潜伏
衛兵の数が多い。
単身者用の貸家が居並ぶ住宅街のうちの一部屋で、朝だというのに閉められたままのカーテンの隙間から、ディムナは外の様子を伺っていた。
男爵と街を見て回ったときよりもかなり多くの衛兵がぐるぐると街を巡回している。通り過ぎる衛兵がわずかに顔をこちらに向けようとしたのを察知して、ディムナは顔を引っ込めた。
ここはあのベルナールという男が用意してくれた隠れ家で、そこそこ裕福な市民が暮らす住宅街の一角らしい。建物から出て行く男たちの服装は皆、簡素ではあるが仕立ての悪い物には見えなかった。
いったいあの男、ベルナールはいつ来るんだ、とディムナが気を揉んでいると、鍵を掛けたはずの扉がガチャリと音を立てた。ディムナは跳び上がり、近くに置いておいた装填済みのクロスボウを扉へと向けた。
「俺だ、ソイツを下ろしてくれないか」
鳶色の瞳をした衛兵姿のベルナールが両手を上げて立っていた。ディムナは深く息を吐き、クロスボウを床に置いた。
ベルナールは廊下を確認し、誰にも尾けられていないことを確認すると扉に内鍵を掛けた。
「さあ、説明してもらうぞ。あんたは何者で、なんで俺を逃がした?」
「その前に潔白の証明だ」
ベルナールが衛兵に支給されている腰の剣を抜き、自分の指を切ってその流れる血と癒えない傷を見せた。人狼ではない。ディムナはベルナールが床に転がした剣を取り、血が付いていない方の刃で同じく指の皮を切った。お互いに人狼でないことを確かめ合うとベルナールは剣を鞘に納めてから名乗った。
「昨夜も名乗ったが改めて。俺はベルナールという。アンタを逃がしたのはうちのボス、ブランシア臨時政府のとある議員連合の意向だ」
ブランシア臨時政府。かの皇帝を追い出した後、政権を握った者たち。皇帝時代に冷遇されていた元王族や貴族連中。つまりは男爵の敵対勢力ということであり――。
「間諜ってわけか」
そういうことだ、とベルナールが頷いた。
「俺は男爵の動向を探るために派遣され、臨時政府にレイス領の情報を流していた。この街の実態、人狼街の状況をな」
「なんで人狼をのさばらせたままにしておく?」
「軍を派遣しようにも、陸軍には男爵の息のかかった兵士が山ほどいる。実際俺もそういう兵士の一人の振りをしてこの城下町に潜り込んだわけだしな。だが傍観するつもりはなかった。あと一月もしないうちに男爵を中央議会に呼び出し、まあたぶん来ないだろうから国家反逆容疑でもかけてレイス領を包囲する予定だったんだ。……そこにアンタが来ちまった」
苦々しげな口振りでベルナールは続ける。
「あるいは男爵のことだ、その情報を知っていてアンタを呼んだのかもしれん」
「なぜ? 俺一人いたところで軍隊への圧力なんかにならないだろう?」
「アンタ自分の立場分かってるか? フロージエンの大貴族のご子息様なんだぜ。アンタがレイス領内に囚われている間、臨時政府からは手が出せない。下手打って、アンタが流れ弾でも喰らって死んだら? 苦労してやっとこさ終わらせた戦争時代に逆戻りだ!」
それを聞いてもまだディムナには納得しきれない。仮に俺が臨時政府と男爵の争いに巻き込まれて死んだとしても、それは事故で処理されるだろう。フロージエンだって貴族の莫迦息子一人のために戦争を再開させたくなどないはずだ。だが、その判断が出来ないほどブランシアの臨時政府は戦争をトラウマとして抱えており、過敏に、神経質に、疑心に囚われているということか。
