仲間
「ありがとう」
アルバーナが決意を述べて少し経った後に労いの声をかけられる。
「……メイリスか」
アルバーナが振り返った先にいた少女を確認し、フッと微笑を浮かべた。
蒼いローブを身に纏い、手に頭一つ分高い杖を携えている少女の名前はメイリス=カナザールはアルバーナの胸元しか身長がない。
三角帽子からはみ出す藍色の髪をボブカットに纏め、幼さの残る顔立ちゆえに見ようによっては十代前半に見えるがアルバーナと同年代である。
付け加えるとアルバーナとメイリスが出会った当初から全く成長していないのだが、そこに触れることはタブーとされている。
別に魔法をぶっ放されることはないがしばらくの間絶対零度の視線で貫かれてしまい、非常に居心地が悪くなってしまう。
「もう調子は大丈夫か?」
早朝。
まだ陽も上がっていない時間帯にアルバーナの住居に駆け付けたのがメイリス。
感情の表現が乏しく、滅多に感情を表に現さないメイリスが体を震わせて己に抱き付いてきた様子からただ事でないと判断し、急いで駆け付けてみたところ――ヨーゼフ翁がベッドの上で冷たくなっていた。
恩師の突然の死にアルバーナも一瞬気が跳んだものの、メイリスが尋常でなく動揺していたことから落ち着きを取り戻し、墓の準備をして現在に至る。
「うん、少しはましになった」
そう言うメイリスは平坦な調子で頷く。
まだ抑揚はあるものの、大分落ち着いたようだとアルバーナは肩を撫で下ろした。
「そうか。だったらこっちに来て爺さんの冥福を祈れるか?」
「……ごめん、それはまだ無理」
「そうか」
メイリスが申し訳なさそうに首を振るが、アルバーナは落胆した様子はない。
何故なら、ヨーゼフ翁が亡くなったことに最もショックを受けたのはメイリスだからとアルバーナは知っているからだ。
アルバーナの記憶が正しければ、五年前にここへ赴任してきた時からメイリスはヨーゼフ翁と共にいた。
一度ヨーゼフ翁とメイリスの関係が気になり、ヨーゼフ翁にしつこく問い質してみたところ。
“メイリスはわしの古い友人の娘でのう。戦争に参加している間、預かってほしいと頼まれたんじゃよ”
普段から無神経だの傲岸不遜だの揶揄されるアルバーナだが、そんな話を聞かされてはさすがの彼も沈黙するしかない。
ヨーゼフ翁曰く、両親の訃報が届いたその日からメイリスは感情が抜け落ちた人形のようになってしまったと聞いている。
そんな生きる意志を失ったメイリスを粘り強く支え、励ましていたのがヨーゼフ翁。
そんな命の恩人を亡骸を前にすることを拒否するメイリスを責められる者はいないとアルバーナは考えていた。
「さてと、メイリス。明日出立するから準備を整えておけよ」
メイリスを肩越しに見ながらアルバーナはそう言い切る。
「え?」
アルバーナの言葉に目を丸くするメイリスだが彼は知ったこっちゃないという風に続ける。
「朝一番の馬車に乗って王都を目指す。しばらくこの村には帰ってこないから心残りがあるのなら今日中に済ませておけ」
「だからどういうこと?」
まあ、突然明日から別の場所に行く、もうここには戻ってこないと言われれば誰だってそう問い返すだろう。
「決まっているだろ、仲間を集めるんだよ。国を創るためにな」
「国?」
「そう、国。爺さんが長年夢見た国を実現させるためだ」
メイリスの疑問にアルバーナは力強く答える。
ヨーゼフ翁の国――それは永遠に繁栄する国家を作り上げること。
誰もが不可能だと鼻で笑うお伽噺にヨーゼフ翁は真剣に考えた。
気が触れたとして都市を追い出され、こんな辺境の地に住まうことになってもヨーゼフ翁は気にも留めず一心不乱に考え尽された国家像。
ヨーゼフ翁亡き今、それを実現させることが自分達の使命だとアルバーナは固く信じている。
「具体的には王都で一人拾った後、南の国境線を越える。あちらは小国家が乱立しているから他の地域よりも簡単に国を創れる。だからそこで爺さんの説の正しさを証明するつも――」
「それは無理」
が、メイリスは明確に拒絶の意を示す。
「貴族ならともかく私は名も無き魔法使い、そしてあなたは下っ端商人の息子。どう考えても無理」
イースペリア大陸の風潮としては絶対王制を敷いており、共和制の国もあるが国の根幹となる大臣や官吏は一族郎党で固められている。
カエルの子はカエル。
魔法使いの子はどこまでいっても魔法使いであり、商人の子はどこまでも商人。
