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狼たちを殺すには  作者: mozno
幕間

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32/32

銀の如くこれを尋ねば2

 タデウスが訪れたのは聖都の中で最も大きな修道院だった。

 獣害事件の調査を行う狩人であると名乗り、話を聞きたい人物の特徴を告げると、修道院の副長は快く彼を連れてきてくれた。渋るようなら枢機卿の名を出すつもりだったが、その手間は省けた。

 タデウスは副長に感謝の言葉を述べて、席を外してもらう。白い修道服を身に纏った中年男がタデウスの対面に腰掛けた。髪はすべて剃刀で剃り落されていた。修道院に入る前に自ら剃り落したのだろう。一見して人相を分からないようにするために。

 ウェルギリウスは観念した様子で肩の力を抜いた。

「よく分かったな」

「ウェル、あんたのことを調べさせてもらった。そして俺があんたと同じ立場ならどうするかと考えた」

 狩人から疑惑を向けられず、かつ聞き込みなどの調査の対象にならないようにするためにはそもそも特定の場所に閉じこもっていたと証明出来ればいい。そういう意味で大人数で共同生活をおこなう修道院はうってつけだ。彼は身分を隠し、偽名を使い、かつて狩人として稼いだ給金を喜捨することで、新人修道士として聖都内の修道院に潜伏した。

 タデウスは事件現場付近の修道院に、獣害が発生し始めた時期に新しく入院した中年の男性がいないかを問い合わせて回り、こうして今、人狼のねぐらを突き止めたのだ。

「折角来てもらったというのに、ここでは出す酒も無い」

「俺は酒は飲まん。……あんたもだろう?」

 ウェルギリウスは穏やかに首肯した。タデウスは聖職者であるからという理由以上に、急な人狼退治の呼び出しに備えて酒を断っている。目の前の男もそうだったのだろう。

「なぜ来た? いや、愚問だな。俺を殺しに来たのだろう。なぜそうしない?」

「昨日、俺はあんたの質問に答えたが、俺のには答えてもらっていない」

 ――なぜ人狼になった?

 タデウスが昨夜投げかけた問いはまだ宙に浮かんだままだ。

「俺のことを調べたのなら分かるだろう?」

「ああ、人狼退治の最中に右手右足を失った、とは聞いた」

 タデウスの視線が一瞬、その本来であれば無いはずの部位へと移った。それが理由だと言わんばかりに頷いたウェルギリウスに対して、タデウスはだが、と続きを紡ぐ。

「それで手足を取り戻したところで狩人に戻れやしないことをあんたが分からんはずはない。……では教会に尽くしてきた自分を閑職に追いやったことへの恨み?」

 またもウェルギリウスが頷いたのを見て、タデウスの眉間に深い皺が刻まれた。

「ふざけるなよ。そんなことで、そんなはずであるものか。違うだろう、自分が狩人として戦えなくなったことに、いや、狩人として死ねなくなったことに絶望したんだろう。仕事を続けられなくなり、それ以外の生き方を知らないがゆえに余所では上手くやれず、どこにも自分の居場所が無いと悟ったあんたはどうするか? 狩人に戻ろうとしたはずだ。死ぬならせめて狩人として死のうと考えたはずだ。俺ならそう考える」

 取ってつけたような理由ではタデウスを納得させることは出来ないと悟ったのか、ウェルギリウスは椅子の背もたれに体を預けると、宙を見上げ、思い出すようにぽつぽつと語り始めた。

「あんたの言う通りだ。俺は聖都に直談判をしに来たんだ。狩人に戻してくれと」

 右足の棒のような義足を引き摺って歩くウェルギリウスにかつての面影は無かっただろう。足を失い、自由に歩き回ることが出来なくなると、全身の筋肉は容易く落ちる。かつては筋骨隆々だったウェルギリウスは痩せっぽちの浮浪者同然の姿でウアティカまでやってきたはずだ。

「囮でもなんでも良いから使ってくれと俺は司教に言った。……そこである提案を受けた。『人狼を殺す人狼にならないか?』と」

「その司教とはフェリーチェ司教のことか」

「ああ」

 更迭されたという司教の名を出すと、ウェルギリウスは首肯した。

「彼は他の監督下の獣害事件で一本の『狼血』を回収していた。それを使って人体に起きる変化についての資料を得たい、と考えていた。だが、そんなことは例えどんな大罪人相手でも許されることでは無いと断念していた」

