55 最後の子ども。
アルゲンテスの街は、事件について知り渡ってからというもの、怒りと恐怖が蠢いている。
自分の大事な身内が殺されないようにと、子どもは隠されていた。ガリアンが呼び掛けずとも、子どもは外出を禁じられ、街を歩いていても見掛けない。
ピアース達が見たのは、被害に遭った子どもだけ。葬儀屋の手も借りて、子ども達の遺体を両親達に返した。
青白い顔をした我が子を見た両親達の多くが、ただ泣き崩れる。他は涙を流しながら怒りに震えていた。
やっと最後の子どもを返し終えたピアースは、路地裏の空き箱に座り込んだ。
我が子の亡骸にすがりつく両親達を見ると、胸が痛む。
涙が溢れて、止まらない。
涙を拭っていると、コップを差し出された。オレンジジュースだ。
差し出すのは、スペンサー。
「どうぞ。無料でもらっちゃいました!」
「あ、ありがとう……ございます」
受け取り、ピアースが頭を下げると、スペンサーは隣の壁に寄りかかった。そこで自分の分のオレンジジュースを飲む。
「オレに敬語はいらないッスよ!」
「いや、スペンサーさんの方が歳上ですし」
「いやいや、未来ではピアースさんが歳上ッス! さん付けより、くん付けの方がいいですし、なんか妙で」
「あ、はい……」
四つ歳上のスペンサーに、ピアースは苦笑を溢しつつ頷く。
「……未来の話では、僕はかっこいい人みたいだけど……でも、今は情けないですよね。泣いてばかりで……本当に弱いと痛感します」
スペンサーの未来の話では、ギアも使いこなせている。しかし、今は弱い。昨日からずっと、泣き通しだ。
「ごめんなさい……」
薄い笑みで、情けない姿を見せたことを謝罪した。
「……謝ることじゃないですよ」
スペンサーは、優しく笑いかける。
「ピアースさんの涙は弱さじゃないっスよ。思いやりだとオレは思います。あるべきだと思うんス。男が泣くなんて情けないって思われちゃうかもしれませんが、でもご両親達はあなたの思いやりに救われたと思いますよ。ピアースさんの思いやりは、必要なはずです」
心を切り離して仕事をする者よりも、思いやりを持っているピアースに救われただろう。
ピアースの思いやりはいいものだと、スペンサーは励ました。
「……あ、ありがとう……」
安心をして、ピアースはへにゃりと笑みを溢す。スペンサーはニッと笑い返した。
「あのあの! ピアースさん、聞いてもらいたいことがあるんス」
「なんですか?」
一段落ついた休憩中に、スペンサーは雑談を続けようと切り出す。
オレンジジュースを一口飲んで、ピアースは聞く。
「こんな事件なのに不謹慎だとは思いますが、オレ、嬉しいんですよ。未来にいた時は、ルアーさんのそばにいることが当たり前だと思ってたんです。でも昨日、皆がルアーさんのそばにいる理由がわかったんス」
ピアースが首を傾げるが、ニコニコとはしゃいだ様子のスペンサーは続けた。
「ほら、ピアースさんは励まされたじゃないですか。ルアーさんに。すくんでも、奮い立たせてもらったじゃないですか。ピアースさんの思いやりが、強さになった瞬間だと思います。そのあとも、シヤンさんの母親思いが暴走しないように釘刺して、強さに変えてましたよ。ルアーさんって、皆を強くしてくれるんスね」
眩しそうに目を細めて、またニッと笑う。それから、ポンポンとピアースが腰掛けた空き箱を掌で叩いた。
「例えたら、そう。椅子ッスね。というより、席ッスね。ルアーさんって、その人が生き生きできるような席を用意してくれるんスよ。その人の美点も欠点もわかっていてくれて、能力を発揮させて、強くしていってくれるんス」
ルアンが、能力を発揮する場所を用意してくれる。強くなれるように背中を押してくれる。それが、ルアンだ。
「……ああ……なんだか……わかります……」
