カルローの街
「『共喰い』というのはその名の通り人狼を喰う人狼のことだ」
ネドはディムナにそう教えてくれた。
「以前好みの話をしただろう。その人狼にとって殺すことの忌避感が比較的薄い、捕食の対象のことだ。好みが人狼、ということは人狼に対して深い憎しみを抱いていた人間か、日常的に人狼を殺すことに慣れていた人間のどちらかだ」
「それってつまり……」
「行方不明になった司祭が人狼になった可能性がある。そうだとすると厄介だ。狩人のやり方を全て把握されているのと同じだからな。俺は当初の予定通りこれから教会に向かう。司祭について話を聞けるかもしれない」
「俺も町長と話したら自警団を当たるよ。夜になる前に合流しよう」
「ああ、……」
ネドが人狼の死体を見つめて、物思いにふける。
「何か気になる点でも?」
「死体に引きずられた跡がある」
そこらじゅう血だらけだが、言われて見ると石畳に付着した血には刷毛で掃かれたような、痕跡が残っている。
「おそらく別の場所で心臓をぶち抜いて無力化した後にここまで引きずってから、脾臓を踏み抜いてとどめを刺している」
確実に人狼の殺し方を知っている者の手口だ。加えて、
「わざわざ最も人通りの多いであろう街の大通りに運んできている。つまり、誰かに見せたかったわけだ」
「……誰に?」
「分からん。それを調べる必要がある」
カルローの街はランドール王国の西端ドーレント領の中でもその西端に位置し、隣国でもあるブランシア帝国と国境を接している。それはつまり先の戦争においてまさにこの街が最前線であったことを意味している。一見復興は進んでいるように見えるが、それは外壁と街の中心部だけだ。細い道を一本入れば、廃材で作られた家とすら呼べないようなガラクタのつぎはぎの中に、暗い目をした人々が座り込んでいるのが見える。
ディムナは外面だけを取り繕った大通りを歩いて、街の責任者の元へと向かう。やたらと広い執務室に通されて小太りの町長に右手を両手で握られた。やられる側はこんなに不愉快なのかと反省した。
「この街を任されております、町長のモスコゥです。いやはや良く来てくださった。なんでもディムナ殿は『獣害』の専門家だとか。それにあのグレオール卿のご令息。お目にかかれて光栄です。と言っても――」
とモスコゥはばつが悪そうに、卑屈に笑った。
「実は今朝、当の人狼の死体が見つかったそうなのです。ご足労頂いたところ申し訳ありませんが、もう解決してしまったようでして……」
「ここに来る途中で僕も遺体を見せてもらいました。あの人狼は明らかに他の人狼によって殺害されていました。まだ、この街には人狼が潜んでいます」
ディムナの受け売りを聞いて、モスコゥは顔を青くした。
「い、一匹では無いのですか?」
「多くの場合、人狼は群れを形成すると聞いています」
「あ、あんな怪物がこの街に何匹も……。あと何匹いるんです!?」
「分かりません。が、過去の『獣害』被害が分かればそこから推測することは可能でしょう。被害者の年齢、性別などの情報が分かればなお良い」
「騎士たちが自警団にまとめさせていたはずです。なんでも地元の司祭からそうするように言われていたとかで」
司祭が? とディムナは首をかしげる。この街に元からいた狩人は一人と聞いている。十中八九行方不明になった人狼疑惑のある司祭だろう。だが彼が人狼だったのなら、自警団に後の調査が楽になるような助言をしたりするだろうか?
「その被害者のリストを連携していただけますか。あとは自警団の皆さんにご協力いただくことになるかもしれませんので、ぜひご挨拶くらいは」
「ええ、もちろんですとも。いやはやどうしたものかと思っておりましたが、ディムナ殿に来ていただいたおかげで光明が差しました。復興作業もあるというのに人狼の被害でしょう? それに今朝は人狼の死体が出たという。もう私には何がなにやら」
その言葉に引っかかった。ディムナは案内するために先導する町長の後ろで、ぴたりとその動きを止めた。
何がおかしい? 俺は何に引っかかった?
