僕は電車の中でそれを聞いたんだ。
「くっつきクラブ。知ってるか?」
仕事帰りの週末の電車内。そんな会話が聞こえる。
「接着剤マニアさ。それも強力な」
聞きたくなくても、至近距離。イヤでも耳に入ってしまう。
「しかも本当のマニアは、皮膚と皮膚とをくっつけて楽しむんだ。指とか腕とか。くっついてしまったら不便を感じるようなところ同士をくっつけて、その不便感さに極上の快楽を感じ取るのサ」
世の中いろんな変態がいるもんだ。僕はそう思った。
右にはそんな会話をする男女、
左には音楽を聞く若者がいるのだが、それがイヤにやかましい。音量デカすぎ。古い電子音楽のようだ。ゲームのBGMでも聞いているのだろうか?なんでそんなモン聞いてるのかは分からないが、とにかく両方うるさい。
右も左も。
「そんなマニアの中でも、最上級の高等テクニックがあるのサ」
右の男が続けた。
「それはダニエル」
女はふーんという顔をし、熱心に耳を傾けていた。いろんな男女がいるモンだ。こんな話に熱心に耳を傾ける女の心理が分からない。
男はダニエルの話を続ける。
「ダニエルとは、イギリス人の接着マニアさ。イギリスが発祥だけに、基本、紳士の集いなんだ。もちろん接着する際は半裸である事が基本だが、ブリーフだけは着用が義務づけられているしね。肌は晒せども性器は晒さないのが基本なんだ。さすが紳士の国イギリスだよ。」
ブリーフ一枚でなにゆえ "紳士" なのか全く理解出来ないが、それはまぁいい。彼は更に続ける。
「ダニエルの話に戻すね。ダニエルとは、二人ひと組で行う接着状態の事。自分の胸部から腹部全体に超強力な接着剤を塗付し、それを相手の背中に接着するんだ。そしてその状態で背中を接着されている側、つまり "前" にいる方が、両足を地面から離し手足をバタバタさせる。それがダニエルというワザさ!」
男は興奮気味にそう語った。何に高揚してるのかサッパリ分からない。
「それのどこが楽しいの?」
女が聞いた。ナイスアシスト。僕も同じ疑問を感じていたところだ。
「束の間の浮遊感覚さ!」
男はどうだ!とでも言わんばかりの表情で、そう答えた。
浮遊感覚?ああ、まぁ一瞬宙に浮いたように感じるから、そういう事か。男は更に続ける。
「その中で更に最上級なのは『スペシャルダニエル』というワザだ。それが出来たものは「ダニエリスト」という称号を与えられ、マニア間の羨望を勝ち取る事が出来る。スペシャルダニエルとは、自分の腹部から胸部を相手の背中に接着する際、"相手側" の上下を、"逆"、つまり頭が下で、足が上という状態にする事なんだ。これはもうスーパーテクニック。その状態で手足をバタバタさせるんだ。この浮遊感覚がマニアにはたまらないらしい!もちろんそれをするには、『支える側』の強靱な背筋力、そしてバタバタさせても揺らがぬ強靱な足腰。だからスペシャルダニエルを目指すクラブ会員達は、こぞって日夜、筋力トレーニングに励んでいるそうなんだ。」
なんでコイツはこんなに詳しいんだ?と、僕は思ったのだが、それはまぁいい。
とりあえずスペシャルダニエルが出来る会員は、最上級に属するらしい。
「そして皮膚!皮膚で相手の全体重を支えてるワケだから、当然皮膚は痛い。その痛みに耐えうる強靱な精神力も必要ってワケさ!ダニエルが出来るのは精神的、肉体的に鍛え上げられた真の男達。ダニエルは男の象徴であり、男はダニエルの象徴なんだ!」
彼は自分の事を説明でもしているかのように、誇らしげに言った。
そもそもそんな強力な接着剤があるのか?と思ったが、それはふつうにあるらしい。大気圏突入してもタイルが剥がれ落ちない接着剤が開発出来てるのだから、(マメ知識:スペースシャトルの胴体部分タイルは、接着剤で固定されている ←ホントです)人間一人固定するぐらいの接着剤を開発するぐらい、容易い事なのだろう。
そして "はがす" 際には、ふつうに『剥離剤』が存在するらしい。
そんなワケで僕は5駅分、彼らの会話を聞く事になってしまった。別に聞きたくもなかったのだが。
最後に彼が放ったひと言、それだけが気になった。
「日本にもあるんだよ。くっつきクラブ極東支部が。」
(続きます)