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狼たちを殺すには  作者: mozno
幕間

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31/32

銀の如くこれを尋ねば1

 人狼の叫びが夜の静寂を引き裂いた。

 狩りの成功を寿ぐ雄たけびではない。それは苦痛に満ちた絶叫だった。

 夜に紛れるような闇色の司祭平服カソックを着た男が腕を振るうと、再び人狼の絶叫が夜空に響く。人狼の肉体はその四肢をまるで鋲で打ったかのようにいくつもの銀のナイフで壁に縫い付けられていた。聖別銀の刃が刺さった箇所の周辺だけが黒い体毛を失い人の肌へと戻っている。その歪な斑模様の構成は今や人皮の方が多いようにさえ見えた。

 人狼の両頬をナイフが貫き通し、その武器である牙を奪っている。人狼の両手足はナイフによって壁に磔にされ、その武器である爪を奪われている。最早人狼には目の前の狩人に抵抗する術は残ってはいなかった。獣の瞳から涙が零れる。

「もう、知ってることは、全部、話したじゃねえかよぉ……」

 舌をナイフで傷つけながら、人狼が嘆く。彼は自分が如何にして「狼の司祭」の手先と知り合い、人狼となったのか、そしてどうやって人を殺したのかを全て語り終えていた。欲望のままに力を振るっていた時の自信は消え失せて、彼はただ懇願する。

「だから、もう、殺して……」

 磔にさえされていなければ跪いていただろう。だが、司祭服姿の男は首を横に振った。

「お前は同じことを言った相手を殺さずに嬲っただろう」

 狩人は太腿に巻き付けた無数の鞘から新しく一本、銀のナイフを抜き放ちざまに人狼へと投擲する。ナイフは右足へと突き刺さった。人狼の絶叫が響く。

「それに人狼ってのは嘘つきばかりだ。お前の語った内容もどうせ嘘だろう。だから俺はお前が真実を言うまで、お前をいたぶる。勿論どれだけの説得力があったとしてもお前の言うことは何一つ信じないが」

「殺して……。殺してくれ……」

「お前のその薄汚い血が一滴残らず流れ落ちるまで付き合ってやる。早々にお前を片付けたところでまたぞろ新しい厄介事が降ってくるだけだ。精々耐えて俺の休憩時間を稼いでくれ」

 その時、人狼の口から大量の血が零れ落ちた。舌を噛んだのだ。しかし怪物の再生力はその傷を即座に癒し、彼を絶命させることは無い。再び生えてきた舌がまたも銀のナイフに触れ、傷つき、血を流す。溜まった血を口の端から垂れ流しながら、人狼は譫言のように同じ台詞を呟いた。

「殺して……、殺して……」

 これはもう駄目だな、と壮年の狩人は判断した。そもそも彼は末端の人狼に過ぎなかった。これ以上肉体と精神の両面をいたぶったところで新しい情報を引き出すことは出来ないだろう。はあ、と大きく溜め息を吐くと、わずかな右手の動きだけでナイフを二本引き抜くと同時に投擲した。一本は心臓、もう一本は脾臓を貫いた。人狼は虚ろな目のまま体を震わせると呼吸を止めた。

 チッと狩人が舌打ちする。

「礼ぐらい言えねえのか」

 狩人の黒髪の中に斑に混じる幾条もの白髪が月明かりを照り返して銀に輝いた。その輝きの色は彼が使う武器きばの色によく似ていた。


 ◆◆◆


「司祭様、郵便ですぅ」

 配達員のノックと呼びかけに叩き起こされた男は不機嫌そうな顔で、ぼさぼさの鳥の巣頭を掻きながら、借家の扉を開けた。この家を拠点としてからすっかり顔馴染みになった配達員が帽子を取って挨拶してくる。

「司祭ってのは鶏が鳴くのより早くに起きるって聞いたんですが、違うみたいですね」

「うるせえんだよ、阿呆が。皮肉なんぞ覚えている暇があったら仕事しろ。ほら、受け取ったぞ。次行け、次」

 およそ聖職者とは思えない悪態と共に受領印を捺し、配達員へと印紙を突き返す。へらへら笑っていた配達員が去り際ちゃんと十字だけは切っていったので仕方なしに司祭姿の男も彼のために祈ってやる。

