戦争 前編
霧が立ち込める未明の朝
マルグレット三世が率いる軍は山林を抜けた所で一夜を明かしていた。
この場所は左右を森に囲まれ、大軍を展開し辛い。
しかし、ここさえ通過することが出来ればアルバーナが治める領土まで障害物がないので、危険を承知で通り抜ける価値があった。
「結局反乱軍どもは攻めて来んかったな」
馬上。
マルグレット三世は出発準備を整えている軍を睥睨しながらポツリと漏らす。
反乱軍の総数は常備兵を合わせても五百前後しかなく、こちらはその四倍の兵力を持っている。
寡兵における戦いというのは決まって奇襲か地形を利用した挟撃であることを鑑みると、並の者ならまずここで迎え討とうとするだろう。
「やはりあ奴は馬鹿だったか」
兵法において絶好の機会をみすみす逃したアルバーナをマルグレット三世は愚か者扱いする。
まあ、彼がそう決めつける理由も分かる。
人というのは得てして物事を己の定規に当てはめて判断するもの。
そこから外れる事柄に関しては侮蔑または無視する。
そう考えるとマルグレット三世の判断は扱く常識的だろう。
だからこそ彼は読み違える。
アルバーナがマルグレット三世に反旗を翻すまでに至った経緯は、常人だと想像すらできない狂人の所業。
ゆえにマルグレット三世は肝に銘じるべきだった。
ユラス=アルバーナは一般常識や倫理が通じないアウトサイダーの住人だということを。
「敵襲です!」
鋭い鐘の音と共に敵の接近が伝えられる。
「敵の方角は? そして数は何人だ?」
すかさず詳細を聞くマルグレット三世。
そこは数をこなしてきたゆえか対応が素早い。
先程まで余裕と侮蔑に満ちていた表情が今では戦う将の雰囲気を醸し出していた。
が、次の瞬間には困惑へと変わる。
何故なら次にもたらされた報告に耳を疑ったからだ。
「は! 敵は真正面から! そして数は――一騎です! そしてあの黒ずくめの装いで旗を掲げているのは……ユラス=アルバーナ本人です!」
「はあ!?」
思わずマルグレット三世は叫んでしまった。
「ハハハハハ! アルバーナ様のお通りだ! 邪魔する者は踏み潰す!」
報告は間違っていなかった。
槍の代わりに旗を天高く掲げたアルバーナは漆黒の馬に跨って駆け、その勢いのまま敵陣へ突撃した。
霧が出て視界が不良。
出発前という気の緩み。
そして大将自らが突撃という要素が絡み合い、マルグレット三世の軍は混乱を極めた。
「奴を殺せ!」
「うわ! 押すな」
「嫌だあ! 馬にひかれる!」
アルバーナを討ち取ろうと前へ出ようとする者。
馬に蹴られたくないがゆえに後ろへ逃げようとする者。
指示が出るまで動こうとしない者。
もし隊長が歴戦のベテランなら即座に的確な迎撃網を指示していただろうが、悲しいかなこの軍は近衛兵。
「防御網を抜かれるな!」や「早く奴を食い止めろ!」といった抽象的かつ各隊長がバラバラに命令を出してしまったことも手伝い、防御陣はふすまの障子の如く次々と突破されてしまった。
「あのバカが!」
アルバーナから五馬身後方から追い掛けるのは白馬に跨ったフレリアとその腰にしがみつくメイリス。
「本当にやるとは思わんかったぞ!」
近くにいる敵兵に槍を突き立てながらフレリアは悪態を付く。
先日、アルバーナの口から聞かされた策には全員が耳を疑うほど正気と思えない内容だった。
すなわちアルバーナ本人が敵陣へ特攻し、フレリアや兵がその後ろに付くというもの。
現在軍の中で馬に乗れるのはフレリアしかいないためやむなくメイリスを同乗してアルバーナの後を追いかけ、他の兵は掛け足で突撃させていた。
「くそっ、全然追いつかん!」
フレリアも全力で追いかけているのに、アルバーナからどんどん引き離されるのは偏に覚悟の違いである。
アルバーナは馬が転倒してしまう可能性や、敵の槍が己の体を貫く危険性などを全く考慮せずにただ突っ走っているため、身の安全を確保しながら進むフレリアとはどうしても距離が開けてしまう。
「……仕方ない、これがユラス=アルバーナ」
手に持った杖で魔法を発動させながらメイリスは淡々と述べる。
メイリスの魔法は多彩であり、ある時は小爆発を起こして眼前の兵の集団を吹き飛ばしたと思えば氷の槍や風の刃を発生させて遠方にいる前線指揮官を次々と葬っていった。
「端目には狂気でしかない行動を躊躇なく取り、周りを否応なく引きずり込んでいく」
国を創る時もそうだった。
