闇に火を灯す
暗闇の中を走っている。
脚がもつれ、転び、膝をしたたかに打ち付ける。
少年は立ち上がろうと地面に手をついて、そして気付く。右腕が前腕の半ばほどから食い千切られ、折れた枝のように骨がむき出しになっていることに。
後ろから狼の遠吠えが聞こえてくる。父と母を殺し、ニタニタと笑いながら遊びでこの右腕を砕いた狼がやってくる。
ひたひたと狼の足音がする。立ち上がり、走り、転ぶたびに背中に嗤い声がかけられる。
どこを走っているか分からないまま、暗闇のなかで少年は泣き叫ぶ。涙は拭かない。右腕から飛び出した骨が頬に刺さって痛いから。
転び、もう立ち上がる気力も無くなって、暗闇の中でうずくまる少年の肩を誰かが叩いた。
少年は恐る恐るそちらを向く。人狼じゃありませんようにと祈りながら。
そこには穏やかな顔をした神父様がいた。今よりも白髪が少なかったころのこと。
少年が「ベネディクトゥス・アングレーズ」になる前のこと。
人狼の群れが、ある農村を襲って村人を皆殺しにした。
心臓をたらふく食った狼は、隠れていた子供を見つけて体に一生残る惨たらしい傷を付ける。
その傷のことを「喰いさしの証」と言う。人狼が付ける「この傷が付いている奴は俺の獲物だぞ」という烙印。
これがある者は人狼に狙われやすいとされている。だから人々は「喰いさし」を遠ざけようとする。自分にも自分の子供にも近づけさせないようにする。そうやって新たな村から追いやられる「喰いさし」は当然人狼に狙われやすい。
教会の孤児院はそんな「喰いさし」の子ばかりが集まっていた。
少年は慣れぬ左手を使って、聖典を模写する。そのうちこぼさず食事を出来るようになる。投げつけられたボールをキャッチしてやり返すことが出来るようになる。そうしてすっかり左手だけで暮らせるようになっても、夜一人で眠ることは出来なかった。
暗闇の中にいると、後ろからひたひたと足音がする。
布団を頭まで被ってうずくまる。呼吸が荒くなって、失くしたはずの指先が熱を持って痛む。痛んだところを擦ろうとしてもそこには何もない。
いつの日か肩を叩かれる日がやってくる。そして恐る恐るそちらを向くと、今度こそ嗤っているのだ。人狼がその闇色の体毛を夜に紛れさせて。その空想は、少年にとって聖典の中にいるだけの神様よりもずっと身近で、現実的なものだった。
ある夜、布団の中でいつものようにうずくまっていた少年は自分の肩が叩かれたとき、「ああ、ついにこの時が来た」と思った。
だから覚悟を決めてそちらを向いた時、いつかの夜と同じような神父様の穏やかな顔を見て、拍子抜けした。
アングレーズ神父は寝間着姿のままの少年の手を引いて、教会の外へと連れ出した。普段ならこんな時間に起きていたら怒るくせに。
手を引かれて、どれほど歩いただろう。きっと今同じ道を歩いたら、それほどの距離ではないはずだけれど、当時はこのままずっと歩き続けなくてはならないのだろうかと思うほど長く感じた。
連れられた先で、それはたいまつの明かりで照らされていた。
仰向けに倒れた苦悶と絶望の表情を浮かべた人狼。周りにいる男たちよりも二回りほど大きな体をした人喰いの化け物。銀剣によって貫かれた心臓には穴が開いていて、既に彼の魂が地上を離れたことは明らかだった。
少年はかつて自分から両親と故郷と右腕と、とにかく少年にとって全てとも言えるものを奪った人狼が恐ろしくて、神父様の背中に隠れて司祭平服を掴んで、ぎゅっと目を閉じた。
神父は少年の手に優しく触れ、膝が汚れるのも構わず、彼と目線を合わせた。
「君の村を襲った人狼は、今晩狩人によって殺されました。もう君を襲う者はいません。君に喰いさしの証を残した者はもうこの世にいません」