 自分宛てに送られてきた手紙は二通あった。裏返して送り主を確認すると、一通は老齢のため引退した彼の師からの物だった。なんだ珍しい、ついにくたばったか? と思いながら太腿のベルトからナイフを抜いて封を切る。なお聖別された道具をこのように普段使いすることは聖律によって御法度とされている。


『タデウスへ

 元気にしていますか? ブランシアではまだ雪が残っており、年寄りにこの寒さは堪えます。

 君の活躍はすでに退いた私の耳にもたびたび届いてきます。大きな怪我を負ったとも聞きませんし、君のことだから上手くやっているのでしょう。ですが君ももう若くはない。くれぐれも油断せぬように。

 すでに耳にしていると思いますが、ブランシアで王家に対するクーデターが起こりました。内乱の危険があるとのことで私は住居を移すことにしました。それに伴い、私はこのたび教会から孤児院の運営を任されることとなりました。フロージエンにある街外れの教会での運営を予定しています。

 今回私が筆を執ったのは、住所が変わることへの連絡もありますが、君にもそろそろ狩人業務を減らし、教会の運営に携わってはどうかという提案をするためです。

 予定地には狩人が配属されていません。君が共に来てくれるならば心強い。それに君が後継者を探すのにもきっと役に立つことで――』


 そこまで読み進めた時点で、司祭姿の男タデウスは師匠からの手紙を握りつぶした。

 何を腑抜けたことを言っているんだあの爺さんは。人狼は数こそ少ないもののまだ確かに存在しており、そして肝心の「狼の司祭」の足取りは一年ほど前からぱったりと途絶え、以降まったく掴めていない。今、狩人を辞める選択肢など俺にも教会側にも無いはずだ。人狼の根絶という悲願を諦めたのか?

 ぎりっと力を込めて噛みしめた歯が鳴る。

 挙句の果てに後継者だと? また俺のような孤児を拾って狩人へと仕立て上げるつもりなのか。それでは何も変わらない。何も終わらない。俺が終わらせてやる。必ずや「狼の司祭」を見つけ出し、俺がこの手で奴を殺す。そうすればもう二度と「獣害」事件は発生しない。

 かつての誓いが今も己の中で燃えていることを確認すると、タデウスは握りつぶした手紙を屑籠へと放り投げた。ゴミになった手紙はからからと乾いた音を立てて屑籠の縁を沿うように一回転半して動きを止めた。

 不満げに鼻を鳴らしながらタデウスはもう一通の手紙の封を切った。飾りの入った高価な紙に正式な教会の印が捺されていた。内容を確認すると、ある厄介な人狼の発生を告げる仕事の依頼だった。場所はマーナ=ベル教会総本山の都市国家ウアティカ。すでに修道士を含めた聖職者が十人以上犠牲になっており、派遣した狩人三名が返り討ちに遭っている。

 不謹慎だと自覚しつつもタデウスの右口角が持ち上がる。

 そうだ、こういうのを待っていた。狩人おれに相応しいのはこういう報せだ。

 タデウスは文机から便箋、ペン、インクを取り出し、依頼を受領する旨の返事を書き始めた。

 これを速達便で送ったらすぐにでも準備を整え、ここを発つ。そう逸る気持ちを抑えつつ、タデウスは筆を走らせた。


 ◆◆◆


 アイストリア半島はフロージエンよりも南方に位置し、温暖な気候を特徴としている。

 半島北部には峨峨たる稜線を備えた連峰が、まるで侵入者を拒むかのようにそびえ立っている。

 この海と山とに閉じ込められた土地の中で、かつて無数の都市国家が勃興した。古代の王たちはこの半島の覇権を競い、幾度もの戦争と、都市国家の合併と反乱と分離とを繰り返した。その都市国家たちが拡大、あるいは割譲され、現在の国家群、フロージエン王国やランドール王国、あるいはブランシア王国などが形成されたと伝えられている。

 それら国家がはっきりと線引きされ、形作られた現代においてなお、いまだ都市国家としての独立を保っているのが、教皇領ウアティカ、またの名を聖都ウアティカである。

 河を南下し、船頭に渡し賃を支払ってから桟橋を下りると、すでに教会本部から手配されていた馬車へと乗り込む。聖堂に近づくほどに馬車の揺れは小さくなっていき、目的地である大聖堂前の通りに辿り着いた時、タデウスはしばらく馬車が停まったのだということに気付かなかった。完全に舗装、整備された道を進み、手紙の送り主であり、タデウスの現在の直属の上司にあたる元狩人のパスティエッラ司教の待つ司祭館へと足を踏み入れた。

