウに差し出されたガリアンのコートに腕を通して、ルアンは着た。
「本当、久しぶりね」
クアロはガリアンのコートに身を包んだルアンを眺める。
「城に滞在中は着てなかったの?」
ジャンヌが問う。
「四六時中ドレス着てたから、ガリアンのコートは着なかった」
ルアンは鏡でその姿を見ると満足して脱いだ。
「脱ぐの」とジャンヌがツッコミを入れる。
「今から動くから」
そう言ってルアンは風のギアを宙に描き、掌にスタンプした。
そして窓から飛ぶと、風を巻き起こして着地を決める。
「あ、準備出来ましたか? ルアンさん」
しゃがんで待っていたスペンサーが立ち上がった。
ルアンはコキと首を傾けて鳴らす。それから腕を伸ばして、軽くストレッチをした。
「ナイフはなしッスか」
「丸腰状態でいく」
「なまってるんじゃないッスか? 城で動きましたか?」
「いや全く動いてないけど、まだ若いから……へーき!」
ルアンから飛び出す。
小さな拳を叩きつけようとしたが、パシッと左の掌でスペンサーは受け止めてしまう。だが、ルアンはそれに体重をかけるように身体を浮かせた。そしてグルリと回転して、横から蹴りを決める。
しかし、それも腕を盾にして防がれた。
スペンサーは、ルアンの手を握り、そのまま地面に叩きつけようとする。
その前に足をつけたルアンは、頭突きをした。
「っあ!?」
「なまってるのはお前の方じゃないのか」
額を押さえて仰け反るスペンサーに畳みかけようと、ルアンは脛を蹴り上げる。
「っ! まだまだ!!」
蹴られた痛みを耐えて、踏み込んだスペンサーは膝を入れた。
ルアンは手で受け止めたが、小さな身体は軽々と後ろに飛ばされる。
ザァッと着地したルアンは、あっけらかんとした表情になっているサムとアレンとデクに気付く。先程から、そこにいたのだ。
「改めて、自己紹介をする。こんな姿でも、ルアン・ダーレオク。以後よろしく」
ルアンはその三人に向かって、にこりと笑って見せた。
可憐な少女から一変、少年の姿になったのだ。
そんなルアンに、スペンサーの拳が落とされる。サッと躱したルアンは、上段蹴りを繰り出す。それを掴まれ、捩じ伏せられた。
「そして、オレはスペンサーです! 9年後の未来から来ました!」
ただでさえ男の子のようなルアンの姿とその戦いっぷりに混乱している三人に、さらなる混乱を降らせる発言をするスペンサー。悪気はない。
捩じ伏せられたルアンは起き上がって、パンパンと砂を払う。
そして疑問に思う。今ファミリーネームを言わなかった。
どうでもいいか、とすぐに忘れることにする。
「サムさん、アレンさん、デクさん。とりあえずピアースさんに風のギアを教わって。それで浮けるようにして」
「え? 浮くって……」
「こういうこと」
ルアンは風の紋様を描くと、風を起こして身体を浮かせた。
「調節が必要になるけど、至極簡単だから、最果てのガリアンの街エンプレオスに着くまでにマスターするように」
ニッと不敵に笑うルアンは、スタンと降り立つ。
そんなルアンに横蹴りを入れるスペンサー。ルアンはその場で一回転して避けたあと、屈んで勢いをつけて腹目掛け、回し蹴りをする。
そんなルアンの足を容易く受け止めると捻り上げて、スペンサーはまたもや捩じ伏せた。
「ぐぅ……」
「はい、オレの勝ちッス!」
「チッ」
ルアンは悔しそうに舌打ちをしたが、負けを認める。
「何ボケッとしてるんですか。さっさと風のギアの練習をしなさい」
ルアンは三人に向かって言い放つ。
ハッと我に返って、三人はピアースを見る。
ピアースはおどおどしつつも、風の紋様を教えるところから始めた。
20181220