48 守ってやる。
「ちょっと風を吹かすわよ」
馬の足を止めさせたクアロは、素早く風のギアを描いた。強風を作り出し、それで自分の身体を飛ばして、強面の兎に向かう。
動揺して撃ち損ねた兎を、馬から蹴り落とす。他の強盗の二人は驚いて、馬を止めた。
その二人を光の矢で打ち抜いて、馬から落としたのは、ルアン。
後ろのスペンサーは、馬から降りた。
クアロはルアンから手錠を受け取ろうと振り向く。だが、兎人が立ち上がったことに気付いて、身構える。
距離が近すぎた。ギアを使おうとしても、阻止される。人間より身体能力が高い兎人相手には、格闘では到底勝てない。
屈強な身体つきの兎人は、飛び跳ねて逃げることも可能な脚で、クアロに蹴りをしようとした。
「ッ!」
それを受ければ、骨が確実に折れる。だが、避ける暇もない。恐怖が駆け巡った。
「クアロさん!」
スペンサーがクアロの襟を掴み、後ろに引っ張り込むことで、兎人の蹴りを避けさせる。
クアロは地面に倒れた。
クアロの前で、スペンサーが兎人と向き合う。
兎人はまたもや、蹴りを入れようとした。脇腹を狙った蹴りを、スペンサーはしゃがんで避ける。
しゃがむとほぼ同時に、兎人の軸足の膝裏を蹴って、バランスを崩そうとした。
身体能力が高い故に、兎人は地面に倒れる前に、手をついて体勢を立て直す。
休むことなく、立て直した兎人に向かって、スペンサーが拳を向けた。だが、兎人の方が速い。兎人のパンチも、打ち込まれればただではすまない。
攻撃するより、身を守ることを選んだスペンサーは、それをいなした。
そして、目の前にある強面の顎を、上に向かって殴り飛ばす。
パンチをかわされるとは思いもしなかった兎人は、油断してもろ受けた。
屈強な兎人が倒れる。駆け付けた他のガリアンメンバーが、手錠をかけて光封じをした。
クアロは、ただただ呆然とスペンサーを見た。
「しゃッ!」
スペンサーは勝利に喜び、ガッツポーズをしている。兎人相手に、格闘で勝ってしまった。
「アンタ、それどこで覚えた?」
「!」
クアロの横に、いつの間にかルアンが立っている。興味を示して、真っ直ぐにスペンサーを見上げるルアンの横顔を見たクアロは、やがて顔を背けた。
「ルアーさんに仕込まれました! 今はまだちっさいから出来ないんですね? でも、未来ではギアを教えるより前に、格闘術を叩き込まれたんスよ! しかもルアーさん直々に!」
「……ガリアンはギア使いの集まりだから、普通はギアからのはずだけど」
「えっ!? オレは入って早々、ルアーさんにボコボコにされました!」
「アンタ、それでよく尽くせるな。どこまでもマゾなの」
「ルアーさんのためなら、サンドバッグにもなります!」
未来のルアンに格闘でボコボコにされても、尽くすスペンサー。その甲斐あって、兎人と格闘して勝てるほどになったという。
ルアンはスペンサーの未来話を信じてはいないが、スペンサーは使えると確信した。
「じゃあ、サンドバッグになってもらう」
「え……今のは、その……気持ちだけを受け取ってほしいなぁー。いや、今のルアーさんなら、パンチも、蹴りも可愛いからいっか……あ、いてっ!」
顔をひきつらせたスペンサーは、ルアンと視線の高さを合わせる。そのスペンサーの脛を、ルアンは蹴り上げた。
「仮でいいならガリアンで働くことを認める。ただし、半年は一人で館や監獄に入ることを許さない」
「はい! おそばに置いてもらえるなら!! 仮でもいいです!」
「脱獄の手助けをされる可能性もあるから、信用できるかを見定める」
「えぇー、まだベアルスの野郎なんかの差し金だと思うんですかー?」
「囚人だったんだから、疑われるのは当然。これも報いだと受け入れなさい」
「はぁーい」
疑われていることに不満を示しつつも、スペンサーはルアンに従うために頷く。そして、デレッと綻んだ。
スペンサーとルアンから目を背けて、クアロはその場から離れた。
崖に腰を下ろせば、下から吹き上がる風に撫でられる。髪が乱れていくが、クアロは水色の空を見つめた。掠れた雲が一つの線を引いた春の空。
「……遠くに、行くか」
地平線の向こうに目をやり、クアロは呟く。
――私じゃあ、ルアンを守れない。
一度離れてしまい、ルアンが誘拐された。今回は、殺人鬼に殺されるところだった。二回の失態。
