拝命
トルトン国は南部諸国の中で中堅に位置する国力を持っている。
それは偏に国のすぐ上に位置する大国ラクシャイン王国との貿易によって得た経済力が抜きんでており、逆を言えばそれ以外の力――軍事や農業などは他の中堅南部諸国より後れを取っていた。
経済力というのは非常に繊細であり、他国との友好そして自国の信頼関係が無ければすぐに崩れ去ってしまう。
前国王はその辺りを意識して他国を敵に回さぬよう細心の注意を払っていたのだが、悲しいことに現国王は言葉よりも武器を好み、その経済力を楯に至る所に戦争を吹っかけていた。
「くそっ、忌々しい」
「王よ、そのような悪態をついてはなりませぬ」
トルトン国の王――イースザール=マルグレット三世が思わず吐いた悪態に宰相のメイヤーが諌める。
マルグレット三世は四十代前後の年齢であり、その体格は猛牛を連想させる。
事実、マルグレットの若い頃は素手で猛獣の首を絞め殺したという逸話があった。
対するメイヤーは髪も髭も真っ白の壮年である。
顔に深い皺がいく筋も刻まれているが、その枯れ木の様な体から発する壮絶な破棄はメイヤーがまだまだ健在だということを伺い知れた。
「メイヤーよ、お前なら分かるだろう」
マルグレット三世は不機嫌そうに鼻を鳴らし、手に持った羊皮紙の束を床に投げ捨てる。
「今はヴィレージ国との戦争真っ最中だ。それ以外の事柄に時間を使いたくはないのだ」
「王の心中をご察しします。私も戦争以外の事柄――比較的安全な北部の集落から絶縁状が出て来る事態など想像すらしませんでした」
二人が話題に挙げているのは、先日“彼”が持ってきた羊皮紙に書かれた内容である。
ガスト、コライン、キュール、セントラ……
ざっと挙げるだけで十もの集落がトルトン国の支配から脱し、“彼”の命令に従うと宣誓してきた。
「やはりあの若造の首を切るべきか?」
「王よ、早まってはいけません」
マルグレット三世の血気流行る台詞を押しとどめるメイヤー。
「“彼”を処罰したところで事態が好転するわけではありますまい」
“彼”が敵国の間者であったり、ラクシャイン王国の関係者であれば問題がここまで複雑にならなかったのだが、驚くべきことに“彼”は田舎の商人の息子であり、何の後ろ盾も持っていない。
つまり“彼”は持ち前の情熱で北部の集落の翻意を促していたのだ。
「“彼”は集落の長達に夢を提示しました。これで“彼”に何もさせなければ後々の禍根となるでしょう」
心を動かせる理想ほど厄介なものはない。
彼ら集落の長達の心をメイヤー達に再び戻すには長達が納得する施し――以前の生活水準を取り戻させなければならない。
そして、それを行えるだけの金と時間を今のトルトン国は捻出できなかった。
「しかし! 奴はわしの国を土足で踏み荒らしたのだぞ!」
マルグレット三世は歯を剥き出しにして声を荒げる。
「従う集落も集落だ! 政治も経済も何も知らん他国の若造に任せた所で破滅するのがオチだ!」
少し考えれば二十を過ぎた程度の他国の者に全てを任せることがどれだけ危険なのか分かるはずである。
「造反した集落には然るべき処置を与えねばならんな」
そんな愚行を犯した者に権利など与えるわけにはいかないゆえ、マルグレット三世は彼等の罷免を考えるが。
「しかし、集落の長達はそんな判断も出来ないほど追いつめられていたのです」
メイヤーが淡々と異を唱えた。
「王が登座してから二十余年。その間一度として臨戦体制が途切れた日などありません。戦争に次ぐ戦争によって訪れる外来人が減り、代わりに助けを求める難民が増えていく。いくら蓄えがあるとしても、日に日に目減りしていくそれらを見ていれば誰でも、例え泥船であっても縋ろうとするでしょう」
「しかし、それは仕方のないことなのだ。向こうがこちらを潰そうとしているのだから、やられる前にやらなければ――」
「一昨年はトランス連邦、去年はバーツボック共和国、そして今年はヴィレージ国と、民の負担を顧みずに相次いで戦う理由がありますか?」
「ぐう……」
メイヤーの正論に黙り込むマルグレット三世。
言外にマルグレット三世の治世が失敗したから“彼”が現れてしまったのだと責める。
マルグレット三世がメイヤーに対して怒らないのは、自身の責任を自覚していたからだろう。
「しかし、わしは国を割る気はない」
ここはマルグレット三世の国である。
よそ者には一寸たりとも割譲するつもりはなかった。
「……再度会ってみるのがよろしいでしょう」
老境の域に達したメイヤーは静かに言葉を紡ぐ。
「処罰を加えるなり、領土を一時譲渡するなりにしても、もう一度“彼”に会ってから決めた方が無難です」
「……」
メイヤーの言葉にマルグレット三世は反対しなかった。
後日。
トルトン国の王宮内の謁見室に多数の人が詰めていた。
マルグレット三世やメイヤーはもちろんのこと高級官吏や上級士官、そして貴族をも含めると百を越す人物が揃っている。
それだけの人数を集めたため、城内は空っぽであり、今火急の事態が起こっても対処できないだろう。
ただ、逆を言えばそれらの事態など些細と思える出来事が現在起こっていた。
「ご入場です!」
大人の身長の三人分はありそうなほど大きな扉が開かれる。
「……」
衛兵に連れられた“彼”が玉座へと続く赤色の絨毯に敷かれた道を歩いていた。
嫉妬、憤怒、軽蔑。
様々な負の感情に満ちた百人以上の視線を受ける“彼”は気後れする素振りすら見せない。
この周りなど歯牙に掛けんという態度が、聴衆に困惑を与える。
「歓迎、大変感謝する。マルグレット三世」
“彼”はマルグレット三世の前で片膝をついて首を垂れる。
しばらくの沈黙の後、マルグレット三世は重い口で“彼”の名を呼んだ。
「面を上げい……ユラス=アルバーナよ」




