127人に呪われた悪役令嬢ですが、その怨みで断罪を返り討ちにいたします
コルネリア・ヴェルトハイムが呪われたのは、17歳の誕生日を祝う夜会の最中である。
その瞬間まで、彼女は機嫌がよかった。公爵家の大広間には王都の貴族がほぼ顔をそろえ、婚約者である王太子ユリウスも、義務の範囲で笑っている。祝いの言葉を受けるたび、コルネリアは扇の陰で完璧な微笑みを返した。
「まあ、素敵な首飾りですこと。伯爵夫人によくお似合いですわ」
口ではそう言いながら、頭の中では別のことを考えている。3年前の流行だわ、と。
これがコルネリアのやり方だ。思ったことの半分は笑顔で包み、残りの半分は包まずに投げつける。どちらを選ぶかは相手の身分と、その日の気分しだい。王都で彼女を嫌っていない者を探すのは、真冬の庭で蝶を探すより難しいと言われていた。
子爵令嬢が祝いの品を差し出したのは、そんなときのこと。
「コルネリア様、刺繍のハンカチでございます。わたくしが自分で……」
「ありがとう。とても」
素敵ですわ、と続けるつもりだった。
「下手ね。針目が蛇みたいにのたくっているわ。こんなものを公爵令嬢に贈ろうと思った度胸だけは、褒めてさしあげる」
広間が静まり返る。
言ったのはコルネリア自身。けれど、言うつもりのない言葉でもあった。思っただけのはずの文句が、笑顔の包み紙を破って勝手に出ていったのだ。
子爵令嬢の目に涙がたまる。コルネリアは慌てて口を押さえ、取り繕おうとした。
「違うの、今のは……いえ、違わないわね。本当に下手だと思ったもの。でも今日は誕生日だから、包んでおくつもりだったのよ。言うなら明日、あなたの目の前で言うつもりだったの」
取り繕うほど、事態は悪くなる。
その夜のうちに、王宮魔術師が呼ばれた。白い髭をたくわえた老魔術師オズヴァルトは、コルネリアの額に手をかざし、長いこと唸ってから口を開く。
「呪いでございますな」
「誰の」
「それが、一人ではございません」
オズヴァルトは気の毒そうに、しかしどこか納得した顔で続けた。
「お嬢様に向けられた怨みが、長い年月をかけて寄り集まり、勝手に呪いの形をとったものです。数えたところ、127人分ございました。ひとりずつ、顔ぶれも見えております」
「127人」
「お心当たりは」
コルネリアは考えた。考えたことは、そのまま口から出ていく。
「少なすぎるわ。もっといると思っていたもの。誰と誰なの」
「申し上げられませんな。お嬢様は、仕返しをなさるでしょうから」
「するわね」
父である公爵が、額を押さえた。
呪いの中身は単純なものだ。口を開けば、頭の中にあることがそのまま言葉になる。黙っていようとしても、強く思ったことは唇の隙間から漏れていく。嘘はつけない。お世辞も言えない。社交辞令という、貴族が息をするように使う道具を、コルネリアは丸ごと取り上げられたのである。
「解く方法は」
「怨みが薄れれば、自然と。ですが」
オズヴァルトは言葉を濁した。濁したところで、意味は伝わる。
この性格のままで、どうやって怨みを薄めろというのか。
◇
呪われてから3か月で、コルネリアの評判は底を割った。
もともと好かれてはいない。それでも以前は、表向きの礼儀という薄い板が一枚あったのだ。その板が消えた今、彼女が口を開くたびに誰かが傷つく。お茶会に招かれなくなり、夜会では人の輪が彼女の周りだけ丸く空く。
王太子ユリウスとの婚約は、形だけ残っていた。
そのユリウスは、近ごろ男爵令嬢ミナ・ローゼルの隣にいることが多い。栗色の髪をした、小柄で愛らしい娘。学院に編入してきて半年、いつの間にか王太子の取り巻きの中心に収まっている。
学院の回廊でミナと鉢合わせたのは、ひと月ほど前のことだ。
「コルネリア様、ごきげんよう」
