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カミに見放された

作者: いちご豆乳

 それを見た瞬間、なんとなく嫌な予感はした。だがしかし、きっと下にはちゃんとあるんだろうと思い直し、銀の板を上げてみたら案の定――


「嘘だろう……」


 麗らかな春とは隔絶された、寒々しい学校の個室トイレ。

 そこで俺は絶望を見た。

 紙に見放された。申し訳程度に巻かれたトイレットペーパーを横目に、思わず頭を抱える。これでどう拭けっていうんだ……。赤子のケツだって拭けない。ざっと個室を見回しても予備のロールは見当たらなかった。


「マジかよ……」


 このまま外に出るのはできれば避けたいというよりも嫌だ。非常に恥ずかしいが、呼びかけてみるか?――いや、でも人の気配はない気がする。俺がここに来た時も無人だったし、ドアが開いた音もした覚えがない。そもそも個室に入るにあたって、人があまり来ない場所を選んだ。

 ……ポケットティッシュなんて持ち歩いてたりしていないか。記憶にないものの、だめもとでブレザーや制服のズボンポケットをあさってみる――――もちろんなかった。つんだ。これは詰みである。俺の手札は何もない。やはりこれは外からの助けを待つか、求めるか。しかし、このやや寒い空気に腹を出したままってのも、よくない気がしてきた。第二ラウンドに突入しそうであるし、痔になりそうだ。

 羞恥心とそのほかのデメリットを天秤にかけ、俺はそっと声を出してみることにした。

 

「誰かいませんか?」


 返答なし。わかっていたことといえ、羞恥心とともにむなしさが襲い掛かってくる。……そうだよな、もう授業終わってるもんな。新学期そうそうでいくつかの部活動しかやってないからな。人、いないよな。落ち込んでると腹からの不穏な音が聞こえた。はやくズボンを履きたい。


「まじでついてねえぇぇ」


 深いため息とともに後ろに手を回し、適当にレバーを動かした。水、その他もろもろとともにこの状況もどうにか流れてほしい。確認せずに入った俺も悪いが、前入ったやつめ、どうして補充しないんだ……。ここまで芯が見えてんならかえろよと恨みを込めて睨み付け、気が付いた。

 トイレットペーパーの芯。トイレットペーパーと比べるとかなり硬いが、まぎれもなく紙である。この場に唯一存在する紙である。そう、紙なのだ。うっすら残ってる紙もある。これはもしかしたら……!

 芯を手に取りるとやはり硬かった。だが、がんばればできる。がんばれば拭けるっ――!

 己を奮い立たせ、芯をもみほぐし、少し破ったところで


こん こん


「!」


 控え目だが、確かにノックが聞こえた。目の前の扉が叩かれたのだ。即座にやや身を乗り出し、扉を叩き返しつつ


「すみません、かみがないのでくれませんか?」


お願いをする。


こん こん


すぐさま二度扉が揺れたかと思うと、上から白い塊が落ちてきた。まぎれもないトイレットペーパだ。上を見上げると、扉の下へと手が引っ込んでいくのが見えた。投げ入れてくれたようだ。ありがたい。


「ありがとうございますっ」


 こん


お礼を言ってトイレットペーパーを拾い上げて、使用する。きっとこれをくれたやつは待っているはずだ。急いで明け渡したいし、なにより恥ずかしい。さっと水を流し、ズボンを履いてベルトを締めた。ついでに今しがたもらったトイレットペーパーをしっかり配置する。完璧だ。


こんこんこん


「今出ます」


相手も切羽詰まっているんだな。催促するように叩かれる音に申し訳なくなる。外に出ようと扉を開けようとした瞬間


こん

こんこんこん

ごんごんごんごんごんごんごんごんごんごんごんごんごんごんごんごんごんごんごん―――――


すさまじい勢いで扉が叩かれた。途中で扉を殴るような音に変る。


「!?」


 思わず扉から距離をとろうとして、こけて便座へと座り込む。どうなっている。混乱して固まっていると、不意に音が途絶えた。不気味な静けさがあたりを包む。動きたくても動けなかった。先ほどよりも個室が薄暗く、寒くなってきた気がする。いや、落ちつこう。きっと気のせいだ。どうする、扉を開けるか?いたずらでもされたんだ。開けてこええよって一言言ってやればいい。そしてさっさと手を洗って教室に戻って帰ろ―――――

