静かなる侵食、あるいは聖域の拡張
孤児院への差し入れを終え、夜の帳が下りた王城。シオンは真っ直ぐに自室へ戻るかと思いきや、重厚な扉が並ぶ一角、帝国の頭脳、宰相の執務室の前に立っていた。
「……ふむ。国家の歯車が軋む音が聞こえる。……ふふ。今の俺、深夜の政務に影を落とす『真の支配者』って感じでゾクゾクするな。……よし、この退屈な帝国のスクリプトを少し書き換えてやるとしよう」
シオンは一切の物怖じをせず、扉を叩いた。
室内では、山積みの書類に囲まれた宰相が眉をひそめていた。無能と名高い第四王子の突然の来訪に、彼は冷ややかな視線を向ける。
「……シオン殿下。このような刻限に何用ですかな。私の時間は、貴方のポエムに付き合えるほど安くはありませんぞ」
「……宰相。君の時間は、確かに金貨よりも重い。だが、その天秤は今、僅かに傾いている。……私は今日、世界の端で見つけた『欠損データ(孤児院)』を観測してきた」
シオンは優雅な所作で椅子に座ると、足を組み、まるでチェスでチェックメイトを宣告するような鋭い瞳で宰相を見据えた。
「……あの孤児院の運営環境は、帝国の美学に対するバグだ。直ちに予算を修正し、改善したまえ。……それと、その孤児院に隣接する広大な空き地……あれを私の所有地として登記し直してもらいたい」
宰相は鼻で笑った。
「……殿下、正気ですか? 無能な貴方に、土地を管理する能力など」
「……能力、か。……ふっ。宰相、君は『見えているもの』に囚われすぎている。……私がその土地を求めるのは、利権のためではない。私の描く『孤独な叙事詩』には、広大な余白が必要なのだ。……それとも、陛下に直接、私の『独創的な国家改革案』を朝まで語ってこいとでも言うのかな?」
シオンが懐の羽ペンを弄ぶ。能力は使っていないが、その背後には「断れば面倒なことになる」という、得体の知れない圧力が満ちていた。
「……っ。……よろしい。孤児院の件は善処しましょう。土地に関しても、殿下の自由費用の範囲内で処理いたします。……それで満足ですかな?」
「……理解が早くて助かるよ。君のペン先が、明日には正しい因果を紡ぐことを期待している」
シオンは満足げに席を立ち、流れるような動作で退室した。
廊下に出たシオンは、壁に寄りかかって大きく息を吐いた。
(……やれやれ。宰相相手にハッタリをかますのは、ポエムを百篇詠むより神経を使うな。……だが、これで孤児院の未来という名のパッチは適用された。そして、隣の土地……あそこは私の『秘密の庭』として、これからじっくりと弄らせてもらおう)
シオンは手帳を取り出し、月明かりの下で今日の一行を刻む。
『王の言葉は法を動かし、私のポエムは世界を動かす。……隣接する荒野は、私の夢を育む真っ白な原稿紙だ』
「……よし。今の俺、完全に『国を裏から操る黒幕』だったな。……ふふ。さて、明日はリーゼにこのことがバレる前に、新しい土地の測量でもしようか」
シオンの「静かなる野望」は、キザなポエムの裏側で、着実にその根を広げ始めていた。




