嵐の前のティータイム、あるいは静寂を綴る三女
「シオン、ちょっと待ち――」
演習場にリーゼロッテの鋭い追及が響き渡る直前、シオンはすでに「因果の残像」をその場に残し、最速の足取りで学園を後にしていた。
(……やれやれ。これ以上のデバッグ(追及)は私の精神回路に深刻な負荷をかける。今の俺、完全に『秘密を抱えたまま闇へと消える伝説の諜報員』って風格だな。……ふふ、背中にリーゼの視線を感じるが、それもまたスパイスだ)
息を切らすこともなく、涼しい顔で城に帰還したシオンは、そのまま共有スペースへと滑り込んだ。ここはリーゼの監視網から一時的に逃れられる、城内の数少ない「安息地」だ。
「……ふむ。激動の試験を終え、今、私は琥珀色の静寂を啜っている。……ふふ。今の俺、戦いを終えて日常に戻った『隠居した賢者』そのものだな」
シオンが自分で淹れた最高級の紅茶を一口含み、陶酔感に浸っていたその時。
「……随分と、慌ただしいお帰りね、シオン」
対面のソファから、鈴を転がすような、しかし感情の起伏が削ぎ落とされた静かな声がした。
そこには、分厚い魔導書に視線を落としたまま、優雅に脚を組む女性、第三王女であり、シオンの姉であるアイリスがいた。彼女は兄弟の中でも随一の魔導の才を持ち、常に冷徹な観察眼で世界を見ている。
「……おやおや、アイリス姉上。貴女もこの『静止した時間』の住人だったのか。……ふふ。今の俺、知の深淵を共有する『魂の同盟者』に出会った気分だよ」
「……昨日はあんなに無様に縛られていた子が、今日は誰にも触れられずに試験を終えたそうね。……貴方には、相変わらず一貫性というものが欠落しているわ」
アイリスは本から目を離さず、ページをめくる。その指先からは、彼女が持つ強大な魔力の残滓が、微かな光の粒となってこぼれ落ちていた。
「……一貫性? それは凡人が己を縛るための鎖だよ。……私はただ、その時々の『最高の一行』を具現化しているに過ぎない。……今の読書している姉上も、私の詩篇の一部として完璧な配置だ」
「……相変わらず、中身のない言葉を並べるのが上手いのね」
アイリスがふと顔を上げ、深い知性を宿した瞳で弟を射抜いた。
その瞬間、共有スペースの空気が微かに震える。それは彼女の好奇心が、シオンの隠された「真実」に触れようとしている合図だった。
(……くっ、姉上、リーゼとは別のベクトルで鋭いな。……今の俺、完全に『美しき賢者に正体を見破られそうな仮面の貴族』ってシチューションじゃないか。……ゾクゾクするな)
シオンは手帳を取り出し、紅茶の香りに包まれながら今日の一行を刻んだ。
『星を読み解く王女は、私の仮面を剥ごうとする。……だが、仮面の下にあるのは、さらなる孤独という名の深淵のみ。……よし。今の俺、ミステリアスすぎて、紅茶の味が三段階くらい深くなったな』
「……独り言も、そのくらいにしておきなさい。……もうすぐ、そこまで『怒れる婚約者』が来ているわよ」
アイリスが窓の外へ視線を向けると同時に、遠くから「シ・オ・ン……!」という、もはや聞き慣れた地獄の足音が聞こえてきた。




