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127人に呪われた悪役令嬢ですが、その怨みで断罪を返り討ちにいたします

作者: 桜野結
掲載日:2026/11/06

コルネリア・ヴェルトハイムが呪われたのは、17歳の誕生日を祝う夜会の最中である。


その瞬間まで、彼女は機嫌がよかった。公爵家の大広間には王都の貴族がほぼ顔をそろえ、婚約者である王太子ユリウスも、義務の範囲で笑っている。祝いの言葉を受けるたび、コルネリアは扇の陰で完璧な微笑みを返した。


「まあ、素敵な首飾りですこと。伯爵夫人によくお似合いですわ」


口ではそう言いながら、頭の中では別のことを考えている。3年前の流行だわ、と。


これがコルネリアのやり方だ。思ったことの半分は笑顔で包み、残りの半分は包まずに投げつける。どちらを選ぶかは相手の身分と、その日の気分しだい。王都で彼女を嫌っていない者を探すのは、真冬の庭で蝶を探すより難しいと言われていた。


子爵令嬢が祝いの品を差し出したのは、そんなときのこと。


「コルネリア様、刺繍のハンカチでございます。わたくしが自分で……」


「ありがとう。とても」


素敵ですわ、と続けるつもりだった。


「下手ね。針目が蛇みたいにのたくっているわ。こんなものを公爵令嬢に贈ろうと思った度胸だけは、褒めてさしあげる」


広間が静まり返る。


言ったのはコルネリア自身。けれど、言うつもりのない言葉でもあった。思っただけのはずの文句が、笑顔の包み紙を破って勝手に出ていったのだ。


子爵令嬢の目に涙がたまる。コルネリアは慌てて口を押さえ、取り繕おうとした。


「違うの、今のは……いえ、違わないわね。本当に下手だと思ったもの。でも今日は誕生日だから、包んでおくつもりだったのよ。言うなら明日、あなたの目の前で言うつもりだったの」


取り繕うほど、事態は悪くなる。


その夜のうちに、王宮魔術師が呼ばれた。白い髭をたくわえた老魔術師オズヴァルトは、コルネリアの額に手をかざし、長いこと唸ってから口を開く。


「呪いでございますな」


「誰の」


「それが、一人ではございません」


オズヴァルトは気の毒そうに、しかしどこか納得した顔で続けた。


「お嬢様に向けられた怨みが、長い年月をかけて寄り集まり、勝手に呪いの形をとったものです。数えたところ、127人分ございました。ひとりずつ、顔ぶれも見えております」


「127人」


「お心当たりは」


コルネリアは考えた。考えたことは、そのまま口から出ていく。


「少なすぎるわ。もっといると思っていたもの。誰と誰なの」


「申し上げられませんな。お嬢様は、仕返しをなさるでしょうから」


「するわね」


父である公爵が、額を押さえた。


呪いの中身は単純なものだ。口を開けば、頭の中にあることがそのまま言葉になる。黙っていようとしても、強く思ったことは唇の隙間から漏れていく。嘘はつけない。お世辞も言えない。社交辞令という、貴族が息をするように使う道具を、コルネリアは丸ごと取り上げられたのである。


「解く方法は」


「怨みが薄れれば、自然と。ですが」


オズヴァルトは言葉を濁した。濁したところで、意味は伝わる。


この性格のままで、どうやって怨みを薄めろというのか。


◇


呪われてから3か月で、コルネリアの評判は底を割った。


もともと好かれてはいない。それでも以前は、表向きの礼儀という薄い板が一枚あったのだ。その板が消えた今、彼女が口を開くたびに誰かが傷つく。お茶会に招かれなくなり、夜会では人の輪が彼女の周りだけ丸く空く。


王太子ユリウスとの婚約は、形だけ残っていた。


そのユリウスは、近ごろ男爵令嬢ミナ・ローゼルの隣にいることが多い。栗色の髪をした、小柄で愛らしい娘。学院に編入してきて半年、いつの間にか王太子の取り巻きの中心に収まっている。


