晩餐会は、甘美な罠(トラップ)と共に
公爵家の豪華な馬車に揺られながら、シオンは窓の外を流れる夜景を見つめ、物憂げに溜息をついた。隣には、彼を強引に連れ出した婚約者リーゼロッテが座っている。
「……逃れられぬ運命か。公爵家の銀食器は、私の孤独を反射して光りすぎる」
「はいはい。そのカッコつけた顔、お父様たちの前では控えてね。ただでさえあの二人、あなたのこと買い被ってるんだから」
「……わかっているよ、リーゼ。私はただの、影に生きる男だ」
「……普通に喋って。あと、その手帳を隠しなさい」
馬車が公爵邸に着くやいなや、玄関先で待っていた公爵夫妻が、王族を迎える儀礼すら忘れて駆け寄ってきた。
「おお、シオン殿下! よくぞ、よくぞ来てくれた! 我が家の誇り、帝国の希望よ!」
公爵がシオンの両手を固く握りしめる。その目は、まるで伝説の英雄でも見るかのようにキラキラと輝いている。
「……公爵、顔を上げてください。私はただ、夜風に誘われただけの迷い子に過ぎません」
「ああ、なんという謙虚さ! 『夜風に誘われた迷い子』! 素晴らしい……今の言葉、家訓にしたいほどだ!」
「シオン様、お顔色が少し優れないのでは? 離宮の食事が質素すぎるのですわ。さあ、今日はとびきりのフォアグラを用意させましたのよ!」
公爵夫人がシオンの肩を抱き寄せ、まるでもう自分の息子であるかのように世話を焼く。シオンはリーゼロッテの冷ややかな視線を感じながらも、クールな微笑を崩さない。
「……私の空腹は、知性という名の果実でしか満たされないのですが。……まあ、マダムの勧めなら、その誘惑に身を委ねるのも悪くない」
「シオン、その言い方やめなさい。お母様、この人さっき馬車の中で『鴨のロースト食べたい』って言ってたわよ」
「リーゼ! 余計な注釈は不要だ!」
晩餐が始まると、シオンの神経は再び「理」へと向けられた。
楽しげに笑い合う公爵夫妻。だが、彼の感覚は、邸宅の地下深くから這い上がる「異物」を捉えていた。
(……ふむ。ネズミが紛れ込んだか。公爵家のワインセラーに、血の香りを混ぜさせはしない)
シオンはテーブルの下で、指先を小さく動かした。
能力【因果の種:地底の蔦】。
邸宅の地下。公爵の暗殺を目論み、床下から侵入しようとしていた賊たちの足元。
そこにあった木製の床板、すなわち「死んだ植物」が、シオンのロゴスによって全盛期の生命力を取り戻す。
「なっ、なんだこの根は!? どこから……ぐわあああ!」
地下で賊が絞め殺されているとも知らず、食堂では公爵が熱弁を振るっていた。
「シオン殿下、例の『魔力測定0』の件ですがね。私は確信しています。あなたは既存の尺度では測れない、神の領域の力を隠している。違うかね?」
シオンはワイン(中身はグレープジュース)をゆっくりと回し、酔いしれた瞳で答える。
「……測れるものだけが真実だと思っているうちは、人は空を飛べない。……ふふ。今の俺、完全に世界の真理を語ってたな」
「おおお! 素晴らしい! 聞いたか妻よ! 『空を飛べない』! まさに真理だ!」
「なんて素敵……。シオン様、そのお言葉、後で色紙に書いていただけますかしら?」
「ええ、喜んで。……あ、でもリーゼ、そんなに冷たい目で見ないで。今のは、その、文脈上の演出で……」
「……早くそのフォアグラ、口に詰め込みなさいよ。ポエム王子」
地下の賊を音もなく「処理」し終えたシオンは、リーゼロッテに叱られながら、心の中で手帳を更新した。
『最高級のフォアグラと、最愛の婚約者の毒舌。……この夜をデバッグするには、まだ時間がかかりそうだ』