そこではっと気が付いた。
「人狼の死体が出たのは、今朝が初めてだったのですか? 以前は?」
「もちろん今日が初めてですとも! 私は肝を潰しましたよ、まったく。いや、今でも信じられんほどです」
ネドの推測通り司祭が人狼を好んで捕食する人狼だったとするなら、俺たちが到着するまでの一週間、奴は何を喰っていたんだ?
ディムナの背中を薄ら寒い悪寒が走った。
調べないと。恐怖がディムナの足を急かした。ここはすでに獣の縄張りの中なのだ。そして頼りと言えばあの狩人だけだ。
大丈夫だ、明るいうちは狼は出てこない。ネドが言っていた。
そう自分で自分に言い聞かせて、悲鳴が飛び出さないように口を押さえてつばを飲み込んだ。
◆◆◆
カルローの街の教会は街の中心からやや東に逸れた場所にある。
ブランシアの皇帝は敬虔なマーナ=ベル信徒であり、教会の攻撃を許さなかったために戦禍を逃れた教会は戦争前と変わらず、その古めかしい姿を保っていた。変わっていないのは教会だけで、周りの風景はというと、酷いものだ。失った手足や目に包帯を巻いた兵士がそこかしこにうずくまっている。家を無くし、着替える服も無いのか、未だに兵隊服のままだ。どこからかっぱらってきたのか、店主の男とは縁の無さそうな砂を被った首飾りを並べて闇市を開いている者もいる。ネドが一歩踏み込むと、彼らはすっと商品を隠した。
赤ん坊を抱えた母親がネドを見て、手を合わせて祈る。彼女の足元で息子か娘か分からないほど顔の汚れている子供も母親の真似をした。ネドは祈りの仕草を返す。元兵士であろう男たちは、何も見ていないとでも言うようにネドからそっと目を逸らした。
教会に入ると、一人の若いシスターがネドを迎えてくれた。アングレーズ神父を通して連絡が来ていたらしい。
「司祭様のお部屋、ですか?」
「ええ。……何か調査した記録が残っているかもしれませんので、確認させていただきたい」
人狼になった可能性があるから、とは言わずに案内を頼む。
アメリアと名乗ったシスターに司祭館まで連れられて、行方不明になった司祭の私室を開ける。質素な暮らしをしていたようでベッドの他、書き物をするための机と衣装棚が一つあるだけだった。ネドはいの一番に衣装棚を開く。司祭平服の替えが吊るされているだけだ。床板にかすかに四角いへこみがある。ここに長年重い物が定位置として置かれていたのだろう。へこみの大きさは教会が支給している鞄のサイズとぴったり合う。神父は聖別した装備を持ち出したまま行方知れずになっている。
記録を調べると言っていたのに、いきなり衣装棚を開けだしたネドを、シスター・アメリアは不審なまなざしで見つめている。
続いてようやく机に向かい、引き戸を開けていく。中に入っている書類には過去にやり取りしたのであろう教会本部からの手紙と、未使用の用紙が数枚入っているだけで収穫はなかった。
「行方知れずになる前に、神父様に不審な点はありませんでしたか?」
「い、いえ、特には……」
床にはいつくばって、ベッドの下を覗き込むネドに困惑しながらシスターは答える。
「すでに聞いているかもしれませんが、彼は人狼に殺された可能性があります」
ネドは立ち上がり、埃のついた膝を左手で軽く叩く。
「はい……。でも人狼は今朝死体が見つかった、と。ブラザー・ネドがお倒しになったのでしょう?」
「俺は今朝この街に到着したばかりです。あれをやったのは他の人狼でしょう」
「そんな……」
「神父様が居なくなった日のことを詳しく教えていただけますか?」
カルローの街の司祭、そして狩人でもあったパヴロー神父は、二週間前に「街で人狼発生の気配あり」との手紙を出した後、以降教会に戻らず、行方知れずとなっている。シスターの話では当日パヴロー神父は夕方ごろ鞄を持って教会を出ていき、それから戻ってきていない。
「やっと戦争が終わったというのに、この街の治安は悪くなる一方でして。以前はもっと修道士もいたのですが、皆街から出て行ってしまいました。神父様が居なくなったことで残っていたわずかな者たちも去ってしまって。今ではこの教会に残っているのは私だけです」
