84 飴玉。
「殺人事件、ですか?」
ルアンは、鸚鵡を返した。
図書室に向かう前に、レアンに呼び出されたルアンはそれを告げられる。
ベッドでふんぞり返っていたレアンに、同行したクアロは目をハートにしていた。
「男爵のジョセフ・クーパーと子爵のエバン・ローゲンの提案で、ルアン様に殺人事件を見てほしいそうです」
ゼアスチャンが、もう一度言う。
「どんな殺人事件ですか?」
「それが殺人事件とは限らないのです。殺人事件かもしれない疑惑があるので、それをルアン様に見極めてほしいそうです。例の連続殺人事件の噂を聞いて、ルアン様に推理してほしいのでしょう」
「行ってこい」
「……」
若葉色のドレスのルアンは、肩から垂れる髪を後ろに振り払った。
「いいのですか? 私の推理を披露しても」
「殺人事件かどうか見極めてくればいい。何も犯人まで捕まえろとは言っていないし、期待もされていない。さっと見てきて、終わらせてこい」
レアンはルアンに猫被りをさせている。
披露してもいいのかとルアンは疑問に思ったが、レアンがあっさりと言い退けた。
ルアンが納得出来ないような顔をするも。
「わかりました。行って参ります」
「ああ」
行くことを決定する。
一度、ルアンの部屋に戻ると、そこにピアースがいた。
ピアース・ロステット。例の連続殺人事件で出会った少年。
ブラーイア夫妻の元で世話になっていたが、その夫婦が殺害された。ピアースはその時、友人と一緒にお酒を飲んでいたのだ。それで助かったとも言える。殺人事件だと気が付いたピアースが、ガリアンに捜査の依頼をしたことが出会いだ。
深刻な表情でチェアに座っていたピアースは、丸眼鏡の奥で瞳を見開き立ち上がった。
「ルアンさん! お、お話があります!」
「……なんですか?」
意を決したように拳を固めたピアースは言う。
「ぼ、僕は……ガリアンに居たいんです! だから居させてください!!」
「……あ?」
ルアンが低い声を出して、露骨に怒った顔をした。
ピアースが震え上がるのも、無理もない。
「何を言っているのですか。それはガリアンに残って……医者になることを諦めるということですか?」
ルアンの眼差しが鋭利になる。
立っているにも関わらず、ルアンの視線はピアースを見下していた。
「ち、違いますっ。僕は、ガリアンの医者になりたいんです!!」
「あ? あなたの夢は多くの人間を救う医者になることでしょう?」
「そ、その、だから、変えたのです」
「ガリアンの医者になっても、救える数は高が知れています。居心地が良いからって、ガリアンの居座ろうとは考えないでください」
噛み付くように、ルアンが言い返した。
ピアースは、それに怯む。
ルアンにはお見通しだったのだ。
居心地のいいガリアンから、離れがたいと思っている。
それがピアースの躊躇している原因。わかっていたのだ。
それさえなければ、ピアースも緊張しながらも、新たな生活に一歩踏み出していたかもしれない。
「ぼ、僕も……考えましたが……」
一度視線を落として、また拳を固めたピアースは口を開く。
「それでも、ガリアンに居たいんですっ!! 居させてください!!」
「っ……! 甘えてるなよ!!」
顔を歪めて、ルアンは一喝した。
「ブラーイア夫婦は、アンタの夢を応援してたんだろうが!!」
「っ! だから、医者にはなります!! 」
「医者として人を救うアンタをブラーイア夫婦は支えていたはずだ!!」
「ガリアンでも、人を救えるじゃないですか!」
「てんめぇ!!」
ブチ切れたルアンがピアースに掴みかかろうとしたが、寸前でクアロが止める。
「ルアン!! 落ち着きなさいよ! 猫被りは? どうしたの?」
「うるさい、殴らせろ!」
「ルアン!」
ルアンの小さな身体は軽々と持ち上がったが、暴れていてはクアロも止められていられない。メイドウは、オロオロした。ゼアスチャンは黙って見守っている。
「もう行きましょう。話はあとにしましょうね、ルアンも行かないと。ピアースさんもまたあとで改めて話しましょう、用があるので」
「放せ!」
クアロの腕をついに振り払ったルアンが、自分の足で立った。
ギロリとルアンはピアースを睨むが「ふん!」とそっぽを向いて、部屋を飛び出す。
ゼアスチャンの先導で、城を出てルアンとクアロは王都を歩いた。
「なんだかんだで、都を歩くの初めてよねー。ずっと城にこもっていたばかりだものね」
「そうね……城にいても歩くものね」
ルアンは落ち着いている。腕を組んで、先を見据えていた。
「いや、アンタは図書室へ往復するだけで入り浸っているじゃない。身体、なまってるんじゃない? ほら、いつもはスペンサーと毎日のように特訓してたでしょ」
「二十代後半じゃああるまいし、早々になまったりしないよ。この前も戦ったしね」
「あーね」
クアロとルアンは、そんな他愛ない話をする。
「……どーしたの、ルアン。ピアースに、あんなに怒って。らしくないわね」
怖がる反応は好んでいたが、ピアースにはむやみやたらと怒鳴ったりしないのだ。
むしろ、可愛がっていた。クアロはそう思っている。