「ああ、タデウス。良く来てくれた」

 司教を意味する紫色の司祭平服を着たパスティエッラが、タデウスを抱擁し、その背中を優しく叩く。多くの狩人を監督する仕事柄気苦労が多いのか、皺の数が増えたような気がする。司教はその皺だらけの顔を更にくしゃくしゃにした笑顔を浮かべている。

「聖都で人狼が発生したとのことでしたが」

「そうだ。君に手紙を送ってから更に四人の犠牲者が出た」

「司教様のことですからすでに調査は進めておられるのでしょう? 容疑者のリストを頂きたい」

「その前に、君に会わせたい、というよりも、君に会いたいという方がいらっしゃってね」

 司教の歯切れの悪さをタデウスは訝しむ。

「それは人狼退治よりも優先されることですか?」

「――無論、人狼退治が最優先だ」

 その時、司祭館の扉が開け放たれ、カッカッと小気味よく靴を鳴らしながら入ってきた人影がタデウスの問いに答えた。赤い、鮮血のような色をした司祭平服は彼が枢機卿であることを意味している。タデウスとパスティエッラは反射的に礼の姿勢を取った。

 赤い司祭平服を身に纏った背の高い灰色の髪の男が、手で示し、二人に礼を止めさせ、休ませる。彼の後ろでお付きの修道士が押さえていた扉を音もなく閉めた。

 灰色髪の男はタデウスの右手を取り、力強く握りしめた後、抱擁した。その余りの勢いにタデウスの肺から呼吸が漏れる。たっぷり三秒はタデウスを抱きしめてから、その男は体を放し、タデウスの両の瞳をしっかりと見つめ、名乗った。

「リーベリウスだ。ブラザー・タデウス、君に会いたかった」

 面食らって目をぱちぱちさせているタデウスの横で慌てた様子のパスティエッラが口を開く。

「猊下、なぜこちらに。後ほど我らよりお伺いしましたのに」

「愚問だな、パスティエッラ。彼のような優れた狩人の時間を無為に奪うような真似を私はしない。彼が到着したと報せがあった故、こちらから出向いたまでのこと。ああ、驚かせてすまなかったね」

 赤い司祭平服に灰色髪の男、リーベリウス枢機卿はふふふと笑った。

「だが逆効果だったようだ。きっと君なら私への顔見せなぞは後回しにして、人狼を殺してから報告すればいいと考えたろうね」

「……そう、ですね」

「タデウス!」

 自分の考えていた通りのことを指摘され、思わず不遜な肯定をしてしまったタデウスを司教が叱りつけるが、良い良いとリーベリウスは朗色を浮かべた。

「こうしていることで、君の仕事の邪魔をしていると分かっているのだが、どうしても一つだけ聞いておきたい。君はなぜ人狼を殺す? 最終的に人狼をどうしたい?」

 言わずと知れたことを、とでも言わんばかりにタデウスが返す。

「私の目的はこの世界から人狼を一匹残らず排除すること、人狼を根絶すること、それだけです」

 その答えにリーベリウスは一瞬、目を見開き、その後すぐに細目に戻った。しかし唇の端はまるで喜びに耐えられないとでもいうかのように今にも持ち上がらんばかりにふるふると震えている。

「素晴らしい。この件は君に任せよう。必要な物があれば揃えさせる。いつでも言い給え。調査の際には好きなように私の名を出してくれて構わない」

 何がそんなに彼の琴線に触れたのかは理解出来なかったが、枢機卿の名前を出せるのであれば触れられない情報はほとんど無いだろう、捜査が捗る。タデウスにとってはそれが最も重要なことだった。

