ようこそ、星屑亭へ!
「彩ちゃん。今日はもう上がっていいよ」
そう言って声をかけてきたのは私のバイト先である八百屋の親父さん。
ちょっと厳つい感じなのに本当はとても優しくて気の弱い人。
「ありがとうございます。お先に失礼しますね」
着けていた前掛けを外しながら、店の奥へ引っ込む。
今日はとても忙しい日だった。
きゅうりは完売したし、キャベツと白菜もよく売れた。
「(でも、疲れたなぁ・・・)」
何だか体が怠い、風邪だろうか?
とりあえず、今日は寄り道せず真っ直ぐに帰宅する事にして身支度を整える。
「お疲れ様でしたー」
「お疲れ様、彩ちゃん。また頼むねー」
どんなに疲れても、挨拶は欠かしてはいけない。
きちんと親父さんに声をかけ、家路についた。
いつもと変わらない道を歩きながら、ぼんやりと空を見上げる。
「(何だろう、すごく怠い)」
体が重い。
仕事をしている間はこんなに調子が悪くなかったのに。
やはり、風邪だろうか?と思ったけど喉も痛くないし、咳も鼻水も出ないから不思議だ。
「明日になったら病院行こう・・・」
そんなことを考えていると目の前の交差点の信号機が黄色から赤へと変わるのが見えた。
ぼんやりして信号を見逃していたら大変だ、しっかりしないと。
「キッキィィィィィ!!!」
「えっ!?」
激しいブレーキ音が響き渡る。
信号待ちで立ち止まっていた私に向かって大型トラックが迫っていた。
「(なんで!? 信号を見逃すとか見逃さないとかの問題じゃないじゃん!)」
咄嗟にそこから離れようとするが体が思うように動かない。
これが世に言う危機的状況に陥った時の判断力と反射神経の低下なのだろうか。
そんな時、私のすぐそばで私と同じように恐怖で動けなくなっていた少女が居ることに気づいた。
「(このままじゃ、この子まで!)」
そう思った瞬間、動かなかった体が不意に動いた。
少女の腕を掴み、自分の体を軸にしてトラックが届かないであろう方向へ投げ飛ばす。
私自身はその場から動くわけではないのでどうなるかは覚悟の上の行動だった。
投げ飛ばされた少女は運良く通行人が受け止めてくれた。
「(良かった、投げ飛ばした拍子に頭でも打ったら大変だもんね)」
「ドンッ!」
鈍い音と共に私の体が空中へと浮く、痛みは感じなかった。
ただ、あるのは真っ暗な闇のみ。
「(享年18歳、死因事故死か・・・。もう少し、マシな死に方したかったかな)」
薄れゆく意識の中でそんな呑気な事を考えながら、私は死んだ。
はずだったのに・・・
「ピチチチッ・・・」
「何なんだろうな、この平和空間」
享年18歳、事故死したはずの私は目を覚ませば森の中でよく分からん生き物に追いかけ回された挙句、物語に出てくるような鎧を纏った騎士達に助けられ、最終的には出血多量による貧血でぶっ倒れたわけだ。
そして、今に至る。
「クルルルっ」
声の主はベットに横たわる私の上に乗った藍色の羽毛の塊から発せられている。
羽毛の塊はなかなか大きく、バレーボール程だろうか?
手を伸ばし、触れてみると魅惑的な手触りに撫でる手が止まらない。
「もふもふ・・・」
「クルル♫」
うっとりと撫で続ける私とこれまた気持ち良さそうに撫でられ続ける羽毛の塊。
これを平和と呼ばずに何とする。
「コンコンっ」
「っ! はい!」
なんともゆるい空気を切り裂くように響いたノックの音に起き上がり、思わず返事を返す。
「まぁ! 目が覚めたのね!」
扉を開けたのはふんわりとした紅い髪の若い女性。
薄ピンク色のロリータっぽい服をきて優しく穏やかな雰囲気を漂わせている人。
「あなた、4日も目を覚まさなかったのよ? 心配したわ」
4日も寝てたのか・・・
てか、今更だけどここは何処だ?
「えっと、すいません。ここは一体、どんな施設なのでしょうか? それにあなたは一体・・・」
「あらあら、困らせてしまったわね。ここはリーベルタールにある宿屋の一室よ。そして、私はこの宿屋の女将でリム・ヴィーラ。そして、あなたの上に乗ってるその子はノーチェよ」
「宿屋・・・」
「騎士団長さんがあなたをここに連れてきたのよ。とても酷い怪我をしていたわね、もう痛くない?」
そういえば腕を怪我してたんだった、痛みがなかったから気がつかなかった。
「はい、怪我をしていたことに気がつかない程に」
「ふふ、それは良かったわ」
「ピチチッ」
ノーチェが腹部に体を押し付けるように擦り寄ってくる。
可愛い、もふもふだし。
「あらあら、ノーチェったら」
リムさんが微笑ましそうに目を細めて笑う。
「あ、そうだわ!あなたのお名前を聞いてもいいかしら?」
あー、しまった。
状況を把握することに夢中で名前を名乗ることを忘れていた。
「名乗るのが遅くれてすいません。私は辻鞍 彩、18歳です」
「ふふ、彩ちゃんね。あら?」
ふわふわと微笑んでいたリムさんが声を上げる。
「どうかしましたか?」
「騎士団長さんから、彩ちゃんは少年だと聞いていてたのだけれど彩ちゃんは女の子よね?」
・・・結局、あの人達は私を少年だと勘違いしたままだったのか。
「はい、女です。よくわかりましたね、騎士団長さんと副団長さんは勘違いしたままなのに」
「ふふ、女の感よ」
そう言って笑うリムさんはとても綺麗だった。
しかし、少年と間違われているならそっちの方が色々都合がいいかもしれない。
ほら、女だと色々舐められたりするし。
「リムさん、一つお願いしてもいいですか?」
「あら、何かしら?」
「私が女だという事を秘密にしていただけませんか」
「まあ、どうして?」
リムさんが不思議そうな顔で此方を伺う。
「男の方が色々やりやすいかなって思って」
ぶっちゃけ、ひらひらした服とか着たくないし!
あちらで生活していた時も男物の服を着ていた彩なのでした。
「んー、分かったわ。ただ、アムだけには打ち明けさせて頂戴」
「アム?」
「ふふ、私の大切な家族よ。この宿を一緒に経営しているの」
なるほど、それくらいならいいかな?
大切な人に秘密を作られるってのは結構キツイし。
「分かりました」
「じゃあ、改めまして・・・」
「ピチチチッ!」
ノーチェが羽ばたき、リムさんの肩へと移った。
「ようこそ、星屑亭へ!」
なんかシリアス風味でしかも長かった(笑