表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狼たちを殺すには  作者: mozno
第二章 人狼街編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/32

相食む獣

 天にも届かんばかりの天井に、一つの聖画が描かれている。

 髭を伸ばした老人が土塊つちくれを捏ねている。老人は頭を作っている。その下にはすでに出来上がった胴体がある。伸ばされた足、起こされた上体、その上に神は今まさに頭を拵えている。マーナ=ベル教において、神は人を足から作り、次に胴を作り、手を作った後、最後に頭を作って完成としたのだという。後に造られた部分ほど父たるマーナ=ベルが慣れてきて、複雑に、人の思うまま動かせるように造られているのだという冗談のような神話。天井の聖画はその最初の人類の創造を描いた物だ。

 荘厳な礼拝堂の祭壇は明かりによって灯されて、昼間のように明るかった。

 無数の燭台に灯された火が礼拝堂の大理石の床に二つの影を落とす。

 神聖なる聖画を、祭壇を前にしても、跪かず、祈りすら捧げず、司祭平服に身を包んだ男はその巨躯を狭苦しそうに座席に押し込んで、蝋燭の揺らめく火を眼鏡の奥から眺めていた。

 その大きな影にもう一つの小さな影が後ろから近づいた。

 修道女の恰好をした少年が、ぐるりと男の前をどうしたって彼の視界に入るようにゆっくりと歩く。二つの影が一つになった。

「男爵、死んじゃったそぉですよ?」

 舌ったらずな幼い声で、男の顔を覗き込むようにしながら、「狼の母」が言った。

「仲良しが死んじゃって悲しい? それとも行き着いちゃった群れにもう興味なんて無い?」

「亡くなったことは残念に思っていますよ。私は彼のことを好ましい人物だと思っていましたから」

 眼鏡の蔓を中指で押し上げると、「狼の司祭」は答えた。

「例えその源が自罰的な破滅願望であったとしても、人が皆、彼のような慎ましさを持つ者ばかりであったなら、世界はどれだけ住み良い場所だったことでしょう」

「あれだけ大きな群れだったのに残念」

「そもそも本来であれば人狼街はあれほどまでの大きさに育つことはありません。あれだけの期間を維持することもできないでしょう。しかし男爵は彼自身の才覚と、彼が人間の心情を学習するのにも役立ったその勉強熱心さで成立させてしまった。彼自身の胸の内から常に囁きかける『いずれ罰が下り、必ずや滅ぶ』という呼びかけも玉座の上に吊るされた剣のごとく良いように作用したのでしょう。出来ることなら、どこまで育つか見てみたかったものですね」

「ならどうして、途中でレイス領を見捨てたの? 十本だけで『狼血』の供給を止めてしまったの? 男爵の何が、司祭様のご機嫌を損ねたの?」

「レイス男爵が彼自身の手で領地を運営し、人狼騎士を叙勲していたなら、私は今も彼に『狼血』を贈り続けていたでしょう。しかし、やはり彼は貴族だ。配下の者たちに仕事を割り当て、人狼騎士の選出を他の者に任せるようになった。そしておそらくはその任された者が主導したのでしょうが、人狼用の鉄鎧を作った。……これはいただけない。人を殺めて奪った鉄鎖を体に巻き付けて銀剣の防御とする人狼は過去にも大勢いました。私はそれを責めるつもりはありません。しかし、鉄鎧となると話が違う。それは鍛冶師が作らねば出来上がらぬ物です。それを騎士が身に着けて、鍛冶屋の代わりに村を守るため戦う。自分が出来ないことを人にやって貰う代わりに、彼が出来ないことを自分がやる。これは社会の端緒となる物です。破壊すべき物だ、寸断すべき物だ」

 司祭は考える。人狼になったというのに、人の社会の有り様を捨てられない。家畜化された人としての価値観が足を引っ張り、狼になれるはずだった生命を自ら半分人に貶める。なぜ人は社会を作らずにいられない?

「人は様々な神話を信じて生きています。神が土塊から人を造ったという神話。神の血を引く最初の王が民を従え建国したという神話。修道士を誤って撃った狩人が狼になったという神話。紙切れとどんな物でも交換できるという神話。神話は多くの人が信じることで力を持ち、現実となり、時に現実の器から横溢する。

 社会もそうです。自分が相手に何かを差し出せば、相手はそれと相応しい物と交換してくれるだろうという神話。もし相手が自分を騙し、価値の劣る物を押し付けたなら、他の者たちが不誠実な彼とは取引をしなくなるだろうという神話。そして言葉を通じて話し合えば人は分かり合えるのだという神話」

 だが、誰もが知る通り、神話とは嘘だ。

 だから時に神話はその力を失う。

「社会とは神話の集合体です。人は社会の基本的な神話は信じつつも、必ずしも同じものを信仰しているわけではない。絡み合った無数の神話のうち、人々は自分に都合の良いものだけを信じるのです。若く精力に満ちている頃は自身が不平等と不正に満ちた旧体制を切り捨てて輝かしい未来を歩むに値する新人類であると信じ、老いてからは人類は時代を経るごとに劣化しているという神話を信じるようになる。同じ共同体に属しているようでありながら、その実、人によって信じる神話は異なります。そこに不和が生じ、分断が生まれる。ですがそれは社会という神話の表層で行われることに過ぎません。

 若者と老人は互いを侮りながらも、社会の基幹を成す神話については信仰を同じくしている。それは、自分が相手を殴らないかぎり相手も自分を殴らない、という原始的な神話です」