ミナは膝を折って礼をした。周りには生徒が何人もいる。愛らしい笑顔に、礼儀正しい声。どこにも隙がない。
「ごきげんよう」
通り過ぎようとしたコルネリアの袖を、ミナが小さくつまんだ。
「あの、先日は、ありがとうございました」
「何のこと」
「わたくしのドレスのこと、気にかけてくださって」
身に覚えがない。そう思った瞬間、口が動いている。
「あなたのドレスなんて、気にかけたことは一度もないわ。安物だということ以外は」
周りの生徒が息をのむ。ミナはびくりと肩を震わせ、目に涙をためた。
「……ごめんなさい。わたくし、また何か失礼を」
そのまま、ぱたぱたと駆けていく。残されたコルネリアに、冷たい視線が集まった。
あとになって考えれば、あれは仕掛けだったのだろう。ありもしない「ドレスの件」を人前で持ち出し、コルネリアに何か言わせる。呪われた口は、思ったことをそのまま吐く。そしてその言葉は、誰が聞いても嫌がらせにしか聞こえない。
呪いは、使い方しだいで他人の武器にもなるらしい。
「ねえ、ハンナ」
自室で侍女に髪を梳かせながら、コルネリアは鏡に向かって言った。
「最近、私があの男爵令嬢を虐めているという噂があるそうね」
「はい、お嬢様」
ハンナは手を止めずに答える。10年近くコルネリアに仕えている侍女だ。そばかすの浮いた顔に表情がなく、何を言われても眉ひとつ動かさない。
「教科書を破った、ドレスにワインをかけた、階段から突き落とした。そういう話になっているとか」
「そのように伺っております」
「全部やっていないわ」
「存じております」
「なぜ分かるの」
「お嬢様は、そういう面倒なことをなさいませんので」
コルネリアは鏡の中の侍女を睨んだ。睨んだまま、思ったことが口から出る。
「その通りよ。教科書を破るなんて、手が汚れるし、時間がかかるし、誰がやったか相手に分からないじゃない。そんなの、嫌がらせとして下の下だわ」
「はい」
「でも、困ったわね」
「何がでございますか」
「卒業夜会まで、あとひと月でしょう。殿下は、あの場で何かなさるおつもりよ。婚約破棄か、断罪か、両方か」
ハンナの手が、初めて止まった。
「お嬢様、それは」
「分かるわよ。殿下がこの頃、私を見るときの目。あれは処分の決まった家具を見る目だもの」
自分で言って、自分で少し傷ついた。口にしなければ、傷つかずに済んだのかもしれない。だが呪いはそれを許さない。
鏡に映るのは、公爵家の娘らしく整った顔。性格の悪さが全部にじみ出ていると、127人が思っている顔でもある。
「断罪されたら、私はどうなるの」
「修道院か、国外か。罪が重ければ、もっと」
「冤罪で」
「冤罪でも、でございます。皆様は、お嬢様ならやりかねないと思っておりますので」
その通りだ。証拠など、いらないのだ。コルネリア・ヴェルトハイムが男爵令嬢を虐めた。その話を聞いて、疑う者がこの王都に何人いるだろう。
しばらく黙ってから、コルネリアは言った。言ったというより、漏れた。
「……でも、待って」
「はい」
「私、嘘がつけないのよね」
◇
翌日から、奇妙な稽古が始まった。
「よろしいですか、お嬢様。わたくしが殿下の役をいたします」
「ええ」
ハンナは咳払いをし、抑揚のない声で言う。
「コルネリア。お前はミナのドレスにワインをかけたな」
「かけていないわ。それにあなた、殿下の真似が下手ね。殿下はもう少し鼻にかかった声よ。自分の声がいい声だと思っている人の喋り方なの」
「お嬢様」
「分かっているわ。今のは余計だった」
これが問題なのだ。
嘘がつけないのは、武器になる。コルネリアが「やっていない」と言えば、それは本当にやっていないということ。呪いの存在は王宮魔術師が確かめ、すでに王都中が知っている。彼女の言葉は、この国で最も信用できる証言のはずである。
