60 炎の制裁。
レアンは軽蔑の眼差しを向ける。犯罪者を多く見てきた。その中でも、子ども殺しの犯人は強い憎悪を抱く。その犯人が今、自分の娘を手にかけようとした。
直ぐ様、制裁を下そうとする手を、止めるように強張らせる。
顔だけ振り返ると、横たわるルアンは目を閉じていた。呼吸が荒いことは、震える肩でわかる。それでも、ちゃんと生きている証。
翡翠の眼差しを細めて、レアンはもう一度犯人を見据えた。
犯人、アトゥン・テットは、人のいい笑みさえ浮かべれば普通の男。しかし、欲望にかられた今は、薄汚れた醜い男だ。
「一度しか言わねぇ……。大人しく監獄に入れ。抵抗するなら命の保証はしねぇぞ」
忠告。抵抗を捩じ伏せる際に、命も潰しかねない。レアンはそういうギア使いだ。
子ども殺しのアトゥンは知ってか知らずか、青ざめて逃げようとした。
逃亡も許さない。レアンが左手を上げるとともに、人差し指をスイッと上げる。地上から生えたように、光の刃が現れて行く手を遮った。
アトゥンは恐怖し、小刻みに震えながらもレアンを振り返る。アトゥンもレアンの最強説を聞いたことがあった。ギアではレアンに勝ち目はない。
しかし、アトゥンは、大人しく監獄に入ることを選ばなかった。ギアで対抗して、逃げる隙を作る。ルアンを捕まえた書き慣れた水のギアを描く。
レアンはただ見据えて動かない。
ギアの紋様から飛び出す水の塊が、レアンに迫った。だが、一瞬の発光がその水の塊を粉砕する。アトゥンのギアは、打ち消された。アトゥンは震えて、更に青ざめる。
レアンは動かない。蔑視をして見下すだけ。
アトゥンは震えながらももう一度、水の紋様を描いて攻撃を仕掛けた。
しかし、結果は同じ。光が粉砕する。
もう一度、描く。また粉砕。もう一度。粉砕。
アトゥンのギアは、レアンに届かない。勝ち目はないと、思い知る。
レアンは沈黙したまま捩じ伏せているのだ。無駄な抵抗なのだと。威圧だけで、アトゥンを拘束しようとする。
レアンに圧倒されても、アトゥンは逃げることだけを考えた。この時点では、レアンの恐怖から逃げたい。
そんなアトゥンは、レアンの後ろに倒れているルアンを視界に入れた。ルアンを使えば、逃げる隙が作れると思い付く。
アトゥンが違うギアを描く。初めは紋様から水が溢れ、それが三匹の龍のように、突進していく。途中で、水の龍は瞬く間に凍り付いた。先端が鋭利に尖った淡い光を纏うそれは、レアンを大幅に避けて、ルアンへ向かう。
「――チッ!」
振り返らないまま攻撃範囲を把握したレアンは、後ろに一歩下がった。レアンが右腕を振り上げた瞬間、光の壁が現れ氷の龍を全て破壊。砕けた硝子のような氷が地面に散乱した。
このギアは、アトゥンの奥義だったのだ。これが効かないならば、なす術などない。
だが、しかし。
――手遅れである。
レアンの逆鱗に触れたのだ。
レアンは、上げた右手で紋様を描く。指先から放たれる光は、アトゥンの光とは異なる。淡い光を放つ氷の残骸が照らすその場でも、レアンの光が濃厚だということは一目瞭然。
下から時計回りにひし形を書き、下から上に線を引き、円で囲う。炎の紋様。
書き上げた瞬間、火炎放射。これはさながら、ドラゴンの息吹。おとぎ話のように、人間を一吹きで炭化してしまう火を吹くドラゴンのもの。
レアンは、容赦も躊躇も加減も一切しなかった。膨大な光の持ち主であるレアンのギアを、アトゥンはまともに食らう。
マグマと同等の炎に包まれた瞬間、浄化されるかのように、その命は消え去った。
炎も地面の焦げ跡だけを残して、闇夜に溶け込むように消える。
夜の静寂は戻った。
「……!」
焦げ跡を冷たく一瞥したレアンは、振り返ると目を見開く。
淡い光の氷の欠片の中で、気を失っていたルアンが、目を開いていたのだ。
制裁を、見られた。まだ幼い娘に見せてしまったことに、動揺して一度目を逸らす。
それでも、まだ横たわるルアンの元に歩み寄った。
「立てるか?」
「……んーん」
「……おぶってやる」
「ん……」
唸るような返事しかしないルアンを、呆れたように見ながらも、レアンは腕を掴んで起き上がらせる。まだ濡れている娘を背負い、帰り道を歩き出した。