 そこにウェルギリウスが現れた。

「俺は彼の資料収集のための実験に協力し、血液や体毛を提供して、人狼になった。司教は俺に人狼を襲わせることで飢えを凌がせつつ、経過を観察しようと考えていたようだ」

「無理だ」

「ああ、無理だった」

 そんなに都合良く人狼が発生してくれたりはしない。仮にウェルギリウスを現場まで連れて行くのだとしてもその間に人の心臓を与えなければ到着する頃には彼の方が先に死んでいる。結果、ウェルギリウスには秘密裏に死刑囚の心臓が与えられることになった。

「狩人の経験も碌に無い者を監督官に据えるからそんな絵空事を言い出す。だがあんたならそんなことは分かっていたはずだ」

「そうだな。分かっていた。だが手足を失い、狩人という立場を失い、知らず知らずのうちに俺は弱っていたのかもしれん。死刑囚の心臓を喰って生き延びろと言われた時も、俺は拒否するつもりだった。四日間食わずに餓死するつもりだった。だが俺が一日生き延びることで人狼対策が一歩前に進むのだと言われて結局はそれを口に運んだ」

「どうやって逃げ出した? 実験というくらいだ。あんたはきっと銀の檻に入れられていたはずだろう」

「地下での研究が露呈したフェリーチェ司教が俺を始末しようとでもしたのだろう、狩人を呼んできた。そいつは俺が教官だったころに一日目で逃げ出した腰抜けだった。俺は気付いたらそいつを殺して喰ってた。自分の体を裂いて血を撒き散らして檻の聖別を消し、それから檻ごとそいつの上半身を真っ二つにしてな」

「……」

「逃げ出した後は服を盗み、預金を下ろして喜捨することでこの修道院に潜伏して、夜な夜な人を襲っていた」

 タデウスは口を開こうとして閉じた。「なぜ三日置きにしか狩りをおこなわなかったのか?」と聞こうとして止めたのだ。ウェルギリウスは人狼特有の飢餓感をその精神力で耐え続けていた。おそらく後一日耐えて自力で餓死することも彼ならば可能だったはずだ。そもそもどこかから銀の装備を盗むなり奪うなりして、自ら聖別を施し、自刃することも出来たはずだ。それをおこなわずに最低限の食事だけを摂り、人を襲ってまで生き永らえた理由。タデウスにはもう答えが分かっていた。

「もう聞くことが無いのなら、……始めようか」

 ぎぃと椅子を軋ませて、ウェルギリウスが立ち上がる。気配が変わる。陽炎のような殺気が立ち上る。それに対してタデウスは腕を組んだまま座り続けている。しばらく考え込むように黙ってから口を開いた。

「ああ。だが、今じゃない」

「なに……?」

「二日後、大聖堂の前で待つ。……俺を喰い殺しに来な」

 ウェルギリウスは噛みつかんばかりに口を開き、何かを言いかけ、そしてそれを途中で止めた。

「……そうか。そうだな。この獣害事件の人狼は三日置きに聖職者を一人襲う、だものな」

「俺は狩人として人狼であるお前を殺す。お前もそのつもりで来い」

 練達の狩人同士が言葉少なにお互いの意図を読み取る。

 タデウスはようやく立ち上がり、別れも告げずにもう一人の狩人に背を向けた。その背中に声が掛けられる。

「名前を、聞いていなかった」

「タデウス。タデウス・アングレーズ」

 閉じた扉の向こうで、「覚えておこう」と男が言った。


 ◆◆◆


 二日後――。

 閉ざされた大聖堂の巨大な扉に背を預け、狩人は暗闇の中で目を瞑って待っていた。

 嗅ぎ慣れた獣の臭いに気付き、目を開く。闇の中、空から降ってきた大きな黒い影がのそりと立ち上がった。

 影の鼻先は長く伸び、その先端にはひび割れ、濡れた犬の鼻が付いている。開いた口の隙間からぼたぼたと音を立てて唾液が落ち、聖都の地を汚す。明かりも無いのに爛と輝く目は浮き出た血管がはっきりと分かるほど血走っていた。

