逃避行の果て、あるいは繰り返される因果
昼食時の「氷点下の修羅場」が幕を閉じ、二人の特異点がそれぞれの教室へと消えていった刹那、シオンは音もなく席を立った。
「……ふむ。あのままでは私の魂が絶対零度で粉砕されるところだった。……ふふ。今の俺、嵐の目を抜けて自由を掴む『稀代の脱獄囚』って風格だな」
午後の授業? そんな「決められたスクリプト」に従うほど、今のシオンの精神は安っぽくない。彼は因果を歪めて気配を消すと、学園の塀を優雅に乗り越え、一路、あの空き地へと向かった。
黄金色の西日が差し込み始めた空き地。シオンは、世界の中心で独り、思考の翼を広げた。
「……さて。邪魔者は消えた。今度こそ、この地に私の理想郷を……。地下には古の叡智を蓄えるデータベースを、地上には孤独を愛でるための」
「おじちゃーーーん!!」
「あ! またいた! 今日も遊んでーーー!!」
思考の結界が、物理的な体当たりによって粉砕された。
昨日にも増して元気な孤児院の子供たちが、弾丸のような速度でシオンの腰に、足に、そして高価な漆黒の外套に飛びついてきたのだ。
「……ぐふっ。……少年たちよ。待て。私の『孤独の要塞』の設計図が、今まさに脳内でレンダリング中……ああっ! 私の袖で鼻水を拭うのはやめたまえ!」
「おじちゃん、今日は泥だらけの山を作るんだよ!」
「そうだよ! おじちゃんが山になって!」
「……山、だと? 私を不動の自然界の象徴に見立てようというのか。……ふふ。今の俺、万物に命を吹き込まれる『慈愛の化身』そのものだな。……いいだろう、受けて立とうじゃないか」
結局、今日もシオンの「高尚な設計」は、子供たちとの泥んこ遊びという名の「低解像度な幸福」に書き換えられてしまった。
夜。ボロボロの正装、髪には枯れ葉、頬には泥の筋をつけたシオンが、幽霊のような足取りで城の廊下を歩いていると、最悪なタイミングで長兄のカイン王子と出くわした。
「……ぶふっ!! ……おいおい、シオン。お前、その格好は一体どうしたんだ? 溝掃除でもしてたのか? それとも、ついにポエムを極めすぎて土と一体化したのか?」
カインは腹を抱えて爆笑し、涙を拭いながらシオンの泥だらけの肩を叩く。
「……兄上。君には見えないのか。この泥の一つ一つが、私が世界を救済しようとした戦いの軌跡であることを。……ふふ。今の俺、戦場から生還した『泥まみれの英雄』って風格だろう?」
「いいや、どこからどう見ても『迷子の迷子の芋虫王子』だな! ぎゃははは!」
カインの笑い声が廊下に響き渡る。シオンは震える手で手帳を取り出し、泥のついた指で今日の一行を刻んだ。
『愚者は私の泥を笑い、私は世界の無邪気さに涙する。……設計図は進まぬが、私の魂は、子供たちの笑い声で満たされた。……よし。今の俺、完全に「報われないが幸福な聖者」だな。金文字……いや、泥で書いておこう』
その直後、リーゼロッテの声が聞こえた気がしたが、シオンはあえて振り返らなかった。




