56 親だからこそ。
ガリアンの決闘は、ギア対決。先に発動させた方が勝ち、または相手を吹き飛ばした方が勝ちとなる。
レアン・ダーレオクに、誰も勝てない。最強無敵のギアの使い手。
ルアンには勝算がない。
紋様を書き出した途端に、吹き飛ばされるのが目に見えている。
ルアンは両手で紋様を完成させることができ、誰よりも早いと自負さえしていた。
しかし、そのスピードも、レアンには敵わない。指を鳴らした瞬間に、光の塊を放たれて、ルアンは負けるのだ。
睨み合いの最中、ルアンは何度も考えた。どの紋様を書けば、ガリアンのボスであり父親であるレアンに勝てるか。いくつも脳内でシミュレーションしたが、どれもだめだった。
しかし、それでもルアンはその決闘を断ることは出来ない。引けなかった。
挑むしかない。力で押し退けるしかないのだ。
決闘で勝たなければ、進むことを許されない。
ならば、勝てばいいのだ。勝たなくてはいけないのだ。
頑ななルアンは、決闘を引き受けた。顎を上げて睨み下ろす父親と、対峙する。
「おい、こんなところでっ……チッ!」
デイモンは腕を振り、メンバー達を下がらせた。
狭い廊下でギア対決。巻き添えを食らいかねない。
クアロとスペンサーは迷ったが、決闘に割って入ることはできず、ルアンから後退って離れた。
シン、と一階の廊下は静まり返る。
陽が傾き、薄暗いそこで、前代未聞の父娘のギア対決が始まる。十分な距離をとり、一同は固唾を飲んで見守った。
クイッ。レアンが顎を動かして、ルアンから動くように促した。余裕な態度。
全力をぶつけてやると、ルアンから動いた。ありったけの力を込めて、両手で炎の紋様を描き始める。
パンッ!
次の瞬間、光で視界が眩み、吹き飛ばされた。小さなルアンの身体を、咄嗟にクアロとスペンサーが受け止める。
当然の勝敗。
ルアンの敗北だ。
初めてレアンに叩かれた時よりも大きな衝撃を受け、ルアンは愕然した。
一切の手加減がない。
ギアとギアの押し合いによるフェアな対決をしてくれると、頭の隅で思っていた。しかし、レアンは容赦しなかった。
レアンが、微塵も許す気がないと思い知る。
「家に帰れ」
その命令に従わせるための決闘だった。ただそれだけ。
ルアンは身体の奥から、怒りが込み上がるのを感じた。
立ち上がる手伝いをするスペンサーとクアロの手を振り払う。一人で立つと、真っ直ぐにレアンに向かって、怒鳴り声を投げ付けた。
「子どもの命がかかってるんだぞ!? それでも親かっ!!」
同じ子を持つ親なら、助けたくなる。救いだしたくなるはず。
何故止めるのかと、ルアンは噛み付くようにレアンを睨む。
背を向けようとしたレアンは、更に鋭く睨み下ろす。そしてズカズカと乱暴な足取りでルアンに向かう。
クアロは慌ててルアンを止めようとしたが、レアンの手が伸びる方が早かった。
向かってくる手に、ルアンは反射的に目を瞑る。また頬を叩かれると思ったからだ。
しかし、レアンの大きな手は、胸ぐらを掴んでルアンを持ち上げただけ。グッと引き寄せた。
間近で翡翠の瞳が、火花を散らすように睨み合う。
「親だから、お前を行かせねぇんだよ」
レアンは鋭利な低い声で、答えた。ルアンを行かせない理由。
報告を聞いていた。ルアンの父親だからこそ、子を殺す殺人鬼の元には行かせない。
だからこそ、立ちはだかった。だからこそ、決闘で負かした。
そんな当たり前の理由を告げられ、ルアンはまた愕然とする。
パッ、とレアンが胸ぐらを放した。
ルアンは廊下に足をつけたが、もうレアンを睨み付けない。真っ直ぐに見ることさえ、出来なくなった。
どんなに洞察力が優れていても、ルアンはまた父親のことが見えなかった。
他の親の心情を瞬時に見抜いても、実の親の愛がわからなかった。
もう、ルアンは行けない。
親を傷付けることは、出来ない。
「……オレと部下が行く。殺人事件は、元はオレの管轄。いいだろ?」
デイモンがレアンに向かって言ったが、レアンはなにも答えずに廊下を歩き去る。
