夜の帳に、一輪の静寂を添えて
聖魔導帝国。そこは魔力の多寡が人間の価値を決定する、残酷なまでの「光」の世界だ。
「魔力測定値:0」
その烙印を押された第四王子、シオン・ル・ロゴスに与えられたのは、王宮の最北端に位置する、手入れの行き届かない「離宮」という名の軟禁場所だった。
「……ふむ。今日の月は、少々饒舌すぎるな」
シオンは月光が差し込むバルコニーの椅子に深く腰掛け、手帳にペンを走らせていた。
その手には、魔力を持たない彼が唯一の慰みとして育てている、青白い「月見草」が握られている。
「『銀の光が、私の孤独を暴き出す。だが、深淵を知る者に光は届かない』……。ふふ、完璧だ。この一節、後世の詩人が見たら震えるだろうな」
自分の言葉に酔いしれ、満足げに口角を上げる。
その時、シオンの指先に伝わる「理」が、微かなノイズを感知した。
城の本殿、父王が眠る寝室の周囲で、因果の流れが「殺意」へと書き換えられている。
「……やれやれ。王を殺すという『原因』を、わざわざこの夜に持ち込む者がいるらしい」
シオンは立ち上がらない。ただ、手元の月見草の根元を指先で軽く弾いた。
「『根を張る沈黙は、雄弁な刃に勝る』。……よし、これもメモしておこう」
一方、本殿。
影から染み出した三人の暗殺者が、国王の寝室へと音もなく侵入していた。彼らは隣国が放った、魔力を完全に遮断する特殊な術者だ。
「陛下、恨むなら己の血脈を恨んでください」
先頭の男が、魔力で強化された黒い短剣を振り下ろす。
だが。
その刃が王の喉元に届く「結果」は、永遠に訪れなかった。
「……なっ!?」
暗殺者の足元。絨毯の隙間から、あり得ない速度で「蔦」が噴出した。
それは植物というより、黒い鎖。
暗殺者が反応するより早く、蔦は彼の腕を、足を、そして喉を拘束した。
「魔法……ではない! 魔力の波動が一切……ぐぁっ!」
暗殺者たちが逃げようとした瞬間、部屋中に生けられていた「観葉植物」が、凶暴なまでの意思を持ってうねり始めた。
シオンが離宮から「因果」を操作したのだ。
『成長する』というプロセスを切り捨て、『既に捕らえている』という結果を現在に接続する。
暗殺者たちは、自分たちが何に捕らえられたのかさえ理解できず、ただの「肥料」へと変えられていく。
王の眠りを妨げることさえ許さず、音もなく、光もなく。
離宮。
シオンは最後の一文字を書き終え、手帳をパタンと閉じた。
「掃除完了。……ふふ、私の庭を汚そうとした罪は重いぞ。……今の俺、ちょっと冷徹な審判者っぽかったな。鏡を見ておけばよかった」
彼は満足げに、冷めたハーブティーを一口啜る。
翌朝、王の寝室で「謎の蔦」に絡まり、廃人同然となった暗殺者たちが見つかるだろう。
だが、誰もそれが、離宮でポエムを詠んでいる「魔力0の王子」の仕業だとは夢にも思わない。
シオンはバルコニーから夜空を見上げ、独り言をこぼした。
「……許可が出るまで、この世界は私の書いた台本通りに踊ってもらう。……あ、今の台詞もカッコいいな。書き留めておこう」
彼は再びペンを取り、悦に浸りながら深夜の執筆作業に戻るのだった。