 だが、その原始的な神話すら信じることの出来なくなった者たちがいる。人狼だ。

「人狼は社会の根幹の神話から解き放たれているはずでした。にも関わらず人であった頃の名残で、貨幣や分業などの他の様々便利であった神話には自ら好んで繋がれようとする。人は社会という無数の腕持つ巨大な見えざる怪物に、どれだけ多くの自分の鎖を握ってもらえるかを我先にと争う。さながら主人に媚び売る奴隷のように。

 人狼はその主人ヘカトンケイルを見限った。だが彼に比肩しうる主人など、この世のどこを探してもいはしない。だからほとんどの人狼は再び主人の足元で、己の首輪に繋がった鎖をおずおずと彼に差し出すより他に無い」

 だから、人狼を社会から、すべての神話から解き放たねばならない、と司祭はぶつぶつと呟いた。

「社会を解体するとは、絡み合った神話の一つ一つを解きほぐし、貶め、否定していく作業です。その果てに、神も、隣人も、貨幣も、祈りも持たぬ、如何なる鎖にも繋がれない、無数の、剥き出しの獣たちが現れる。それこそが狼。人狼などという半端者ではない、野晒しの真なる狼――」

「真なる狼、は別に良いんですけどぉ、これからどうします? 人狼の存在が広まるほど動きにくくなるでしょう?」

 座ったまま蹲るように垂れ下がった司祭の頭の上に、少年の声が降る。彼の首に取り付けられた鉄輪が抜き取った血液が、ぴちょんぴちょんと音を立てて喉元の容器を満たしていく。

 ぐん、と司祭の体が持ち上がった。その巨躯は座ったままでも背筋さえ伸ばせば少年の背丈と然程変わらない。眼鏡の奥の瞳に映っていた狂気は消えている。司祭が再び眼鏡の蔓を中指で押し上げた。

「教会は今回の件で、人狼の存在を世間に公表せざるを得なくなるでしょう。そうなれば計画は次の段階へと進みます。私が人狼を増やして手ずから人々の紐帯ちゅうたいを引き裂いて回らずとも、人が自らの手で社会とのつながりを断ち切ってくれる日が来る。すべての人が自ら望んで獣に戻る日がやってくる」

 そして、その日こそ、経典に書かれ、過去数多の絵画に描かれた約束の日だ――。司祭の口角が頬まで裂けんばかりに割れた。

 狼の司祭は悍ましい笑みを浮かべたまま、礼拝堂の天井を見上げる。

 最初の人間が造られたその日、苦しみと不理解の約束されたその日を描いた聖画を。


 やはり彼にとってこれは祈りなのだと、少年は再び思った。

 礼拝堂の聖画を見上げ、笑みを浮かべる彼の姿は、敬虔な聖職者にしか見えない。

 そんな彼を、莫迦だなあ、と「狼の母」は憐れんだ。

 そもそも人が社会を形成するのはその方が得だからだ。より多くの構成員を抱え、大きな軍隊とそれを支えるだけの大きな資本を持った、より大きい群れが勝つ、より多くを奪う。そしてさらに拡大する。それだけだ。

 仮に社会を破壊したとしよう、寸断したとしよう。その次の瞬間から、新たな社会がそこかしこで形成されていくだけだ。

 司祭が努力して社会を解体しようとせずとも、人はその肥大化した群れの中で互いに争い、分離と結合を繰り返す。分離したままの状態に留めておくことも、結合したままの状態に留めておくことも出来はしない。彼らは同じ単一の神話を信じていると思い込み、互いに近づき、共同体を形成し、その余りに似ているがゆえに細部の違いに堪え切れずに、やがて離れる。

 その無限回繰り返されてきた共同体の離合の隙間に人狼は生まれ落ちる。

 だからこそ、人狼を組み込んだ社会を作ることが不可能であるのと同じように、人狼を切り離した社会を作ることもまた不可能なのだ。人の欲望の結果の先の産物こそが人狼なのだから。

 人が誰かを食い物にして人狼が生まれてくる。人狼は報復心に従うまま人を喰う。人は怪物を前に手を取り合って狩りを愉しむ。狩りの分け前を誰かが不当に獲得して、そうしてまた人狼が生まれる。

 人と人狼は一体だ。

 全員で仲良くその身を喰い合いながら、谷底に落ちていくだけ。

 だから、分かり合おうとしなくていい。

 何をしようとも、何をせずとも、どうせ人は互いを理解せず、しようともせず、己の神話以外の何物も尊重せず、愛さない。

 だから人は耳を塞ぐべきだ。誰の声も聞きとれぬように。

 だから人は目を閉じるべきだ。誰の姿も映さぬように。

 だから人は口を噤むべきだ。誰にも語りかけぬように。

 それは神と同じだ。人の言葉を聞き入れず、人を見ることを止め、人に語りかけることもない。神は人に何の期待もしていない。人という生き物を諦めた。だから、神は人を赦せるのだ。どうでもいいから。

 修道服の少年、「狼の母」は腰掛け、背凭れに体を預けると、神様みたいに目を閉じた。

 やがて微睡み、彼は夢を見る。

 二人の赤ん坊が泣いている。片方は黒い毛に覆われていて、もう片方の肌はつるつるに禿げ上がっていた。礼拝堂の祭壇の上に置かれた籠の中で、狼と人の子供が泣いている。神様に見捨てられた二人の赤ん坊が泣いている。少年はそれを無視して目を閉じ、夢の中でも眠りについた。








<あとがき>

第二部完です。お読みいただきありがとうございました。

第三部、の前に少し視点を変えた二.五部を入れようかと思っています。

また一通り書いたら投稿するつもりですので、よろしければお付き合いください。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