聖なる手榴弾
翌日、人狼を一匹討伐したことを告げ、亡骸を自警団まで運んでもらうと、町長は感謝感激と言わんばかりの満面の笑みでディムナを褒め称えたが、一匹取り逃がしたことと、この街にはまだ人狼が潜んでいることを告げると、頭を抱えてしまった。
この日の獣害被害者は四名。心臓を喰われていたのはうち二名。子供と娼婦だった。
被害者数と異なるのは子供の心臓を喰うために人狼が家の中で一緒にいた両親を殺したからだ。両親の怒り、悲しみ、涙の跡の残るまま固まった死相を見るに、彼らの目の前で子供はむさぼり喰われたと思われる。
もう一つの現場、娼婦を喰ったのは、痕跡に右腕の跡が残っていないことから、おそらく昨日取り逃がしたグレンだろう。逃げる途中で襲ったのか、通りすがりの人狼によって被害者の頭蓋は叩き割られ、心臓とその周囲の肉が乱暴にえぐり取られていた。
新しく殺された娼婦は未婚だった。
被害者の情報を再度洗いなおしたところ、群れに三番目に参加した人狼は既婚の女性だけを狙っていた。それが昨夜ネドが仕留めた狼だ。
となればグレンが最初に人狼になった例の「好みの広い」狼と考えて間違いはない。
「グレンがパヴロー神父を殺したと見ていいのか?」
「さあな。殺したのは子供喰いで、今回のように喰ってはいないのかもしれん」
「昨日あれだけ怪我を負って、今日も出てくると思うか?」
「出てくるだろうな。銀剣で切り落としたわけじゃない。あの程度なら人狼は一晩あれば回復する。毒のおかげで多少は遅れるかもしれないが、逆に手負いだ、回復のためにより積極的になるだろう」
「……剣、折れたんだろ? どうすんだよ」
「銀の短剣があと二本ある。それに毒が一瓶、あとは目潰しと投げ鎖とこれと」
そう言ってネドが取り出したのは、見覚えのある武器たちと竹のような細長い筒から紐が伸びた一見水筒のような道具だった。
「一応奥の手がある」
「……火を付けて、街の男たちで夜なべして燃やし続ける奴じゃないよな?」
「ああ、その手もあったな」
「勘弁してくれ……」
驚くほど装備が少ないが、ネドが言うにはこれでも多すぎるほどで、人狼の速度に対応するために荷物は最小限まで減らす必要があるのだそうだ。あまりに心許なく見える武器たちにディムナは不安を掻き立てられずにはいられない。ディムナの不安を見透かしたネドが警告する。
「まだ人狼が残っているからと言って、次、毒を惜しむなよ。死ぬぞ」
「分かってるよ。……続きだ。一昨日は三匹同時に狩りをしていたのに、昨夜は個別に出てきた。これはどういうことだ? 一晩経ったら仲間意識が薄れたか?」
「住処を特定されないように別々に行動しているんだろう。しかし、四匹目を共喰いしてからは共同で狩りをするようになった。おそらくそれぞれの住処から人間の姿で集合し、あらかじめ目星をつけておいた家を襲うことにしたんだろうな。昨夜『子供喰い』が襲った家は一昨日三匹の人狼に襲われた家と条件が同じだ。衛兵の父親、主婦の母親、子供という人狼三匹それぞれの好みを満たしている家庭。『子供喰い』はグレンの遠吠えを聞いて駆けつけるのを止め、当初の予定通りのターゲットを襲った」
「じゃあ日中住宅街をうろうろしている兵隊の恰好をした不審者をとっ捕まえれば……」
「流石にもう遅いだろうな。それより面が割れているグレンを見つけ出し、確実に仕留めるべきだ」
「人相書きを作って衛兵たちには配布してある。それに言われた通り傷痍軍人たちにも配っておいたぞ」
グレンが隠れ家に使っているであろうあたりは実際に暮らしている者たちの方が詳しいはずだ。見つけ出し、報告すれば報奨金を出すと布告している。
夜間の住宅街の警備強化の他、衛兵全員に呼び笛を渡し、人狼を見つけ次第吹いて周囲に知らせるようにさせた。グレンが駆り出されるのが先か、「子供喰い」が警備の網に引っかかるのが先か。そう言ってネドが夜間のために休憩しようと目を閉じたちょうどその時、自警団の対策室として使用している部屋の扉が乱暴に開かれた。
