狩人への依頼
老なめし職人に頼まれていた金具と釣銭を渡し終えたネドが教会に戻ってくると、そこには家紋の入った馬車が止められていた。控えている御者らしき男がネドの姿に気付いて会釈をする。どうやら養父に客人が来ているらしい。
荷物を置きに司祭館へと向かうと、奥の扉からアングレーズ神父が顔を覗かせて手招きをした。
「神父様、ご客人がいらっしゃるのでは?」
「ええ、君のお客です」
「貴族の知り合いはいないと思いますが……」
ネドが部屋に入ると、そこには身なりの良い金髪の男が腰かけていた。確かに見覚えがある。数か月前、人狼に襲われているところを助けて、……それから囮にして人狼を釣り出した男だ。確か自警団に所属していたと思ったが、騎士だったのか。そしてこの騎士の目の前での自分の言動を思い出す。
「……苦情ですか?」
「心当たりでもあるのですか?」
老神父の返しに何も言い返せずに突っ立っていると、例の騎士が立ち上がってにこやかに近づいてきた。
「よっ、狩人さん。……改めまして、俺はディムナ・マック・グレオール。この間は助けてくれてありがとうな」
ディムナは自己紹介とともに右手を差し出し、一瞬の沈黙の後はっとして、慌てて左手でネドの左手を掴んで両手で包むように握った。
「ディムナ殿はグレオール卿のご令息だそうです」
神父の紹介にむしろ決まりが悪そうに身をよじらせたのはディムナの方だった。
「そのグレオール卿のご令息が何の用、ですか?」
ネドが取ってつけたような慇懃な口調で聞く。
ディムナの顔からへらへらとした笑みが消えて、困ったような顔になった。
「あんたに、『狩人』に依頼があって来たんだ」
今からわずか数日前。フロージエン王国グレオール領ヴォーダンの街が、若き騎士の手によって「獣害」の被害から救われてから、数か月後のこと――。
件の若き騎士、ディムナは父グレオール卿に呼び出されて、久方ぶりに生家の門を叩いた。
噂を耳にしたのだろう、随分と心配をしてくる乳母を押しのけて訪ねた父の書斎でディムナはこう告げられた。
「カルローの街で似たような変死事件が起きたので行ってこい」
ランドール王国ドーレント領エノク州カルロー。フロージエン王国と同盟を組んで戦ったランドール王国の街の一つ。そしてかつて戦場でもあった街。ランドールの勝利で戦いが終わった今も、戦禍が色濃く残っていると耳にしている。
「……なんで俺が」
「町長のご指名でな。『獣害事件』の英雄の手を借りたいそうだ」
「嫌だよ、自警団の仕事もあるし」
「話は通してある。今日付けでヴォーダンの自警団から離任だ。良かったな、つまらん仕事だと言っていたそうじゃないか」
「勝手なことを……」
「勝手なのはお前だ。貴族としての役目を放棄し、好き勝手に暮らしている」
貴族としての役目? そんなもん今まで俺に求めたこと無かったくせに。だいたい産まれただけで発生する義務ってなんだよ。そういう言葉は「下」の人間を体良く道具として使うための方便だろうが。などの考えがディムナの頭をよぎったが、どれも口に出しはしなかった。口にしたところで無駄なことを知っているからだ。だから間違いだけを訂正しておくことにした。
「あの件を解決したのは俺じゃない。教会の狩人だ。俺は近くでうろうろしていただけ。頼るなら教会を頼るべきだ」
「世間的にはお前が解決したことになっているのでな。必要と思うならお前が教会に同行を依頼しろ」
話は以上だと父が会話、――そもそも会話になっていなかった気もするが、を打ち切ってしまったので、ディムナは悪態を付きながら生家を後にした。その後、教会関係者を当たり、家の名前の威光を存分に使って、「右手が銀の腕の狩人がいる教会」を突き止めたが、想像していたより遠かったので実家から馬車を借りて、今日ここに訪れた。
「というわけで、俺一人だと人狼の餌になるだけなんでな。協力してくれ。人助けだと思って」
「……神父様、カルローというと」
「ええ。ちょうど次の現場ですね」
次? とディムナが首をかしげる。
「実はですな、厄介な現場があると教会でも話題になっておりまして。それが件のランドール王国、カルローの街です。その街には一人普段は司祭として活動している狩人が配属されていたのですが、『人狼発生の気配あり』との報告以来、消息を絶っているとのことです」