神父の手が少年の頬に触れる。少年は恐る恐る目を開く。そこには見慣れた神父様の顔がある。
「さあ、あれを見て。狼の死体を」
神父は立ち上がり、少年の背中をそっと押した。
「もう狼は死んでいます。そうですね?」
「はい。神父様」
「繰り返して」
「もう、狼は死んでいます」
「そうその通り。だから君はもう恐れなくていい。君を襲った狼は死んだのですから」
こうして少年は一人でも眠れるようになって、やがて「ベネディクトゥス・アングレーズ」になって、狩人になった。
ネドはもう知っている。あの日あの夜に神父様が自分に見せた人狼の死骸は、自分と両親の暮らしていた村を襲った人狼の物ではない。あの狼はそれよりもずっと前に他の狩人の手によって殺されている。いまだ人狼を恐れ震える少年のために神父様が一芝居打ったのだと。
そしてネドは知っている。狼を殺す方法を。自分の中の狼を殺すには狼の死骸を見れば良い。狼を殺し、その亡骸を見据え続ける限り、俺の中で死んだ狼が起き上がることは無い。
◆◆◆
目を、覚ます。
上体を持ち上げて周囲を見渡す。自警団詰所の医務室のようだ。そこのベッドに自分は横になっていた。
ベッドから降りようとして体の向きを変えると、体が痛む。左背部に受けた銀弾の傷には包帯が巻かれていた。
ベッドの横に畳まれた司祭平服の上に重ねて銀製の義腕が置かれている。治療をするうえで邪魔だったので取り外したのだろう。前腕から先の無い良く鍛えられた右腕に義腕をはめる。端から伸びる四本の革紐を肩の上と脇の下を通して結び、振り回しても義腕が外れないように固定した。包帯の上から血塗れで穴の開いた、なんだか焦げ臭い司祭平服の上着を羽織って部屋を出た。
窓から廊下に日の光が差し込んでいる。「獣害対策室」として使っている部屋の扉を開けるとディムナがネドの姿に気付いた。
「ネド! 起きたのか!」
「どれくらい寝ていた……?」
「あの後一晩中気絶してた」
「……あの子はどうした?」
人狼に人質に取られていた子供のことだ。
「怪我の処置はした。処置はしたが、右腕が酷い怪我でな、切断することになるかもしれない。それに、……あの子は家も両親も失っている」
「教会が運営する孤児院を紹介する。人狼の被害に合った子供たちもいるところだ。あまりに多くを失ったこの街に居続けるのは苦しいだろうから……」
かつてアングレーズ神父が運営していた孤児院は彼の高齢のために他の教会関係者へと管理が移っているが、それでもその役割は変わらない。
それからディムナは、昨日ネドが気絶してからのことを説明する。ネドが人狼討伐後、突如現れたもう一匹の人狼がネドを吹き飛ばした後、人狼の死骸から心臓を捕食し、去っていった。
そして今朝の時点で報告のあった「獣害被害者」は一名。
「教会の辺りで暮らしているっていう何人かの傷痍軍人から神父様宛てに通報があった。廃墟の中に、数日前に殺されたであろう大型の獣に殺されたとしか思えない傷を負った心臓の無い死体が一つ見つかったとさ」
「死体の特徴は?」
「右足の膝から下が無かったが、古傷だった。男、傷痍軍人くらいしか分からん」
「一つだけか?」
「ああ。今のところな。今他に無いか探させてる」
「たぶん無いよ。切り上げさせていい」
「……ネド?」
「グレンについての報告はあったか?」
「いや、今のところ無いが……」
「そうか。……思ったより毒が効いたかな」
呟くように言うと、ネドは荷物の中から新しい司祭平服を取り出して着替え始めた。腰袋の中身を確認してから、銀の短剣一本を腰に佩き、その上から腰袋を巻き付ける。
「傷痍軍人たちから通報のあった死体のところに案内してくれ。そっちから片付ける」
呆然としているディムナを、ネドが呼ぶ。
