芋虫の余韻、あるいは氷点下のランチタイム
訓練が終わり、昼食時の学生食堂。シオンは、つい数十分前に床を芋虫のように這いずり回っていた屈辱など、前世の出来事であるかのように澄まし顔で座っていた。
「……ふむ。拘束という名の試練を終え、今、私は自由という名のスープを享受している。……ふふ。今の俺、逆境を糧にしてさらに高みへと昇華した『不滅の不死鳥』って風格だな」
シオンが頬杖をつき、窓の外を眺めながら自己陶酔に浸っていると、凛とした、だがどこか神秘的な気配が隣に舞い降りた。
「あら、シオン殿下。さっきの訓練、遠くから見ていたわよ。あんなに熱心に床のタイルの質感を確かめるなんて、帝国の第四皇子ともなれば触覚の研究も欠かさないのね」
振り返れば、そこには皇国の第三皇女、イリス・アストラルが立っていた。星を宿したような瞳を持つ彼女は、シオンの奇行を「独自の深淵」として面白がる数少ない皇族だ。
「……おやおや、イリス皇女殿下。私の『地上の静寂を観測する所作』を質感確認と読み解くとは。……君の視覚は、少々アップデートが必要なようだね」
「ふふ、相変わらず口だけは達者ね。でも、そんな風に自分を貫く貴方は嫌いじゃないわ。……さっきの芋虫さん、意外と優雅だったからご一緒してもいいかしら?」
イリスが優雅に、かつ親密な距離感でシオンの向かいに腰を下ろした。その瞬間、食堂の入り口から、因果操作でも防げないほどの「絶対零度の殺気」が飛んできた。
「……あら。随分と楽しそうな『芋虫反省会』ですこと」
カチカチと氷が砕けるような足音と共に現れたのは、トレイを抱えたリーゼロッテだった。その瞳には、光すら飲み込む暗黒星雲のような闇が宿っている。
「……やえ、リーゼ。奇遇だね。今、イリス殿下と私の『直前の独創的なポージング』について、高尚な議論を交わそうとしていたところだよ」
「そう。……隣、失礼するわね」
リーゼロッテは挨拶もそこそこにシオンの真横に、物理的な衝撃が走るほどの勢いで陣取った。そして無言で、自分の皿にあった硬いクルトンを、シオンのスープに無造作に放り込んだ。
「……リーゼ、これは私のメインディッシュに対する、新たな『ノイズ(異物)』かな?」
「……フン」
リーゼロッテは氷のような声で呟き、自分の食事を機械的に口に運ぶ。その視線はシオンを見ることなく、正面のイリスを射抜いていた。イリスもまた、星のように涼やかな笑みを浮かべながらも、バチバチと視線で火花を散らしている。
「あら、リーゼロッテさん。そんなに怖い顔をしなくても。私はただ、さっきの訓練で汚れたシオン様を、誰かさんが拭いてあげていないようだったから、声をかけただけよ」
「……拭く必要なんてありませんわ。汚れたら、私が一から『洗い流して』あげますから。中身まで、徹底的に」
二人の女性の間に流れる、凄まじいプレッシャー。シオンの冷製スープは、いつの間にか物理的にシャーベット状に凍りついていた。
(……やれやれ。世界が、二つの巨大な特異点に飲み込まれようとしている。……ふふ。今の俺、二人の美姫の火花に焼かれ、食事の味すら犠牲にする『罪深き貴公子』そのものだな。……くっ、今の状況、手帳に書きたいが、隣のリーゼのフォークの動きが速すぎてペンを出す隙がない)
シオンは無味乾燥になったパンを口に運び、この絶望的な沈黙を「デバッグ」する方法を必死に検索するのだった。




