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【超短編小説】古正月

掲載日:2025/12/17

 涙が溢れてくる。

 トイレから見える富士山を恥ずかしく思い涙を流す、と言う作法はどこから来たのか。

 学校の先生も知らなかったので、今度しらべてみよう、と思った。

 小便が終わるのと同時に涙も止まる。

 涙の出にくいひとは大変らしいと聞いた。


 トイレから戻るといつの間にか家族が揃って居間にいて、父親も妹も炬燵に手足を入れて丸くなっていた。

 まだ暖房は部屋全体を温めていない。

 お茶でも淹れるのだろうか、母親はコンロで湯を沸かしている。

 ガスコンロがまずいのか、火が安定せずに四苦八苦していた。


「涙、出たか」

 父親がこちらを見ずに訊いた。

「うん」

 俺も炬燵に入り、父親と妹が眺めているテレビに目を向けた。


 画面は年越しについての企画をやっていて、いまは福袋についての説明をしていた。

「おれが子どもの頃、福袋の販売はまだ12月だったんだよ」

 父親がぼんやりとした口調で言った。

「そんなに遅かったの?」

 妹はお愛想と言うにはだいぶ馬鹿にしたニュアンスで尋ねる。

 いまはもう秋頃、早いと晩夏には福袋の販売を始める企業も出てきている。


「まぁなぁ。そもそも……あ、ほら」

 父親がテレビを顎でしゃくる。

 本来は年末セールでも売り切れなかった不人気商品を詰め込んで「残り物には福がある」などと謳い売りつける新春の風習から始まったそうだが、形骸化して久しいみたいだ。

 今では残り物も何もなく、処分に困ったものを袋に詰めて売る習慣だけが残されているとテレビ画面の中で説明されていた。




「ふーん。福袋って楽しいの?」

 俺は福袋を買った事がない。

 父親ですら買った事は数度しか無いと言う。

「あまり欲しいものが入ってないからな、酸味の立ったコーヒー豆とか、着られない服だとか」

 そういって父親は笑った。

「友だちと買いに行って交換とかしたんじゃないの?」

 妹が茶化す。父親に友だちは少ない。

「いや、そう言うのはお父さんの少し上の世代なんじゃないかな」

 そう言う父親を、妹はニヤニヤしながら見ていた。


「福袋かぁ」

「なに、お兄ちゃん欲しいの?福袋に友だちも恋人も入ってないよ?」

 だんだんと調子が出てきた妹の煽りを無視して続ける。

「いくら安売りでも欲しくないものであればそれはゴミと変わらないもんなぁ」

 すると父親が後をとって

「残り物には福があるのか、安物買いの銭失いなのか、どっちだろうねぇ。新年と言うものが幸福だった時代の言葉だろうなぁ」

 そう言うと、母さんお茶はまだか?と声をかけた。


 新年、か。

「父さんさ、初夢っていう文化があったって聞いたんだけど、ほんと?」

 水を向けると父親は嬉しそうな顔をした。

「あぁ、

一、富士

二、鷹

三、茄子

 その三つを夢に見ると幸運っていうのな」

 父親の面目躍如と言うところか、得意げな顔で答えたのがすこし面白かった。

「なんで富士と鷹と茄子なの?」

「なんでも昔の大名だか将軍だか、えらい人が好きなものだったらしい」

「天皇陛下とかじゃなくて?」

「うーん、細かいことはわからんよ」

 みるみる顔を曇らせる父親は、歴史や郷土史に興味が薄いのだろう。

 表面的なことしか知らない父親には、何を聞いても曖昧な返答しか得られなかった。




 そもそも父親も富士だとか鷹、茄子と言うものを良くわかっていない。

「それってなんなの?」

 妹が冷めた顔で訊く。

「それがわからないと、夢で見てもハッピーかわかんないじゃん」

 尤もだ。

 父親は口ごもりながら

「富士と言うのがかつて日本と言う国にあった大きい山で、鷹は巨大な鳥。茄子はお母さんは食べられない植物だ」

 俺たちでも知ってるようなことを言うような事をモゴモゴと喋るだけだった。


「お待たせ、そろそろお茶がはいるわよ」

 コンロと悪戦苦闘していた母親が嬉しそうな声を上げた。

 それを合図に妹は「涙が出そう」とトイレに立った。

 父親は我慢していた屁を放ち、俺は換気の為に立ち上がって窓を開けた。


 ついでに干しガキと掴むと一口齧る。

 ガキは干し足りてないのか、まだ口の中で少し動いた。

 吊るしてある干しガキを指で弾いて遊んでいると、

「窓を早く閉めろ」

 寒いだろ、と父親が文句を垂れた。

「誰のせいだよ」

 おれは干しガキを指で弾く。

 干されたガキは恨めしそうに俺を睨んだ。



 この干しガキだって正しいのか分からないが、とりあえずそれらしい事をしてみるものなんだと父親は言う。

「今日は鏡を開くぞ」

 父親は言うが、家族の誰もその方法を知らない。

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