学院の回廊でミナと鉢合わせたのは、ひと月ほど前のことだ。


「コルネリア様、ごきげんよう」


ミナは膝を折って礼をした。周りには生徒が何人もいる。愛らしい笑顔に、礼儀正しい声。どこにも隙がない。


「ごきげんよう」


通り過ぎようとしたコルネリアの袖を、ミナが小さくつまんだ。


「あの、先日は、ありがとうございました」


「何のこと」


「わたくしのドレスのこと、気にかけてくださって」


身に覚えがない。そう思った瞬間、口が動いている。


「あなたのドレスなんて、気にかけたことは一度もないわ。安物だということ以外は」


周りの生徒が息をのむ。ミナはびくりと肩を震わせ、目に涙をためた。


「……ごめんなさい。わたくし、また何か失礼を」


そのまま、ぱたぱたと駆けていく。残されたコルネリアに、冷たい視線が集まった。


あとになって考えれば、あれは仕掛けだったのだろう。ありもしない「ドレスの件」を人前で持ち出し、コルネリアに何か言わせる。呪われた口は、思ったことをそのまま吐く。そしてその言葉は、誰が聞いても嫌がらせにしか聞こえない。


呪いは、使い方しだいで他人の武器にもなるらしい。


「ねえ、ハンナ」


自室で侍女に髪を梳かせながら、コルネリアは鏡に向かって言った。


「最近、私があの男爵令嬢を虐めているという噂があるそうね」


「はい、お嬢様」


ハンナは手を止めずに答える。10年近くコルネリアに仕えている侍女だ。そばかすの浮いた顔に表情がなく、何を言われても眉ひとつ動かさない。


「教科書を破った、ドレスにワインをかけた、階段から突き落とした。そういう話になっているとか」


「そのように伺っております」


「全部やっていないわ」


「存じております」


「なぜ分かるの」


「お嬢様は、そういう面倒なことをなさいませんので」


コルネリアは鏡の中の侍女を睨んだ。睨んだまま、思ったことが口から出る。


「その通りよ。教科書を破るなんて、手が汚れるし、時間がかかるし、誰がやったか相手に分からないじゃない。そんなの、嫌がらせとして下の下だわ」


「はい」


「でも、困ったわね」


「何がでございますか」


「卒業夜会まで、あとひと月でしょう。殿下は、あの場で何かなさるおつもりよ。婚約破棄か、断罪か、両方か」


ハンナの手が、初めて止まった。


「お嬢様、それは」


「分かるわよ。殿下がこの頃、私を見るときの目。あれは処分の決まった家具を見る目だもの」


自分で言って、自分で少し傷ついた。口にしなければ、傷つかずに済んだのかもしれない。だが呪いはそれを許さない。


鏡に映るのは、公爵家の娘らしく整った顔。性格の悪さが全部にじみ出ていると、127人が思っている顔でもある。


「断罪されたら、私はどうなるの」


「修道院か、国外か。罪が重ければ、もっと」


「冤罪で」


「冤罪でも、でございます。皆様は、お嬢様ならやりかねないと思っておりますので」


その通りだ。証拠など、いらないのだ。コルネリア・ヴェルトハイムが男爵令嬢を虐めた。その話を聞いて、疑う者がこの王都に何人いるだろう。


しばらく黙ってから、コルネリアは言った。言ったというより、漏れた。


「……でも、待って」


「はい」


「私、嘘がつけないのよね」


◇


翌日から、奇妙な稽古が始まった。


「よろしいですか、お嬢様。わたくしが殿下の役をいたします」


「ええ」


ハンナは咳払いをし、抑揚のない声で言う。


「コルネリア。お前はミナのドレスにワインをかけたな」


「かけていないわ。それにあなた、殿下の真似が下手ね。殿下はもう少し鼻にかかった声よ。自分の声がいい声だと思っている人の喋り方なの」


「お嬢様」


「分かっているわ。今のは余計だった」


これが問題なのだ。


嘘がつけないのは、武器になる。コルネリアが「やっていない」と言えば、それは本当にやっていないということ。呪いの存在は王宮魔術師が確かめ、すでに王都中が知っている。彼女の言葉は、この国で最も信用できる証言のはずである。


