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45 亀裂。




 一カ月後。

 ダーレオク家の豪邸に居候することになったピアースは、初めは胃が締め付けられたかのように腹を擦っていた。最近は、その仕草も減った。

 ルアンがピアースにギアを教えて、同時にクアロとシヤンにギアの特訓を与えた。例えば、風のギアで浮遊したり、移動したりすること。

 十ヶ月前はクアロ達がルアンに教えていたはずが、今は逆になってしまっている。




「君が、しくじった件を聞きたいのだけれど、いいかい?」


 爽快に晴れた春の日。

 クアロは、ベアルスに呼ばれて、監獄を訪れた。

 ルアンがギア封じの手錠を開発して以来、ベアルスは格子の牢に移された。位置は、入って廊下を真っ直ぐに歩いた一番奥。

 ベッドに腰掛けて本を読んでいたベアルスは、手錠をつけた手で本を閉じて、クアロに笑いかけた。


「……ルアンから聞いたことを、何故わざわざ私に訊くのよ」


 クアロは鬱陶しそうに顔をしかめて、睨み下ろす。

 毒の花の殺人鬼の件は、ルアンがベアルスに話した。互いに殺人鬼の生い立ちや、今後の行動を予測していた姿を、クアロはそばで聞いていた。

 クアロのしくじった件は、十中八九、毒の花の殺人鬼のことだ。


「ルアンお嬢から聞いていないが、君に激怒したことはわかるよ。だって、君達を信用して、お嬢さんは殺人鬼に狙われている身でありながら、眠ろうとしたんだ。でも、君は裏切った」