 人狼は飢えていた。

 狩人は太腿の銀刃へと静かに指を伸ばし、ゆっくりと獲物との距離を詰める。

 人狼は今にも跳びかかりたい衝動を抑え、ゆっくりと獲物との距離を詰める。

 銀刃の一閃と、地を割る跳躍が同時だった。

 人狼が投擲された銀ナイフを避け、そのまま地面を叩き、狩人との距離を一気に詰める。すでに投擲されていた二本のナイフを人狼は後ろ脚で地を蹴ることで片腕のみで体を支え、回避する。その曲芸の瞬間を見逃さず、タデウスは両手で二本ずつ、計四本のナイフを放った。体を支える右腕に対して二本、急所である心臓と脾臓に一本ずつ放たれた銀刃は、しかし、狙った場所を穿つことは無かった。人狼は右腕の動きだけで更に跳躍し、空中で体を丸めた。急所を狙った二本が人狼の背に刺さるが、背骨に阻まれ、その命を穿ち損ねる。

 両手足を地面につけ、四足となった人狼の背中はそこだけが人に戻り、真白い禿げ上がった肌に背骨の輪郭がくっきりと浮かび上がっていた。流れる血がぽたりと音を立てて、それが一瞬の静寂を破った。

 人狼が牙を剥き出しに狩人へと迫る。すでに散々見た狩人の右手の動きを読んで、人狼は体を捻って回避行動を取った。着地後即座に地を蹴れば、文字通り必殺の爪が獲物の首を裂いたろう。

 しかし、タデウスの手から抜かれた銀刃は放たれなかった。通常人差し指と中指の繊細な運びと手首の捻りだけで鞘から抜き放つと同時に投擲するところを、動きはそのまま、敢えて指の中で回転させ、親指と人差し指に持ち替えることで人狼の回避行動を誘ったのだ。獲物目掛けて地を蹴ろうと踏み込んだ人狼の右足に遅れて銀刃が突き刺さる。

 がくり、と人狼の体がバランスを崩した。人狼が即座に右腕を振るい、自身の右膝から先を切り離す。そうして振るわれ、頭上で一瞬止まった右腕の前腕部と肩に銀のナイフが刺さった。

「ガァ……ッ!」

 完全に体制を崩した人狼が転がるように逃げていく。

 肩口に聖別銀の一撃を食らわせた。それを切り離すには上半身の半分をがねばならない。ただでさえ右足の回復の追いつかない状態でその選択肢を取るとは考えづらい。タデウスが追撃のために距離を詰めると、人狼は片足のみで後ろに跳んだ。投擲されたナイフを避けられる距離を保ち続ける腹積もりなのだろう。タデウスは回り込むように人狼の逃走経路を限定していく。いつしか二人の立ち位置はすっかり入れ替わり、人狼が大聖堂の扉を背にしていた。

 人狼は息も絶え絶えに自身へと迫る狩人の姿を見ていた。人に戻った右腕を獣の左手で庇うようにしながら、かつて自分が追い詰めた人狼たちには俺がこう見えていたのかと、己の現状を笑った。その笑みを警戒したのか一瞬狩人の歩みが止まる。

 ――ああ、これはお前には分かるまいな。

 練達の古狩人同士、二人の間には多くの共通認識があったが、一点だけ異なる部分があるとすればタデウスは人狼になることを選択していないという点である。その違いがタデウスに深読みをさせ、一瞬の迷いを産んだ。

 次の瞬間、人狼は左爪で、自身の右肩から脇腹までを削り取った。奔流のごとく鮮血が地を打つ音と人狼の苦悶の叫びが響く。

 ――莫迦な。

 人狼の想定外の行動にタデウスの思考がほんの刹那止まる。その隙を突いて人狼は大聖堂の扉をぶち破り、その中へと侵入した。慌てて後を追った狩人の五感に違和感がよぎる。その正体、異臭に気付いた時にはもう遅い。タデウスの後ろで火の手が上がった。

 先程まで扉だった木片がぱちぱちと音を立てて燃え上がる。明かりに照らされ、聖堂内の二つの影が色を取り戻す。それでもなお未だ闇の中に居るかのような黒い影、人狼は左手の火打金をぽいと投げ捨てた。手の平に埋め込み、隠し持っていたのだろう。

