光速のデバッグ、あるいは完璧すぎる解答
翌朝。シオンは、昨夜兄上に泥だらけの姿を爆笑された屈辱を、持ち前の「都合の良い記憶操作」で見事に上書きしていた。
「……ふむ。昨夜の私は、大地と戯れることで星々の声を聴いていたに過ぎない。……ふふ。今の俺、屈辱を糧に神々しさ(オーラ)を増した『不屈の超克者』って風格だな」
シオンは鏡の前で、一分の隙もない漆黒の正装を整え、不敵な笑みを浮かべる。
昨夜はリーゼが深夜の自室に乗り込んでくることもなく(彼女は公爵領の書類整理で忙しかったらしい)、シオンは静かに「秘密基地の第2次設計図」を脳内に描くことができたのだ。
(ふっ、今朝こそは彼女の監視網を潜り抜け、あの空き地へと『転送(消失)』してみせる。今、私の因果操作はかつてないほどに研ぎ澄まされているからな……)
そう決意し、彼が城の外、眩い朝の光が差し込むエントランスへと優雅に歩み出た、その刹那だった。
「……おはよう、シオン。今日も『朝のお散歩』に行くつもりだったのかしら?」
正面。そこには、完璧な制服姿で腕を組み、仁王立ちで待ち構えるリーゼロッテがいた。その足元には、学園の重厚な魔導書が入ったカバンが、まるで「逃がさない」という意思を持って置かれている。
「……あ、やあ、リーゼ。……奇遇だね。君という太陽が、エントランスの真正面から昇っているとは。……私は今から、庭園の蝶たちと『存在の証明』について語り合おうと」
「はいはい、蝶々さんね。でも蝶々さんとの対話は中止。今日は【実技試験】。バインドトラップだらけの洞窟から、時間内に『印』を持ち帰る。忘れてないわよね?」
リーゼロッテの細い指が、シオンの耳たぶを正確な角度で、しかも逃げ場のない「鉄の意志」を持って捕らえた。
「い、痛いよリーゼ! 私の耳は、宇宙の微細な旋律を拾うためのアンテナであって、君の牽引具ではないのだ!」
「アンテナなら、学園の予鈴もしっかり聞こえるはずよね? ほら、行くわよ!」
シオンは抵抗虚しく、城の敷地から学園へと続く道をズルズルと引きずられていく。すれ違う近衛兵たちが「あらあら、今日もしっかり捕まったな」と苦笑いで見送る中、彼は片手で手帳を取り出し、震える文字で今日の一行を刻んだ。
『自由を夢見た翼は、再び「愛の引力(物理)」によって地上へと引き戻された。……だが、この拘束こそが、私と彼女を繋ぐ唯一の術式なのかもしれない。……ふふ。今の俺、完全に「運命の鎖に縛られし悲劇の貴公子」だな。リーゼの握力の強さをインクに変えて書いておこう』
「……何ブツブツ言ってるのよ」
シオンの秘密基地計画は、今日もまた「学園への強制連行」という名の巨大なバグによって、一歩も進まないまま学園に到着。
試験用の洞窟前。試験官の教師が、ストップウォッチを手に告げる。
「ルールは単純だ。この洞窟内に仕掛けられた無数の拘束罠を掻い潜り、最深部の『印』を持ち帰れ。魔力なき者には酷な試験だが……シオン殿下、準備は?」
「……講師。私に、時間を『競え』というのか? 時間とは流れるものではなく、私が刻むものだというのに」
シオンはキザな台詞を残し、薄暗い洞窟内へと足を踏み入れた。そして周囲から姿が見えなくなった瞬間、彼の瞳に「因果の行」が青白く浮かび上がる。
(……やれやれ。ここならリーゼの視線も届かない。……観客のいない舞台で、真のパフォーマンスを走らせるとしよう)
能力【因果の種:最適解の自動追従】。
「……『全ての摩擦を、無へと。全ての抵抗を、虚へと。……私の歩みに、この世界のラグ(罠)は追いつけない』」
シオンは走ることすらしなかった。ただ、因果操作によって「罠が絶対に発動しないタイミングと位置」だけを正確に踏み抜いていく。
左、右、半歩下がる、首を傾ける。
彼が優雅に歩を進めるたび、コンマ数秒の差で光の蔦が虚空を掴み、拘束の術式が彼の背後で空しく霧散する。
最深部で印を手に取り、再び入り口へと戻る。
その間、わずか数分。息一つ乱さず、彼は洞窟から悠然と姿を現した。
「……は? ……!? 馬鹿な、罠は全て作動している形跡があるのに、衣服に一つも掠り傷がないだと……!?」
試験官の教師が、床にストップウォッチを落とした。周囲で見守っていたFクラスの生徒たちからも、どよめきが上がる。
「嘘だろ……。昨日、あれだけ無様に芋虫になってた殿下が、一度も捕まらずに……!?」
「もしかして、昨日の芋虫は……今日の最短ルートを計算するための『伏線』だったのか……!?」
シオンは混乱する観衆を余所に、驚愕で目を見開いているリーゼロッテの前に立ち、優雅に印を差し出した。
「……やれやれ。リーゼ、言っただろう? 運命(罠)は私を捕らえられない。……私が、運命の先を歩いているのだから」
(……ふふ。今の私、完全に『無能を装いつつ規格外のスコアを出す最強主人公』そのもの……。……よし。この感動が冷めないうちに、手帳に金文字で刻んでおこう)
「シオン……あんた、今の。……本当にどうやったの? 昨日はあんなに……あんなに芋虫だったのに……」
「……愛だよ、リーゼ。私の、ポエムに対する深い愛が、道を開いたのさ」
シオンは誇らしげに手帳を開き、『昨日の芋虫は、今日という蝶になるための脱皮に過ぎない』と書き殴った。
しかし、その直後。あまりに神がかった回避を見せたせいで、リーゼロッテの「疑いのデバッグ」がさらに苛烈になることを、この時の彼はまだ知る由もなかった。