 格子の向こうで、ベアルスは微笑みながら言った。


 てめぇーは裏切った。


 クアロは、あの日のルアンの叫び声を思い出し、コートのポケットの中で、拳を握り締める。


「その時、お嬢さんがなんて言ったのかを、教えてほしい」


 ベアルスがにこにこと問うため、クアロは身を引いた。

 ルアンを探って、何かを企んでいる。


「アンタには関係ない。もういいでしょ」


 気分が悪くなり、クアロが背を向けて去ろうとした。


「ねぇ、裏切った君のこと。お嬢さんはいつまでそばに置いてくれると思う?」


 ベアルスのその問いに、クアロは目を見開いて振り返る。

 格子の隙間から、口角を上げて見ているライトグリーンの瞳のベアルスの顔が見えた。

 これはまずい。

 クアロは直感して、その場から離れようと通路を歩いた。

 ルアンが設計した二つの面接室を横切れば、新たに設置された受付カウンターが扉の前にある。そこにゼアスチャンがいた。

 これから釈放される囚人の手続きに、立ち会っている。エメラルドをほんのりまとう金髪の若い囚人は、今にもそこから飛び出したそうにそわそわしていた。

 それを横目に見ながら、クアロは扉を押し開けて出る。フッと春の陽射しで目が眩む。

 光に慣れれば、階段下の広間にルアンを見付けた。

 幹部のトラバー・ホレイションと一戦を交えていた。

 ギアの対決ではない。

 ギアなしの格闘だ。

 殺人鬼に押さえ付けられたルアンは、体術を学びたがった。

 幹部のトラバーは、暇があればルアンの元に訪れてきた。だからルアンは、相手に選んだ。

 まだ男の子のように短い髪で、七分丈のズボンとベストを着たルアンは、身体能力が高い。だが、所詮は六歳の子ども。

 長身で喧嘩慣れもしているトラバーに、簡単に捩じ伏せられた。一度捩じ伏せられれば、抜け出せない。


「……ギブ」

「はい、またオレの勝ちー」


 足掻いた末に、ルアンは悔しそうに降参する。笑ってトラバーは、ルアンを解放した。

 ピアースの方は植木に座って、風のギアで本を浮かせる練習をしていた。本すら浮かせることが出来ないからだ。

 隣ではシヤンがルアンを見ながら、ピアースに口出しをしていた。


「ルアンちゃんさー、無理して喧嘩を覚えなくていいんだよ? 女の子なんだしさ、ギアがあるじゃん」


 立ち上がることを手伝いながら、トラバーは笑いかける。


「貴方みたいなたらしに、捩じ伏せられた時の対処法を覚えたいだけです」


 ルアンは、しれっと返す。

 トラバーはプレイボーイ。

 優しげな笑みを浮かべるが、街の大半の美女と寝たと噂があり、依頼人や関係者または人妻と火遊びをする。


「嫌だなぁ、オレはこんな風に捩じ伏せたりしないよ」


 トラバーが苦笑を溢す。

「上手いじゃない」とルアンが、嫌味を言う。トラバーは、笑みを引きつらせる。


「もう一回。確認だけれど、どんなに反撃されても、許してくれるの?」

「うん、全然大丈夫だよ。もう一回ね」


 トラバーは青のストライプのYシャツの袖を捲ると、ルアンのリベンジを受けた。

 助走をつけて飛び出したルアンは、トラバーの顔を目掛けて、横から右足で蹴りを入れる。

 トラバーは、顔の横で左腕で受け取ると、右手で、ブーツを掴んだ。

 そして地面に捩じ伏せようとした。

 先にルアンは、捕まれていない方の左足を地面につける。その足で地面を蹴り、その勢いを使って回転した。トラバーはブーツを放す。

 着地したルアンは、背を向けていたが、瞬時にトラバーの腹に向けて肘を打ち込もうとした。

 直前で止められる。そして首根を掴まれ、捩じ伏せられた。

 今回、ルアンは足掻くことはしない。ギブアップだ。


「……」


 笑ってまたトラバーが立ち上がるのを手伝っている様子を見て、クアロは眉を潜めた。

 毒の花の殺人鬼の事件から、ルアンがクアロを責めることは言わない。だが、ルアンは許していないと感じている。

 隣の部屋にいたにも関わらず、殺人鬼の侵入を許した失態。

 クアロも反省をしている。確かに、ルアンがギアを使いこなしていたから、油断していた。ルアンなら、一人でも大丈夫だと思ってしまっていた。

 ベアルスの囮をした時と違い、初めから殺しに来るとわかっていたのだ。なのに、隣の部屋で殺人鬼は、一晩中ルアンのそばにいた。

 ルアンに言われた時、クアロは想像した。前日に見た現場と遺体を、あの部屋とルアンをすり替えた瞬間、自分の失態の重さを思い知る。


 結果的に生き残った。


 それを言ってしまったことを悔いた。ルアンは死なずに済んだ。すぐ隣にいたにも関わらず、ルアンを失っていたかもしれない。

 罵倒に続いて放たれた言葉は、一番奥までクアロの胸に突き刺さった。


 お前は裏切った。


 ルアンはクアロ達が。否、クアロがいたからこそ、自分の命を囮に使うことを決めた。

 クアロなら、守ってくれると信じたのだ。護衛も兼ねた子守り役のクアロに、身を任せた。

 クアロは、そのルアンの信頼を裏切った。

 クアロだけに放たれた言葉は、未だに突き刺さっている。

 悲鳴のように声を上げて怒りを露にしたルアンの姿は、あの時を思い出させる。母親に向かって、罵倒した時だ。

 裏切り。ルアンに失望された。

 それは、嫌なものを感じる。じわじわと込み上がり、身体中を蝕むようだった。

 まるで、恐怖。


 ――違う。

 ――多分、これは。

 ――恐怖だ。


 自覚した途端、冷たさが爆発的に身体中に広がった。

 ルアンは、母親に裏切られ、失望して、徹底的に嫌っている。

 ルアンの信頼を裏切り、失望されたクアロも、嫌われるかもしれないという恐怖だ。

 クアロは、ルアンに好かれていると自負していた。それは同時に信頼されているということだった。

 母親を嫌い、そして苦しんでいたルアンを、クアロは知っている。

 家族にも弱さを見せようとしない少女が、心から寄り添えるのは、自分だけだ。

 クアロだけなのだ。クアロだけだった。

 それなのに、クアロは、裏切った。

 今もまだ子守りとして、ルアンのそばにいるが、あれ以来距離を感じている。

 あれ以来、ルアンがクアロの部屋に泊まりに来たことはない。

 あれ以来、ルアンの弱さは見ていない。

 いつも通りに思えても、隅っこにはこびりついていて、裏切りを忘れない。

 少しずつ、少しずつ、ルアンが離れていく。


 ――私以外に、弱さを見せられるの?


 兄のラアンも、ルアンの弱さを知っている。それでも、ルアンは見せようとはしない。


 ――私以外に、泣きつく相手がいるの?


 ルアンがしがみついて泣きつく相手は、クアロだけだった。

 ゼアスチャンが、それになるのか?

 それともシヤン? ピアース?

 はたまた、トラバー?

 そんなわけがない。ガリアンに入ったルアンは強さだけを示し、部下のようなシヤン達に弱さを見せない。トラバーにも、気を許してなどいない。

 今だって、自分一人で身を守れるための術を得ようとしている。クアロには相談もせず、手伝いも頼まない。

 ルアンが自分から離れることは、恐ろしかった。

 なによりも、強さに隠れた繊細な弱さを持つルアンが、独りになってしまうことが怖い。

 誰にも寄り添わず、強さだけで一人で立つ。どんなに強くとも、そう見えても、外見通りに幼い少女。限界まで強がって、脆く崩れていってしまう。

 クアロは、それを忘れてしまった。

 殺人鬼に襲われた時の詳細は、誰にも話していない。微笑みだけで追い返したことに、シヤン達は流石だと納得した。

 だが、声も出せず、身体を動かせず、殺人鬼に刃物を突き付けられた瞬間、ルアンだって恐怖を感じたはずだ。

 それをルアンは、誰にも言っていない。

 クアロに問う資格はない。クアロがそんな目に遭わせたのだ。怖かったからこそ、ルアンは責めた。

 一番信頼していたクアロに助けてもらえず、死ぬところだった。

 ルアンを傷付けた。計り知れないほど。

 裏切った。失望させた。孤独にしてしまう。

 ルアンの心が、離れていく。少しずつ。しかし、確実に、ルアンの心が独りになる。


「――――ル」


 ルアンを呼んで、謝ろうとした。許しを貰おうとした。生じた亀裂を直そうとした。

 口を開いたが、喉に痛みを感じた。声が、出せない。情けなく、泣いてしまう声でも、振り絞ろうとした。


「ルアーさんっ!!!」


 クアロよりも先に、後ろから、ルアンを呼ぶ声が上がる。

 聞き慣れない呼び方と、聞き慣れない声。

 ルアンが顔を向けたあと、クアロも振り返る。門番が閉じた監獄の扉の前に、さっきの青年が立っていた。

 エメラルドをほんのりまとう金髪を、ハーフで結んでいる。20代に見えるが、頬を赤らめて嬉しそうに笑みを浮かべた顔で、幼く見えた。




20150420

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