「……自分の血に油を混ぜたのか」

 そして火打金同様にあらかじめ自分の体内に燃料を入れた油瓶を埋め込んでおき、聖別の一撃を受けた部位を切り離すと同時にそれを破壊し、聖堂入り口に中身をばら撒いた。その後、油の混じった自らの血を導火線にし、着火したのだ。

 人狼はぐちゅりと己の引き裂かれた右側の傷口に左手を突っ込むと、その中から割れた瓶を取り出し捨てた。右足は再生半ばのピンク色の筋を空気に晒していた。

 床を舐める火が椅子へ、壁へと広がっていく。最早どこにも逃げ場はない。火と煙を避けるために背中を晒せば次の瞬間体を真っ二つにされるだろう。彼は今までもこうして人狼を狩ってきたのだ。家屋に誘い込んで火をつけて。はた迷惑な狩人がいたものだ、とタデウスの口の端に笑みが浮かぶ。

「『良く焼き(オーヴァー・ウェル)』の名の通りという訳だ。良いね、羨ましいぜ。俺もそういうイカした二つ名が欲しかったんだが、見つけた人狼は一匹残らず殺してきたせいで噂が広まらなくてな」

 タデウスの軽口には乗らず、人狼は血が噴き出すのも構わずに右足を使って前方へと踏み込んだ。狩人の指がナイフへと伸ばされたのと同時に、今度は左足を踏み込んで壁へと跳ぶ。人狼が先程までいた空間を銀刃が裂いた。壁を縦横無尽に飛び回りながら、人狼はちらと狩人の腿に巻き付けられた鞘に視線を送る。片方の足に七本ずつ格納できる鞘付きのベルトが巻き付けられている。ここまでの戦闘で十一本使わせた。残り三本、狩人もそれが分かっているのだろう。飛び回る人狼に無闇に投擲してこない。

 狩人目掛けて壁を蹴り、投擲を誘う。それをすでに使い物にならない右肩の傷口で敢えて受け、狩人が追撃の二本を放った瞬間、人狼は燃え上がる聖書朗読台を蹴り上げた。ばらばらと音を立て崩れるオーク材の板に銀のナイフが突き刺さり、弾けるように後ろに飛んだ。

 火の粉を撒き散らす木片をかき分けるように人狼が狩人へと跳びかかる。すでに銀のナイフは底をついた。人狼の凶爪が獲物を肩口から斜めに裂かんと渾身の膂力を込めて振るわれる。だらりと狩人の腕が諦めたように下へと垂らされた。

 ――取った。

 勝利の確信、その喜びと共に胸の中に一抹の失望が浮かんだのも束の間、それらをすべて激痛が塗りつぶした。

 口から漏れ出る悲鳴を抑えることが出来ないまま、痛みの源を確認する。左手首を使い切らせたはずの銀のナイフが貫通し、人へと戻った傷口から流れる血が人狼の左肘までをべったりと血で汚していた。

 狩人は両の袖口に隠しておいた聖別銀の刃の内、残り一本を絶叫する人狼の左胸へと放った。火光を照り返しながら飛んだ刃はあやまたず人狼の急所を貫いた。ギッと人狼の口から苦悶の声が漏れ、よろよろと後ずさると、聖堂の柱に身を寄りかからせ、血のあぶくを吹いた。

「……やるな。……刃の残数をこちらに見せていたのは誘いか」

「ああ、戦い慣れした目端の利く相手ほど引っかかる」

 ふ、ふふ、と笑う人狼の体がずるずると柱を血で汚しながら、崩れ落ちる。

「これでお前の望みは叶ったか?」

 ウェルギリウスがなぜ逃げ出した後も、人狼の力に酔ったわけでもないのに生き長らえ続けたのか? タデウスにはその答えが分かっていた。「人狼を殺す人狼」、云わば「共喰い」になれると彼は本気で信じていた訳ではない。だが教会はそうではなかった。そして狩人の仕事を知らず、信じず、絵空事を推し進めるその姿勢に疑問を覚えたのだ。もし本当に「人狼を殺す人狼」が実現出来るなら、俺たち狩人は教会にとって、人々にとって無用の存在なのか? と。