そうして去った者たちが神父の失踪を語ったのか、教会本部を通じて、アングレーズ神父に連絡が来たということらしい。
「治安悪化の原因は、外の彼らですか?」
「ええ。戦争から帰って来た若者たちです。復興が始まった頃には大通りや中心部の立て直しで仕事もあったようなのですが、国からの復興資金も限度があるようでして、すぐに仕事が無くなってしまったのです。それにそうした仕事を受けられるのは健康な者だけです。銃や大砲で手足を失った方も大勢います。そうした方たちは仕事にありつくことも難しいようでして。ここも最初は炊き出しをしていたのですけれど、どんどん人手が足りなくなってしまって、今では私が個人的に怪我の様子を見ているくらいしかできず。お恥ずかしい限りですわ」
「何か医療の知識をお持ちで?」
「ええ。シスターになる前は看護婦でしたの。戦場で大勢の人の、……壊死を防ぐために手足を落としました。一年も持たずに耐えられなくなって、頭を丸めたのです」
「申し訳ない事を聞いた」
「いえ。ブラザーも戦争に?」
「ええ。従軍司祭として、ですが」
「さぞ大勢の方を看取られたのではなくて?」
「ええ、まあ」
大勢を看取り、弔いの祈りを捧げたのは事実だ。だが教会がネドを派遣したのは、戦場で人狼が発生しないかを確認するための、いつもと変わらぬ「見張り」の役目をこなさせるのが目的だった。
困ったな、とネドはため息をつく。
パヴロー神父の足取りを追えない。仮に彼が人狼ではなかったとしても最初の事件の時点でいなくなっているため資料も作られていない。自警団に行ってディムナとの合流を優先した方がいいかもしれない、と考えていると、教会の扉が乱暴に開かれた。
「シスターはいるか?」
汚れた軍服を着た男だ。中年と呼ぶには若いが、青年と呼ぶには歳を取りすぎている。三十くらいだろうか。錆びたナイフで無理矢理に剃ったのだろう頬から顎にかけてまばらに髭が伸びている。彼が軍靴にくっつけてきた砂が教会の床を汚している。
シスターの後ろについてきたネドを見て、怪訝な顔をして口を閉じた。
「客か。邪魔したな」
「俺のことはどうかお気になさらず」
「……あんた新しい神父様か?」
「ネド・アングレーズと申します。よろしく」
男がネドの手袋で覆われた右手をちらと見た。
「その右手。戦争帰りか?」
男の不躾な質問にシスターが割って入る。
「グレンさん。今はお引き取りください。この方は教会からお勤めでいらしているのです。お話はあとで伺いますから……」
「俺はこれから自警団の方へ行ってきますので、どうぞこのままで。シスター、ありがとうございました。もしかしたらまた伺うことがあるかもしれませんが」
「はい。パヴロー神父の部屋はあのままにしておきますわ」
「お願いします。では」
教会を去ろうとするネドの背中に、グレンが声をかける。
「神父様。悪いことは言わねえからこんな街からは出ていった方がいい」
「……人狼がまだいるからですか?」
「ああ。呪われているんだよこの街は。……死んだ兵士たちの呪いさ」
人が大勢死のうとも人狼の発生には関わりがない。実際、ネドは戦場で確認した人狼の発生は極めて少数で、戦後の方が多いくらいだ。だからこの元兵士の語る呪いは何の根拠もない物だ。だが男の中では筋が通っているのだろう。そう理解することで、説明不可能な状況を自分自身に納得させているのだ。それは一般的に蒙昧と称されるものだが、あえて否定しようとは思わなかった。
「では亡くなった方たちのために祈りましょう。それが終われば出ていきます」
「やめてやってくれよ。多かれ少なかれ人を殺した奴ばっかりだ。祈りなんて捧げられたってばつが悪くて仕方ない。祈らないでいい。俺たちのために祈らないでくれ」
男は暗く、どうにもならない困りごとに直面した時のように笑って言った。
「今朝通りで死んでいた人狼のためにあんたは祈らないだろ? 俺たちはあいつとおんなじなんだよ。人殺しなんだ。祈ってもらう資格がない」
「祈ったよ」
「あ?」
ネドの返答に、グレンは呆けたように口を開いた。
