第四章 怪物の軋轢
今日は遥人の友人である和馬とその彼女であるヒカリと、四人で居酒屋にいた。といっても遥人はお酒を全く受け付けない体質なので、彼だけ烏龍茶ではあるのだが。楽しく近況報告を兼ねた雑談をしていると、ふとヒカリの左手の薬指に目が留まる。
「あれ、新しい指輪?」
白く柔らかそうな指に嵌ったシルバーカラーのリングは、シンプルな黒いラインが施され、とても指にマッチして見えた。
「はい、カズ君が買ってくれて……ペアリングなんです」
見れば和馬のよく日焼けした薬指にも同じデザインの指輪が光っていた。
「オーダーで作ってもらったんですよ」
ちょっと照れたように、和馬とヒカリは顔を見合わせて笑った。
いいなあ。そんな思いがよぎる。その後、他愛もない話をし、みんなでブラックジャックをして遊び、帰路につく。コンビニに寄ってコーヒーを買ったのち、車のエンジンをかける遥人に何げなく言った。
「私もペアリングが欲しいな」
瞬間、遥人の表情が曇る。無言でエンジンをかけ、アクセルを踏む間も遥人は無言だった。
駐車場につき、月の光に照らされた道を家へ向かいながら再度言ってみる。
「ペアリング……好きじゃない?」
暗くてもわかる遥人の目は、明らかに怒気を含んでいた。煙草を一本取り出し、火をつける。噛みつくように吸い、煙を吐き出しながら言った。
「それってさあ。あの子のを見たからでしょ?」
不機嫌と怒り。前を向いたままでも分かる、その感情を宿した目線。
「まあそれもあるけどさ……それだけじゃなくて、私もあなたとお揃いのものが」
全て言い終わる前にかぶせる様に遥人の声が響く。
「友達が持ってるから欲しいって? そんなの友達のおもちゃを欲しがる子供と同じじゃん」
「そういうわけじゃなくて」
「そういうわけでしょ? あなたは見せびらかしたいだけなんだ」
こちらを向く遥人の顔。続ける。
「そんな理由だったら俺は要らない」
家に帰っても続く。キッチンの小さな明かりしか点けていないため、お互いの姿が朧げだ。それでもかまわず言葉は続く。
「お揃いのものが欲しいってそんなにダメなの?」だんだんこちらもイライラしてくる。
「どうせ付けたくないんでしょ。そんなの照れくさいだのなんだの言って」
「それこそそうじゃない。俺の気持ちを全く考えてくれてないわけだ、あなたは」
「何よ!」ついに爆発してしまう。
「お揃いのものが欲しいって言うのがそんなに悪いわけ? だいたいあなた、忙しいって言って帰ってこないじゃない。一緒に過ごす時間も短いし、夏にどこかに連れてって欲しかったけどあなたが忙しくて疲れてるからずっと我慢してきたのに! 別に豪華な海外旅行なんかっ求めてないのよ? ちょっと一日デートとか、そんなこともしてくれないじゃない。みんな海に行ったりプールにつれてってもらったりしてるのにさ」
「それは悪かったと思ってるよ。俺だって休みたいけど立場もある。個人事業主だから売り上げを上げても支出もあるし、不安定な仕事に就いているのは本当に申し訳ないと思ってるんだよ。でもさ、『友達が連れてってもらった』ってのはそれは違うんじゃない? その人たちと俺は違う」
分かりきっていた言葉が新たな刃となって胸を刺す。
「そんなの分かってるよ! でも時間を空けようともしないじゃない! 時間を空けるのが難しいならせめてペアリングが欲しいと思っただけよ! それがそんなに悪いこと?」
不意に遥人はため息を吐く。そして、じっと私の目を見つめてそっと呟くように声を差し出した。
「それさ、俺じゃなくていいじゃん」
一瞬、何を言われているのか分からなくて、眉が上がる。
「だからさ。俺じゃなくていいじゃない。あちこち好きなところにデートに連れて行ってくれて、欲しいといったものは全部買ってくれるような……そういう男と付き合った方がいいんじゃないの。あなたがそれを望む相手は俺じゃない」
さっきまで目に含まれていた怒気と不機嫌は、悲しみと諦めに変容していた。
しばらく動かない時間が支配する。どちらも微動だにせず、時間だけが過ぎていく。この時間がいつまで続くのだろうと思った時。ふと遥人がおもむろに動いた。
「悪いけど、明日も朝早いから。俺は仕事に行く」
その言葉だけ残して、軽く身支度をした遥人は玄関のドアを開く。廊下の光に少しだけ照らされた遥人の姿。それはすぐにドアに遮られ、バタンと無機質な音を残して消えていった。遥人がいなくなっても私はしばらくドアを見つめて放心していたのだった。