レアンが知れば、子守りはクビになっていた。なるべきかもしれないと、クアロは思う。
クアロは、嫌われ者だ。今ではシヤンもラアンも嫌悪感を向けなくなったが、ガリアンメンバーの大半がクアロを避ける。先程のスペンサーとトラバーの反応が、通常なのだ。
ルアンは、嫌っていない。最初から、ありのままのクアロを受け入れていた。
同性を好きでも、自分の父親に好意を寄せていても、ルアンは気にしない。
差別することなく、接するルアンの元が、心地よかった。実の家族の元よりもだ。
クアロは甘えていた。心地のよいルアンのそばが、安息の地だからだ。
しがみついているのは、クアロの方かもしれない。
ルアンは、これから先、出逢いがたくさんある。ルアンが弱さを見せられる相手は、必ず現れるはずだ。
例えば、ルアンに恋をしているスペンサー。ルアンのために、尽くすスペンサーならば、そんな存在にもなれるはずだ。
――元々、足手まといだもの。
ルアンは大物犯罪者を捕まえて、デビューを果たした。今ではゼアスチャンとともに、監獄を任されている。ルアンは望まなくとも、活躍をして出世の道に進んでいる。
そんなルアンのそばにいては、足手まといだ。クアロは子守りと門番にすぎない。その上、嫌われ者。
仮の話でも、10年後ガリアンに自分がいないのなら、早くいなくなるべきだと思えた。
自分がいない方が、ルアンのため。どうせ、足手まといなのだ。
――ボスも振り向いてくれないし。潔く諦めて……消えるべきね。
クアロは、嘲笑を漏らす。
そんなクアロの背中を、小さな手が叩いた。
「なに黄昏てるの? 落ちる?」
「ギャーバカ!!」
落ちるかと思ったクアロの全身に恐怖が駆け巡り、崖の縁でしがみつき硬直した。叩いたのは、ルアンだ。
クアロが振り返ると、馬一頭を残して、トラバー達が強盗を連行するところだった。スペンサーもルアンを振り返るが、それについていく。
「……で、あの元囚人、入れちゃうわけ?」
「うん。トラバーより、よっぽと使える技を教えてもらう」
スペンサーいわく、未来のルアンに仕込まれた格闘術を、現在のルアンが教えてもらう。ややこしい話だ。
ルアンはそのために、ガリアンに入る許可を出した。監視を厳しくしていれば、レアンも口出しをしないだろう。
「なんか、タイミングよく現れたわね。アンタの運命の人じゃない?」
「あんなひょいひょい一目惚れしそうな野郎、願い下げだ。でも、未来の私の差し金なら、納得だけど」
ルアンは笑う。
格闘術を学びたい自分に、スペンサーを寄越した。鬼畜なルアンなら、あり得る。
「信じるのね、未来の話」
「はぁ? んなわけないだろ。あたしが信じたのは、未来男の格闘術だけ」
少し伸びた栗色の髪が靡くルアンから、クアロは目を逸らして、また空を見る。
「私は事実だと思うわ。……死ぬ前に、ガリアン辞めようかしら。私がいなくても、出世するみたいだしね。私はアンタのそばにいない方がいい」
クアロは笑って言ってみたが、口にした途端、胸の中が裂けるような痛みが走った。血が流れるような痛み。
それを必死に誤魔化そうと、クアロは笑みを保つ。
「元から必要ないんだし、どこか、遠くに行……」
ルアンに目を戻すと、言葉の続きが言えなくなった。
隣に立つルアンは、俯いている。黒いコートも靡くルアンの小さな身体は、今にも消えてしまいそうなほど、儚く見えた。
「……お前がいなかったら、今のあたしはいない……」
崖から吹き込む強風の中から、微かに聞き取れた声は、あまりにも弱々しいもの。
思わず、クアロはまた顔を背けた。また裂かれるような痛みが走る胸を押さえる。
こんなルアンを、置いて離れられない。
「ルっ……――!」
クアロが目を戻した先に、ルアンがいなかった。荒れ地と崖と水色の空。待っている馬の方を振り返るが、そこにもルアンがいない。
残るは一つ。
崖から吹き上がる風が、身体を冷たく通り過ぎた。
「ルー!!」
青ざめてクアロは、崖の下を見る。
真っ先に目に入ったのは、黒猫のつぶらな瞳。クアロはぎょっとして混乱した。
「猫、見っけたー」
クアロに向かって、小さな黒猫を突き付けるルアンは笑顔だ。
丁度クアロの足元には、岩が突き出ていて、猫を見つけたルアンはそこに飛び下りた。
身投げじゃないとわかり、クアロは脱力する。