「だから検問で止められたのか!」
「そういうことだ。だが勘付いた男爵はルグランを迎えに寄越し、事を起こすわけにも行かず、アンタを通さざるを得なかった」
国境を跨いだ後、半日ほど足止めを食らったのは臨時政府の手筈だったのだ。道理で男爵の書状を見せても通してもらえなかったわけだ。
「俺の仕事はアンタを生かしてこの街から逃がすことだ」
だが、とベルナールの表情が更に苦虫を噛み潰したかのようなものへと変わった。
「どうやら裏目に出たらしい」
「どういうことだ?」
ディムナは自分がレイス城から脱出した後、正門前にてネドが騎士団長たちとどう戦ったかをベルナールの口から説明を受けた。
「あの狩人はやり手だな……。誰にも気づかれずに城に潜入して男爵を人質にしやがった。俺がアンタを逃がしてなければ、今頃二人揃って街から出られていたはずだ。すまない、余計なことをした」
そして城下町を去る間際、ネドはついでとでも言わんばかりに男爵の心臓を銀剣で突いていただろう。そうなればどれだけ仕事が楽だったことか。ベルナールが、あぁと自分自身への失望のため息をつく。
「ネドはどこに?」
「分からん。今衛兵が総出で探索中だが、見つかったという報告は上がっていない」
だから街にこんなにも衛兵が多かったのか、とディムナは一人得心する。
「街を出た可能性は?」
一旦アングレーズ神父に知らせて外からの協力を仰ぐ、という方法を取ったとしても不思議ではない。
「無いな。狩人が城から出てすぐに外門が封鎖された。荷物もすべて検品されてる」
にも関わらず未だ見つからないということはどこかに身を潜めているはずだが、司祭服姿の男は目立つだろう。誰か、城下町の中に協力者でも見つけたな、とディムナは確信した。
「手紙も検閲されるか?」
「そこまではやってないと思うが……」
「ならモードナの街にいる司祭に応援要請を出したい。書き物と、出来れば封を出来る道具を買ってきてくれないか?」
「これを使え。……その方、教会内で発言力のあるお人か?」
ベルナールが机からインクと用紙を取り出し、ディムナの前に置いた。
「たぶん。詳しくは知らないが、長年狩人をやっていて今は引退して運営側にいるらしい」
「うちの上司たちにも教会経由で話を通してくれるかもしれないな。手紙の中に『アンゲル』と接触したと書いてくれ。手紙には適当な偽名を使えよ」
「『天使』? コードネームか?」
「天使じゃない。罠の名前だ、狼用のな」
アングレーズ神父宛ての手紙を書き、食糧庫から取り出したパンを切って食べながら、ベルナールと打ち合わせをし、今後の方針を定める。
「外にいる神父様と連絡を取って、臨時政府から軍隊を差し向けてもらう。そうなれば人狼騎士たちをそちらの対応に傾けざるを得ないはずだ。その隙を突いてアンタを街から逃がす。……例の狩人、ネドと言ったか? 彼がいればアンタの生存確率は上がるか?」
「ああ、間違いなくな」
「銀の剣が効かなくてもか?」
ベルナールの話に拠れば、人狼騎士たちは街の鍛冶屋に人間用と人狼用の鉄鎧を作らせている。鉄で胴体部分を守れば聖別銀による致命傷を与えるのは極めて困難になるだろう。それでもディムナは頷いた。
「ああ、そもそもあいつは銀の剣が無くったって人狼を殺せるよ」
「なら、なんとしても探し出したいところだが……」
「男爵たちはどうやってネドを追っているんだ?」