デイモンは許可されたと解釈し「行くぞ、前科者」とスペンサーに声をかけた。
スペンサーはギョッとして震え上がると、ルアンを見る。俯いて、なにも言わない。
「る……ルアン、さん」
躊躇しながら、ルアンに手を伸ばす。その手は届かず、スペンサーの視界は真っ暗となった。
べちっ、とルアンの小さな手が紙を、スペンサーの顔に押し付けたのだ。
「この家を探せ。この中にいるはずだ」
ルアンはそれだけを言って、部屋に入ろうとした。
「え、もう、容疑者をこんなに絞って……あっ! 待ってください! ゼアスさんが情報をって。最後の子ども、名前はエドン・リコート。昨日、誕生日で、七歳になったそうッス!」
「は?」
慌ててルアンの手を両手で掴んで引き留めたスペンサーは、ゼアスチャンに伝えろと言われた情報を伝える。
「……よこせ」
ルアンは荒れ乱れる感情を抑え込み、深く息をつく。そして、容疑者リストと、アルゲンテスの地図を手にする。
「リコートの家はどこだ」
「えっと……えっと、ここッス!」
スペンサーの指差した場所を確認すると、ルアンは容疑者リストに目を通して、次から次へと名前を消していく。
「誕生日知らねーなら、リコート家の周りの容疑者は除外だ。ここにいるはずだ。さっさと行け」
「はっ、はいっ!」
そのリストを渡して、一度スペンサーに行くように言ったが、ルアンはスペンサーの手を掴んだ。
「……エドン・リコートは、生きている前提で探せ。全員、水を持参しとけ」
「え? 水? は、はい」
「シヤンには暴走するなってあたしの伝言伝えろ。行け」
ルアンは任せて、スペンサーを放したその手で部屋の扉を開けた。
クアロは慌てて落ちた書類を掻き集めながら「見付かったらすぐ報告しに来てよ!」とスペンサーに言ってから中に入る。
ルアンはガリアンのコートを脱ぐと、叩きつけるように乱暴にソファーに投げ捨てた。
スタスタと真っ直ぐに窓辺に向かうと、そこにドカッと座る。
「はぁぁあーっ!」
苛立ちが込められた溜め息を吐き出して、自分の前髪を握り締めた。
ガリアンであっても、仕事に行けない悔しさ。敗北の悔しさ。ルアンは暴れることを堪え、窓枠を蹴り飛ばす。
クアロがルアンに声をかけようとすると、扉が開いた。
「おねえちゃん?」
ロアンだ。
とことことルアンの元まで歩いて行こうとしたが、ソファーに投げ捨てられたコートを見て足を止めた。
「あれぇ? コートをぬいじゃったの?」
「……」
「コート、かっこいいよね」
「……おいで」
ルアンのコートを手にして綻ぶロアンを、ルアンは手招く。
コートを持って、ロアンはとことこと窓辺へ行く。
ルアンはコートを受け取ると、窓辺に座ったままで、ロアンにコートを着させた。
「ほら、かっこいい」
ガリアンの漆黒のコートを着たロアンに、ルアンは優しく微笑んだ。
ルアンと同じふっくらした頬を赤らめながらも、ロアンは自分を見て、それから照れた笑みを溢す。
男の子の格好をしたルアンと、唯一の違いはコートだった。憧れていたロアンは喜んだ。
「ラアンに見せてきたら?」
「うん!」
兄に見せようと、ロアンは部屋を飛び出した。
「おにいちゃん、みてみて。ルアンがかしてくれた」
「おう、似合うな!」
すぐにラアンとロアンの会話が聞こえる。ラアンは廊下にいる。
レアンとルアンの決闘を聞き付けて、ロアンを行かせたのだ。
クアロと扉を見つめたあと、ルアンは両手でまた自分の髪を握り締めた。
俯いて、震える。一つ、また一つと、涙を落としていく。
静かに泣き出したルアンを見て、顔を歪めたクアロは、迷わず歩み寄る。その両腕でルアンを包み込むように抱き締めた。
「……ボスはルーを守るためにやったのよ」
そっと教える。
「わかってる」
ルアンはそう返しながら、クアロの胸の中で泣いた。
悔しかった。負けたこと、負かされたこと。苛立ちも怒りも込み上がる。
しかし、なによりも。
家族の不器用な愛が、痛かった。
「わかってるって――」
父親の不器用な愛が、痛かった。
20150608