 ウェルギリウスにとって狩人とは己そのものだった。手足を失い、戦うことの出来なくなった自分の有用性が疑われるのは良い。だが教会が彼に見せた姿勢は狩人の有用性そのものを疑っているように見えた。

 だから彼は教会本部の目と鼻の先で聖職者を殺し続けたのだ。自分という強大な人狼を殺し、狩人の有用性とその存在意義を証明する人物が現れるまで。

「……どう、かな。結局理由を付けて狩りを愉しんでいただけかもしれん。死ぬのを恐れただけかもしれん。……俺はとっくに狩人ではなく、人狼だったのかも、もう分からん」

「お前は最後の最後、追い詰められた瞬間に使い慣れた火を使った。人狼になってなお、お前が信を置いたのは狩人としての技術と経験だった。それが答えだろう」

 穏やかに笑うウェルギリウスとは対照的に、彼を見下ろすタデウスは苦虫を噛み潰したかのような渋面を浮かべている。

「こんな風ではなく、別の形で出会いたかった」

「それは無理さ。……お前は俺の『トーデス』だ」

 がくりと人狼の肩が落ちる。聖堂を包む火が彼の血を舐め、その内に未だ残った油に引火し、勢いを増す。

 タデウスは胸元から十字架を取り出し、友に成れたであろう男のために祈ると、燃え盛る聖堂を後にした。聖堂が煙を上げ、聖都の夜を煌々と照らす。やがて残された人狼の亡骸も炎に包まれた。


 ◆◆◆


 扉の開く音を聞いて、タデウスは立ち上がり、礼の姿勢を取った。

 扉の奥から深紅の司祭平服に身を包んだ灰色髪の男、リーベリウス枢機卿が現れ、快活な口振りで声を掛ける。

「遅れて申し訳ない。会議が長引いてね。ああ、楽にしてくれ」

 許可を受けて、タデウスは姿勢を楽にした。リーベリウスが相好を崩す。

「パスティエッラ司教から報告は受けている。人狼を退治してくれたそうだね。大聖堂は焼失したが、まあ、これ以降犠牲が出ないと思えば安いものだ。良くやってくれた」

「……それが仕事ですので」

 そうだったな、とリーベリウスは満足げだ。

「君は約束通り人狼を片付けた。私も約束通り君を司教に推薦しよう」

「猊下。申し訳ありませんが、そのお話し、無かったことにしていただきたい」

 ほう? と深紅の枢機卿が首をかしげる。

「司教職となれば確かに『狼の司祭』について多くの情報に触れられるようになるでしょうが、それは狩人の監督役も兼ねるからこそです。今回のように厄介な、……元狩人の人狼が発生した時、自由に動くためにも私は司祭のままでいようと思います」

「そう案じずとも今回のようなことは滅多にあるまい」

「そうでしょうか? フェリーチェ司教のような狩人としての知見の無い者が監督役に付く限り、これからも起こり得ると私は考えます」

 枢機卿の顔から笑みが消え、真顔へと戻った。

 人狼退治後、パスティエッラ司教の調査により、すでにフェリーチェ司教を監督役に任命したのが今、目の前にいるリーベリウス枢機卿だということは調べがついていた。そして聖都での人狼発生という不祥事を起こしたフェリーチェをいち早く解任し、更迭したのも彼だった。タデウスの目にはその動きが自身に累が及ぶ前に尾を切り離したように映った。

「そうだな。彼は不適格だった。だが、君たち狩人から見れば現場を知らぬ能無しに見えたろうが、それでも彼の人狼を憎む気持ちは本物だった。老いてから出来た一人息子を人狼に殺されているのだ」

