囁き
「はあっ、はあっ」
フレリアはがむしゃらに走っていた。
髪を振り乱し、汗を額に張り付けながら走る彼女は一体どこへ行こうというのか、自分でさえ分からず、嫌な夢を振り払うかの様に息を取り乱して全力疾走していた。
「あれは本当にあのアルバーナか?」
呼吸を整えるために薄汚れたレンガの壁を支えにしたフレリアは呻く。
故郷を去る前に会ったアルバーナとは似ても似つかない、まるで得体のしれない何かがアルバーナと取って代わったように感じる。
「早く忘れたい……」
今日起きた出来事は忘れるべきだと考える。
あんな虚言を聞いていれば自分はとんでもない選択をしてしまう。
フレリアは不満こそあるものの、現状にある程度納得しているがゆえにアルバーナの戯言に頷くわけにはいかない。
全てを捨て去る愚鈍な選択をするわけにはいかなかった、が。
「イズルード、俺から逃げられると思っていたのか?」
「なっ!?」
フレリアの心を惑わせた張本人が不敵な笑みを浮かべて路地裏の影から現れた。
「“どうしてここに!?”は無粋だ。俺は昔からこういうのが得意だったからな」
アルバーナの先天的才能として人の心――特に弱味を突かれたことによって起こる人間の行動を読むのが非常に上手い。
アルバーナがいくら傍若無人に振る舞おうとも村から追い出されなかったのは偏にこの才能によるものが大きかった。
「一体……何のつもりだ?」
震える声でそう尋ねるフレリアにアルバーナは喉を鳴らしながら。
「なあに、二の“比喩表現を使った説明”が上手くいかなかったからな。だから三にすることにした」
アルバーナの刺す三とは、“アルバーナ特製の演説による勧誘”である。
「……止めてくれ」
フレリアは首を振りながら懇願する。
一や二でさえあれほど心を動かされてしまった。
それより強力な三をやられたフレリアは自分を保つことなど出来ないだろう。
「残念ながらそれは出来ない」
アルバーナは両手を広げながらフレリアに近づく。
端目には友好的に見えるだろうが、今のフレリアからすると猛獣が獲物に飛びかかる為の予備動作に見えた。
「っ」
「そんな危ない物を仕舞ってほしいのだけどな」
アルバーナが困ったようにおどけるのは、フレリアが正中線に剣を構えていたからだ。
剣そのものは恐怖で震えているものの、剣先はしっかりとアルバーナを捉えている。
酒場の時も剣を向けられたが、あの時はフレリアが強者であり、弱者であるアルバーナを威嚇していたのに対し、今ではフレリアが追い詰められた鼠の状態になっていた。
「これ以上私に近づくな! もし一歩でも近づけばその首を切り落とす!」
アルバーナを殺してしまうと、もちろんフレリアは殺人を犯した罪として身分をはく奪の上投獄されてしまうが、それでも構わない。
アルバーナの言を止めることが出来るのなら例え殺人の汚名を着ようともいとわなかった。
「それじゃあ本末転倒だろう」
そこまで追い詰めた張本人であるアルバーナはただ笑う。
下手すれば取り返しのつかない事態に陥るにも関わらず、彼は余裕を全く崩さなかった。
「俺特製の演説と銘打ったが何の事はない。単に俺の欲望をぶつけるだけだ」
そう前置きしたアルバーナは一歩踏み出し、そして。
「俺はお前が欲しい」
「は?」
告白とも取れる言葉を言い放ってきた。
「言葉通りの意味だ、俺はお前の全てが欲しい。その髪、声、肢体、能力、何もかもイズルードの全てを俺が独占したい」
「一体何の戯言を?」
フレリアは訳が分からなくなって視線を左右させるのだがアルバーナは歩みと語りを止めない。
「まあ、本来ならどこか人目に付かない所へ閉じ込めたいのだが。そんな人を玩具扱いする真似を爺さんは許さないから妥協するしかないな」
「だから何を言っている!?」
耐え切れなくなったフレリアは叫ぶ。
自分をあれほど心を揺さぶらせておきながら今度は愛の告白をするアルバーナ。
一体目の前で何が起こっているのかフレリアはついていっていない。
「誤解の無いよう言っておくが、俺はお前に恋愛感情などこれっぽっちも無い。代わりに俺がイズルードに抱く想いは独占欲だ。お前の全てを俺に捧げて欲しい」
「ふざけてい――」
「俺は大真面目だ」
激昂したフレリアだが、アルバーナはいつの間にか彼女の腰を抱くほど接近していた。
「は、離せ!」
この状態は不味いと悟ったフレリアは暴れるが、女性と男性の違いが現われてビクともしない。
「同じ言葉は繰り返さない。フレリア=イズルード、お前は俺の物になれ」
アルバーナの黒眼の奥にある闇より深い色がフレリアを捉えて離さない。
「俺は国を創る。そのためにはお前の力が欲しい、だから全てを捨てて俺の所へ来い」
「わ、私は国や仲間を裏切れない……」
フレリアはそう抵抗するも。
「イズルード。いや、フレリア。裏切るのではない、救うのだ。訳の分からない社会システムによってもがき苦しむ皆を解放してやるのだ」
「あ……」
アルバーナの確信に満ちた言葉によってフレリアの体から力が抜けた。
後日。
フレリア=イズルードが突然騎士団を辞めて失踪したことが王国騎士団の中でちょっとした噂となった。
アルバーナはフレリアを引き抜いたことに罪悪感の欠片も感じていません。
けど、何故か正しいことに見えてしまう不思議があります。




