83 猫被り。
その男は、王子。
「アルジェンルド殿下」
図書室でロニエルの膝に乗って読み聞かせてもらっていたルアンは、驚いた様子で顔を上げた。ロニエルの膝から降りると、ドレスを摘んで慎ましく一礼をする。
図書室の中には、ガリアンの青黒髪の少年もいた。
アメティスタも入ったので、部屋の中には五人いる。
「昨日あれから話せなかったから心配で……ルアン、君には怪我はないかい?」
「ええ、私はなんともありません。殿下の方こそ、お怪我は?」
「あの状況でオレの心配かい。大丈夫、君にちゃんと守ってもらえたよ」
アルジェンルドは片膝をつくと、ルアンの小さな掌をキュッと握り締めた。そして、ルアンに魅力的な微笑みを向ける。
「それは光栄です。殿下」
ルアンは照れた微笑みを返した。
「……。何を読んでいたんだい?」
「“白騎士物語”シリーズの二巻目を読んでもらっていました」
「この前読んでいた本だね。オレが読み聞かせてもいいかい?」
「はい、殿下」
ロニエルは、すぐにアルジェンルドに本を渡す。
「読み聞かせていただけるのですか? 嬉しいです。兄にこうして読み聞かせてもらっていたと話していたところでした」
アルジェンルドは、それを聞いて少し考えた。
ルアンは小首を傾げつつも、席につく。
「お兄さんはオレと同い年だったかな」
「はい」
「そっか。ルアンにとってオレはお兄さんみたいな存在かい?」
隣に座ったアルジェンルドはそう尋ねてみた。
ルアンはきょとんとして、アルジェンルドを見つめる。
「兄のように慕ってほしいという意味でしょうか?」
「ふふ。そうじゃないけれど、なんとなく聞いてみたんだ」
「そうでしたか。私も尋ねたいことがあるのですが、いいでしょうか?」
「なんだい? なんでも聞いていいよ」
開いた本をテーブルに置いて、アルジェンルドがルアンを優しく見下ろす。
「アルジェンルド殿下は、海の向こうに行っていたのですよね。海の向こうの国には魔物がいると兄から聞きました。本当ですか?」
「ああ、いるよ。獣のように獰猛で大きな怪物だ」
アルジェンルドは、正直に話した。
ルアンもそれが嘘ではないとわかり、頷く。
「実際に目にしたことはありますか?」
「遠目だけれど、見たことがあるよ。魔物と戦う専門の部隊があってね、名前をガルディアンと言うのだけれど、そのガルディアンの戦いを見させてもらったんだ」
「特殊なギアを使うとも聞きました」
「ああ、とても特殊なギアを使う部隊だったよ」
それを聞いて、ルアンの目がキラキラと輝いた。
大いに食いついたわかり、アルジェンルドは気を良くする。
「【ギアヴァント】と言ってね、覚醒した者だけに使える特殊なギアなんだ。かつて王が国を造り、国を守った能力だそうだ。それは覚醒時にそばにいる者にも力を与えることもあって、覚醒者は王の元で国を守ると義務付けられている。王も使えて、ガルディアンの一員なんだよ」
ルアンは感心しながら相槌を打つ。
「【ギアヴァント】は美しいものだったよ」
アルジェンルドはルアンと向き合うと、顔を近付けて囁くように教えた。
「まるでステンドガラスが粉々になって舞うみたいな光景を生み出すんだ。それはきっと光だね。でも色取り取りなんだ。遠くから見ても乱反射して綺麗なものだった。でもその光が、覚醒者の周囲を守るようにして漂い、そして戦うんだ」
「色取り取りの光……ですか」
想像しているルアンは、やはり目を輝かせている。
ーー宝石のように。
ーー綺麗だ。
そのうち色取り取りに輝き出すのではないかとルアンの瞳の中を覗く。
エメラルドのような緑の瞳は大きく、アルジェンルドの顔を映し出しそうだった。
「いつか、海の向こうに一緒に行かないかい?」
「え? いいんですか?」
「ああ。いいよ。なんとかして君を連れて行けるようにする。君は隣の国の特殊なギアの視察という名目で行けるのではないかい? すぐとはいけないけれど、何年か経ってから行こう」
「はいっ! ぜひ! 父上に許可をもらって、行きます!」
アルジェンルドにはルアンが眩しく見えて、銀の瞳を細める。
ーー愛おしい。
アルジェンルドは、ルアンの頭をそっと撫でた。
ルアンの前髪を撫で付ける。艶やかなチョコレートブラウンの髪。
ルアンは不思議そうにアルジェンルドを見上げた。
アルジェンルドは、クスリと笑ってしまう。
「な、なんですか? アルジェンルド殿下」
「だめかい? 撫でていては」
「……その、恥ずかしいです」