自警団員の一人が息を切らして、告げた言葉にネドは即座に立ち上がる。
「人狼が子供を人質にして家屋に立てこもりました!」
昼に姿を現す人狼は総じて捨て鉢だ。
だが、獲物を殺しもせずに立てこもる奴は初めて見たとネドが呟く。
立てこもったという人狼は子供の両親を殺害して、心臓を食いもせずに玄関先へと放り出した。家の中から遠吠えと子供の泣き声が止むことなく響いてくる。
人狼は自警団員の呼びかけに唸り声でしか応じない。人間に変身した状態であれば会話は出来るはず。つまり何か要求があるわけではない。
意味が分からない。何が狙いだ? とネドは首を傾げた。
真っ先に思いつくのはこいつがこうして陽動をしている間に、すでに正体が露呈したグレンが逃げ出すことだ。だから街の出入り口の衛兵には警戒態勢を解くなと厳命してある。
何が狙いにせよ、ここで逃す手は無い。ネドは右袖をめくり、銀の義腕を剥き出しにした。手首の留め具を外して、指全体を押し込むようにして手の平のサイズを一段階小さくする。再度留め具で固定してから、腰の革鞘から引き抜いた聖別銀の短剣を握りこませるように竜頭を巻く。ギチ、ギチチ。この音を聞くたびに己の神経がクロスボウの弦のように引き絞られ、張り詰めていくのを感じる。
ブンと前腕を振るう。短剣は十分に固定されている。問題ない。
「……まさかこのまま突入するつもりじゃないだろうな」
ディムナが信じられないものを見たという顔をしている。
「他に手があるか?」
「子供が人質なんだぞ! 人狼の子供じゃない! 人間の子供!」
「このまま待っていてもあの子は殺されるだけだ。……突入と同時に目潰しを投げつけて、すぐさま奴を殺す。……最大限助ける努力はする」
「なんか、無いのかよ、他に! 人狼だけを殺す方法とか!」
「ディムナ」
声を荒げるディムナの目と、この状況にありながら驚くほど凪いだネドの目が合う。
「無いんだよ。聞かせるだけでたちまち変身が解ける犬笛も、嗅がせるだけで人狼を眠らせる薬も、振るうだけで人狼を殺す剣も、無いんだ。この世界に魔法は無いんだよ」
教え諭すような穏やかな神父の目は、人狼の立てこもる家に向いた時にはすでに狩人の目に戻っていた。
ディムナはその背中を見送る。一瞬だけ浮かんだ神父としての彼の顔があまりにも悲しそうだったから、言えなかった。
――じゃあこの世界には、ただ呪いだけがあるわけだ、なんて。
ネドが扉を蹴破り、目潰しを投擲した瞬間、人狼は子供の腕を力任せに引き寄せて盾にした。ボキリと音がして、掴まれたところを起点に骨がへし折れ、力なくだらりと垂れる。絶叫を上げる子供の顔面に、異郷の胡椒の粉末を包んだお手玉が直撃し、中身が舞った。今度は人狼が絶叫を上げた。
悲鳴のような雄たけびを上げながら、涙で目も鼻も利かぬまま闖入者に向けて腕を振り回す。子供の腕を掴んだまま。
振り回される子供の肩からぶちぶちと筋繊維の切れる嫌な音がする。子供の脚が当たり、家具が吹っ飛び、食器が割れ、オイルランプが転倒して床に油が飛び散り、敷物がそれを吸う。落ちた拍子に火花が散って引火し、あっという間に火が床を舐めた。
まず人狼の腕を切り落として子供を助ける、という選択肢はネドには無かった。
聖別はその銀の純度が高いほど、そしてサイズが大きいほど高い持続性を持つ。そしてどれだけ強度の高い聖別であっても人狼の血に触れるほどに喪われていく。今ネドが右腕に固定している銀の短剣程度のサイズでは、目の前の人狼の心臓を貫くのでやっとだろう。
だからこの銀剣は子供を助けることには使えない。そう分かっていてなお、ネドは懐に踏み込むと、円を描くように刃を振るって人狼の腕を跳ね飛ばした。腕と一緒に子供が宙を舞う。後ろに跳んで左手でそれを受け止める。右手の銀剣からは聖別された銀特有の青白い光は失せてしまった。先程までネドがいた空間を人狼は残った爪で縦横無尽に何度も引き裂く。
