70 嵐の中の殺人。
出発から4日目。
ドレスは着ないと一蹴して、ルアンはズボンを履いて、Yシャツとベストを着た。もちろん、ウィッグも却下。
馬車には乗らず、クアロとともに後ろを歩いた。代わりに馬車の中に、シヤンが寛いでいる。
「あーつまらない。旅をするなら、賊の襲撃の一回や二回あると思っていたのに」
スカイブルーの空を見上げて、ルアンは背伸びをしながらぼやく。
「いや、ガリアンを好んで襲う賊なんていないわよ」
クアロは呆れて返す。
御者をしているゼアスチャンも、馬車の横を馬で進むスペンサーも、そしてクアロも黒のコートを着ている。
ギア使い最強の自警組織に、好んで襲いかかるわけがない。
「あ、そうか。コートを脱がせて、前の馬車から距離を取れば……金持ちの旅行だと襲いかかってくるじゃん。盗賊ホイホイ」
名案だと、ルアンは目を輝かせた。
「やらせないわよ!? 目的は賊の殲滅じゃなくて王様に会いに行くことなんだから!」
即座にクアロが止める。
「旅の間じゃあ、ひょいひょいと犯罪者を捕まえていられないわよ」
「まぁ、連行は面倒だけれど、通った道でゴミを一掃するのも旅の楽しみって奴だろ?」
「ゴミは人のことでしょ!? そんな旅の楽しみ方は鬼畜よ!」
ルアンが笑顔を見せたが、もう一度クアロは止める。はぁやれやれ、と溜め息をついた。
「別の楽しみ方しなさいよ。ルーは仕事しすぎなの。もっと別のことに目を向けなさい。ほら、同年代の子と友だちになったり!」
これこそ名案だとクアロは、パッと笑みを向ける。
ルアンは冷めきった眼差しを送った。
「同年代なんかと話が合うわけないだろ。知能が低すぎて解読不可能で会話せずに蹴り飛ばしたくなる」
「同い年の弟がいるでしょ!?」
「弟だから」
年相応の弟ロアンは、会話が成り立たなくとも、ルアンは気にしない。だが、他の子どもでは、相手にもしたくない。
「アンタには及ばなくとも、頭のいい子どもと出逢えるわ、きっと。今回の旅で友だちを作ることを目標にしましょう!」
グッ、と拳を固めるクアロを見上げながら、ルアンは鼻で笑い退ける。
「友だちっていうのはね、対等な関係を言うの。私と対等になれる同い年がいると思うの?」
「……いるわよ、きっと!」
「フン、見てみたいものだ」
悪魔で鬼畜な嘲る転生少女と対等になれる七歳児がいる。思いたいような、思いたくないような、複雑なクアロ。
「あーあ、退屈だなぁ。……悲鳴が聞きたい」
「アンタ、他人を叩き潰したいだけなんじゃないの!? もう止めましょうよ、旅をしているんだから、もっと他の話をしましょ。旅だからこそ、出来るような話とか」
ルアンが何かやらかす前にと、クアロは提案する。
「話すようなことって……クアロと改めて話すことなんてないでしょ?」
「あー……まぁ、そうよね」
出逢ってから四六時中いるようなものだ。話すネタは尽きたと言っても、過言ではない。
それでもクアロは空を見上げて、ネタを探す。
馬車は森の中に入った。ルアン達も、遅れて足を踏み入れる。唸るクアロから目を逸らして、ルアンは森を眺めた。鳥の囀りがする。
ポケーとしている間に、時間が過ぎていく。それでもクアロは唸り続ける。
「じゃあ、突っ込んだ会話をするか」
「なに?」
ルアンから思い付いて、口を開く。
クアロは顔を向けた。
「クアロの性処理について」
「……」
表情を変えないままルアンが告げれば、クアロの足は止まる。ルアンも止まり、そのまま見上げた。
やがてクアロは両手で耳を塞ぎ、スタスタと歩き出す。聞かなかったことにした。
「クーアーローおーにーいーちゃーん。どうしているのー?」
「答えるわけないでしょ! アンタ、そんなのどこで覚えたのよ! バカん!」
「クアロが言い出したんじゃん」
「そんな話をするとは言ってない!!」
「いや、ぶっちゃけこの手の話しか残ってないし」
「しなくていい話よ、寧ろするべきじゃない話!!」
「いいじゃん、あたしとクアロとの仲でしょ」
「しないったらしない!!」
「クーアーロー」
「いやああ!!」
クアロは道から逸れて、獣道に逃げ込んだ。
ルアンはスキップするような足取りで追いかけた。退屈しのぎのからかいだ。
逃げようとするクアロを、ルアンは笑顔で際どい質問を続けた。それから森の中で鬼ごっこ。
「あ、雨の匂い」
少しして、ルアンは匂いを吸い込んだ。
「雨って、晴れてるで……あれ?」
足を止めたクアロが、空を見上げる。
さっきまで晴れていたが、垂れ落ちそうな雨雲が覆っていた。
「降る前に戻らないと」
クアロはルアンの手を掴んだ。
途端に、大粒の雨が降り注ぎ、忽ちずぶ濡れとなった。
「馬車どこ!?」
「知らん」
「迷子!?」
「クアロが適当に逃げるから」
「ルアンが変なこと言うから!」
雨の中、森を進む。
しかし、馬車も道も見付からない。クアロはコートを脱いで、ルアンに被せた。