「ムカつくんだよ……夢を諦める奴を見てると」
「ルアン、ピアースさんは諦めるわけじゃないって言ったでしょ」
「わかっているわよ」
ルアンは苛立ったため息を零す。
「落ち着いたら、また話す」
「……そう。でもすごいわね。ルアンに意見をぶつけていたものね、ピアースさん」
「ガクガク震えていた姿が可愛かったのに」
「ルアン、反抗したからキレたの?」
クスクスと笑うクアロに、ルアンはムッと唇を突き上げつつも「それもある」と認めた。
「せっかく夢があって機会も巡ってきたのに、棒に振ろうなんざ頭にくるだろ」
「まぁまぁ。ガリアンに医者がいた方が便利でしょ?」
クアロは説得してみる。
煉瓦の建物が並ぶ都を歩きつつ、ルアンは周りを眺めた。
すると、横切った広場にいるクアロと同い年くらいの少年が呟く。
「死にたいな」
「じゃあ死ね」
ルアンは反射的にそう言ってやった。
しかし、クアロが慌てて口を塞ぐ。遅かったが。
「すんません! この子虫の居所が悪くて、本当にすんません!! 何にか知りませんが、頑張って生きてください!!」
ペコペコしながら、クアロは代わりに謝罪する。
少年はポカーンとしていた。
「なんでそんなこと言うよ、バカん!!」
「ああやって黄昏て呟いているうちは、死にやしない。本当に死にたい奴は、追い込まれて言わずも死のうとする。ああいう奴にアホかと頭を叩いてやればいいんだよ」
「それルアンがそうしたいだけでしょ!? もっと深刻な問題を抱えてるかもしれないでしょ!? 優しさをあげなさい!」
「見ず知らずの人と話しちゃダメだって、父上に言われてるからー」
「見ず知らずの人に、死ねって言ったのは誰よ!?」
言い合いながら、少年から離れていく。
ルアンはとぼけながら、前を歩くゼアスチャンの手を掴んだ。
「まだですか? ゼアスチャンさん」
「……もうそこです」
目的地の屋敷は、すぐそこだった。
子爵家のものよりも、小さな屋敷。ルアンの家よりも、小さいものだった。
先日、ここで遺体が発見されたのだ。
遺体は、屋敷の主のオースティン・フェルト男爵。高齢の老人だったが、前日まで元気だったそうだ。夫人が見付けた時には、書斎で息絶えていたのだった。
ルアンは、その書斎に通される。
遺体はすでになかった。当然だ。流石に子どもに、遺体を見せようとは思わなかったのだろう。
ゼアスチャンから遺体の具合を聞き、ルアンは部屋を調べた。
「遺体の具合から見て、事故死ですね……ストーブをつけて密室にいたせいで一酸化中毒で死亡……」
窓を開けたり、閉めたりして、ストーブに触れる。
「夫人にはお気の毒ですが、事故死で断定ですね」
「そうですか……」
「はい。そう報告してください」
「かしこまりました」
ルアンは一頻り眺めてから、そうゼアスチャンに答えを出した。
「そもそもなんでこんな事件が殺人事件だと思われたのですか?」
「あまりにも突然の死だったからでしょう。夫人が殺人だと疑ったのです」
「換気もせずにこもりっきりだったことが原因で夫を亡くしたのなら、やるせないでしょうね」
「それよ、ルアン。その思いやりをさっきの若者にも言ってあげるべきだったのよ」
腕を組んで言ったルアンに、クアロが指を差す。
「死にたいとぼやく情けない野郎にやる思いやりはない」
「男に厳しすぎる!!」
ルアンは冷血だった。しかし、思いやりはあるのだ。
「本当、なんでこんな子にスペンサーは惚れ込んで尽くしているのかしら」
「私が知りたい」
ポロッと出た本音をクアロは聞き逃さなかった。
「ルアンでもわからないことがあるの?」
「王子やベルベスのように、意図的にたぶらかしているならまだしも知らないところで勝手に惚れられても、知るかって話よ」
「意図的にたぶらかす……」
末恐ろしい子、とクアロはまた思う。
ルアンがその場をあとにするため、クアロもゼアスチャンもついていった。
ゼアスチャンは夫人に報告。
クアロとルアンは元来た道を戻ろうとした。
「あの!」
さっきの少年が、ルアンの目の前に立ちはだかる。
「さっきはありがとうございました! うん、生きます!」
「は……?」
ルアンに仕返しでも考えていたと思ったクアロは、拍子抜けしてしまう。
まさかのお礼に唖然としてしまう。
「これ、お礼にあげる」
「ん!」
ルアンの口に、飴玉が押し込まれる。甘酸っぱいような味の飴玉。
「ちょ、何やっているんですか! 勝手にあげないでください! ルアン、ぺっしなさい!」
「ぺっ」
ルアンはクアロの言う通り、クアロの手に飴玉を吐いた。
「え? それはすみません。じゃあ、またどこかで会いましょう!」
少年が笑って謝罪する。そのまま頭を掻きながら、去っていった。
「毒だったらどうするのよ。全くもう、油断も隙もない」
飴玉はポイッと捨てる。毒だったらと思うとゾッとした。
「ルアンも迂闊に近付けないの」
「殺気がなかったから」
「そんな基準!?」
殺意がなければ、何を口に入れられてもいいのか。
「クアロお兄ちゃん。本屋に寄りたい」
「はいはい。本屋どこかしら」
はぐれないようにと、ルアンとクアロは手を繋いだ。
20180325