何の権力もコネも金も腕力も持っていないのに建国なんて夢のまた夢だろう。
どう考えても不可能である。
しかし、アルバーナはやった。
これだと思う人物を引き抜き、国の重鎮を説得させ、民の不満を解消するという荒業をやってのけた。
そこに論理性とか合理性といった理知的なプロセスなど微塵もない。
アルバーナは常に先陣を切り、予想もしない行動を取って相手を驚かして動揺させ、あれよあれよという間に懐柔、説得してここまで持ってきた。
「フレリア、もし耐え切れないのならこれが終わって即刻抜ければ良い。前にも後にも今回がアルバーナから離れるラストチャ――」
「抜かせ!」
メイリスの言葉を遮るフレリア。
その表情には僅かながら笑みが浮かんでいる。
「アルバーナに付き合わされて私もずいぶんと毒された! 今の私を雇ってくれるところなど何処にもないだろうな!」
何だかんだ言いながらフレリアは一年間アルバーナの横暴についていった。
もし他の所へ移っても、どんなに刺激が溢れた場所であろうともここと比べたら味気なく、物足りないように感じるだろう。
「メイリス! お前もそうだろう!?」
「……恥ずかしながら」
フレリアの問いかけにメイリスは諦め顔で応じる。
どんなに現状に悲鳴をあげようとも、心の奥底ではアルバーナと共にいることに喜びを感じている。
「悲しいことに私はもうアルバーナから離れられない」
「ハハハ! 私もだ!」
メイリスの嘆きにフレリアは笑顔で応じる。
不思議なことに二人とも悲観や絶望といった表情とは縁遠い希望に満ちた笑顔を浮かべている。
――アルバーナは私達を何処へ連れて行こうというのだろう。
その果てにあるのは天国か地獄か分からないが、アルバーナが共にいるのなら最後まで付き合ってやろうと二人は考えていた。
「どうやら後続の兵も接触できたようだな」
後ろから喧騒が響いてきたことから、ようやく追いつくことが出来たのだろう。
しかし、その光景をフレリアは確認をせず、ひたすらにアルバーナの後を追いかけていった。
「進め進めぇ! イズルード様の後に続けえ!」
ようやく近衛兵と接触したアルバーナの軍は目の前にいる敵を薙ぎ払っていく。
個々の力量や装備は近衛兵の方が上だとしても、大将突撃による奮起と勢いによってアルバーナとフレリアが開けた穴を急速に拡大させていく。
もちろん彼等にも恐怖心はある。
元トルトン国の彼等は、近衛兵がエリートで構成され、全国民の羨望の的であることも知っているため躊躇する心もあるが、それ以上に王であるアルバーナと騎士団長のフレリアが先陣を切った以上、自分達もそれに続かないわけがなかった。
「何も難しいことはない! 二人の後を追いかければ済むことだ!」
その掛け声が全軍の気持ちを代弁していた。
「……うわわ」
アルバーナ軍の士気は最高潮に近いが、それでも五百人以上の人の集まりのためどうしてもムラが出来る。
「大丈夫よアルア、貴方は貴方の役目を果たして」
「クーク先生……」
そう。
中央に位置するのはクーク率いる子供部隊であった。
彼等の役割は前線の援護。
白魔法使いは重傷を負った兵の応急手当てを行い、黒魔法使いは味方の向こうにいる敵に魔法を浴びせる。
子供といえども一年間みっちり訓練を受けた猛者。
お荷物どころか物理面、精神面の両方でなくてはならない存在であった。
「怖いよお」
しかし、それでも子供達はまだ十代に満たない年ごろ。
周囲を大人達に守られているとはいえ殺意と懇願、憎しみや悲哀が混じり合う戦場の空気は彼等を怯えさせるに十分である。
「大丈夫よ、マール」
泣きべそをかく子供達の元へと向かい懸命に元気付けるのはクーク。
彼女はこの戦場であっても普段の時と変わらず優しい微笑みを浮かべて励ましてくれる。
それがどれだけ子供達にとって救いなのかクーク自身も知らないだろう。
「私達はあの旗の元へ進めば良いの」
クークが指差した先にあるのは旗を掲げたアルバーナの後ろ姿。
四方八方を敵に囲まれ、目的地に辿り着く前に力尽きてしまう公算が高い。
しかし、そうにも拘らずアルバーナの背中からは覇気が吹き出し、全員に彼なら何とかしてしまうだろうと思わせてしまう。
「これが善か悪かなんて後で考えれば良いの。ただ、今はユラ――いえ、王へと続く道を塞ぐ障害を片付けましょう」
クークはそう励ますとマールは顔を上げ、眼前の敵兵を薙ぎ払うべく魔法を唱え始めた。