ところが、口から出るのは答えだけではない。
頭の中にあることは、全部出てしまう。そしてコルネリアの頭の中は、だいたい悪口でできている。
「では、もう一度。ミナを階段から突き落としたな」
「突き落としていないわ」
ここまではいい。
「でも、あの娘が階段を下りるとき、いつもわざとらしく殿下の腕につかまるのを見て、一度くらい転べばいいのにとは思ったわね」
ハンナが黙って首を振る。
「……今のは、まずいわね」
「断罪の場でそれをおっしゃったら、その場で牢でございます」
コルネリアは長椅子に倒れ込んだ。
「どうすればいいの。思ったことは止められないのよ」
「止められないのでしたら」
ハンナは少し考えてから言った。
「思うことのほうを、選ばれてはいかがでしょう」
「思うことを選ぶ?」
「頭の中を、言いたいことだけで満たしておくのです。余計なことを思う隙間がないくらいに」
簡単に言ってくれる、とコルネリアは思った。思ったので、口に出す。ハンナは聞き流すだけ。
それから毎晩、稽古は続く。
ハンナが問いを投げ、コルネリアは答える前に、問いの中心にあるものだけを強く思い浮かべる。ドレスを問われたら、ドレスのことだけ。階段を問われたら、階段のことだけ。ミナの顔や殿下の声を思い出しそうになったら、無理やり別の真実で上書きする。
最初の10日は、ほぼ全敗だった。
ハンナの淹れる茶が薄いこと。ハンナの髪型が10年変わっていないこと。父の公爵が最近こっそりかつらを作らせたこと。関係のない真実が、次から次へと口からこぼれる。
「お嬢様。公爵閣下の件は、わたくしも存じませんでした」
「忘れて」
「努めます」
20日目あたりから、少しずつ様子が変わってきた。
コルネリアは気づいたのだ。思考は止められない。けれど、向ける先は変えられる。嫌いな相手の顔を思い浮かべる代わりに、自分がそれをしなかった理由を思い浮かべればいい。
そして彼女がしなかった理由は、たいてい性格の悪さから来ていた。
「ミナのドレスにワインをかけたな」
コルネリアは目を閉じ、ドレスのことだけを思う。それから、自分がなぜそれをしなかったのかを。
答えを聞き終えても、ハンナはしばらく何も言わなかった。燭台の火が、一度だけ揺れる。
「ひどいお答えです」
「そうね」
「でも、やっていないことは、よく分かります」
それが、この稽古で見つけた唯一の道だった。性格の悪さを隠さない。むしろ前に出す。ただし、自分がしたことではなく、しなかった理由として。
ただ、ひとつだけ、ハンナが最後まで直せなかった癖がある。
「お嬢様は、いちばん大事な問いのときほど、いちばん余計なことをお考えになります。階段の問いで、毎回、殿下の腕のことを思い出されます」
言い返そうとして、言い返せない。呪いのせいではなく、図星だからだ。
ひと月が過ぎた。
稽古の最後の夜、コルネリアはふと尋ねていた。
「ねえ、ハンナ。あなたも、その127人に入っているの」
尋ねるつもりはなかった。ずっと思っていたことが、気が緩んだ隙に漏れたのだ。
ハンナは燭台の火を消しながら、背中で答える。
「魔術師様にお伺いください」
◇
卒業夜会の3日前、コルネリアはハンナを連れて王宮魔術師団の塔を訪ねた。
オズヴァルトの部屋は本と薬草と埃でできている。老魔術師は来客を見ても椅子から立たず、茶も出さなかった。公爵令嬢を相手にこの態度。コルネリアは少しだけ、この老人が好きになりかけている。ハンナは戸口に控え、置物のように黙っていた。
「夜会に、いらしてほしいの」
「わしは踊りませんぞ」
「踊らなくていいわ。壁際に立って、誰かに訊かれたら、私の呪いが本物だと言ってくださればいいの」
オズヴァルトは片眉を上げた。
「断罪の噂は、塔にも届いております。なるほど、呪いを証にするおつもりか」