「バザンはともかく男爵は莫迦じゃない。狩人がアンタを逃がしたんじゃないと気付いている。もし狩人の仕業なら男爵を人質に取る必要が無いからな。人質を取り戻したのなら、姿を現さずに街の中に潜伏し、巡回の人狼を一匹ずつ葬り去っていけばいい。だから裏切り者が城内にいると気付いている。外門を封鎖させた後すぐに兵舎を徹底的に調べさせていたくらいだからな」
「それ、マズいんじゃないのか?」
「まだ誰が裏切り者かまでは特定できていないさ。それとこの隠れ家のことも心配しなくていい。俺の名義で借りてないからな」
兵舎を洗ってもネドとディムナの存在を示す証拠は見つからなかった。そこで男爵は待ちの姿勢に入り、代わりに指揮権を投げられたバザンが衛兵を総動員した人海戦術に出たということらしい。
「そしておそらく連中の次の手は――」
ベルナールが言いかけたところで、窓の外から女の悲鳴が上がった。二人は顔を見合わせ、カーテンの隙間から悲鳴の元を探す。一つ向こうの通り、広場になっている場所で鎧を纏った人狼騎士が子供を片手で持ちあげていた。その足元には泣きながら悲鳴を上げる女が二人の衛兵によって取り押さえられている。子供の母親だろうか、それにしては随分若く見えた。
腕の中で恐怖で動くことも出来ない無抵抗の子供の首を、人狼はもう片方の腕で掴むと力任せに引き抜いた。広場に血の噴水が湧いた。周囲から悲鳴と絶叫、恐慌の声が響く。ディムナは思わず顔を背けた。
子供の血を頭から浴びた人狼はその大きな口を開けて、子供の心臓を左腕ごと喰らう。口からはみ出た左手首から先がぼとりと地面に落ちた。人狼はそういえば邪魔だなとでも言うように、べろんと海老の背わたのように脊椎が付いたままの子供の首を、その母親の方へと放った。ころころと生首が転がって母子の目が合う。母親が恐慌状態で人狼へと向かうのを衛兵が馬乗りになって殴りつける。
右半分だけになった子供の亡骸を民衆の群れへ放り投げ、湧き上がる絶叫に耳を傾けたのち、人狼騎士は胴間声で告げた。
「狩人を探し出せ。司祭服を着た、右腕に銀の義腕を着けた男だ。見つけ出した者には男爵より免畜符が授けられる!」
人狼の言葉にさっきまで恐怖を浮かべていた民衆が湧きたつ。子供の惨たらしい亡骸の前で、子供を目の前で奪われた母親の周囲で、真っ赤に染まった広場に集った皆が笑っていた。そこに穏やかさはなく、牙を剥いた獣を思わせる嫌らしい笑みだった。
「……免畜符ってのは?」
だいたい想像つくけどな、と言いつつ、聞き慣れぬ単語の意味をディムナが問う。
「そのままだ。家畜であることを免れる証。男爵が独自通貨の後に発行したクソみてえな紙切れだ」
人狼騎士はこの人狼街の中においてすべての民の生殺与奪の権を持つ。彼らは一日一回、誰を殺して喰っても良い特権を与えられている。男爵の与えたもうた免畜符を持つ者を除いて。その悪徳を煮詰めたかのような贖宥状は街の衛兵の他、医者などの特殊技能を持つ者に発行されている。そして人口維持のため妊婦には妊娠中のみ有効な期限付きの札が発行される。なお他者の免畜符を盗んだ者は極刑である。
ベルナールが悲壮感に満ちた顔で言う。
「実のところ免れてなんかいない。この街ではな、人間は男爵と人狼騎士の十人だけだ。他の奴等は皆家畜だよ。免畜符を持っている奴は『食用』じゃないってだけだ」
ディムナが口を右手で覆う。その下から悪態が漏れる。くそったれ、なんなんだこの街は。地獄か?