ところが、口から出るのは答えだけではない。


頭の中にあることは、全部出てしまう。そしてコルネリアの頭の中は、だいたい悪口でできている。


「では、もう一度。ミナを階段から突き落としたな」


「突き落としていないわ」


ここまではいい。


「でも、あの娘が階段を下りるとき、いつもわざとらしく殿下の腕につかまるのを見て、一度くらい転べばいいのにとは思ったわね」


ハンナが黙って首を振る。


「……今のは、まずいわね」


「断罪の場でそれをおっしゃったら、その場で牢でございます」


コルネリアは長椅子に倒れ込んだ。


「どうすればいいの。思ったことは止められないのよ」


「止められないのでしたら」


ハンナは少し考えてから言った。


「思うことのほうを、選ばれてはいかがでしょう」


「思うことを選ぶ?」


「頭の中を、言いたいことだけで満たしておくのです。余計なことを思う隙間がないくらいに」


簡単に言ってくれる、とコルネリアは思った。思ったので、口に出す。ハンナは聞き流すだけ。


それから毎晩、稽古は続く。


ハンナが問いを投げ、コルネリアは答える前に、問いの中心にあるものだけを強く思い浮かべる。ドレスを問われたら、ドレスのことだけ。階段を問われたら、階段のことだけ。ミナの顔や殿下の声を思い出しそうになったら、無理やり別の真実で上書きする。


最初の10日は、ほぼ全敗だった。


ハンナの淹れる茶が薄いこと。ハンナの髪型が10年変わっていないこと。父の公爵が最近こっそりかつらを作らせたこと。関係のない真実が、次から次へと口からこぼれる。


「お嬢様。公爵閣下の件は、わたくしも存じませんでした」


「忘れて」


「努めます」


20日目あたりから、少しずつ様子が変わってきた。


コルネリアは気づいたのだ。思考は止められない。けれど、向ける先は変えられる。嫌いな相手の顔を思い浮かべる代わりに、自分がそれをしなかった理由を思い浮かべればいい。


そして彼女がしなかった理由は、たいてい性格の悪さから来ていた。


「ミナのドレスにワインをかけたな」


コルネリアは目を閉じ、ドレスのことだけを思う。それから、自分がなぜそれをしなかったのかを。


答えを聞き終えても、ハンナはしばらく何も言わなかった。燭台の火が、一度だけ揺れる。


「ひどいお答えです」


「そうね」


「でも、やっていないことは、よく分かります」


それが、この稽古で見つけた唯一の道だった。性格の悪さを隠さない。むしろ前に出す。ただし、自分がしたことではなく、しなかった理由として。


ただ、ひとつだけ、ハンナが最後まで直せなかった癖がある。


「お嬢様は、いちばん大事な問いのときほど、いちばん余計なことをお考えになります。階段の問いで、毎回、殿下の腕のことを思い出されます」


言い返そうとして、言い返せない。呪いのせいではなく、図星だからだ。


ひと月が過ぎた。


稽古の最後の夜、コルネリアはふと尋ねていた。


「ねえ、ハンナ。あなたも、その127人に入っているの」


尋ねるつもりはなかった。ずっと思っていたことが、気が緩んだ隙に漏れたのだ。


ハンナは燭台の火を消しながら、背中で答える。


「魔術師様にお伺いください」


◇


卒業夜会の3日前、コルネリアはハンナを連れて王宮魔術師団の塔を訪ねた。


オズヴァルトの部屋は本と薬草と埃でできている。老魔術師は来客を見ても椅子から立たず、茶も出さなかった。公爵令嬢を相手にこの態度。コルネリアは少しだけ、この老人が好きになりかけている。ハンナは戸口に控え、置物のように黙っていた。