「ええ」
「申し上げておきますが、お嬢様。それは両刃でございますぞ」
老魔術師は、骨ばった指を一本立てる。
「呪いが本物だとわしが言えば、お嬢様の言葉は全部、真実として扱われる。やっていないと言えば、やっていない。ですが、もし何か一つでも、まずいことを口になさったら」
「それも全部、真実として扱われる」
「さよう。取り消しは利きません。嘘がつけぬ者は、言い直しもできぬのです」
そこでコルネリアは、ふと思った。思ったので、尋ねた。
「魔術師なら、人に嘘をつけなくする術くらい持っているのではなくて? それを使えば、断罪なんて全部すぐ片がつくでしょうに」
「ございますよ。真実の術と申します」
オズヴァルトは、つまらなそうに答える。
「ですが、本人が心から望まねばかからぬ術でしてな。罪人は望みませんし、潔白な者は、そもそも術など要らぬと申します。ゆえに、塔の棚で埃をかぶっております。望まずに嘘を奪われたお嬢様のほうが、よほど珍しい」
「使えない術ね」
「お嬢様と同じでございますな」
好きになりかけていたのは撤回する。コルネリアはそう思い、思ったので口にした。老魔術師は、髭の奥でかすかに笑っただけ。
「ひとつだけ、年寄りから。お嬢様は、ご自分の悪意を恥じておられますかな」
妙な問いだ。けれど答えは、考えるより先に出ている。
「恥じていないわ。性格が悪いのは、知っているもの。知っていて、やめなかったのよ」
「ならば、隠そうとなさらぬことです。隠そうとした瞬間に、呪いは裏返る。隠していないものは、暴かれようがございません」
塔を出ると、冬の夕日が石畳を赤く染めていた。
隠していないものは、暴かれようがない。コルネリアは帰りの馬車で、その言葉を何度も口の中で転がした。呪いのせいで、本当に声に出して転がしていたらしい。向かいに座るハンナが、3度目で窓の外を向いた。
◇
卒業夜会は、王宮の大広間で開かれた。
コルネリアが足を踏み入れると、ざわめきが引き潮のように遠ざかる。人の輪がまた丸く空いた。いつものことだ。今夜は、その輪の中心にあとから誰が入ってくるかが違うだけ。
音楽が2曲目に入ったところで、王太子ユリウスが壇上に立った。隣には、ミナ・ローゼル。淡い桃色のドレスの裾を握り、怯えたように目を伏せている。
「コルネリア・ヴェルトハイム。前へ」
予想どおりの声。予想どおりの台詞。
コルネリアは前へ出た。頭の中で、ハンナの声を繰り返す。思うことを選ぶ。思うことを選ぶ。
「本日をもって、お前との婚約を破棄する」
広間がどよめく。誰も驚いてはいない。どよめくのが礼儀だから、どよめいているだけだ。
「理由は、お前がミナに対して重ねてきた卑劣な嫌がらせだ。教科書を破り、ドレスを汚し、ついには階段から突き落とした。ミナは足を挫き、ひと月杖をついて歩いたのだぞ」
「突き落としていませんわ」
「黙れ。証人もいる」
壇の脇から、3人の令嬢が進み出る。いずれもミナの取り巻きだ。順に、コルネリアがミナの教室に忍び込むのを見た、ワインの杯を手にミナに近づくのを見た、階段の上にコルネリアの姿があった、と証言していく。
ユリウスが胸を張った。
「申し開きはあるか」
コルネリアは息を吸う。
ここからだ。
「ございますわ。でも、その前に殿下、確かめておきたいことがあります」
「何だ」
「私が呪われていることは、ご存じですわね」
ユリウスの眉が動いた。広間の空気も動く。
「……知っている。思ったことを口にしてしまう呪いだろう。おかげでお前の本性が、王都中に知れ渡った」
「ええ、おかげさまで。ですから私は、ここで嘘がつけません。お答えすることは全部本当です。お疑いなら、そこにいらっしゃるオズヴァルト様にお尋ねになって」
