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43 微笑み。




 毒の香りが、身体を蝕む。

 始めは青年の手首を掴んでいたルアンの手も、床に落ちた。

 意識ははっきりしているが、指一本動かせない。石にされたかのように重く、そしてぼやけた感触しかしなかった。

 青年は少しルアンを引き摺って、ドアから離す。ドアの向こうのクアロ達に、気付かれないためだ。

 ドア一枚の向こうにいるのに、助けを呼ぶことは出来ない。話し声も聞こえないため、クアロ達が気付いた気配もなかった。


「君みたいに綺麗で、そしてこんなにも幼い子を、殺したことないな……」


 青年はルアンの上に、覆い被さるように跨がる。

 その声は、あまりにも穏やか。だが手には、鋭利な輝きを放つ短剣が握られていた。


「楽しそうだ」


 穏やかな声で、優しい笑みを浮かべ、青年は短剣を振り上げる。

 それで、ルアンを、いたぶるために。


「君が悪いんだよ? 見たかのように言い当てて、ボクを邪魔をするから……。お仕置きだ」


 笑いかけても、青年はすぐには振り下ろさない。欲しているものを、待っているのだ。

 青年が欲しいがっているのは、恐怖。怯えて、苦しむ姿だ。

 怯えた獲物に刃物を突き刺し、更に恐怖を与える。命が尽きるまで。

 いたぶって、怯えさせ、殺す。それだけが、彼の動機だ。そのための殺人。

 声を出すことも、指を動かすことも、光を放つことも出来ないルアンに、出来ることはたった1つだけ。



 それは――――微笑むこと。


 かろうじて、口元を緩めることが出来た。

 途端に、青年は目を見開く。手が、微かに震えた。

 ルアンは優しく見つめて微笑む。

 青年の顔に笑みが消えて、動揺が露になる。それをそっと笑うように、ルアンは笑みを保つ。

 殺人鬼の青年にとって、今から殺そうとした相手に、微笑みを向けられたことは初めて。恐怖を見せるどころから、微笑みを向けられ、戸惑っている。

 垂れた銀の髪に囲まれた顔に、汗が滲む。ルアンの両目を交互に見る忙しない瞳を、ルアンは見つめた。

 青年は、短剣をルアンの首に突き付ける。しかし、それでも、ルアンは笑みを崩さない。

 動じるのは、青年の方だ。ガクガクと、短剣を握る手が震える。

 やがて、青年は短剣を高く掲げた。

 それでもルアンの恐怖を見付けられないと、青年は振り下ろす。


 ダンッ!