「夜会に、いらしてほしいの」


「わしは踊りませんぞ」


「踊らなくていいわ。壁際に立って、誰かに訊かれたら、私の呪いが本物だと言ってくださればいいの」


オズヴァルトは片眉を上げた。


「断罪の噂は、塔にも届いております。なるほど、呪いを証にするおつもりか」


「ええ」


「申し上げておきますが、お嬢様。それは両刃でございますぞ」


老魔術師は、骨ばった指を一本立てる。


「呪いが本物だとわしが言えば、お嬢様の言葉は全部、真実として扱われる。やっていないと言えば、やっていない。ですが、もし何か一つでも、まずいことを口になさったら」


「それも全部、真実として扱われる」


「さよう。取り消しは利きません。嘘がつけぬ者は、言い直しもできぬのです」


そこでコルネリアは、ふと思った。思ったので、尋ねた。


「魔術師なら、人に嘘をつけなくする術くらい持っているのではなくて? それを使えば、断罪なんて全部すぐ片がつくでしょうに」


「ございますよ。真実の術と申します」


オズヴァルトは、つまらなそうに答える。


「ですが、本人が心から望まねばかからぬ術でしてな。罪人は望みませんし、潔白な者は、そもそも術など要らぬと申します。ゆえに、塔の棚で埃をかぶっております。望まずに嘘を奪われたお嬢様のほうが、よほど珍しい」


「使えない術ね」


「お嬢様と同じでございますな」


好きになりかけていたのは撤回する。コルネリアはそう思い、思ったので口にした。老魔術師は、髭の奥でかすかに笑っただけ。


「ひとつだけ、年寄りから。お嬢様は、ご自分の悪意を恥じておられますかな」


妙な問いだ。けれど答えは、考えるより先に出ている。


「恥じていないわ。性格が悪いのは、知っているもの。知っていて、やめなかったのよ」


「ならば、隠そうとなさらぬことです。隠そうとした瞬間に、呪いは裏返る。隠していないものは、暴かれようがございません」


塔を出ると、冬の夕日が石畳を赤く染めていた。


隠していないものは、暴かれようがない。コルネリアは帰りの馬車で、その言葉を何度も口の中で転がした。呪いのせいで、本当に声に出して転がしていたらしい。向かいに座るハンナが、3度目で窓の外を向いた。


◇


卒業夜会は、王宮の大広間で開かれた。


コルネリアが足を踏み入れると、ざわめきが引き潮のように遠ざかる。人の輪がまた丸く空いた。いつものことだ。今夜は、その輪の中心にあとから誰が入ってくるかが違うだけ。


音楽が2曲目に入ったところで、王太子ユリウスが壇上に立った。隣には、ミナ・ローゼル。淡い桃色のドレスの裾を握り、怯えたように目を伏せている。


「コルネリア・ヴェルトハイム。前へ」


予想どおりの声。予想どおりの台詞。


コルネリアは前へ出た。頭の中で、ハンナの声を繰り返す。思うことを選ぶ。思うことを選ぶ。


「本日をもって、お前との婚約を破棄する」


広間がどよめく。誰も驚いてはいない。どよめくのが礼儀だから、どよめいているだけだ。


「理由は、お前がミナに対して重ねてきた卑劣な嫌がらせだ。教科書を破り、ドレスを汚し、ついには階段から突き落とした。ミナは足を挫き、ひと月杖をついて歩いたのだぞ」


「突き落としていませんわ」


「黙れ。証人もいる」


壇の脇から、3人の令嬢が進み出る。いずれもミナの取り巻きだ。順に、コルネリアがミナの教室に忍び込むのを見た、ワインの杯を手にミナに近づくのを見た、階段の上にコルネリアの姿があった、と証言していく。