「それって」
「おそらく、すでに人狼に殺されている」
「その狩人はそれなりに歴の長い手練れだったのです。彼がやられたとなると余程強力な人狼か」
「あるいは大規模で連携の取れた群れか」
「そこで彼以上に狩人歴の長い者を派遣することが決まりまして、ネドはその候補の一人でした。正式に決まったのは御父上から提言がありましてね。『獣害事件』の英雄を正面から街に入れれば、その間に狩人が潜入し、自由に捜査が出来るのではないかと」
「それはつまり……」
この老神父はディムナがこの教会を訪れた時点で、すでにその目的を知っていたということになる。それを知っていて先程人狼についての話を聞かせたわけだ。なんとまあ、人が悪い……。
「申し訳ありませんが、今回も囮役をお願いします、ディムナ殿」
悪びれもせずにアングレーズ神父は白髪頭を下げた。
「あっ、そうだ。忘れるところだった」
帰り際、見送りに来てくれたネドに、ディムナが馬車の中から荷物を手渡した。渡されたのは左手のみで装填できる歯車のついたクロスボウ。
「俺を助けてくれたときに投げ捨てただろ? ヴォーダンの街の遺失物保管庫にあったから持ってきてやったぜ」
「……」
ネドが難しい顔をして、うぅんと唸った後にディムナに礼を言って受け取った。手によくなじむ使い慣れた感触。
じゃあまた後でなあ、と軽く手を振ったディムナを乗せて教会を去る馬車を見送った後、ネドはぽつりとつぶやいた。
「あっちは予備にするか……」
せっかく作ってもらったのにごめんオヤジさん、と心の中で鍛冶屋に詫びた。
数日後、背嚢を背負ったネドの前にグレオール家の家紋の入った馬車が停まった。右腕は白い手袋で覆われているが、隙間から平時に使っている木製の義手が覗いている。背嚢の上には布で革鞘ごとぐるぐる巻きにされた銀の大剣が括りつけられ、側面には革紐で縛った銀の腕が吊るされている。
「では神父様、いってまいります」
「ええ。気を付けて」
アングレーズ神父は今回、教会から現場への出動を禁じられているらしい。人狼が聖職者を狙っているかもしれないという情報がある以上、現役ではない狩人を派遣することに許可が出なかったらしい。ディムナの同行者はネドだけだ。
ディムナは馬車の中から顔を出して、神父に挨拶をする。
「ディムナ殿もお気をつけて。ネドをよろしくお願いします」
むしろよろしくお願いしたいのはこっちだ、と口には出さずに御者に出発の合図を出すと、馬車が駆けだした。
ディムナはネドと向かい合うように、腰を下ろした。
「改めてよろしく頼む。俺のことはディムナでいい」
「ベネディクトゥス・アングレーズです。よろしくお願いします」
祝福された者か。随分と大仰な名前だ、洗礼名か? それで略してネドなわけねととっさに頭が回転する。
「敬語はやめてくれ。見たところ歳も同じくらいだろ? むしろ俺が神父様に敬語使った方がいいか?」
「……俺は神父じゃない」
「そうは言われても神父にしか見えないが……」
「神父様に聞いていないのか?」
「俺が聞いたのは聖ヴァルカヌスの逸話とその原型についての話だけだよ。良かったら聞かせてくれ、あんたが知ってる教会の話とか、人狼の話を。ほら、旅は長いだろ?」
目的地であるカルローの街まで馬車で一週間ほどかかる見込みだ。自分が提案しなければその距離を徒歩で行こうとしていたというのだから驚きである。その距離が派遣する狩人の候補でしかなかったことの理由の一つだったのだろう。すぐ近くであれば即座にネドが派遣されたはずだ。
そしてこの一週間の旅はディムナの潔白を証明する過程でもあるらしい。人狼は三日人の心臓を食わなければ必ず暴れ出し、それでも食うことが出来なければ四日目に餓死する。つまり一緒に四日間行動していればディムナがあの事件以降人狼になっていないことを証明できるらしい。
「神父、と人に呼ばれるのは司祭だけだ。俺はその手前の侍祭だから神父じゃない」
「でも着てるのは司祭の服だろ、それ」
「俺は教会所属の狩人として、人狼を狩るために行動している間だけ特例の司祭として秘跡の使用が許されている」
「秘跡っていうと赤ん坊を水に浸けたりするアレか」
「それは洗礼の秘跡だな。他にも懺悔を聞くこと、死者を弔うこと、結婚を祝福すること、そして儀式に使う道具を聖別することなどを秘跡と呼ぶ」