「今朝たまたま通りがかってね。彼のためにも祈った」
嘘ではない。ディムナとともに死体の状況を確認したあとに、いつも人狼の死体にそうするように十字架を掲げて祈りの言葉を唱えた。
「……そうかい。人狼に殺された奴の霊が怒らないといいけどな」
「怒るのは被害者の家族の方が多い。なぜ人狼のために祈るのかと言われたことはある。だが、……今のところ幽霊に怒られたことはないな」
「変わった神父様だな」
ふっと男が笑った。
俺は神父じゃないんだよ、とネドは心の中で言って、教会を後にした。
◆◆◆
自警団詰所で、ディムナは被害者のリストを後からやってきたネドへと手渡した。
確認できている被害者は現時点で三十三名。男女比はおよそ半々で、うち十名が子供だった。
パヴロー神父失踪の一日前から獣害として被害が確認されており、その頃は一日一名が被害にあっていたが、二週間の間で徐々に日ごとの被害者が増え続け、二日前には一日に四人もの死者が出ている。前日に比べ、減ったのは昨日だけとなっている。昨日の死者は衛兵の男性、六歳の少年、仕事帰りの女工の三名だった。
「これって要するに今朝の人狼は、人を喰う前に殺された、ってことだよな」
「そう考えて良いだろうな」
「徐々に犠牲者の数が増えてるのはどういうことなんだ? 他所から仲間でも呼んでいるのか?」
「これだけ大きな街なら出入りも激しい。その可能性はある」
あるいは、とネドは口には出さずに考えを巡らせる。この街に「狼の司祭」が潜伏している可能性を。
「この数を信じるなら、狼は四匹いた。仲間割れでもして昨日一匹殺された、ってところか? 人狼が仲間割れするような理由ってなんだ?」
「それは分からんが、いくつか確実な点がある。まず好みが子供の狼がいる。こいつは二番目に群れに加わって四日目以降から毎日一人ずつ喰っている」
「六日目にもう一匹増えてるな。こいつが加わった後、必ず女性の被害が出てる。女だけ喰う狼か?」
「十一日目に被害者は四人にまで増えた。だが十三日目、昨日は被害者は三人で、一つ人狼の死体が出た」
「ネド、一つ質問なんだが」
ディムナが挙手をする。
「なんだ?」
「こんなに被害が分かるものなのか? ヴォーダンでは人狼が死ぬまで被害者の数はずっと少ないと思われてただろ」
ディムナが警邏をしていたヴォーダンの街では調査段階では見つかった遺体の数は実際の犠牲者よりも遥かに少なかった。
「あれは狼が死体を持ち帰って隠していたからな。この街の人狼どもは隠すつもりはないらしい。……人狼の死体といい、喰うことだけでなく見せつけることも目的なのかもしれん」
「なんのために? 隠しておけば狩人に存在がバレなかったかもしれないのに」
「狩人も殺すつもりだったのかもな。最初の人狼はこのリストを見る限り男も女も構わず襲っている。好みの幅が広い」
「そういえばリストには神父の死体が無いな。人狼になった、と考えるべきなのか?」
「少なくとも最初の人狼の被害が出た時点では彼の姿は確認されていた。自警団に即座に記録を残すように助言した後、装備を持って出かけ、行方が知れない。仮に人狼だとしたら自警団に記録を残せとは言わないだろうな。俺が人狼になったならそうする」
「恐ろしいことを言うなよ……。だとすると人狼に殺されたとみるべきか?」
「その場合二つ疑問が残る。神父の死体はなぜ見つからないのか、そして『共喰い』の人狼の正体はだれなのか。これは今ある情報では分からないな。今出来ることをしよう」
「だな。とりあえず町長には夜間に女子供は外に出ることを控えるように布告してもらって、見回りの衛兵は複数人で行動してもらう」
「衛兵には笛を持たせて、人狼を見かけたら思いっきり吹くように伝えておいてくれ。そうすれば応援が来ると分かって人狼は逃げるし、俺も駆け付けられる」
あーあ、とディムナがため息交じりに冗談めかして言う。
「吹くだけで人狼が見破れる犬笛でもあったら良かったのにな」
冗談が通じたのか通じなかったのか分からない真面目くさった顔でネドが返す。
「そんな便利なものがあったら、狩人は要らないな」