ユリウスが胸を張った。


「申し開きはあるか」


コルネリアは息を吸う。


ここからだ。


「ございますわ。でも、その前に殿下、確かめておきたいことがあります」


「何だ」


「私が呪われていることは、ご存じですわね」


ユリウスの眉が動いた。広間の空気も動く。


「……知っている。思ったことを口にしてしまう呪いだろう。おかげでお前の本性が、王都中に知れ渡った」


「ええ、おかげさまで。ですから私は、ここで嘘がつけません。お答えすることは全部本当です。お疑いなら、そこにいらっしゃるオズヴァルト様にお尋ねになって」


視線が一斉に、壁際の老魔術師へ向く。オズヴァルトは面倒そうに、しかしはっきりと頷いた。


「間違いございません。この方の呪いは、今も強く効いております。嘘をつこうとすれば、本心のほうが先に出ます」


それでいい。舞台は整った。


「では殿下、どうぞお尋ねになって。ひとつずつ、お答えしますわ」


ユリウスは一瞬ひるんだ。だが、引くわけにはいかないのだろう。ミナの肩を抱いたまま、問いを放つ。


「ミナの教科書を破ったか」


コルネリアは、教科書のことだけを思った。


「破っておりません。だって、破ったところで、あの方は新しいのを殿下に買っていただくだけでしょう。私が損をして、あの方が得をする。そんな嫌がらせをする理由がございませんわ」


小さな笑いが、どこかで漏れる。


「ドレスにワインをかけたか」


「かけておりません。あんな安物に、うちの葡萄酒はもったいのうございます。それに、汚すより、あのドレスのまま夜会に出ていただいたほうが、よほど恥をかかせられますもの」


今度ははっきりと、何人かが噴き出した。ミナの頬に朱が差す。今夜の桃色のドレスに目をやった者も、ひとりやふたりではない。


ユリウスの声が硬くなる。


「……では、階段から突き落としたか」


ここが、いちばん危ない。


コルネリアは目を閉じた。頭の中に、あの階段を呼び出す。ミナの顔ではなく。殿下の腕につかまる手ではなく。自分がしなかった理由を。


「突き落としておりません」


そこまでは言えた。けれど、続く言葉は選べない。ハンナに何度も指摘された癖が、最後の最後で顔を出す。


「でも、転べばいいのにと思ったことはございます」


広間が凍りついた。


ユリウスが勝ち誇ったように顔を上げる。


「聞いたか。害意を認めたぞ」


しまった、と思う暇もない。思ったことは、もう口から出ている。


「害意ではありませんわ。転べばいい、です。転んで、膝をすりむいて、泣きながら殿下に抱き起こされて、それを皆様に見られて、あとで思い出して恥ずかしくなればいい。そう思ったのです。突き落としたら、そうはなりませんもの」


「何が違う」


「全然違いますわ、殿下」


コルネリアは目を開けた。


失敗した、と頭の片隅で思う。けれど、その失敗が逆に道を開いていた。転べばいいと思ったことまで白状する女が、突き落としたことだけ隠せるはずがない。この広間の誰もが、それを知っている。


もう、頭の中は一つのことでいっぱいだった。稽古で探し当てた、いちばん強い真実。


「私が嫌がらせをするときは、必ず相手の目の前でいたします」


静かな声。呪いのせいで、声に飾りがない。


「陰で突き落としたら、誰にやられたか分からないでしょう。教科書を破っても、ドレスを汚しても、犯人が分からなければ、相手は私を恨むことすらできません。そんなの、つまらないではありませんか」


誰も笑わなかった。


「私は性格が悪うございます。それは認めます。でも、陰でこそこそするほど、性格の悪さを無駄遣いしたことは一度もございません。私の悪意は全部、面と向かって差し上げてまいりました」


コルネリアは広間を見回す。


伯爵夫人がいた。首飾りを笑われた人。子爵令嬢がいた。ハンカチを笑われた人。そのほかにも、顔に覚えのある人々がいくらでもいる。


「そうでしょう、皆様」


沈黙が落ちた。


やがて、伯爵夫人が扇を下ろす。


「……確かに。この方は、わたくしの首飾りを、わたくしの目の前でけなしましたわ」


子爵令嬢が、震える声で続いた。


「わたくしのハンカチも。目の前で、蛇みたいだと」


「わしの頭も、正面から言われた」と、どこかの侯爵が言う。


「うちの息子の詩も」


「わたくしの夫の髭も」


ひとつ、またひとつと声が上がっていく。誰も彼女を庇ってはいない。全員が、ただ自分の受けた侮辱を証言しているだけ。けれどそれが、ひとつの事実を積み上げていく。コルネリア・ヴェルトハイムは、陰で何かをしたことがない。