ピアースは、頷いた。
ルアンはガリアンに誘い、活躍の場を用意してくれたのだ。ピアースの奮い立たせて、力を発揮させた。
「だから、嬉しいッス。オレ、過去に来れて、本当によかったと思いました! オレもルアーさんに励まされたいッス。……あっ、やっぱり不謹慎ですよね、すみません!」
喜色満面の笑みになったが、スペンサーはすぐに引き締めるように背筋を伸ばす。
「……」
ピアースはクスリと笑う。オレンジジュースをまた一口飲んでから、スペンサーを見上げた。
「あの、スペンサー、くんの話だと……僕は10年後もここにいるんですよね?」
「はい、そうッスよー」
「えっと……どうして」
当たり前のように頷いたスペンサーに、ピアースは意を決して問おうとした。
10年後も、ガリアンの席に座っているその理由を。
しかし、その前に。
ゼアスチャンが駆け込んできたため、話を中断することになった。
「スペンサー! 今すぐにルアン様をお呼びしろ!!」
冷静沈着なゼアスチャンが声を上げた指示に、スペンサーもピアースも目を丸めた。
「えっ、ルアーさんを呼ぶってなんで。犯人捕まえたってことッスか?」
「違う……っ! これを報告すれば必ずっ、ルアンさんは戻ってくる!」
スペンサーの肩を掴み、ゼアスチャンは発覚した事実を告げる。
スペンサーも焦り、ルアンに報告するためにアルゲンテスの街を飛び出した。
◇◆◆◆◇
エンプレオスの街。ガリアンの館の監獄前。
ルアンは練習のためにロアンに紋様を書かせながら、自分も容疑者絞りを続けた。スラスラと、紙に書き込んでいく。
「遅番が来た。帰りましょ」
門番の交替の時間がきた。クアロは階段を下りて、ルアンに挨拶するガリアンメンバーと替わった。
「いや、もうちょっとで済むから」
「なら部屋でやりましょうよ」
「じゃあぼく、ラアンおにいちゃんにみせてきていい?」
「うん、行ってきな」
「うん!」
暗くなる前にクアロはルアンが広げた資料をかき集める。ロアンは紋様の練習書きをした紙を持って、先に館に戻った。
「……ロアン、とても喜んでるわね」
「あーんー……そうだね」
「休みの日くらい、一日遊びに付き合ってあげたら?」
「んー……」
インクとペンを片付けながら、曖昧な返事をしてルアンはロアンを見送る。
二階の窓から見えるラアンの部屋の扉が開いた。それを確認して、ルアンは植木から下りる。
「うわ……ゼアスさんは本当に仕事早いわね」
歩きながら資料に目を通したクアロは、ゼアスチャンを褒めつつも、口元をひきつらせた。
子どもと接する職業の男性や、近所に住む男性の特徴と年齢。そして被害者家族の身内の独身男性のものまで記されていた。
遺体を返せた子どもの両親から、子どもの特徴、性格、行方不明になった状況についてもある。
これを一日で掻き集めて記したゼアスチャンの仕事の早さには感服だ。
「そういう地味な仕事は、得意だからね。あたしに任されたから、こき使われたいゼアスさんは張り切ってるから、なおさら早いの」
ルアンは、淡々と返す。
「ルーたら、またゼアスさんをドMみたいに言って……」
「ドMだってば」
「ゼアスさんは、ボスの娘で将来有望で、敬服しているあなたのために尽くしてあげてるのよ」
「違う違う。このあたしに罵りられながらこき使われたいだけだ」
未だにゼアスチャンのポーカーフェイスは保たれ、周囲には知られてはいない。だが、ゼアスチャンはルアンにこき使われるだけで幸福を感じている。
ルアンも真顔で言うだけで、クアロ達はルアンのいい加減な発言だと思い込んだ。
端から見れば、ゼアスチャンはボスの娘に忠実な執事のように献身的な男。
「ルアンさん! ルアンさん!! るっ、あぁぁーさんっ!!!」