「ありがとうございます、猊下。必ずや人狼は殺します。ここにいる人狼も、そうでない人狼も、すべて」

「かの『司祭』も、かね?」

「はい。必ずや俺の手で」

 思わず普段の一人称が出てしまったことを咎めることもなく、リーベリウスは刎頸の友を得たとばかりの満足げな笑みを浮かべた。

「この件を見事片付けたなら、君を司教に推薦すると約束しよう。立場があれば大勢の者を動かせる。君の、いや、君と私の目的には多くの目と手が要るからね」

 邪魔をしたね、と言うとリーベリウスは深紅の司祭平服を翻した。お付きの修道士が押さえた扉を通って、来た時と同じように靴を鳴らしながら颯爽と歩き去って行った。

 安堵の深い溜め息を漏らすパスティエッラ司教の横で、タデウスは己の全身に活力が満ちるのを感じていた。

 そうだ、仮に直接人狼を狩る狩人の仕事を減らすのだとしても、田舎町で浮浪者同然の元罪人たちの見張りをしながら孤児院を運営するより、司教の立場で狩人たちを監督する方がずっと良い。現場から遠のくことなく、「狼の司祭」を追い続けることが出来る。そして司教としての仕事を重ねたら、もしかしてあの枢機卿は後継者として俺を選ぶなんてこともあり得るんじゃないか?

 タデウスは自身の顔がほころぶのを感じ、思わず右手で口元を押さえた。

 今、己の心の中に浮かんだものは、邪悪な権力欲ではなかったかと己に問う。そんな光に目が眩めば、闇に紛れた人狼の姿を見ることは出来なくなる。後のことは考えなくていい。今はただこの街に潜む人狼を殺す、それだけ考えろ、と切り替えることでタデウスは己を律した。


 ◆◆◆


 今回、聖都ウアティカに発生した人狼は聖職者を好みとする人狼だ、ということをタデウスは犠牲者のリストから改めて読み取った。マーナ=ベル教の総本山であり、大聖堂を備えるウアティカには確かに大勢の聖職者たちが暮らしているが、数で言えば遥かに世俗の者の方が多い。観光やそれに伴う交通、宿泊業に従事している者たちはマーナ=ベル教を信仰こそしているものの必ずしも遁世したわけではない。

 だが、犠牲者のリストには修道士、侍祭、司祭であった者の名前がずらりと並べられ、そこには一件の例外もなかった。人狼は間違いなく聖職者を狙っている。

 更に特徴的な点、否、不審な点とも言えるのは、被害者の遺体が三日置きに発見されているという点である。遺体はいずれも事件現場に心臓を捕食されたまま放置され、多くは翌朝通行人によって発見されている。一日目と二日目の死体は隠し、三日目の死体だけ晒しておくとは考えられない。食事のたびに二日我慢し、空腹に耐えきれずに人を襲っている、と考えていいだろう。だがわざわざ毎回餓死寸前まで捕食を我慢している理由は不明だ。

 行動周期と犠牲者の数から考えて数は一匹。過去の死体発見現場から考えて修道士たちが寝起きする司祭館周辺をねぐらにしていることは間違いないだろうと予測した。

 タデウスは綺麗に整備された街並みのガス灯の明かりから身を隠すように、路地の壁に背を預けて目を瞑り、その時を待っていた。夜風に混じる嗅ぎ慣れた微かな獣臭を感じ取り、狩人の目が開く。

 そして夜の闇を引き裂くような遠吠えが、狩りの時間の訪れを告げた。

 タデウスは遠吠えの主に対して風下を位置取るように意識しつつ、その跳躍する黒い影を追う。駆けるタデウスの耳に破砕音と男の絶叫が届いた。人狼に気付いて隠れた修道士を壁ごと破壊して襲撃したのだろう。流れてくる風に生臭い血臭が混じった。

 建物の影から飛び出したタデウスが人狼の姿をその目に収めた時、人狼は既に修道士の左胸に鼻面を突っ込んで心臓を喰らい、その血を啜っていた。

 タデウスが放った一本の銀ナイフが、地面と人狼の左手の甲を縫い付けた。

 人狼がタデウスに視線を向けた時には、すでに彼は追撃のナイフを人狼の両脚目掛けて放っていた。聖別銀で足を人の物に戻してしまえば跳躍して逃げることは困難になる。逃走手段を奪ってから確実に殺す、そのつもりだった。