ユリウスが声を荒らげる。


「それがどうした。正面から人を侮辱する女が、陰で手を出さない理由にはならん」


「なります、殿下」


答えたのは、コルネリアではない。


人垣の後ろから、ハンナが進み出ていた。侍女の身で王太子に口を挟むなど、本来なら許されない。それでもハンナは、いつもの無表情のまま言う。


「お嬢様は10年間、わたくしの淹れるお茶が薄いと、毎朝わたくしの目の前でおっしゃいました。焼き菓子を焦がせば焦げていると、髪を引っかければ痛いと、その場でおっしゃいます。陰で他の者に愚痴をこぼされたことは、10年で一度もございません」


広間の誰かが、小さく吹き出した。


「侍女の証言など」


「では、わたくしに真実の術をかけていただいて構いません」


ハンナは真っ直ぐにユリウスを見た。


「望む者にはかかる術だと、先日、塔で伺いました。わたくしは望みます」


広間がざわめく。視線が再び壁際へ向き、オズヴァルトは髭を撫でた。


「かかりますな。望む者には」


コルネリアは、思わず振り返っていた。


その瞬間、ある考えが頭に浮かぶ。浮かんだ以上、それは口から出る。


「そうね。それがいちばん早いわ」


「お嬢様?」


「術を受けてもらえばいいのよ。ハンナだけじゃなくて」


コルネリアは、ミナに向き直った。


「ミナ様。あなたも、真実の術をお受けになったら? そうすれば、どちらが本当のことを言っているか、すぐに分かるでしょう」


ミナの顔から、色が引いていく。


けれど、それは一瞬のこと。次の瞬間には、目にいっぱいの涙をためて、ユリウスの胸にすがっていた。


「殿下……ひどいです。わたくしは突き落とされた側なのに、どうしてわたくしが術を受けなければならないのですか。コルネリア様は、いつもこうして、わたくしを怖がらせるのです」


細い肩が震えている。声の割れ方も、涙の落ちる間合いも、申し分ない。


上手い、とコルネリアは思った。思ったので、言った。


「上手ね」


広間のあちこちで、眉がひそめられる。ユリウスがミナを抱き寄せ、コルネリアを睨みつけた。


「コルネリア。被害者に術を強いるなど、どこまで卑劣なのだ」


空気が、わずかにミナの側へ傾く。泣いている娘と、それを上手いと評する女。並べてみれば、どちらが悪役かは考えるまでもない。


けれどコルネリアは、もう別のことしか考えていなかった。


「強いてなどおりませんわ。望まなければかからない術ですもの。だから、望むかどうかをお訊きしているだけ」


そして、壇の脇の3人に目を向ける。


「では、そちらの方々は? 見たのでしょう。見たことを見たと言うだけなら、怖いことなんて何もないはずよ」


3人の令嬢が、互いに顔を見合わせた。


そのうちの一人が、何か言おうと口を開きかける。


ミナが、すばやく振り向いた。


「皆様、無理をなさらないで。わたくしのために、そんな恐ろしい目に遭う必要は……」


その言葉の意味を、コルネリアの頭はまっすぐ受け取った。受け取ったものは、そのまま口から出ていく。


「あら。あなた、自分の証人を止めているわよ」


広間が、しんと静まる。


被害者が、自分に有利な証言の口を塞ごうとしている。言われてみれば、誰の目にもそうとしか見えない光景だった。ユリウスの腕から、少しずつ力が抜けていく。


最初に崩れたのは、口を開きかけていた令嬢である。


「わたくし、本当は見ておりません。ミナ様に、そう言ってほしいと頼まれて……」


2人目、3人目が続く。


ミナは何も言わない。言えば、術にかけられる前に何かが露見すると分かっているのだろう。黙ることができる。それはコルネリアが4か月前に失った自由だ。そう思ったら、言葉になっていた。