「アンタが風邪引いたらまずいわ。いくらピアースさんがいても、旅の間寝込むはめになる」
「……クアロ。あっち」
ルアンはコートの下から、明かりを見つけて指を差す。そこを目指せば、屋敷があった。森の中の小道にあるそこそこ大きな宿屋。
クアロはルアンが風邪を引く前に、中に入った。
「いらっしゃいませ。ひどい雨ですね」
出迎えたのは長身で猫背の男。支配人だ。
「少し雨宿りさせてください」
クアロが雨宿りだと言えば、笑顔で出迎えた支配人は僅かに表情を歪めた。
雨宿りではなく、宿泊しろ。心情が丸出しだ。
ルアンはそれを見逃さない。外に目をやってから、ポケットの硬貨を支配人に放り投げる。
「一泊する。雨は止みそうにないし、迎えが来るまで部屋にいよう」
「かしこまりました。今タオルとお部屋を用意します」
ルアンが告げれば、支配人は笑顔を作り直して去った。
「なにも一泊することないでしょ!?」
「雷。止まない雨の中探したところで私は風邪引くし、見つかりにくい。今頃あっちの方が捜して迎いに来る。雨宿りしたくば、金払うべき。宿泊しろって支配人の顔に書いてあった」
「……」
どしゃ降りの雨の中に、雷鳴が轟く。一晩中降り注ぎそうな雨なら、一泊した方がいい。ルアンは淡々と告げる。
支配人のこともあり、クアロは反論を止めた。
二人用の部屋に案内されたあと、タオルで髪を拭く。ルアンは窓から外を眺めた。硝子に雨粒が激しくぶつかり、ピカリと光ると雷鳴が響き渡る。
「全く! ルアンのせいでこんな目に」
「クアロが中学生みたいな反応するから」
「学生じゃないわよ!?」
「……」
「髪拭きなさい!」
「自分でやる」
手を伸ばそうとしたクアロの手を払い、ルアンは自分の髪を念入りに拭く。やがて、ニヤリと笑みを漏らす。
シャツのボタンを外していたクアロは、窓ガラスに映るルアンの笑顔に気付き、眉を潜めた。
「なに笑ってるの?」
「いや、別に。ただ、ね。こんな森の中に、屋敷に、しかも嵐の中……」
ルアンは振り返り、そっと静かに言う。
「屋敷に殺人事件が起こり、悲鳴が響く――予感」
極めて楽しげに笑うルアンを見て、クアロはゴグリと息を飲んだ。
「物騒な予感しないでよっ! ……ほら、風邪引く前に拭いて」
他のタオルで、ルアンの身体を包んで拭う。
そんなクアロが何気なく窓に目を向けた瞬間。
ピカ、ゴオンッ!!!
光とともに、雷鳴が落ちた。そして、窓にはずぶ濡れの男が貼り付いている。
ルアンもクアロもビクリと震え上がり。
「ぎゃあ!」
クアロが悲鳴を上げた。
「ルアーさん見付けた!! よかったぁ!」
「……お前か」
「びっくりさせないでよ!!」
男の正体は、スペンサーだ。
窓を開けて、ずぶ濡れのまま中に入る。泥や雨水でその場は汚れた。
「気付いたら後ろにいなくて、何かあったんじゃないかって心配で心配で……無事でよかったぁ」
その場に座り込んで安堵の笑みを溢すスペンサーの頭に、ルアンはタオルを乗せてやる。
「ルアーさん、もしかして、さっきビビっちゃいました? そんなルアーさんも可愛いッスね」
デレ、とスペンサーがにまけた。
ルアンはタオルの端と端を持ち、交差させてスペンサーの首を絞める。
「雷の音に驚いただけだ」
「ぐお、お」
「お前、ズボンが随分泥にまみれているが、まさか自分の足で走ってきたんじゃないよな?」
「あ。走ってきましたよ。馬だと獣道は通りにくいし、シヤンさんとちょうど交換していましたし」
「……ゼアスチャンは」
「あ、オレだけが気付いて先に」
絞めるのを止めると、ケロッとスペンサーは答えた。
つまり、スペンサーもはぐれただけ。馬もない。
「……使えない男」
「ぐおおっ?!」
ルアンはもう一度締め上げた。
「もういいわよ、そんなバカよりもバスローブならあったから、これ着てなさいよ」
呆れながらもクアロは、ルアンを優先する。
しかし、クアロのコートのおかげで、ルアンはそれほど濡れていない。
「いいよ、私はそんなに濡れてないし。それよりスペンサーはゼアスチャンを呼んでこいよ」
「えー。雷に打たれちゃいますよ」
「打たれてこいよ」
「酷いっ!」
ルアンがスペンサーに無茶振りをしている最中。
「キャアアアッ!!!」
女性の悲鳴が、廊下から響く。
反応したルアンが直ぐ様飛び出すと、クアロとスペンサーも続く。ルアンが借りた部屋とは全く逆の廊下の先に、メイド服の女性が崩れ落ちていた。目を向けた部屋の中をルアンが覗く。
「ルアンなに……うわ!?」
クアロも見た。
中にいたのは、男だ。小太りで黒い髭を生やした男は、チェアで死んでいた。
窓が開いていてカーテンを揺らしながら、雨が降り注ぐ。
男の胸には深々と包丁が突き刺さっている。
「――――殺人事件だ」
ルアンはこの場に不適切な笑みを溢した。
20151104