 人狼は縫い付けられた左手首を右爪で切り離すと、伸びるような動きで跳び上がり、投擲されたナイフを回避した。

 ――判断が早い。

 狩人と人狼が闇の中で相対する。人狼が先程避けて地面に突き刺さったままのナイフに己の血を振りかけた。銀のナイフから聖別された証である青白い燐光が失われた。

 人狼の左手首が再生する。聖別銀によって人へと戻した範囲を即座に切り離したために再生能力を保ったままなのだ。切り離された左手首は今も視線の端で転がっている。

 ――否、早過ぎる。

 聖別銀の一撃を受けた瞬間、迷うことなく左手首を切り離した。聖別が人狼の肉体に与える効果とおおよその範囲を把握している。それだけならすでに三人の狩人を返り討ちにしていることから知っていてもおかしくはない。しかしこの人狼は回避した聖別銀のナイフをわざわざ自分の血で汚した。そうすることで聖別の効果を殺せると知っているのだ。

「お前、元狩人だろう?」

 人狼の行動から推測したほとんど確信に近い予感と共に、タデウスは人狼に呼びかけた。

 銀刃に対し、無闇に距離を詰めることなく、いつでも回避できる距離を保ったまま人狼は狩人の隙を伺いつつ口を開く。

「分かるか?」

「お前の動きは、俺が人狼ならそうするだろうという動きそのものだ」

 じりじりと一歩進むと、相手は一歩遠ざかる。そんな膠着した状態を動かす隙を作るために口を開く。

「なぜ人狼になった?」

「狩人は長いのか?」

 タデウスと人狼の問いかけが同時に放たれ交錯した。互いの目が合い、口角が持ち上がる。こいつは今、俺と同じことを考えている。お互いにその確信があった。

「十七、八年になるかな」

「俺は二十一年務めた」

 相手の意識が発言に向いた瞬間を狙って銀刃が閃く。まるで分かっていたかのように人狼がそれを躱し、返しの凶爪をタデウスが同様に躱す。狩人はまるで鏡でも見ているような奇妙な感覚に陥った。

 俺にはこいつがどう動くか分かっている、そしてこいつにも俺がどう動くか分かっている。苛立ちと共に、それとまったく同じだけの大きさをした胸躍る充足があった。自分がこの相手を強いと思う時、相手も間違いなく俺を認めている。

 向かい合う二体の狩人の口の端には知らず知らずのうちに笑みが刻まれていた。

 しかしその不可思議な興奮の時間は唐突に終わりを迎えた。人狼がふっと肩の力を抜く。その虚ろな瞳の色にタデウスは俄かに警戒を強めた。人狼が口を開く。

「いつまで続ける気だ? 狩人なんて怪我を負えばすぐに出来なくなる。そうでなくとも歳を取れば体は思うように動かなくなる」

「莫迦なことを聞くな。人狼をすべて殺し尽くすか、俺が死ぬまでだ」

 その答えに人狼は静かに笑った。

「そう答えると思ったよ。俺も以前なら同じように答えただろう。だが、誰もが望むように死ねるわけじゃない。お前さんも身の振り方をよくよく考えた方が良い」

 俺みたいになりたくなかったらな、と呟くと黒い影は跳躍した。壁を蹴ることで空中で向きを変え、タデウスが放ったナイフを回避すると、闇の中へと紛れて消えた。タデウスは影の消えた方向を睨みつけていたが、やがて肩の力を抜くと指の間に挟んだままの銀のナイフを鞘へと戻した。

 風下に逃げられた。人狼の嗅覚を使えばあちらからはこちらの居場所は筒抜けだろう。強襲される危険を冒してまで無理に追いかけるよりも、先に調べるべきことがある。

 ――あの人狼はいったい何者なのか?


 ◆◆◆


 昨夜得た情報をパスティエッラ司教へと連携し、彼に該当する狩人を調べてもらう。

 二十一年狩人を続けて、その後引退しており、現時点で行方のしれない男性。その条件にぴったり該当する人物が一人いた。

 元狩人ウェルギリウス・オーヴァー。

 あの人狼が嘘を語った可能性はある。だが、その来歴を見て、タデウスはこいつが人狼だと確信を持った。

 ウェルギリウスはかつては名うての狩人だった。火を用いて人狼を狩る戦法を好んだことからついたあだ名が「良く焼き(オーヴァー・ウェル)」。数年前、人狼狩りの最中に反撃を受け、右手右足を失う重傷を負い、それによって狩人を引退。