「黙っていられるって、いいわね。うらやましいわ」


ミナが顔を上げ、初めてコルネリアを睨んだ。愛らしさの欠片もない、まっすぐな憎しみの目。


コルネリアは、少しだけ感心した。


「あら。その顔のほうが、ずっといいわよ。少なくとも嘘はついていないもの」


◇


ユリウスは、しばらく何も言えずにいた。


やがて、ひどく疲れた顔でコルネリアの前に立つ。


「……コルネリア。私は、間違えたようだ」


「ええ」


「婚約破棄は撤回しよう。改めて、話を」


「お断りいたします」


即答だった。考える前に口が動いた、のではない。考えたことが、そのまま出ただけだ。


「殿下のことは、前から見る目のない方だと思っておりました。今夜で確信いたしました。こちらから、願い下げですわ」


ユリウスの顔が引きつる。周囲の何人かが、扇の陰で頷いていた。


これで、怨みがまた一人ぶん増えたかもしれない。コルネリアはそう思い、思ったので口にした。


「今ので、128人目ね」


◇


夜会の翌日、オズヴァルトが公爵家を訪ねてきた。


コルネリアの額に手をかざし、前と同じように長く唸る。


「ふむ。減っておりますな」


「何が」


「怨みでございます。昨夜、お嬢様のことで声を上げた方々の分が、ずいぶんと薄れております。127が、90あまりに」


「おかしな話ね。あの方たち、私を庇ったわけじゃないのに」


「庇ってはおりませんな。ですが、自分の受けた侮辱が誰かの役に立った。人の怨みというのは、案外それで薄まるものでございます」


コルネリアは少し考え、考えたことをそのまま言った。


「じゃあ私、これからもっと人を侮辱すればいいのかしら。あとで役に立つように」


「そういう話ではございません」


「でしょうね」


「殿下の分は、増えております。男爵令嬢の分は、ずいぶんと濃く」


「それも、でしょうね。あの顔だもの」


コルネリアは長椅子にもたれた。


「このまま減れば、いずれ解けるのね」


「おそらく。お嬢様が、新たに怨みを買わなければ、ですが」


「無理ね」


「無理でございましょうな」


老魔術師は、珍しく声を立てて笑った。


帰り際、オズヴァルトは戸口で振り返る。


「そういえば、侍女殿からお尋ねのあった件ですが」


「ハンナから?」


「ええ。お嬢様にお伝えするよう頼まれましてな。自分の口からは言いにくい、と」


コルネリアは身を起こした。


「侍女殿の名は、127人の中にございませんでした。最初から、一度も」


コルネリアは、何も言わなかった。


言わなかったのではない。何を思えばいいのか分からず、頭の中が空っぽになっていたのだ。呪われてから、初めてのことである。


◇


その夜、ハンナが寝支度を整えに来た。


いつもの手つきで髪を梳かす。いつものように無表情で。


「ハンナ」


「はい」


「呪いが解けたら、私はまた嘘がつけるようになるのね」


「さようでございます」


「お世辞も、社交辞令も、元どおり」


「はい」


コルネリアはしばらく黙った。頭の中にあるものを、ゆっくり確かめる。どれを口にするか、選ぶ必要はない。どうせ全部出るのだから。


「解けなくていいわ」


ハンナの手が止まる。


「嘘をつくの、思っていたより面倒だったのよ。誰に何を言ったか覚えておかなきゃいけないし、笑顔の裏で何を考えていたか、ばれないように気をつけなきゃいけないし。今のほうが、ずっと楽」


「さようでございますか」


「それに」


ここで止めたかった。止められないことも、分かっている。


「あなたが、私を呪わなかったから」


鏡の中で、ハンナの表情は変わらない。けれど、櫛を動かす手が、ほんの少しだけ遅くなった。


「……お茶を、お持ちいたしましょうか」


「ええ。どうせ薄いのでしょうけど」


「はい。薄うございます」


「明日は、もう少し濃くして」


「かしこまりました」


翌朝の茶も、やはり薄い。


コルネリアはそれを、ハンナの目の前で、はっきり薄いと言った。


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