石像メランコリック
小生は犬である。正確には犬の形をした石像だ。小生のこの形の元になった犬は飼い主によく仕えたとかで有名であるらしいが、よくは知らない。まあ、小生には関係のない事だ。
小生はとある駅前に据えられている。人間たちは小生を待ち合わせをする際の目印にしているらしく、小生の周りにはよく人間が立っている。
その人間たちの中に一人、毎日小生の隣に立ち、誰かを待っている者がいる。その人間の待ち人が来た所を小生は見た事がない。
小生は文字が読めぬので、その人間の名前は知らない。だから、小生はその人間を闇色と呼んでいる。
闇色はいつも朝早くに来て小生の隣に立つ。そうして小生の背を優しく撫でた後、小生と共に真っ直ぐ前を向くのだ。
闇色は黒髪に黒い瞳をした人間だ。いつも暗い色の服を着ている。小生には人間の言う美醜というものはよく解らぬが、闇色は中々整った顔をしている。その証拠に、闇色が一人で立っているのを見て声をかけてくる人間は少なからずいる。その度に闇色は少し困った顔をして、待ち人がいる。と言うのだ。それで引き下がらない人間もたまにいるが、そういう時は最終的には闇色が相手を一本背負いして終わる事が多い。闇色には武術の心得があるのだ。
闇色はいつも日が暮れるまで小生の隣に立ち続け、暗くなれば小生に小さな声で別れを告げて去っていく。勿論、昼になれば食事を取ったり、稀に極短時間いなくなる事はあるが、基本的にずっと小生の隣に立ち尽くしている。食事だって、小生の隣に立ったまま取っている事が多い。
闇色が誰を待っているのかを小生は知らない。小生は闇色に問いかける為の声も言葉も持ち合わせていないのだ。だから、小生は自分で想像するしかないが、闇色が待ち人について何かを言った事はないので、小生にはさっぱりわからないのだ。
ただ、闇色は待ち人が来なくても残念な素振りを見せた事はないので、そこは不思議に思っている。だからといって、最初から諦めた風という訳でもないのがさらに不思議な所だ。
闇色は何を待って小生の隣に立ち続けているのだろうか。
その日も闇色は朝早くから小生の隣に立っていた。小生には数を数えるという事ができないので、闇色がどれだけの間小生の隣に立っているのかはわからないが、最初は闇色のつむじが見えていたのが、最近では喉が見えるようになったのだからそれなりに時間が経っているのだろうと思う。
闇色はいつものようにただ黙って小生の隣に立っている。
時々思うのは、闇色は誰かを待っているのではなく、ただ其処に立っている事を目的としているのではないか、という事だ。そう考えれば闇色の表情にも説明がつくような気がする。ただ、何故そのような事をするのか、という疑問は残る。
もっとも、闇色が何を考えてそのような事をしていようと、小生には関係の無い事ではあるのだが。
小生は、いつか闇色の待ち人が現れればいいと思っている。
だから、小生は最初、その光景の意味が解らなかった。
闇色が小生の足元、否、正確には小生の据えられている台座の根元に蹲っていて、その正面には、真っ赤に染まった何かとがった物を持った人間が立っていた。闇色が手で押さえている腹からは真っ赤な液体が次々と流れ続けている。
周りにいた人間たちは何事かを口々に叫んでいるし、闇色の前に立つ人間も闇色に対して感情的に吠えるようにして何か言っている。
闇色はといえば、苦痛に耐えるように歯を噛み締め、眉を寄せていた。額には大粒の脂汗が浮かんでいる。
小生がもし石像ではなく生身の犬であったら、闇色の目の前にいる人間に噛みついていただろう。或いは、闇色を守ろうと間に割って入って威嚇していたかもしれないし、闇色の額の汗を舐めとろうとしていたかもしれない。何れにせよ、闇色の為に何か行動する事が出来ていただろう。
だが、現実には小生は石像でしかなく、ただ其処に立って全てを見続ける事しかできなかった。
次の日、闇色は姿を現さなかった。
その次の日も闇色は姿を現さなかった。
その次の次の日も闇色は姿を現さなかった。
いくら日が過ぎても闇色は姿を現さなかった。
小生は、闇色は死んでしまったのかもしれないと思った。もし死んでしまった訳ではないとしても、闇色は二度と此処には来ないかもしれないと思った。闇色が生きていたとしても、此処に来ないのならは、小生にとっては死んでしまったのと同じ事だ。
そして、小生はいつか闇色の事を忘れてしまうだろう。小生はあまり頭がよくないのだ。
その証拠に小生は既に闇色がどんな顔をしていたのかが思いだせない。あの日まで長い事、毎日顔を会わせていたはずなのに。
小生は犬である。正確には犬の形をした石像である。
小生がつくられた理由を小生は知らない。小生には関係の無い事だからだ。小生の据えられている台座に書いてあるのかもしれないが、小生には文字が読めぬし、見えないので関係無い。
小生は役立たずの木偶の坊だ。そう思った原因は覚えていないが、何か悲しく、悔しい事があったような気がする。
人間たちの中には小生を目印に待ち合わせをする者が多くいる。小生の存在意義など所詮その位だろう。
だが、出来る事なら、出来うる事なら、自分の意思で動き、誰かを守れるようになりたいと思う。
まあ、所詮ただの石像である小生には、無理な事であろうが。
闇色がどんな人間なのか、何故犬の隣に立っていたのか、何故刺されたのか、生きているのか死んでいるのか、犬の元になった犬はどんな犬なのか、そういう事の設定はないわけではないけど、此処に加えるのは蛇足っぽいのでバッサリ切った。
読みたい人がいればまた別のSSの形であげるかもしれない。
とりあえず、今は読んだ人が勝手に想像して楽しんでくれれば幸いだと思う。
ちなみに犬はハチ公ではないとだけ言っておこう。