ルアンの部屋の扉のノブに手をかけようとすると、廊下の先から何度も呼ぶ声が聞こえた。
呼ぶのは、スペンサーだ。
「早いな……明日って言ったろ」
「そっ、それっ、がっ! げほげほっ!」
「落ち着きなさいよ」
ルアンの目の前まで来たスペンサーは、呼吸を乱しすぎて噎せた。
資料を抱えたままクアロは、背中を撫でやる。
「げほっ! そ、それが、そのっ、子どもがっ……子どもが一人っ……まだ見付かってないんですっ!」
なんとか絞り出したスペンサーの報告に、ルアンは目を見開いた途端に表情を歪めた。
「なんで早く言わないんだ!?」
「っ! そ、それがっ!」
「なんだよ!?」
ルアンは持っていたものを投げ捨てて、スペンサーの服を掴み引っ張る。馬小屋から全力疾走したスペンサーは、簡単に膝をついた。
同じ視線の高さになって、ルアンに睨み付けられたスペンサーは、息苦しくとも伝えた。
「最後に誘拐された子どもの母親が、遺体が発見されたと聞いて気絶してしまい、ずっと寝込んでたんです! 父親は既に他界し、他の身内が看病していたからっ! 見付かった遺体を、全て返し終えたあとに発覚してっ!」
元々、遺体を返してからその子どもの情報を集めていたこともあり、最後に誘拐された子どもの身内が情報を渡さなかったために、発覚が遅れてしまった。
「チッ!! 今すぐアルゲンテスに戻る! 子どもがまだ生きている可能性がある! 犯人の家にいるはずだ!」
「もう探し始めてます!」
「容疑者リストがある! この誰かの家に必ずいる! 行くぞ!!」
ルアンは声を張り上げながら、自分で作ったリストを拾う。
被害者と関わっている容疑者をかなり絞れた。
遺体が発見されたのは、空き家。犯人には別の家がある。空き家が、展示場。そこに飾れないならば、家に置くしかない。
最後の子どもが見付った家こそ、犯人の家だ。
言い逃れは出来ない。証拠も揃う。絶好の機会でもある。
スペンサーもクアロも、ルアンに続こうとした。
しかし、ルアンは足を止める。廊下の先に、父・レアン・ダーレオクがいたからだ。
スペンサーが走りながら、ルアンを呼んだからだろう。デイモンや他のメンバー達もレアンの後ろの廊下の先から、ルアン達に注目していた。
ルアンは立ちはだかるレアンを見て、怪訝な表情をする。
「ルアン、お前は行くな」
レアンは立ちはだかる理由を告げた。
アルゲンテスの街に戻ることは、許さない。許可しないと言った。
「子どもの命がかかってるんですよ」
怒鳴り散らしたかったが、ルアンはグッと堪えて、行かなくてはいけない理由を突き付ける。
「他を行かせろ。暇してる野郎ならたくさんいる。お前は家に帰れ」
レアンは許可をせず、家に帰るように言った。
ルアンは我慢できずに、噛みつく。
「あたしが行く! あたしなら、すぐに見付けられる! 仕事をしてから帰るから、そこを退いてください!」
レアンに真っ向から口答えできるのは、ルアンぐらいだ。
レアンが睨み下ろすが、ルアンは睨み返す。レアンの威圧感にも、微動だにしたないのはルアンぐらいのものだ。
スペンサーもクアロも、息を飲み込む。いつでも大爆発してしまいそうな一触即発の雰囲気。
ルアンは譲らない。
レアンも許しはしない。
ルアンは強行突破をするだろう。それを止めるであろうレアンが、なにをしてしまうのか、怖いとクアロは思った。
クアロがルアンの肩を掴んで止めておこうとすれば、レアンが低い声で告げた。
「なら――――決闘でオレに勝てたら許可してやる。負けたら大人しく家に帰れ」
「!」
レアン・ダーレオクが、ルアン・ダーレオクに決闘を申し込んだ。
廊下に出て傍観していたデイモン達も、クアロ達も驚愕する。
勝算のない決闘を突き付けられ、ルアンは言葉を失った。
20150604