「何してる、行くぞ。クロスボウを忘れるなよ」
死体安置所に置かれた傷痍軍人の死体は腹を裂かれ、その中身をぶちまけて殺されていた。爪痕は明らかに人狼の物だった。死後二日は経過しているのだろう、随分腐敗が進行している。それだけ確認するとネドは足早に遺体が発見された場所へと向かう。
事件現場の廃墟は通りからも教会からも影になる場所で、誰も店を開いてもいない、まさに「何もない場所」だった。家を無くした者たちがわずかばかり飛び出した屋根で雨を凌ぐべく、仮の住まいとしているに過ぎない。死体を見つけたという男たちは皆ネドに積極的に情報を話してくれた。自分が犯人ではないかと疑われていると思ったのだろう。
今朝方、男たちの内の一人が、妙な臭いがしないか? と言い出したらしい。それで自分たちが寝床にしている崩れた屋根の瓦礫を持ち上げて見たら、蛆と蝿に塗れた内臓をぶちまけた男の死体が見つかった。
現場の血はすでに砂に吸われて、乾ききって、錆びたメッキのようにぱりぱりと剥がれ落ち始めている。死体を引きずったのだろう、地面に跡が残っている。杜撰だ。ここまで杜撰だった同様のケースをネドはすでにこの街を訪れた時点で目にしていた。大通りまで引きずってこられて晒すように殺されていた人狼の死体。これをやったのはあの「共喰い」だ。
ディムナは青白い顔をしながら考える。残りの人狼はグレン一匹。奴が「共喰い」だと考えて間違いない。人狼への変化後、翌日に脅威になるパヴロー神父を殺害し、時に粛清を行いつつも仲間を増やし続けてきた。昨日ネドに殺されたのが「子供喰い」だった。討伐後に乱入してきたのは「子供喰い」の顔を潰すことで死後聖別銀を用いての個人の特定を防ぐためだったのだろう。
グレンは衛兵にも傷痍軍人にも人相書きから面が割れている。街から出ることも不可能だ。すでに奴は袋のネズミだ。長かった人狼狩りの夜ももうすぐ終わる。
「教会に行こう。夜になれば出てくるはずだ」
だと言うのに、なんだかネドの様子がおかしいような気がする。いや、あと残すところ一匹だとは言え、ここで油断すれば死を招くということを知っているのかもしれない。油断大敵、とディムナは緩みかかった己の心に言い聞かせ、右手で自身の頬を引っ叩いた。
月が中天に昇った頃、人狼の雄たけびが教会の屋根の上で響いた。
ネドは立ち上がり、礼拝堂の扉を開いて外へ出る。右腕にはすでに銀の短剣が固定されている。ディムナが緊張した面持ちでクロスボウを抱えて続く。シスター・アメリアが二人の背中を見送るように両手を組んで祈りを捧げる姿勢を取る。
夜の闇の中にぽつぽつと明かりが浮かぶ。民家の明かりではない。衛兵たちが掲げるランタンの明かりだ。皆、人狼の鳴き声に引き寄せられてきた。ディムナと同じように怯えのにじんだ表情をしている。
「良い夜だ」
夜風になびく黒髪を左手で梳く。
穏やかな神父の声音で、ネドが獣へ語りかける。人狼は司祭服姿に気付いて、地面へと落ちるように降りてきた。ズンと質量を感じさせる衝撃が足の裏から伝わってくる。
「君と合うのは三度目だな。……懺悔があれば聞こう」
グルルと狼が唸り声を漏らす。一歩迫るネドに対して、人狼は一歩引いて距離を取る。獣は周囲を見渡した。己を取り囲む衛兵が銃を、剣を、槍を構えている。
「分かっていたはずだ。人狼になることを選択した時点で、人間であることを捨てた時点でこうなると。……人狼を憎む気持ちは分かる。話してくれ。君がなぜ人狼になったのか、そして、……だれが君を人狼にしたのかを」
ネドが最後の一言を口にした瞬間、人狼の唸り声の質が変わった。警戒から威嚇、明確な攻撃性を帯びた物へと。
「そうか。残念だ」
違和感。なんだって今こいつはそんな問いかけをした?