視線が一斉に、壁際の老魔術師へ向く。オズヴァルトは面倒そうに、しかしはっきりと頷いた。
「間違いございません。この方の呪いは、今も強く効いております。嘘をつこうとすれば、本心のほうが先に出ます」
それでいい。舞台は整った。
「では殿下、どうぞお尋ねになって。ひとつずつ、お答えしますわ」
ユリウスは一瞬ひるんだ。だが、引くわけにはいかないのだろう。ミナの肩を抱いたまま、問いを放つ。
「ミナの教科書を破ったか」
コルネリアは、教科書のことだけを思った。
「破っておりません。だって、破ったところで、あの方は新しいのを殿下に買っていただくだけでしょう。私が損をして、あの方が得をする。そんな嫌がらせをする理由がございませんわ」
小さな笑いが、どこかで漏れる。
「ドレスにワインをかけたか」
「かけておりません。あんな安物に、うちの葡萄酒はもったいのうございます。それに、汚すより、あのドレスのまま夜会に出ていただいたほうが、よほど恥をかかせられますもの」
今度ははっきりと、何人かが噴き出した。ミナの頬に朱が差す。今夜の桃色のドレスに目をやった者も、ひとりやふたりではない。
ユリウスの声が硬くなる。
「……では、階段から突き落としたか」
ここが、いちばん危ない。
コルネリアは目を閉じた。頭の中に、あの階段を呼び出す。ミナの顔ではなく。殿下の腕につかまる手ではなく。自分がしなかった理由を。
「突き落としておりません」
そこまでは言えた。けれど、続く言葉は選べない。ハンナに何度も指摘された癖が、最後の最後で顔を出す。
「でも、転べばいいのにと思ったことはございます」
広間が凍りついた。
ユリウスが勝ち誇ったように顔を上げる。
「聞いたか。害意を認めたぞ」
しまった、と思う暇もない。思ったことは、もう口から出ている。
「害意ではありませんわ。転べばいい、です。転んで、膝をすりむいて、泣きながら殿下に抱き起こされて、それを皆様に見られて、あとで思い出して恥ずかしくなればいい。そう思ったのです。突き落としたら、そうはなりませんもの」
「何が違う」
「全然違いますわ、殿下」
コルネリアは目を開けた。
失敗した、と頭の片隅で思う。けれど、その失敗が逆に道を開いていた。転べばいいと思ったことまで白状する女が、突き落としたことだけ隠せるはずがない。この広間の誰もが、それを知っている。
もう、頭の中は一つのことでいっぱいだった。稽古で探し当てた、いちばん強い真実。
「私が嫌がらせをするときは、必ず相手の目の前でいたします」
静かな声。呪いのせいで、声に飾りがない。
「陰で突き落としたら、誰にやられたか分からないでしょう。教科書を破っても、ドレスを汚しても、犯人が分からなければ、相手は私を恨むことすらできません。そんなの、つまらないではありませんか」
誰も笑わなかった。
「私は性格が悪うございます。それは認めます。でも、陰でこそこそするほど、性格の悪さを無駄遣いしたことは一度もございません。私の悪意は全部、面と向かって差し上げてまいりました」
コルネリアは広間を見回す。
伯爵夫人がいた。首飾りを笑われた人。子爵令嬢がいた。ハンカチを笑われた人。そのほかにも、顔に覚えのある人々がいくらでもいる。
「そうでしょう、皆様」
沈黙が落ちた。
やがて、伯爵夫人が扇を下ろす。
「……確かに。この方は、わたくしの首飾りを、わたくしの目の前でけなしましたわ」
子爵令嬢が、震える声で続いた。
「わたくしのハンカチも。目の前で、蛇みたいだと」
「わしの頭も、正面から言われた」と、どこかの侯爵が言う。
「うちの息子の詩も」
「わたくしの夫の髭も」
ひとつ、またひとつと声が上がっていく。誰も彼女を庇ってはいない。全員が、ただ自分の受けた侮辱を証言しているだけ。けれどそれが、ひとつの事実を積み上げていく。コルネリア・ヴェルトハイムは、陰で何かをしたことがない。