子供を床に下ろして、自由になった左手で腰袋の奥の方から紐の伸びた筒を取り出して、紐の先を火に晒す。引火したそれを人狼の足元目掛けて放ると、子供の襟首をひっつかんで滑り込むように倒れた食器棚の裏へと身を隠し、子供の体に覆い被さった。
時間にして数秒、狼の唸り声と爪が空を裂く音、パチパチと散る火花の音だけが家の中に反響し、そしてそれらがすべて掻き消された。
ガン、ガン、ガンッと吹き飛ばされた扉が家の外にいるディムナの目の前を地面の上をバウンドしながら吹き飛んでいった。
彼が恐る恐る家の中を覗き込むと、いまだ燃え盛る炎の中で、人狼が片腕を振り上げたままの姿で制止していた。ぐらり、とその姿が揺らいだかと思うとそのままの姿勢で後ろに倒れ、炎に飲まれた。体の表面には無数の豆粒ほどの穴が開いていた。その穴からぽとりと落ちた銀の玉は人狼の鮮血に塗れている。
ネドが先程投擲した筒は、大きい竹筒の中に、一回り小さな竹筒を入れた二層構造になっている。内側には黒色火薬が詰められ、外側には無数の聖別された銀の小粒を詰め込んで、膠によって封をした。導火線に着いた火が火薬まで到達することで銀弾を四方八方に炸裂させる、云わば「聖別銀爆弾」。
かつて鍛冶屋とともに考え、没にした銀の弾丸を使った拳銃の副産物だ。
火薬による銀弾の射出は強力ではあるが、ネドが拳銃を採用しなかった理由は二つある。一つは硝煙の臭いが全身に付着するため、使用後、他の人狼に居場所がバレる危険性を伴う点。二つ目は威力が高すぎて、人狼の肉体を貫通してしまうことがある点だ。当然のことではあるが、聖別された銀が体内に残留した方が人狼の再生能力の阻害効果は高い。
結局、拳銃の採用は見送られ、臭いが付かず音も最小限であるクロスボウを採用した。矢を鉄製にしておけば人狼の体に刺さるだけに留まるし、刺さった瞬間から人狼の肉体は再生を始めるため、先端に毒を塗布しておくことで容易に引き抜くことも出来ずに確実に効果を発揮する。
聖別銀爆弾が強力無比であることは実験から分かっていたが、着火から爆破までに時間差があることや人狼に蹴り返されるおそれがあること、そもそも臭いで爆発物と判断されて逃げられるなどの弱点を抱えていたが、先程の状況では絶大な効果を発揮したようだ。ネドはふらふらと立ち上がり、左手に抱えた子供をディムナに渡す。衝撃で気絶したらしく、白目をむいている。酷い怪我だが息はしているようだ。
「治療してやってくれ。……俺はあいつにとどめを刺す」
そう言ったネドの足元にパタタッと血液が散った。食器棚で威力を殺しきれなかった銀弾が数発ネド自身の肉をも抉ったのだ。
「まだ生きてんのかよ……」
「おそらく死んでいるが、念のためだ。……ッ!」
ネドがぎょっとした表情を見せたのも束の間、子供を抱えるディムナを左手で突き飛ばす。その直後、先程ディムナのいた玄関口に黒い影がさっと走った。黒影の一薙ぎでネドが炎上を続ける壁へと叩きつけられた。咄嗟に銀剣と義手で庇ったのか、体は両断されずに済んだが、叩きつけられた衝撃で気を失ったらしい。ぐったりとしたまま動かなくなり、額からは血が流れる。
ネドを突き飛ばした人狼は燃え盛る家屋の中を悠然と進み、無数に穴の開いた亡骸をじっと見つめたかと思うと、滅茶苦茶に両爪を振るい、その内臓を暴いた。べりべりと皮膚を引き剥がし、ごきりべきりと肋骨を砕き折ると剥き出しになった心臓にその鼻先を埋めた。ぐちゃぐちゅ、くっちゃくっちゃ、ぺちゃり、ぺちゃりと、狼が音を立てるおぞましい光景をディムナを含めて、その場にいた衛兵の誰もが動くことも出来ずに見守っていた。
食事を終えた「共喰い」は、口の中に残った銀弾を血液まじりの唾液ごと亡骸の顔面へと吐き捨てると、亡骸の首から上がピンク色の挽き肉になるまで再度爪を振るった。「共喰い」は炎の輪となった玄関をくぐるように通り抜けると、何もできずに事態を見守るだけの男たちを一瞥することさえ無く跳躍し、屋根の上を跳んで、その姿を消した。
沈黙の中を、巨大な篝火となった住宅の燃える、パチパチという音だけが支配していた。