 だからこそ前のめりに狩人を人狼のいる現場へと送り続け、調査から漏れた一匹の人狼によってウェルギリウスは右手足を失う怪我を負うことになった。

 フェリーチェを庇う自身の言動に、タデウスが何の反応も返さないことを見て取ると、リーベリウス枢機卿は容易く手の平を返した。

「分かった。もう二度と狩人としての経験が無い者を監督役に据えはしない。ここで我が主に誓おう」

「……今回の『人狼を殺す人狼』の計画、猊下はどれだけのことをご存じだったのでしょうか」

「あれは彼の独断だよ。私はフェリーチェが妙な動きをしているという報告を受け、調査させたに過ぎん」

 ある程度は本当だろう。フェリーチェは計画が露呈しかけた際、ウェルギリウスを処分しようとしている。だが、本当に枢機卿は彼の動きを把握していなかったのか? 計画の信憑性は疑っていたとしても、「狼血」によって人間を人狼へと変えた際の調査内容は手に入れたいと思っていたのではないか? 事実、研究結果資料は枢機卿の手の者によって回収されている。黙認して、泳がせたのではないか。手足を失った狩人も人狼を憎む司教も、彼にとっては使い捨ての駒だったのではないか、というのがタデウスの見解だ。

「もう二度とあのように不適格な者が監督役の立場につくことが無いように、君のような者にこそ務めて欲しいのだが……?」

「お言葉ですが、今猊下のお声で新しく監督役が任命されれば、すべての狩人がその者をフェリーチェ司教と同様の目で見るでしょう」

 部屋を沈黙が支配した。タデウスの余りに不遜な物言いに枢機卿の後ろに控える修道士がごくりと唾を飲んだ。その額には冷汗が浮いている。

 リーベリウスは頬杖をついてわずかに思案し、やがてゆっくりと口を開いた。

「……私は如何なる手段を使ってでも、この世界から人狼を消し去りたい」

「はい。我々狩人一同も、同じ思いです」

 リーベリウスは静かに、一抹の寂しさを込めて、「我々、か」と笑った。その言葉の中に自分が含まれていないことを悟った。

「ですから、そのために微力をお貸しします。お力をお借りします」

 だがそれだけだ。共通の敵を前にした利害関係。それは相棒や戦友と呼ばれるものではない。

 狩人としての何かを共有出来るとも思わない。そういう意味で言えばタデウスにとっては目の前の男よりも、過去に討ち取ってきた人狼たちの方が余程己と近い位置にいる。

「ああ、うん。それなら良い」

 呆気なく告げたリーベリウスの口振りはむしろ「その方が楽で良い」とでも言いたげだった。

「これからもお互い協力していこうじゃないか。人狼のいない世界のために」

 そう告げるとリーベリウスは立ち上がり、部屋を出て行った。タデウスが礼をするその背中の後をお付きの修道士が早足で付いていった。


 タデウスは報告書を書くためにパスティエッラ司教の元に数日留まった後、仕事を終えると上司に別れを告げて帰路についた。

 舟に乗り、河を遡りながら、遠ざかる聖都の威容を眺める。来た時よりも一つ高い建物が減っている。

 河の流れに揺られていると泡沫のごとくタデウスの脳裏に考えが浮かんでは消えていく。

 枢機卿はフェリーチェ司教が人狼を憎んでいると言った。それはおそらく事実だろう。そうでなければ人狼に人狼を喰わせて数を減らすなどという計画を思いつくはずがない。

 彼らは人狼を憎んでいる。それだけだ。そして憎しみだけで動くから、「人狼を殺す人狼」のような破綻の見えている手段に飛びつく。だから間違える。

 人狼を憎み、ただ殺すだけでは何も変わらない。

 ただ苛烈な狩人であるだけではダメなのだ。人狼に相対しても生き残れる優れた狩人であると同時に人狼を赦す者でなくては。人狼への憎しみと同時に憐れみを持つ人物、狩人でありながら神父であろうとする者にしかこの世界は変えられない。

 この世界から人狼を撲滅するには、本当の意味で狼たちを殺すには、それが憎しみであってはならないのだ。

 俺はそれが出来ているか? とタデウスは己に問う。

 狩人であることに執着し、あるいは満足していないか? このまま何も変えようとしなければ俺はきっとあの人狼と同じように死ぬだろう。


 タデウスは旅路の間ずっと渋面のまま、舟を降り、乗合馬車を使い、やがて拠点としている借家へとたどり着いた。

 郵便受けに入っていたいくつかの手紙の内、重要そうな物だけを選り分けて残りを屑籠に入れようとして、くしゃくしゃに丸められた先客に気が付いた。なんだったかなこれはと中身を広げてみて、師匠からの手紙だと思い出す。再びそれを屑籠に放り投げようとしたタデウスの手が止まる。

