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第二章 怪物の瑕疵

 朝。八月の夏真っ盛りなら、朝から気温など三十度を優に超える。日が昇り間もない明け方に、ようやく遥人はふらつきながら帰宅してくる。そのままその辺に服を脱ぎ捨てて、下着だけの状態でぐったりとベッドに沈み込む。

「ダメ、俺……動けない……ベッド気持ちい」

そういって人前では脱がないキャップも取ってしまう。普段から車やソファで寝ているせいか、久々のベッドが心地よいのだろう。


 なぜずっとキャップを取らなかったのか、理由は付き合いはじめてすぐにわかった。キャップを取って露わになった頭には、世界地図のようにところどころにしか髪が生えていなかった。産毛が生えているところもあれば、完全に頭皮が露出してしまっているところも少なくなかった。ああ、これが。これこそが。人前で頭を晒したくなかった理由だったのだ。私自身ははっきり言って気にしていない。そんなものは努力して防げるものでもなんでもない。聞けば初めて円形脱毛症を引き起こしたのは、まだ遥人が十五歳の時だったという。「いや、びっくりしたよ? 俺、まだ十五だよ、って」そう言って仕方なさそうに自分の頭を手のひらでつるりと撫でた。そして、仕事のストレスやらなんやらで、当時は円形脱毛症だったのが、今は全頭脱毛症へと変化してしまったのである。キャップを取って人前に出ることなどまずない。私の前では信頼してくれているのだろう。迂闊に頭を見せない頑なさは、狼男が狼の姿を隠しているようで。そんな制約を持った彼だったからこそ、私も自分の制約を話すことができた。

「何か買ってこようか?」「じゃあオレンジジュース」

そう言われて私はUVカットストールを纏い、顔に日焼け止めを塗りこんで日傘をさしてコンビニに出かける。これこそが制約。軽度ではあるが光線過敏症。はたから見ればただの美意識の高いやりすぎ日除けの女くらいにしか見えないのだろう。人は少しは日に当たった方が健康的だとか、そこまでして色白になりたいの? だとか、さんざん言われてきた。そうですね、と適当に流してきたが、いわば身を守るためなのだ。日に当たった部分が真っ赤になって荒れ、痒くなる辛さはなかなか想像してもらいにくい。真っ黒に日焼けしてゴルフや釣りに精を出すうちの社長には考えられない事態なのだろう。まるでヴァンパイアだ。

「せっかくの夏だよ? 彼氏さん、どっか連れてってくれないの?」

 その一言がやけに重たく胸に刺さる。

「俺、彼女と沖縄に行ってきたんだ。良かったよ、海はきれいで真っ青でさ……」

羨ましかった。この体では海など命取りでしかない。人の多い海水浴場では遥人も頭など出せないだろう。

「こんな綺麗な彼女さんがいるのに仕事漬けでどこにも連れて行ってあげないなんて。舞奈ちゃん、もっといい彼いるんじゃないの」

行けるなら行きたいよ。海やプールに連れて行ってもらった友達の話を聞くたびに。その苛立ちは増していく。彼が狼男じゃなかったら。私がヴァンパイアじゃなかったら。お互いもっと安定した収入が、休みがあったら。もっと普通の楽しいデートができたはずなのに。真夏なのに脱げないショールは暑くて仕方がない。日傘を握る手に力がこもる。

 オレンジジュースをコンビニで買って戻ってくると、もう遥人はぐったりと眠りこけていた。仮に制約がなかったとしても、こんな状態になるまで頑張って働いてくる彼に、家事を手伝えだとかどこかに連れて行けだなんて言えないよね。そう思って冷蔵庫に買ったばかりのオレンジジュースを入れ、代わりにトマトジュースを取り出す。一口飲むと、すーっと喉を滑り落ちる。苛立ちは少しだけ影を潜める。

 だが、同棲していながら週に一度という頻度でしか帰ってこない遥人のことを思うと、影を潜めたはずの苛立ちは再び頭をもたげてくる。

少しは話を聞いてよ。私とコミュニケーションを取ってよ。そう言いたかったが、それでも疲れて寝ている顔を見るとそうもいかない。シャワーを浴びて化粧をし、身支度を整える。今日は仕事だ。

「行ってくるよ」

そう言って額に軽くキスを落とす。すると遥人はゆっくりと目を開け、私と唇を重ねる。あんなに起きなかったのに。ちょっとだけ不満な日常が愛で彩られた瞬間を味わった。

 帰ってきたときにはもうきっとあなたはいないから。配達員の朝は早い。特に彼は責任者的立ち位置で働いている。他のドライバーたちの采配、荷物の仕分け……私が知っているだけでも遅刻できない日常がありありと想像できる。だから現場には夜には到着している。それが遥人の日常だった。終わるのも当然夜遅い。帰ってこないのではない、帰って来れないのだ。それでも私と会うために。朝の仕分けを別の人に頼むことができる日はこうして仮眠を取って明け方に帰ってきてくれる。たとえ逢える時間がほんの三、四時間しかなかったとしても。それが遥人にできる精一杯の私への気遣いなのだろう。

 外に出ると眩しい光線が容赦なく降ってくるが、心はどこか弾んでいた。そういえば、何かお揃いのものが欲しいな。そんなことを考えながら日傘に身を隠す。


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