 鈍い音が響いて扉が強く揺れ動いた。思わず扉を凝視すると叩かれた衝撃で鍵が緩んで――――ってウソだろ!?今にも開きそうだ。瞬間、体中を不快感、寒気が駆け巡る。


 便座から水音がした。いつも聞くのと変わりのない水が流れる音がする。


 俺は、レバーを動かしてないっ


 はじかれたように立ち上がり、俺は勢いよく個室の外へと飛び出した。扉の外には誰もいなかったが、それについて今深く考えている暇はない。廊下へとつながるドアへ駆け寄り、そのまま走り抜けようするが


 「ああああああ!!!ですよねっ」


 案の定といってもいいのか、扉はあかない、開かないっ!

 トイレの水が流れる音が絶え間なく続いて、絶対に振り向けなかった。ここで後ろを向いたらやばい気がする。この場から早く出たい、逃げたい。空気ってこんな重苦しいものだったか。

 全力で扉を引いてみるも、全く動かなかった。そして、背後で水が流れる音が途絶えたかと思うと


「ニガサナイ」


 すさまじい寒気とともに耳元でする声。俺は動けない。

 男の声だろうか。耳障りに、不快に、


「サがセ。ハナコを」


 ゆっくりと


「トイレノハナコサンをサガセ」


 見に刻み込まれるように、


「サガセネバ」


 呪詛が如く紡がれる言葉に、殺意ある言葉に


「―――――」


 俺はなんも返せない。息が苦しい。じわじわと這いよってくる寒気に、次第に立っていられなくなる。


「サガセ」


 声が再びそう告げると、唐突に重苦しい空気が消え去った。トイレの床だろうが気にせずに、俺はその場に座り込む。重苦しい空気はなくなったものの、どうにも体が重かった。もしかして、もしかするとこれは呪われたってことだろうか。取り憑かれたということだろうか。どっと冷や汗がでて、頬を伝っていく。そっと、そっと後ろを振り返ってみると、俺がトイレに入る前となんら変わらぬ風景があった。誰もいない。俺以外にこのトイレには人がいなかったのだ。

 オカルトを信じるたちではなかったし、オカルト類を体験したことなんてこの15年間一度もない。でも、今さっきの言葉は、あれはまぎれもなくオカルトだ。あんな寒気、40度の熱を出したって感じない。オカルト―――心霊体験だって本能的に悟れるものなんだ。

 だんだんと今しがたあったことを理解してきて、がくがくと震えがきた。こんなところにいられない。早く人がいるところに行かないと安心できない。

 震える足で立ち上がり、扉を開けてみるとすんなりと開いた。外にも人はおらず、暖かなオレンジの光が廊下を染め上げている。意外に時間がたっていたようだ。教室に荷物があるから取りに帰らないといけない。

 教室へと向かって一歩踏み出すと、何かを踏んだ。


「ひぃ」

 

 慌てて下を見やり、足をどかすと紙がつぶれていた。いや、紙というよりもトイレットペーパーの芯である。ちょっとだけ破かれた芯に見覚えがあった。もしかして……さらにいやな汗をかきつつそれを拾い上げててみると、先ほどまで手にしていたものと同じっぽい。違いといえば――――!?


「サガセ」


 その言葉が目に入った瞬間、俺は教室めがけて走った。


 麗らかな春の放課後。

 学校のトイレにおいて。

 

「嘘だろっ」


 そこで俺は絶望を味わった。

 カミに見放されて、憑かれた。

 そして、その後、トイレの花子さんを探して、いわゆる学校の怪談に巻き込まれて行く。これは始まりに過ぎなかったのだ。








 

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