 持っていたゴミを捨て、椅子に座り、文机に向かうとタデウスは便箋の皺を伸ばす。真新しい便箋、それからペンとインクを取り出して、彼は手紙の返事を書き始めた。


 ◆◆◆


 黒い司祭平服を纏った小柄な総白髪の老人、アングレーズ神父が長い廊下を歩く。

 先日、人狼退治完了の知らせが息子から届いた。教会とある軍閥貴族の協力を経て新設された対人狼騎士団「銀の手(シルバーハンド)」の初陣だったのだが、誰も欠けることなく生還したらしい。といっても報告のあった二件の内、人狼が実際に発生していたのは一件のみで、もう片方は誤報だったのだが。

 二手に分かれた彼らは合流したのち、ここフロージエンのグレオール領に帰還予定とのことだ。

 色々と支援を受けている軍閥貴族の侯爵に、身柄を借り受けている令息の無事を知らせるため、アングレーズ神父はグレオール候の屋敷を訪れていた。

 書斎の扉をノックすると中から返事があったので足を踏み入れる。執務中のクルフ・マック・グレオール卿が書類から視線を上げ、かけていた老眼鏡を外した。老神父からの報告を聞いても彼は顔色一つ変えなかった。そしてぽつりと呟いた。

「あれは役に立っていますか?」

 あれ、とは色々なことが重なって「人狼退治の専門家」などという肩書を押し付けられた彼の息子のことを指しているのは明白だった。最近ではあながちその肩書も間違いでは無くなりつつあります、と老神父は告げる。

「解せませんな。あれはかつて戦場から逃げました。だというのになぜもっと恐ろしい怪物からは逃げないのか」

「それはディムナ殿自身に聞いてみなくては」

 ネドであれば最初の遭遇で逃げられない以上立ち向かうしかないと悟ったからと答えたかもしれない。

 アングレーズ神父としても幾つか思いつく答えはあった。人を殺すことそのものを恐れたから、あるいは男爵領で見せたような扇動の才能の発揮を無意識のうちに恐れたから。だが彼はそのいずれも答えはせず暗にもっと会話の機会を設けてはどうかと促した。その意図が通じぬほどグレオール卿は暗くない。

「彼と話してみては如何ですか。正しく託すためにも」

「司祭様はすでに託されたのですか」

 老司祭タデウス・アングレーズは穏やかに微笑むとええ、と頷いた。

「私はかつて自分がこの世界から人狼を一匹残らず葬り去るのだと意気込んでいました。ですが、そのような功を急いだ意気込みは焦りを産み、焦りは正しくない手段を選択させるのだとある事件で知りました。それから師の元で改めて学び直してようやく分かったのです。私がこの世界から人狼を消すことが出来なくとも、私の後を継ぐ者が知恵と工夫でもって一つ悲劇を消すでしょう。そしてその彼の後を継ぐ者がもう一つを消す。楽園はそれを積み重ねた先にしか無いのだと。そこは人が努力して作り、必死の想いで維持すべき場所であって、主が与えてくれるのを待つような場所では無いのです。天は自ら助くるものを助くのですから」

「……覚えておきましょう」

 アングレーズ神父は途中から忠言になってしまった報告を終えると書斎を出た。

 今回の人狼退治でネドは初めて正式に部下を持った。何を感じたか聞いてみたい。戸惑いだろうか、それとも発奮か。あるいは現地の協力者にそうするようにすでに指示には慣れていて何も感じなかっただろうか。それは油断だ、もしそうなら説教をしなくてはならない。

 でも、きっと大丈夫でしょう、と老司祭は独り言ちた。だって自分が抱くことにさえ十七年も掛かった問いを、彼はもう胸の内に持っているのだから。

 老司祭はまだもうしばらくはかかると分かっていながらも、帰ってくる息子を迎える準備をするために、来た屋敷の廊下を戻っていった。





<あとがき>

幕間完です。お読みいただきありがとうございました。

第三章(たぶん教会編。未定)はこれから考える予定です。

また一通り書いたら投稿するつもりですので、よろしければお付き合いください。

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