「ほら、危ないから上がりなさいよ。それ、飼う気?」
「可愛いじゃん」
「ちゃんと育てられるの?」
ルアンの腕を掴んで、引き上げた。
「バーロー、育てるのはメイドウに決まってるだろ」
「世の中には途中から親に任せる子どもがいるのに、初めから自分で育てない宣言!? なんて子なのアンタ!」
「あたしは愛でるだけさ」
当たり前だと言い切ったルアンに、クアロは声を上げる。
ルアンは抱える猫の耳元を撫でる。猫は気持ち良さそうに目を細め、ゴロゴロと鳴いた。
「……殺人鬼の件、本当に……ごめん」
クアロは、初めて謝る。
今まで、言いそびれていた。
「いいよ。あたしが期待しすぎただけだ」
猫を愛でることに夢中になっているルアンのあっさりと返した言葉が、クアロに突き刺さる。
――なによ。
――期待しなさいよ。
クアロは、拳を握り締めて俯く。
期待を裏切っておいて、我が儘なことを思っているとはわかっている。
ルアンがあっさりとそっぽを向いて、離れていくことが恐ろしすぎて、クアロは強く思った。
――もう。
――信頼を裏切ったりしない。
――守り抜くから。
「もしも未来男の話が事実だとしたら、次は未来のあたしが現れるはずだ。だって、クアロが死んだ未来で、過去を変えるギアを持つなら、クアロの死を全力で阻止するもん」
クアロは、目を見開く。そして、跳ねるように顔を上げた。
ルアンは鬱陶しそうに前髪を掻き上げて、空を見上げながら続ける。
「クアロのためなら、過去だって変えると思う。他の男に気持ちが移って幸せになっている未来なら、まぁいいんだけどさ。アンタを死なせたなら、未来の自分をぶっ飛ばす」
「……ルー」
「大事な部下を死なせておいて、女王なんて呼ばれて、ふんぞり返っている未来なんて。信じないね」
スペンサーの話した未来の自分を嘲笑いながらも、ルアンは左腕に猫を抱えたまま、馬の方に歩き出す。
「もしもクアロが死ぬ未来でも、このあたしが全力で阻止してやる」
すぐに足を止めて振り返って、クアロに笑みを向けた。
「守ってやるから、あたしのそばにいろ」
細められた翡翠の瞳と、つり上がる唇が作る笑みは、強気だった。
風に忙しなく靡く栗色の髪は、陽射しで時折橙色を放つ。初めて会った時よりも髪が伸びたが、勇ましい。
不覚にも、クアロは、そんなルアンにときめいた。胸を撃たれたような衝撃。痛みはなく、ただ心臓は高鳴り、顔は耳まで熱くなる。
「あ、アンタって! なんでっ、そうっ……もう!!」
言葉がまとまらず、火照る顔を押さえた。ルアンは笑いながら、馬に向かう。
――なんでこうも男前なの!?
男性が女性に向ける言葉だった。しかも、さらりとクアロにそばに居続けていいと言ったのだ。10年先まで。
クアロは、崖の縁で悶える。
「私がアンタを守るのよ!!」
「はいはい」
立ち上がってクアロが強く言うが、ルアンは流すような相槌をして馬に跨がった。
「――愛してるわよ、ルー!」
少しむくれつつも、クアロは今一番伝えたいことを伝える。
愛しているから、守りたい。
家族よりも近いルアンを、守り抜く。
その決意を、拳の中で固めた。
「知ってる」
ルアンは、子どもらしい笑みで笑った。
「あ、言っておくけど。未来男の奴、クアロを知らないとか言ったけど、知ってるよ。多分」
「は?」
クアロも馬を乗り込んだところで、ルアンは言う。
「アイツ、さっきクアロのこと、さん付けしてたじゃん。15歳のシヤンにもさん付けしたし、クアロも未来では知り合い。つまりガリアンにいないって、嘘だってこと」
「……嘘!? じゃあ私生きてるの!? 今の話はなんなんだったのよ!?」
「だから、もしもの話だって、言ったじゃん。あたしは信じてないって」
「先に言いなさいよ! 10年も生きれないって不安になってたのに! わざとね!? 鬼畜め!」
「馬の上で喚くなよ。あ、さっきの風のギア、なかなかよかった」
「いきなり褒めないで、バカん!」
馬をパカパカと歩かせながら、上で会話を続けた。
スペンサーの未来の話の中でも、クアロは生きている。また脱力感を味わい、追い打ちのように真っ赤にさせられたクアロは、ルアンの頭に顎を乗せた。
「……今日、部屋泊まっていい?」
「いいよ」
ルアンの頭の上で、許されたことを確信する。クアロは、口元を緩ませた。
20150503