ユリウスが声を荒らげる。
「それがどうした。正面から人を侮辱する女が、陰で手を出さない理由にはならん」
「なります、殿下」
答えたのは、コルネリアではない。
人垣の後ろから、ハンナが進み出ていた。侍女の身で王太子に口を挟むなど、本来なら許されない。それでもハンナは、いつもの無表情のまま言う。
「お嬢様は10年間、わたくしの淹れるお茶が薄いと、毎朝わたくしの目の前でおっしゃいました。焼き菓子を焦がせば焦げていると、髪を引っかければ痛いと、その場でおっしゃいます。陰で他の者に愚痴をこぼされたことは、10年で一度もございません」
広間の誰かが、小さく吹き出した。
「侍女の証言など」
「では、わたくしに真実の術をかけていただいて構いません」
ハンナは真っ直ぐにユリウスを見た。
「望む者にはかかる術だと、先日、塔で伺いました。わたくしは望みます」
広間がざわめく。視線が再び壁際へ向き、オズヴァルトは髭を撫でた。
「かかりますな。望む者には」
コルネリアは、思わず振り返っていた。
その瞬間、ある考えが頭に浮かぶ。浮かんだ以上、それは口から出る。
「そうね。それがいちばん早いわ」
「お嬢様?」
「術を受けてもらえばいいのよ。ハンナだけじゃなくて」
コルネリアは、ミナに向き直った。
「ミナ様。あなたも、真実の術をお受けになったら? そうすれば、どちらが本当のことを言っているか、すぐに分かるでしょう」
ミナの顔から、色が引いていく。
けれど、それは一瞬のこと。次の瞬間には、目にいっぱいの涙をためて、ユリウスの胸にすがっていた。
「殿下……ひどいです。わたくしは突き落とされた側なのに、どうしてわたくしが術を受けなければならないのですか。コルネリア様は、いつもこうして、わたくしを怖がらせるのです」
細い肩が震えている。声の割れ方も、涙の落ちる間合いも、申し分ない。
上手い、とコルネリアは思った。思ったので、言った。
「上手ね」
広間のあちこちで、眉がひそめられる。ユリウスがミナを抱き寄せ、コルネリアを睨みつけた。
「コルネリア。被害者に術を強いるなど、どこまで卑劣なのだ」
空気が、わずかにミナの側へ傾く。泣いている娘と、それを上手いと評する女。並べてみれば、どちらが悪役かは考えるまでもない。
けれどコルネリアは、もう別のことしか考えていなかった。
「強いてなどおりませんわ。望まなければかからない術ですもの。だから、望むかどうかをお訊きしているだけ」
そして、壇の脇の3人に目を向ける。
「では、そちらの方々は? 見たのでしょう。見たことを見たと言うだけなら、怖いことなんて何もないはずよ」
3人の令嬢が、互いに顔を見合わせた。
そのうちの一人が、何か言おうと口を開きかける。
ミナが、すばやく振り向いた。
「皆様、無理をなさらないで。わたくしのために、そんな恐ろしい目に遭う必要は……」
その言葉の意味を、コルネリアの頭はまっすぐ受け取った。受け取ったものは、そのまま口から出ていく。
「あら。あなた、自分の証人を止めているわよ」
広間が、しんと静まる。
被害者が、自分に有利な証言の口を塞ごうとしている。言われてみれば、誰の目にもそうとしか見えない光景だった。ユリウスの腕から、少しずつ力が抜けていく。
最初に崩れたのは、口を開きかけていた令嬢である。
「わたくし、本当は見ておりません。ミナ様に、そう言ってほしいと頼まれて……」
2人目、3人目が続く。
ミナは何も言わない。言えば、術にかけられる前に何かが露見すると分かっているのだろう。黙ることができる。それはコルネリアが4か月前に失った自由だ。そう思ったら、言葉になっていた。
「黙っていられるって、いいわね。うらやましいわ」