ディムナがそれを明確に言葉にするよりも先に、己の役割を神父から狩人へと切り替えたネドが人狼へと向けて跳ぶ。遅れてディムナが思考を切り替え、預かった毒を矢へと塗り、クロスボウを構えた。それに合わせて周囲の衛兵たちも構えは取るが、彼らの持つ武器は数合わせの鉄製だ。人狼の肉体に対して効果はほとんどない。
だが心理的な効果はある。この狩人を倒さないかぎりこの包囲網からは逃れられない。その考えが人狼から逃走という選択肢を奪い、足をこの地に縫い付ける。
そしてこの戦いにおいて勝敗を決める手数は俺に任されているらしい、とディムナは唾を飲む。人狼がネドの攻撃を避けるために跳んだ瞬間、ディムナは腰のランタンに右手をかざして合図する。人狼の着地の瞬間に、轟音が響いて、その脇腹に鉛玉が突き刺さった。毒も何も塗っていない、ただの銃弾。それでも意識を割くには充分。人狼が銃撃の飛んできた兵士の方へとぐるんと首を回す。ねめつけられた兵士は銃を取り落として悲鳴を上げて尻餅をついた。直後、人狼の右目にディムナの放った毒矢が突き立った。絶叫が月夜に木霊する。
取った! ネドは右目を押さえるためにがら空きになった人狼の胸部目掛けて銀の短剣を突き立てた。ゴアアッと血反吐の混じった叫びと共に人狼が両腕を振り回した時にはすでにネドは短剣を引き抜き、後ろに跳んでいた。人狼の凶爪が人狼自身の胸を裂く。ネドは手元の銀剣から神聖なる青白い燐光が失われたことをちらと確認して、竜頭を緩めた。
確かに心臓を刺し貫いた。だが狼はまだ倒れない。
通常人狼にとって致命となる一撃を喰らってもなおこの「共喰い」が倒れなかったのには理由がある。
一つは聖別された銀剣自体の問題。大剣ほどの大きさを持たないこの武器はそもそも聖別の強度がそれほど高くない。加えて一週間と数日の遠征という時間経過による効果の減衰が挙げられる。
二つ目は人狼自身の「呪い」の強度の問題。他の人狼の心臓を二つ喰ったことによって「共喰い」は彼ら二人分の呪いをも一部その身に引き受けた。
弱った武器に、強化された再生能力という二つの要因が、人狼の命を首の皮一枚繋ぎ止めた。
こうした理由を、七年近く人狼を狩り続けているネドであれば、考察の後に推論立てることが出来ただろう。しかし狩人は浮かんだ疑問に蓋をして次の瞬間には追撃へと移っていた。
義手から取り外したただの銀剣を人狼へと投擲する。投擲された銀剣は人狼の右太ももへと突き刺さる。右目を負傷し、死角となっている狼は当然狩人に左半身を向ける。それが己の弱点を晒しているとも気付かずに。
ネドは司祭平服の袖をめくりあげ、銀腕を月夜に晒した。軽量化のために開けられた孔の向こうに夜の闇が広がっている。人狼の爪撃を銀腕を盾にしながら一歩踏み込んで躱す。さらに振るわれた腕がぶつかった衝撃を逃がすように体を回転させながらもう一歩踏み込み、呼吸がかかるほど近く懐へと入り込んだ。この位置は爪の攻撃が届かない。しかし安全圏とはほど遠い。人狼の最も恐れるべき武器、骨さえ噛み砕く牙の射程範囲内。当然人狼はネドの首筋目掛けて大口を開く。
ネドは剥き出しになった銀腕の手首を力いっぱい引っ張ると、回転させた。ジャキッと音がした刹那、ネドは銀の拳で人狼の左脇腹、すなわち脾臓を二度素早く打った。
人狼の動きが口を開いたまま、まるで時が止まったかのようにぴたりと静止した。ギッというかすれるような短い断末魔を上げて、そのまま力なく、ネドの横をすり抜けるように倒れ伏した。
人狼が倒れる動きに合わせて、銀腕から飛び出した聖別銀の薄い隠し刃がぬらりと抜ける。手首の機構を操作することで普段は内側にしまい込まれた「奥の手」が中指と薬指の間から飛び出る仕組みになっているのだ。
ネドは跪いて人狼の亡骸を仰向けに直して、瞼を下ろしてやった。
――お、終わった?