ルアンはアメティスタやロニエルの視線を気にして、頬を赤らめた。
アルジェンルドは、またクスリと笑ってしまう。
「では、やめよう。本を読み聞かせてあげよう」
「ありがとうございます、殿下」
アルジェンルドの時間が許す限り、読み聞かせてやる。
ルアンは頬杖をついたりして、アルジェンルドの隣で大人しく聞いていた。
やがて「部屋まで送ろう」とアルジェンルドは部屋に戻ることを提案する。
昨日の今日のため、護衛のロニエルとアメティスタは、アルジェンルドにぴったりと寄り添うようについていく。
「ここが私の借りている部屋です。送ってくださり、ありがとうござました。アルジェンルド殿下」
「いいんだ」
ルアンはにこりと無邪気な笑みを向ける。
そんな笑みを見て、アルジェンルドはまた片膝をついた。
ルアンの小さな左手を、右手で取る。
「ルアン。一つ頼みを聞いてくれないだろうか?」
「はい、なんでしょう」
銀の瞳を細めて、アルジェンルドは言った。
「次会う時は、可愛らしいその猫被りなしで話してくれないだろうか?」
「!」
ルアンのエメラルドの瞳が、大きく見開かれる。
ルアンが猫を被っていると見抜いたのだ。
「頼んだよ」
アルジェンルドはほくそ笑んで、ルアンの手の甲に口付けをした。
笑みをなくして強張っているルアン。
それを見て、満足をした。
「じゃあまた会おう。ルアン」
そう言って、アルジェンルドは手を振るアメティスタとロニエルを連れて、廊下を歩き去る。
次会う時の素のルアンと話せることを楽しみにしているアルジェンルドは、笑みを溢していた。
◇◆◆◆◇
部屋に戻ったルアンは、ベッドに飛び込んだ。
「あーあー。バレちゃったわね。王子に猫被り」
クアロはそんなルアンにニヤニヤと笑いかけた。
ルアンにとってそれは予想も出来なかった事態だと思ったからだ。
「フン」
しかし、ベッドの上で頬杖をついたルアンは、鼻で笑い退けた。
クアロは動揺が全くないことに驚く。
先程はアルジェンルドの前で動揺していたというのに。
「欲に目が眩んだ令嬢に言い寄られ慣れている王子が、子どもの猫被りに気付かないわけないでしょ」
「!?」
「それに昨日の戦いを見てもなお気付かないなんて鈍感すぎるでしょうが。見破って当然なのよ。パーティーでわざと一人になるためにクアロに離れてと頼んだでしょ? その時、話している間にもうわかっていたはずよ」
「!?」
クアロは愕然とした。
「え。じゃあ、アンタ……気付かれてるってわかってて猫被り続けてたの?」
「当たり前でしょう。父上に猫被れって言われていたし、王子の方が一枚上手だって思わせておいた方が、油断もしてくれるだろうからね」
無駄に警戒されないための猫被り。
猫被りを見抜かせた王子の方が一枚上手だと思わせておくことで、ルアンは大した脅威ではないことを思わせる。そう、ただの小悪魔程度に思わせたのは、ルアンの思惑通り。
「実際は、ルアンの方が上手……」
クアロが、恐れ慄く。
ルアンは子どもらしかぬ不敵な笑みを浮かべる。
「末恐ろしい子!」
「にゃーん」
ルアンは猫撫で声を出す。
そしてそのままベッドに寝そべった。
「……でも、アルジェンルド殿下も物好きね。ルアンの猫被りに付き合ったり、素のルアンと話したいなんて言うなんて」
「私がたぶらかしているからね」
「たぶら!?」
「王子に惚れられるのも、一興じゃない?」
ルアンはそう言ってまた不敵な笑みを浮かべる。
「あ、アンタ! あれほど嫌がってたのに!」
「今は興味を示してる段階。七歳児にまじで惚れているわけじゃない。まぁゆくゆくは求婚するまで惚れさせて見せようか?」
「この小悪魔!!」
冗談、とルアンはクアロの反応をくつくつと笑った。
翌日、ルアンの元にアルジェンルドから花束が届いた。純白の薔薇の花束だ。大きなリボンで束ねてあり、この前のドレスを連想させた。
ルアンは上機嫌にその花の香りを楽しんだ。
そんな様子を見て、満更でもないのかと思うクアロだった。
ーーん?
ーーこれって結局。
ーースペンサーの未来になりそう?
自称未来から来た男ことスペンサーは、王子であるアルジェンルドがルアンの求婚になっている未来だと言っていたのだ。
ルアンがこのまま惚れさせてしまうのなら、そう言う未来が現実になるのではないか。
ーースペンサーって本当に未来から来たのかしら。
ーーいや、そんなわけないわよね。
クアロは、純白の薔薇に顔を埋めるルアンを横目で眺めた。
20180123