レアンの肩から垂れるルアンの右手から水が滴り落ちる。ゆったりした足取りで、沈黙したまま人気のない道を進んだ。
レアンの背中を締め付けるように、ルアンが密着した。
「……あんまりくっつくな。余計濡れるだろ」
レアンはぶっきらぼうな口を開く。
「……はんにん……」
「あ?」
ルアンも、か細い声を出した。
「せいしんてきに、いたぶってやろうと、考えてたのに」
「……」
生かすべきだったと、ルアンは物騒な言葉で伝える。レアンは前を見据えるだけで、答えなかった。
体力が回復していないルアンは、父親の肩に顎を乗せて項垂れる。
「……謝罪とか……動機とか……ちゃんと吐かせたかったのに……」
子を奪われた親達のためにも、謝罪をさせたかった。生かしておかなければ、謝罪させられない。
「……なに聞いたって、親は納得しねーよ」
レアンはそう返した。
子どもを殺した理由など、聞いても納得しない。謝罪さえも、意味をなさない。
父親であるレアンの答えに、ルアンは目を閉じて黙った。
また、沈黙になる。
それで少し離れたところから、ルアンを探して呼ぶクアロの声が聞こえた。
「……あのカマ野郎。またお前を一人にしたな」
レアンは、クアロにルアンの護衛も兼ねて子守りを任せたのだ。離れた隙に、拉致された失態がある。
「今度こそ、クビだ」
今回はルアンが殺されかけた。子守りは、クビにする。
「なに言ってるんですか? あたしは、父上と一緒でしょ。一人じゃない」
ルアンがとぼけたように、言い返した。
レアンはピタリと足を止める。振り返らないまま、睨むような目付きをした。
「……屁理屈言うんじゃねぇよ」
レアンは怒りつつも、クビにする話を続けない。
「……随分と、気に入っているな。あの野郎を」
「……今日は、いっぱい喋るね」
「……」
仕事の話以外で、ここまで話した覚えがない。ルアンに言われ、レアンは口を閉じる。
本当に言うべきことを、言いそびれてしまっているせいで、口数が多くなってしまっているのだ。
レアンが口を開きかけると、クアロの声が近付いた。そして、走り回っていたクアロが目の前に現れる。
「ル、ルアンンンンっ!!」
ルアンを見付けるなり、クアロは絶叫するかのように駆け寄った。レアンの背中にいるルアンの髪に触れては、慌てふためく。
「どこに行ってたのよ!? バカん!! なんでずぶ濡れ!?」
「うるせ」
「ぎゃあ!?」
目の前で騒がれ、苛立ったレアンの光が、クアロを殴り付けた。
「ごめんなさい……」
レアンの肩越しから、ルアンはしおらしく反省した表情でクアロに謝罪。大きな瞳で上目使い。
「そ、そんな猫被りっ! 私には通用しないから!」
殴られた頭を押さえ、レアンの顔色を気にしつつも、クアロは謝罪を受け入れないと突っぱねる。
「ごめんなさい……。家族を守りたくって……」
ルアンは、まだ反省の色を保ったまま謝った。
「えっ、あ……」
猫被りではないと気付き、クアロは突っぱねてしまったことを反省する。
横目で見たレアンは、ルアンをクアロに運ばせようとしたが、ルアンは拒むように首に抱き付いた。
「父上、ありがとうございます」
助けたお礼。ルアンはレアンの首を放して、クアロに両腕を向ける。クアロは慌ててルアンを抱えた。
濡れたコートをレアンは、一度振り払うと肩にかける。一人、先に歩き始めた。
「あっ! ボ、ボス! も、申し訳ありません!」
ルアンを抱えながら、クアロは謝罪する。
「うるせぇよ」
レアンはその謝罪を一蹴した。クアロはビクリと震える。
「オレは父親の仕事をしたまでだ。オレの家族を守った」
ルアンに向けた言葉。
父親の仕事を果たした。ルアンが家族を守りたかったように、レアンも家族を守った。
家族を守る。それは父親の最大の仕事だ。今回は、それを果たすことができた。
それだけでルアンに伝わるとわかりきっているレアンは、歩みを止めずに先を進んだ。
「……かっこいいっ!」
レアンの背中を見つめて、クアロは無意識にルアンを両腕で締め付ける。
「くるし」
瀕死のルアンはクアロにうんざりしつつも、レアンの背中を見送った。
大きく感じる父親の背中を――。