「なんで人狼を狩ってる間だけ特別なんだ?」
「そうでないと咄嗟に武器を聖別出来ないからだ。狼を殺すには聖別された銀の剣が要る」
マーナ=ベルの祝福を受けた銀の剣であれば、人狼の呪いから一時的に人を解放することが出来る。つまり刺されたり、切り付けられた箇所が人間の肉体に戻るため、人狼の驚異的な回復速度を発揮できなくなる。
「そういえばなんで銀なんだ? 鉄の方が硬いだろ」
「主が銀を好むから、と俺は習った。実際に鉄よりも銀の方が、そしてより純度の高い銀である方が聖別の効果は長く続く」
んなアホな理由があるか、神様が実在するわけないんだから、と口に出しかけたのを、ディムナはすんでのところで飲み込んだ。この狩人が自分が生きて帰れるかどうかの命綱だ。関係は良好に保ちたい。
そんなディムナの顔を見て、ネドがくすりと笑った。
「そんな莫迦げた理由があるか、と俺は思っている」
「……良いのかよ、未来の神父様が」
「主は実在するわけではない。長い髭を生やした老人が空の上からすべての人間の人生を管理している、なんて俺も信じていないよ。主の姿も、信仰も、祈りも、一人一人の胸の中にあるものだ。だから当然一人一人にとって違う形をしているはずだ。俺はそれで良いと思う。さっき俺は空の上の老人を信じていないと言ったが、それを信じることで健康で、善良で、幸福に生きられる人がいるなら、俺は喜んでその人のために、その老人に祈るよ」
「……あんた、もう立派な神父だよ」
「いいや、俺はなれなかったんだ」
「それはどういう……」
「侍祭から司祭になるために試験のようなものがあってな。銀で出来た十字架を聖別しなければならない。俺の聖別は二秒程度しか保たなかった。こんな小さな十字架だったのに」
そう言ってネドが胸元から、麻紐でつながれた銀製の十字架を取り出す。ネドが何事か唱えると十字架が青白く光った。が、すぐにその光は消えてしまった。
「俺には司祭の仕事のうち、重要な秘跡の一つである聖別を行う才能がなかった。だから俺は司祭にはなれないんだ」
静かに諦めたように微笑むネドの前でディムナは考える。俺はその試験とやらを知らないし、聖別の仕組みも分かっていない。だからその才能が努力でどうこう出来るものなのかも分からない。そのうち出来るようになるさ、なんて知りもしないのに無責任なことを口にしたくはなかった。
「……あんたはあの時俺を助けてくれた。だから教会が認めなくても、あんた自身がそう思ってなかったとしても、俺にとってはあんたは神父様なんだよ」
ネドがかすかに笑う。
「この間知り合いの自称魔女に似たようなことを言われたよ」
「……神父のくせに魔女と知り合いなのか? なんにせよ、あんたはすでに複数人に認められた立派な神父様ってこった」
「ああ。人狼を殺している間だけはな」
あくまで条件付きだ、という姿勢をネドは崩さない。
ディムナはへぇ、それにしても聖別された銀の剣ねぇ、などと呑気に呟いてから重大なことに気付く。
「……、あんたが聖別出来ないんじゃ武器どうすんの……?」
「神父様に聖別してもらった分があるが、それが尽きたら他の手段を考えるしかないな」
「銀以外にも殺す方法があるのか?」
「ああ。要は人狼の回復力を上回りさえすればいい。毒や炎で回復を阻害し続ければ鉄の武器で殺すこともできる。後は現実的ではないが拘束して四日間絶食させて餓死させるという方法もある」
「拘束って、あいつら鉄を引き裂くだろうが」
「人狼の力の源は血だと言われている。だから心臓と脾臓を杭で潰して地面に打ち付ければしばらく力を抑えられる。その後は回復しないように火をかけて、村の男たち総出で油をつぎ足し続ければ死ぬ。あまりお勧めできる方法では無いな」
「今回はその方法を使わなくて済むように祈ってるよ……」
人狼が纏う獣の臭いと肉が燃えた煙の臭い、そして絶叫を上げる人狼を取り囲む男たちの姿を想像して、胸が悪くなってきた。
教会を出てから六日後、カルローの街を目前にして、ネドとディムナの二人は街に入った後の互いの動向について最終確認を行っていた。
「向こうの町長から衛兵に話は通っているらしいから検問はパス出来る。ご丁寧にも『獣害対策の専門家』が来ると街に布告を出してくれたらしいから、うちの家紋が入った馬車で民衆は気付くはずだ」