それがイースペリア大陸の常識である。
が。
「お前は馬鹿か?」
アルバーナはメイリスの唱えた一般論を鼻で笑う。
「爺さんがいつ人の立場は生まれた時から決まっているという愚説を肯定した?」
「それは……」
アルバーナの詰問にメイリスは窮する。
ヨーゼフ翁は過去一度たりともそのような説を説いたことはなくむしろ逆である。
「王国の常識は王国内でのみ通用し、共和国の常識は共和国内でしか通用しない」
見掛け上、選挙で国のリーダーを選ぶという方法は共和国内だと常識だが、王国で育った人間からすると何故アイドルを選出するかの様なやり方で決めるのか分からない。
逆の場合もまた然り。
同じ人間なのにどうしてこのような違いが出てしまうのか。
「まあ、少しだけ頭の良い馬鹿学者共は歴史やら人種やら伝統やら難解な言葉を使って煙に巻こうとしているが、最終的な奴らの答えは“自分とは違うから”……ククク、本当に笑ってしまう回答だがその点爺さんは違う」
ヨーゼフ翁の答えは単純明快。
小さい頃からの刷り込みによって考え方や価値観の違いが出てしまうということ。
「極論すれば奴隷の子でも王としての教育を与えれば王となり、逆に王の子でも奴隷として教育してやれば奴隷となる。アハハハ! 全く面白い!」
アルバーナは愉快で堪らない。
初めてヨーゼフ翁からそのような趣旨の話を聞いた時は頭が狂っているのではないかと錯覚したが、今となってはハッキリ言える。
爺さんの話は真実だ。
「その証拠に俺も僅かだが魔法を使える」
アルバーナは一言二言呟くと小指の先ほどの火が出現した。
アルバーナはヨーゼフ翁の話が半信半疑だったので、事が真実か否かを確かめるためにヨーゼフ翁が提唱した魔法使いとしての訓練を受けてみた。
まあ、訓練と言っても大仰なものでなく、普段メイリスがこなしている動作の反復なのだが、商人の息子であるアルバーナにとっては苦行に近かったらしい。
メイリスも最初は自分も大変だったそうだと励ましたのだが、アルバーナはそんな情報を聞いても何の慰めもならなかったと恨みがましく呟いていた。
「まあ、俺が魔法を使えるかどうかなんて今はどうでも良いな」
魔法で生み出した火を消したアルバーナは両手を広げて肩を竦める。
「肝要なことは俺は爺さんが編み出した魔法使いのための教育によって魔法を使えたことだ」
アルバーナ自身魔法使いとしての才能を持っているなんて思ってもいないし、なるつもりもない。
天分も意欲も無いにも拘らず魔法を使えるようになった事実が重要であった。
「つまり商人の息子である俺が王になることも可能」
アルバーナはそう話を纏める。
「爺さんは国家を運営する方法を具体的に書き記している。つまりこの通り実践すれば俺も国家を作れるんだ。そう、爺さんの研究の集大成――教育国家をな」
「う……」
だがメイリスは知っている知識を総動員して事の対処に当たろうとする。
しかし、頭の聡いメイリスは望ましい答えがないことを知っていた。
沈黙するメイリスとその彼女から答えを待つアルバーナ。
二人の間に沈黙が流れる。
一分ほど経過したあたりからだろうか。
メイリスは徐に顔を上げ、自分なりの答えを紡ぎ出す。
「世界は広い」
「は?」
アルバーナが呆けるのを知ってか知らずかメイリスは続ける。
「複雑怪奇な世界においてたった一つだけの説を信じて行動するのはあまりに危険。だから他の論評に目を向けるべき」
ヨーゼフ翁の論評は頷ける部分がたくさんある。
けれど、それが絶対でない。
他にも多くの論評があるのだからそちらも参考するべきだとメイリスは述べていた。
しかし、それで満足するアルバーナでない。
「ふざけるな!!」
案の定、アルバーナは烈火の如く怒り狂う。
「爺さんの説が他の寝言と同一だと? それは本気で言っているのかメイリス!」
「そんな……わけはない。ただ、私は一般論として――」
「言い訳するな!」
メイリスはうろたえながらも反論しようとするがアルバーナは一言で禁ずる。
「俺はお前の口からそんな言葉が出て来るとは思わなかった! 俺よりも長く爺さんと共にいたメイリスが爺さんを否定するわけなんてないと信じていた! 信じていたんだ!」
アルバーナの逆鱗に触れて小動物のように身を震わせるメイリス。
彼女は何とか反論しようとするが、今のアルバーナにどのような言葉をかけて良いのか分からず、口を開いては閉じ、また開いては閉じるを繰り返した。