 引退後は教会本部で新人狩人の教練などを行っていたが、その訓練の苛烈さからほとんどの新人が付いていけず、辞めてしまったことで教官の任を解かれている。その後、連絡役にも任命されるが、人間関係で問題を起こし、またも解任されている。現在は僻地の教会での見張り役という閑職となり、鬱屈としていたらしい。彼の行方が知れなくなって半年後、聖都での最初の獣害事件が確認されている。

 狩人を務めた期間に偽りはなかった。ウェルギリウスは人生の半分以上を狩人として過ごしている。タデウスには彼の気持ち、その無念と困惑をありありと思い浮かべることが出来た。己は生涯狩人で、死ぬときは人狼に殺されるだけだと心の底から信じていた。今更他の生き方なんて出来るわけがない。

 ――いつまで続ける気だ?

 昨夜彼がタデウスに問うた問いは、過去の彼自身に向けての問いだったのやも知れない、とタデウスは思う。

 だが、だからこそ不可解だった。

 ウェルギリウスの状況は理解できる。だが、彼も狩人であったなら、やはり人狼になることを自ら選択しはしないはずだ。仮に失くした手足を取り戻せるのだとしても、取り戻した手足こそが証拠となって教会に追われることは明白である。それでは狩人としての立場は取り戻せない。それが分からぬほど愚かな男ではないだろう。それは彼がこれだけの年月を狩人として生き延びてきた実績が証明している。

「司教様、この男と面識は?」

「いや、担当区域が違う。こちらで当時の担当者に当たってみよう」

「お願いします」

 そうだ、もう一つ不可思議な点として場所の問題が挙げられる、とタデウスは思考を巡らせる。不可解に思いつつも、聖職者を襲う動機としては狩人として尽くしてきたのに自分を閑職へと追いやったことや、使い捨ての駒にされたと感じたことだろうと予想は出来る。だが、そのためにわざわざ聖都までやってくるか? 道中偶然見つけた聖職者たちを襲いながら? それはあまり現実的で無いだろう。そもそも聖都への道筋を辿るように獣害被害が出ていたら即刻狩人が派遣されているだろうが、そんな事実は無い。

 だとすれば残る可能性は一つ。何らかの目的で聖都まで訪れたウェルギリウスは、聖都の中で人狼となったのだ。

 タデウスの語る推測にパスティエッラ司教は思わず顔を顰めた。

「莫迦な。聖都内に『狼の司祭』が潜んでいるとでも? それならもっと無差別に人狼を増やせば良かろう」

「『司祭』の手先が外部から『狼血』を持ち込んで聖都内で使ったのでは? ……なぜわざわざそんなことをしたのかという疑問は残りますが」


 その後、パスティエッラ司教はウェルギリウスが狩人であった当時、最後の担当者であったフェリーチェという名の司教を当たってくれたが、彼は聖都での狩人監督の任を解かれ、現在はブランシアの山奥の教会に配属されているとのことだった。配置変えの時期はウェルギリウスが人狼となったであろう時期と合致している。責任を取り、更迭されたと見て間違いないだろう。

「そのフェリーチェという男、狩人の経歴が無かったらしい」

「元狩人でもないのに監督官になれるものなのですか?」

 狩人たちを取りまとめる監督官は、通例では元狩人の司祭の内から選出される。パスティエッラもそうした元狩人の監督官の一人だ。

「貴族の生まれで、随分多くの土地を寄進していたと聞いている」

「コネですか」

「だが人狼を憎む気持ちは本物だったようだ。度々早期の人狼撲滅を訴えている。いわゆる反人狼急進派という奴だな。こちらでもう少し詳しく調べてみる、時間をくれ」

 そのフェリーチェが「狼の司祭」本人もしくは手先であるとは考えにくい。人狼関係なら更迭される際に身辺は徹底的に洗われたはずだ。監禁もされず、殺されもせず、ただ僻地に飛ばされただけという教会側の対応から見て、シロだと判断していいだろう。

 そしてウェルギリウスがその司教を恨んで人狼になったわけでもなさそうだ。それなら聖都ではなく、司教が更迭されたブランシアへと向かうはず。動機、行動、いずれにしても不可解な点が多すぎる。

 ――本人に聞くしか無いかもな。

 タデウスはいくつか印のつけた聖都の地図を折り畳むと、調査会議室に使っている司祭館の一室を後にした。

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