「その中に紛れている人狼も、な」
「町長の屋敷に入ったら、俺はたぶん色々話をしなきゃならないと思う。こっちの自警団の協力も仰がなくちゃならない。初日は動けないだろうな」
「これまでの被害状況は知っておきたいな。人狼の好み、襲われている人間の傾向もだ。自警団での情報収集はそちらに任せる。こっちは神父様から現地の教会に話が通っていると聞いているから、そちらを当たる。だが、夕方までには切り上げて合流する」
「狼が積極的に邪魔者の排除を狙ってくるなら、ほぼ確実に初日の夜に俺を襲いに来る……。昼に襲われる可能性はないんだよな?」
「ああ。人狼の目は昼は良く見えない。それに人の目のあるところで変身はしない。正体が露呈すればその後の生活が送れなくなるからな。とにかく俺と合流するまでは一人にならないようにしてくれ」
そう語るネドの右腕は銀製の義腕へと取り換えられ、使用する道具類は腰袋に入れ替えられている。彼がすでに戦闘態勢にあることをディムナは悟った。
「……生きて帰りたいところだな」
「ああ、努力はする」
嘘でも断言して欲しかった。
覚悟を決めて、門を抜け、街へと入る。予想通りに街中からざわめきの声が聞こえてくる。
だが――。
何かが違う、と感じた。待ちに待った専門家が来たことへの歓びというよりも、むしろ困惑の方が上回ったような。
そのまま馬車は大通りを進み、そしてその違和感の正体は明らかになった。
馬車が止められ、迂回するように伝えられる。だが衛兵の中の一人が馬車の家紋に気付き、ディムナに声をかけた。
「失礼ですが、ディムナ・マック・グレオール殿でいらっしゃいますか?」
「俺がそうですけど……」
「町長よりお話は伺っております。あなたに見ていただくのが一番早いかもしれません。少しお時間いただけますでしょうか」
衛兵に人払いをしてもらって、ネドとともに馬車を降りる。そして通行止めの中を進み、それが嫌でも目に入った。
石畳の上に人の目に触れぬように覆いをかけられたふくらみがある。その下には血だまりが染み出している。
最初は強烈な血の臭いがした。犠牲者が出たのだ。いや、分かっていたことだ。きっと自分たちがこの街に着くまでの間にも何人もの犠牲者が出ている。だがこれで人狼の好みは分かる。そうすれば人物像を絞ることはできる。必ず人狼を仕留めて仇は取る。そんな決意を新たにしているディムナの気持ちも知らずに衛兵は語った。
「正直、我々にはなにがどうなっているのかさっぱりでして……。グレオール殿は人狼の専門家だと伺っております。これはいったいどうした事態なのでしょうか……」
衛兵は覆いを退けた。布が翻り、隠されていたものが露わになる。ディムナは自分の目を疑った。これはいったいどういう事態なんだ? 聞きたいのはこっちだ。
石畳の上の被害者は確かに人狼によって殺されていた。巨大な爪痕、いくつもの咬傷、見紛うはずもない。素人が見てもこれは巨大な獣に食い殺されたのだと分かるだろう。
殺されているのが、当の人狼でなかったら。
全身を黒い体毛で覆われた獣の瞳からは光が失われ、頬まで届く口からはだらしなくその長く赤い舌が垂れていた。喉笛を噛み千切られ、右腕はあらぬ方向にへし折られて、千切れかけている。胸は切り裂かれ、ぽっかりと大きな穴が開いていた。皮膚を切り裂いた後に手を突っ込んで心臓を引きずり出したのだ。そして踏みつぶしたのか左脇腹、つまりは脾臓は跡形も残っておらず、そこだけが抉れたように削り取られていた。人狼の再生力ゆえか傷口からはいまだにたらたらと血が流れ続けている。石畳の隙間にへばりついた黒い体毛がびっしりと生えた皮膚を人狼自身の血が濡らしていた。
ディムナは思わず顔を背けて、口と鼻を塞いだ。そうでもしなければ戻してしまいそうだった。その横でネドが小さくチッと舌打ちした。神父にあるまじき態度だ。
「よりによって『共喰い』か……」
俺にもこの衛兵にも何が起きているのか分からない。でもこいつには分かっているんだ。多分きっとろくでもない事態なんだろうが、そのことが頼もしかった。
俺はまだ何も知らない。
ディムナは酸っぱい唾液を飲み込んで、死体を目をそらさずに見た。狼を殺すには知識が要る。