 ルアンの顔の横を掠めて、床に突き刺さった。その瞬間、ルアンは目を閉じた。

 正直、青年がキレて一撃で殺す気になってしまったのかと思った。

 一瞬、自分の眼球に刃物が突き刺さる光景が浮かんだ。

 電流が流れるように身体中に戦慄が走ったが、目を開いて、また青年を見つめて微笑んだ。


「なんだよっ……なんでっ……なんでそんなっ、そんな顔をするんだっ……!」


 青年の顔色が悪くなり、声を上げかけた。しかし、ドアの向こうのクアロ達の存在を思い出し、振り返る。短剣を突き刺した音にも、気付いていないようだ。


「……怯えろよ」


 ルアンに顔を戻すと、青年は左手で小さな首を掴む。そして、囁く。


「怯えろよっ……! ボクは、君をっ、殺すんだぞっ!」


 声を圧し殺すように、叫ぶ。殺す相手に、そう宣言することも初めての経験だろう。こうでも言わなくては、怯えさせられない。

 滑稽だと思い、ルアンは笑みを深める。

 必死に殺すと宣言する殺人鬼。二日連続夫婦を殺し、そして画家のサインのように毒の花まで飾った自惚れ殺人鬼の、無様な姿。


「っ……!!」


 嘲笑だと気付いたのか、青年が短剣を引き抜いた。今度こそ、短剣でルアンを傷付けようとしたのだろう。

 だが、コロンと短剣がベッドの方へ転がる。

 短剣が抜けてしまった自分の手を、青年は驚愕してみた。その手は、わなわなと震えている。

 殺しに来た青年の方が、恐怖に震えた。ぶるぶると両手を押さえたあと、その両手で自分の顔を押さえる。


「そんなっ……そんな目で、なんでっ、見るんだよっ……」


 ルアンの上から退いて、青年はベッドのそばで怯えた。

 理解できないことに、怯える。

 初めてのことに、怯えている。


 ――殺してきた報いだ。

 ――自信を粉々にされて、怯えてろ。

 ――逆に恐怖を与えられて、怯えろ。


 ルアンは見据えながら、心の中で吐き捨てた。

 瞼が、重くなる。身体はまるで鉛になって、沼の中にゆっくりと沈むようだった。意識が、揺らぐ。

 子どものルアンに、青年の特製の麻酔薬は強すぎたらしい。呼吸が、苦しくなる。

 生温いような、冷たいような、それに身体も意識も徐々に沈んでいく。

 それは、死の淵に堕ちるようなもの。死が、包み込むような感覚。

 それが、ルアンの恐怖を掻き立てた。死への恐怖。微笑みは、とうにない。

 幸い、青年はまだ目を覆っていて、気付いていない。

 まるで口を塞がれているように、酸素がまともに吸えなかった。視界が霞む。

 もがくことも出来ず、意識は沈む。


 ――気付けよ。

 ――……クアロっ。


 クアロが部屋のドアを開けることはなかった。

 まるで怯えた子どものように縮こまる青年の姿を最後に、ルアンは気を失う。




 ◇◆◆◆◇




 微笑みがなくなったと気付いた青年は、顔を上げた。

 ルアンが目を閉じている。

 青年は、まだ震えが残る手を伸ばした。そしてルアンの口元に当てる。ルアンの呼吸が感じられなかった。

 目を見開いた青年は、ルアンの胸に耳を当てる。心臓の鼓動は聞こえた。

 すぐに青年が、ルアンの顎を掴んだ。顎を引き上げたことにより、気道が確保され、ルアンが小さく息を吸い込む。呼吸を始めたが、意識は戻らない。

 小さな唇が、息を吐いては、吸い込む。青年は、触れそうなほど近い距離で、それを見つめた。

 手を放せば、またルアンの呼吸は止まり、やがて死ぬ。眠るように静かに、死ぬだろう。

 ルアンは、青年の顔を見た。唯一、犯人だと知っている目撃者だ。生かしてはおけない。

 だが、青年は躊躇した。

 深紅のドレスで横たわるルアンを見つめて、その手を放さない。

 チョコレートのような髪は、さながらケーキの上のクリームのように、カールしたそれはルアンの顔を包んでいる。長い睫毛の下には、ほんのりと紅潮した頬。


 ――噛み付けば、赤い果汁が溢れるだろうか。


 青年は、そんなことを思いながら、その頬を見つめた。

 欲望に負けて、口を大きく開いて、かぶり付こうとする。

 その口に、ルアンが吐いた息が当たり、青年は震えた。ゴクリ、と息を飲む。

 呼吸が、触れ合う距離。ルアンの息が吹きかかる度に、唇がくすぐったくなる。


 ――なんなんだ。


 青年は自分を抑え込むように、顔を背けた。


 ――なんなんだ、これは。


 自由に殺しを楽しめる狩り場を、封鎖した少女を、殺しに来たはず。なのに、どうしてこうなった。

 少女は恐怖しない。短剣は握ることもできず、落とした。殺しに来たはずが、自分が恐怖に震えた。そして今は、少女の命を支えている。

 青年は、殺してきた。

 殺さずにはいられなかったから、殺してきた。

 動物も、首をへし折らずにはいられなかった。少女だって、殺せるはずだった。

 だが、何故だ。この少女を、ルアンを殺せない。


 ――この子は、一体……。


 わからなかった。

 青年には、何もかもが、わからなくなっていた。

 自分の身に、何が起きているのか、ゆっくりと考える必要があった。

 部屋の外に、ルアンの仲間がいようとも、青年はそのまま考える。

 ルアンを殺せない。殺さずにはいられないサイコキラーだという自覚があった。他人が怯える姿を見るのは、至極楽しい。殺されていると恐怖した瞳を見ながら、真っ赤な色を撒き散らすことが好きだ。

 なのに、ルアンは怯えない。そして、そのルアンが向ける微笑みに恐怖を覚え、短剣を落とした。

 初めて、恐怖に震えた。


 ――あ。

 ――ボク。

 ――この子に殺された?


 青年は、目を見開いて、ルアンを見下ろした。

 殺すことが存在意義だった自分を、ルアンに殺されたのだ。

 自分を壊されたのだ。

 殺人鬼の自信を、ルアンに粉々に壊された。存在意義を壊された。自分自身を壊された。

 殺しを取り上げられた殺人鬼に、残るものは?


「……ない」


 殺すことが、生きる証。殺してこそ、生を感じる異常な人間。

 取り戻すためには、殺すしかない。ルアンを殺して、取り戻す。

 青年の瞳に狂気が戻った。笑みなどない。追い込まれた殺人鬼の顔だった。

 ルアンの顎を掴んだ手をずらして、首を握る。細い首は、片手で容易く握れた。

 簡単だ。犬や猫の首をへし折ることと、大差変わりない。

 掌に、ルアンの脈を感じながら、青年は――――……。




20150412

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