ミナが顔を上げ、初めてコルネリアを睨んだ。愛らしさの欠片もない、まっすぐな憎しみの目。
コルネリアは、少しだけ感心した。
「あら。その顔のほうが、ずっといいわよ。少なくとも嘘はついていないもの」
◇
ユリウスは、しばらく何も言えずにいた。
やがて、ひどく疲れた顔でコルネリアの前に立つ。
「……コルネリア。私は、間違えたようだ」
「ええ」
「婚約破棄は撤回しよう。改めて、話を」
「お断りいたします」
即答だった。考える前に口が動いた、のではない。考えたことが、そのまま出ただけだ。
「殿下のことは、前から見る目のない方だと思っておりました。今夜で確信いたしました。こちらから、願い下げですわ」
ユリウスの顔が引きつる。周囲の何人かが、扇の陰で頷いていた。
これで、怨みがまた一人ぶん増えたかもしれない。コルネリアはそう思い、思ったので口にした。
「今ので、128人目ね」
◇
夜会の翌日、オズヴァルトが公爵家を訪ねてきた。
コルネリアの額に手をかざし、前と同じように長く唸る。
「ふむ。減っておりますな」
「何が」
「怨みでございます。昨夜、お嬢様のことで声を上げた方々の分が、ずいぶんと薄れております。127が、90あまりに」
「おかしな話ね。あの方たち、私を庇ったわけじゃないのに」
「庇ってはおりませんな。ですが、自分の受けた侮辱が誰かの役に立った。人の怨みというのは、案外それで薄まるものでございます」
コルネリアは少し考え、考えたことをそのまま言った。
「じゃあ私、これからもっと人を侮辱すればいいのかしら。あとで役に立つように」
「そういう話ではございません」
「でしょうね」
「殿下の分は、増えております。男爵令嬢の分は、ずいぶんと濃く」
「それも、でしょうね。あの顔だもの」
コルネリアは長椅子にもたれた。
「このまま減れば、いずれ解けるのね」
「おそらく。お嬢様が、新たに怨みを買わなければ、ですが」
「無理ね」
「無理でございましょうな」
老魔術師は、珍しく声を立てて笑った。
帰り際、オズヴァルトは戸口で振り返る。
「そういえば、侍女殿からお尋ねのあった件ですが」
「ハンナから?」
「ええ。お嬢様にお伝えするよう頼まれましてな。自分の口からは言いにくい、と」
コルネリアは身を起こした。
「侍女殿の名は、127人の中にございませんでした。最初から、一度も」
コルネリアは、何も言わなかった。
言わなかったのではない。何を思えばいいのか分からず、頭の中が空っぽになっていたのだ。呪われてから、初めてのことである。
◇
その夜、ハンナが寝支度を整えに来た。
いつもの手つきで髪を梳かす。いつものように無表情で。
「ハンナ」
「はい」
「呪いが解けたら、私はまた嘘がつけるようになるのね」
「さようでございます」
「お世辞も、社交辞令も、元どおり」
「はい」
コルネリアはしばらく黙った。頭の中にあるものを、ゆっくり確かめる。どれを口にするか、選ぶ必要はない。どうせ全部出るのだから。
「解けなくていいわ」
ハンナの手が止まる。
「嘘をつくの、思っていたより面倒だったのよ。誰に何を言ったか覚えておかなきゃいけないし、笑顔の裏で何を考えていたか、ばれないように気をつけなきゃいけないし。今のほうが、ずっと楽」
「さようでございますか」
「それに」
ここで止めたかった。止められないことも、分かっている。
「あなたが、私を呪わなかったから」
鏡の中で、ハンナの表情は変わらない。けれど、櫛を動かす手が、ほんの少しだけ遅くなった。
「……お茶を、お持ちいたしましょうか」
「ええ。どうせ薄いのでしょうけど」
「はい。薄うございます」
「明日は、もう少し濃くして」
「かしこまりました」
翌朝の茶も、やはり薄い。
コルネリアはそれを、ハンナの目の前で、はっきり薄いと言った。