半ば夢でも見ているような気持ちで、ディムナはぽかんと呆けていた。あまりにも呆気なく、静かな決着に。ネドがいつも通り懐から十字架を取り出して祈る姿を見て、ようやく胸の中にむくむくと終わったんだという確信が湧き上がって来た。周囲の衛兵たちのざわめきも徐々に大きくなってきた。
「ネ、ネド! や、やっぱ凄えよ、お前は! これでようやく、ようやく終わったんだよな……!」
祈りを終え、十字架をしまい、立ち上がったネドの背中をディムナが調子良くばしっと叩く。ネドの黒髪が揺れ、表情を隠す。
「いや、まだだ」
「え? あ、ああ、そうだよな。『狼の司祭』って元凶を見つけ出さなくちゃいけないんだもんな。いや、悪い、つい浮かれちまって……。でもこれでもう被害は出ないんだろ? 殺される人は増えないんだろ?」
「……もっと早くに気付くべきだった」
ディムナの言葉を掻き消すようにネドは重く呟いた。
違和感。そうだ、この違和感は最初に街で人狼の死体を見た時からずっとあった。
「ディムナ。俺たちがこの街を訪れた日、『獣害被害者』は何人いた?」
「三人だろ」
「いいや、四人だ」
「いや、三人だろ。内訳も覚えてるぜ、衛兵の男、少年、女工の三人だ」
「人狼を含めれば四人だ」
「だって人狼は仲間割れで殺されたんじゃ……」
「聞き方が悪かった。俺たちがこの街を訪れた日、『心臓を食われた者』は何人いた?」
ネドが口を開くたびに、ディムナの胸の内に不安が広がる。
「人狼を含めて四人……」
「そうだ。そしてこの街の人狼に一度に複数の心臓を喰う『大食い』はいなかった」
やめてくれ。何を言う気なんだ。何が言いたいんだこいつは。
「俺たちは当初この街には殺された人狼を含めて四匹の人狼がいると考えていた。違ったんだ、殺された人狼を除いて四匹の人狼がいたんだよ」
「それじゃあ犠牲者の数が合わないだろ! お前が人狼を殺すごとに犠牲者の数は減っている。今朝の獣害被害は一件だけだった!」
「今朝発見された遺体は昨日殺された物じゃない、さらに一日前の一昨日殺された物だよ。昨日は犠牲者は出なかったんだ。グレンは毒が治らなかったんだろうな。狩りに出られなかった」
ディムナの膨らみ続ける不安が衛兵たちに伝染したのか、いつの間にか彼らもネドの話に耳を傾け、黙っている。
「俺たちが街に到着する前日、街には五匹の人狼が潜伏していた。グレンが仲間にした四匹の、グレン一派とでも呼ぼうか、四匹の人狼と、グレン一派と敵対する群れを成さない一匹の人狼。こいつは五番目の人狼で『共喰い』だった。グレン一派のうち最も新参の四番目を殺害し、大通りに晒したのもこいつだ。晒した目的はグレン一派に対する宣戦布告だよ、人間がやるのと同じだ。敵対組織を脅し怯ませるために人目のある目立つ場所へその構成員を見せしめにする」
それを受けてグレン一派は翌日から行動を変更した。それまではバラバラに行っていた狩りを三匹がまとまってするようになる。
「今思えばあの一家が惨殺された家に姿を現したのもこいつだったのだろう。こいつはグレンたちを狙っていた。何らかの恨みがあったのかもな。人狼に一家が皆殺しにされたと聞いて駆けつけたが、グレンたちはもう去っていた後だった」
そしてネドたちと鉢合わせしたというわけだ。
「更に昨日は俺が『子供喰い』を殺した瞬間を見計らって、『子供喰い』の心臓を喰った。『子供喰い』の人質を取って立てこもるなんておかしな行動にも説明がつく。奴は自分たちと敵対している『共喰い』をおびき寄せたかった。俺たちがグレンと戦っているのに『子供喰い』が間に合わなかったのは『共喰い』に邪魔でもされたんだろう。仲間が更に一人死んだと知って堪忍袋の緒が切れたというわけだ」
ディムナの頭の中で「共喰い」イコール人狼たちのリーダーグレンの図式が崩壊し、新たに急速に建て直される。そしてそれが今朝発見された遺体の属性と紐づいた。
「こいつは『人狼』を好む人狼じゃなくて、『傷痍軍人』を好む人狼だった……?」
「おそらくな。グレン一派の人狼が全員傷痍軍人でもあったせいで見事に騙された」
だとすれば、恐ろしく好みの範囲が狭い。そしてそれはグレンとはまったく異なる性質だ。
ネドが中指と薬指の間から飛び出したままの隠し刃を、目の前の死体、『共喰い』だと思われていた人狼の頬へとぴたりと当てる。そこに浮かび上がったのは初老の男だった。グレンじゃない。
刃を離すと、青白い光はすうっと消えた。聖別の効果が切れたのだ。
「つまり」
ネドが言おうとしていることを、ディムナはもう理解していた。それでもなおその事実を耳にしたくはなかった。
だって、お前もう武器が無いじゃないか。
聖別された銀剣は折れ、短剣も効果を失った。毒瓶ももう残っていない。聖別銀爆弾はあの一つきり。そしてついさっき「奥の手」だって。
最早人狼に対する最大の攻撃手段も、最大の防御手段も無い。
それでも狩人はただ事実を告げる。その結果ディムナが膝から崩れ落ちることになろうとも。周囲の衛兵たちの顔に絶望の色が浮かぶことになろうとも。
「まだもう一匹いる」
狼を殺すには正しい状況判断が要ることを、狩人は知っている。