「……もういい」
十回ほどそれを繰り返したメイリスにアルバーナは怒りから一転、軽蔑の視線を向ける。
「爺さんの説は世間から見て異端だ。百人に説いて九十九人が嘲ることは容易に予想できる。だがな」
メイリスだけは共感する一人だと俺は考えていた。
そう言い残してメイリスに背を向けるアルバーナ。
「お前は一生ここにいろ」
アルバーナは振り返らずに告げる。
「この場所で俺が爺さんの夢を具現化する時を見ていると良い」
そしてアルバーナは歩き始める。
背筋を伸ばし、足取りもしっかりしたアルバーナはこの場を後にしようとする。
「……って」
後ろからか細い声が聞こえるがアルバーナは速度を落としすらしない。
「待って」
今度はハッキリと聞こえる。
どうやら自分を追いかけてきているらしい。
「ふん」
が、アルバーナは早歩きに切り替え、振り切ろうとする。
どうやら後ろを振り返ろうとはしないらしい。
「お願い! 待って!」
が、腰に抱き付かれてはアルバーナも足を止めざるを得ない。
案の定、アルバーナの腰には涙で顔をぐしゃぐしゃに汚したメイリスが抱き付いていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。私が間違っていた。だから一人にしないで、お願い。お爺さんが死んでユラスも去ったら私は一人で何をすれば良いの?」
「知らん、俺に聞くな」
そう抗弁するメイリスをアルバーナは振りほどこうとする。
今のアルバーナからすればヨーゼフ翁を第一に置かないメイリスなどどうでも良い存在。
そこら辺の有象無象な俗物と変わらないのである。
そしてアルバーナがそんな心境であることを長年の付き合いから熟知しているメイリスは考える。
ここで答えを間違えれば間違いなくアルバーナはメイリスを捨てる。
そしてそうなったら時のことを想像するだけで震えが止まらなかった。
最悪の未来を回避するため、どうすればアルバーナが自分を見てくれるのか高速で考えて出た答えが。
「ユラスはお爺さんの国家論を完全に網羅したの?」
アルバーナがヨーゼフ翁の考えを完全に学んでいないことであった。
何せヨーゼフ翁が遺したメモは数万枚に及び、要点だけを注釈しても下手な辞書のページ数を大きく越える。
しかも量だけでなく中身も相当濃く、何度読み返しても新たな発見がありアルバーナを唸らせていた。
「……」
アルバーナも心当たりがあるのだろう。
歩みを止めてメイリスの方を振り返る。
その瞳には不敵な笑みも怒りの炎でもない。
地獄の裁判長が罪人を品評するかの様な冷酷な光を湛えている。
その視線にメイリスは身震いするが必死の思いで見返す。
メイリスからすれば、もしここでアルバーナに見捨てられれば自分がどうなるのか分からない。
自分が自分でなくなるので、決して目を逸らすわけにはいかなかった。
「……ついてこい」
メイリスにとって永遠に近い時間が終わりを告げる。
どうやら自分はアルバーナのお眼鏡に適ったようだ。
思わずホッと安心するメイリスだが。
「何を安心している?」
アルバーナの責めるような口調にメイリスはブンブンと首を振った。
「メイリス、俺はお前を許したわけでない」
アルバーナは静かな口調でそう語りかける。
「分かってる、おそらく私は一生許されない」
一時とはいえ、ヨーゼフ翁を外に置いてしまった。
その罪は決して軽くないことをメイリスは自覚している。
「それに対する贖罪の方法は……知っているな?」
「ユラスを支え続けること。そう、例え死ぬことになっても」
「その通りだ」
メイリスの答えに満足したアルバーナは満足そうに微笑む。
冷静になるとアルバーナはメイリスに殉教の覚悟を持てととんでもない契約を交わしているのだが、当の本人はアルバーナに認められて嬉しそうであった。
これこそが古今東西、あらゆる指導者や宗教家が持つカリスマ性である。
カリスマ性とは恐怖と安心をバランス良く人に与え、人を支配する能力の異名。
人の上に立つ者はこの能力が必須だが、奇しくもアルバーナはそれをこの歳で身に着けていた。
ユラス=アルバーナ。
イースペリア大陸に彼が出現したことは喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。
その答えを知る者は神だけであった。
嫌悪を催すほどの傲慢ぶりですが、ここまでの気概が無ければ国なんて創れません。