「バレンタインチョコなんていらない!」と強がっていましたが、そんなものよりもずっと甘いものを手に入れました
二月十四日。世間が茶色く浮つくこの日を、俺は憎んでいる。
正確には、その空気に乗れない自分を正当化するために、全力で斜に構えているのだ。
「いいか、よく聞け。バレンタインなんてのは菓子メーカーが仕組んだ壮大な集金システムだ。それに踊らされて一喜一憂するなんて、知性が足りない証拠だ」
「……へえ。蒼太、朝から随分と饒舌だね」
登校中の並木道。俺の熱弁に対し、隣を歩く幼馴染の結衣は呆れたようなジト目を向けてきた。
結衣は悔しいことに可愛い。ふわっとした茶髪に、少し気の強そうな猫目。黙っていればクラスの男子がこぞって噂するレベルの美少女だ。だが、俺にとってはオムツ時代からの腐れ縁でしかない。
「負け惜しみにしか聞こえないよ?」
「はん! 俺は事実を言ってるだけだ。だいたい、カカオ豆をすり潰して砂糖と混ぜた固形物に、愛だの恋だの重すぎるだろ」
「ふーん……。じゃあ、蒼太はチョコなんて欲しくないんだ」
「当たり前だ! 頼まれたって受け取らんね!」
俺はマフラーに顔を埋めながら言い放った。
嘘だ。本当は欲しい。喉から手が出るほど欲しい。下駄箱を開けた瞬間に雪崩が起きる妄想を、毎年三百回はしている。
だが、現実は非情だ。どうせ貰えないなら、最初から「いらない」と言っておくのが傷つかないための防衛本能なのだ。
「そっか。いらないんだ。……ふーん」
結衣の声が、少しだけ冷たくなった気がした。
ちらりと横を見ると、彼女は鞄の持ち手をギュッと握りしめ、唇を尖らせていた。
何か言いたげな瞳。けれど俺は、その視線から逃げるように歩く速度を速めた。
◇
そして放課後。
俺の机の上も、下駄箱の中も、シベリアの大地のように何もない荒野だった。
知ってた。知ってたけどさ。
「……帰るか」
鞄を肩にかけ、誰もいなくなった教室を出ようとした時だ。
「ちょっと待った」
立ちはだかったのは、結衣だった。
彼女は後ろ手にドアを閉め、教室の鍵をカチャリと掛ける。逃げ場のない密室。西日が差し込む教室で、結衣がずかずかと俺に詰め寄ってくる。
「な、なんだよ」
「蒼太。朝の言葉、撤回するなら今のうちだよ」
「はあ? なんのことだよ」
「チョコ、いらないって言ったやつ」
結衣の顔が赤い。怒っているのか、それとも別の理由か。
俺はここで素直になればよかったのだ。「ごめん、やっぱ欲しいです」と土下座すればよかった。
だが、男のプライドという厄介な病気がそれを許さない。
「て、撤回なんてするかよ! いらないものはいらない! 甘いものは苦手なんだよ!」
「……嘘つき。いちごオレ大好きなくせに」
「うっ……そ、それはそれだ!」
「本当に? 本当にいらないの? 私が昨日、三時間かけてテンパリングに失敗しながら作ったとしても?」
心臓が跳ねた。
作った? 結衣が? 俺に?
動揺が顔に出そうになるのを必死で抑え込む。ここでデレたら、今までの強がりが全部フリになってしまう。
「……誰が作ったとしても、いらないって言ってるだろ。捨てちまえよ、そんなの」
言ってしまった。
最低だ。俺は死んだほうがいい。
結衣の目が見る見るうちに潤んでいく。ああ、終わった。これでもう絶交だ。
「……そっか。わかった」
結衣は俯き、スカートのポケットから可愛らしいラッピングの小包を取り出した。
そして、バリバリと包装を破く。
「え?」
「蒼太がいらないなら、私が食べる」
「お、おい!」
結衣は中から不格好なトリュフチョコを取り出すと、ポイッと自分の口に放り込んだ。
もぐもぐと咀嚼し、ごくんと飲み込む。
「……おいしかった?」
「……知らない。味がしない」
結衣は涙目で俺を睨むと、また一歩、距離を詰めてきた。
近い。シャンプーの香りがする距離。
「ねえ、蒼太」
「な、なんだよ」
「チョコはいらないんだよね?」
「だから、そう言ってるだろ……」
「じゃあ、チョコよりもっと甘いものなら、受け取ってくれる?」
意味がわからず、俺が問い返そうとした瞬間。
結衣が背伸びをして、俺のネクタイをぐいっと引っ張った。
視界が塞がり、唇に柔らかくて温かい感触が押し付けられる。
思考が真っ白になった。
一秒、二秒。永遠にも感じる静寂の後、結衣がゆっくりと顔を離す。
彼女の顔は、夕焼けよりも赤く染まっていた。
俺の口の中に、ほんのりとカカオの香りと、強烈な甘さが広がる。
「……これなら、チョコじゃないでしょ?」
結衣が潤んだ瞳で上目遣いに俺を見る。
甘い。
チョコなんて比じゃない。脳が溶けそうなほど甘い。
「……お前、これ」
「いらないなら、返してくれてもいいけど?」
意地悪く笑う彼女の唇には、まだチョコの痕跡が残っている。
俺は観念した。
もう、強がるのは無理だ。
「……いらなくない。全然、いらなくない」
「ふふ、素直でよろしい」
俺は彼女の腰を引き寄せ、今度は自分からその甘さを求めにいった。
バレンタインチョコなんていらない。
前言撤回はしない。だって俺が手に入れたのは、そんな既製品よりもずっと価値のある、世界で一番甘い「特別」だったのだから。