わずかでも男爵の人格を評価した過去の自分をぶん殴ってやりたかった。
「兵士が匿っているんじゃない。なら市民が匿っている、と考えたんだろうな。当然だ。だから『人狼に喰われない権利』を餌にして、この街の全ての人間を狩人の敵にした」
「どうすれば……」
このままではネドが捕まるのも時間の問題だ。悩むディムナにベルナールが淡々と告げた。
「どうもしなくていい。男爵は狙いを狩人に定めている。今のうちにアンタだけなら逃がせるかもしれない」
「そんな!」
「言っただろう、俺の仕事はアンタを生かしてこの街から逃がすことだと。その後はうちの上司どもがどうとでもする。狩人を助けたければ出来るだけ早く街を出て助けを呼べ」
俺は手紙を出してくるから絶対にこの部屋を出るな、出来るだけ物音も立てるな、と言い残すと、ベルナールはディムナを置いて部屋を出て行った。ディムナは落ち着かず、かと言ってどうすることも出来ず、頭を掻きむしった。逸る気持ちはある、だが何の当てもなくネドの居場所を探し回って大声を出したり、無用な騒ぎを起こして人狼ごと呼び寄せるような真似をするほど莫迦にもなれなかった。
しばらくするとベルナールが戻ってきたが、どこか様子がおかしい。過剰なまでに念入りに扉の周囲を確認し、鍵を閉める。手には何か薄汚れた布切れを持っている。
「俺が戻ってくるまでの間に誰か来たか?」
「いや」
「これが扉の前に置いてあった」
ベルナールが放った衣服の切れ端だろうか、布には口紅だろうか赤い線で構成された絵が描かれていた。地図、のように見える。
「こいつに括りつけてあったんだが」
そう言ってベルナールが差し出した物、小さな鉄の杭のように見えるソレ、見覚えのあるクロスボウの矢をディムナは思わずひったくった。矢の先端にくぼみがある。毒を塗布するための特別製、馴染みの鍛冶屋に作ってもらったとあいつは言っていた。
「ネドだ……!」
あいつは生きている。そしてどうやったかは分からないが、こっちの場所を捕捉して連絡を寄越してきた。この布に書かれた場所にあいつはいる。ディムナは地図を広げて布を横に並べ、目を凝らして形の近い道を探し始めた。
◆◆◆
衛兵が裏道を歩く。
城下町の外門周辺は整備されており人目も多いが、そこから外れた街の外周、この辺りは特に薄暗い。
まるで城から出来るだけ遠ざかるように形成された小屋としか呼べない粗末な家はまだ喰われていない傷痍軍人や孤児の溜まり場になっていて、誰かが隠れるにはもってこいだ。
だから衛兵の恰好をした自分が狩人を探していても仕事熱心さを感心されるだけだ、とベルナールは理解しているが、それでも尾行されてはいないかという緊張から乾いた唇を湿らせた。
彼は周りをきょろきょろと見まわしてから、みすぼらしい掘っ立て小屋の扉をノックする。扉の隙間から薄汚れた格好をした少女が顔を覗かせた。
「今日はやってないよ」
ベルナールが懐に手を入れると、少女が警戒するようにびくりと震えた。取り出したそれは月の輝きを浴びて青白く光る銀のクロスボウの矢だった。
「中にいるお客さんにこれを見せてやってくれ」
少女は恐る恐るそれを受け取ると引っ込んだ。しばらく待つと扉が開かれた。ベルナールが入った後に少女が周囲を確認して、彼の後ろで扉が閉まる。十数人の少女たちが勝手気ままに横になっている隙間を何とか抜けて、蹴らないでよ、と文句を言われつつ、奥のカーテンによって仕切られた部屋に足を踏み入れた。
「……娼館住まいとは、とんだ神父様だな」
右手に銀の義腕を着けた司祭平服の男、ネドが簡素な寝床に腰かけて、ベルナールを待っていた。
「君がディムナの協力者か?」
「厳密に言うとブランシア臨時政府の協力者、だ。ベルナールという」
「ネド・アングレーズだ。よろしく」
地図らしき絵の書かれた布から探し出したこの場所に行くと言ってきかないディムナをベルナールは自身の隠れ家に置いてきた。罠の可能性を捨てきれなかったからだ。
ベルナールはディムナに語ったのと同じように自身の雇い主、ブランシア臨時政府の意向について話し、すでに街の外にいる老神父に向けて連絡したことを報告した。
「神父様には悪いが、俺はとにかくあの坊ちゃんを逃がすことを優先させてもらう」
「分かった、それでいい。外から連絡があったら連携してくれ」
「アンタはこれからどうする気なんだ? そう長く隠れてもいられまい」
「しばらくは彼女たちの寝床を借りようと思っている。いくつか拠点があるらしいので転々とするつもりだ」
ネドがカーテンの外の少女たちを視線で示した。
しかし娼婦を味方につけるとは上手くやったものだとベルナールは感心する。隠れ家にあの地図を届けたのも少女たちのうちの誰か一人がやったのだろう。
「俺の力じゃない。彼女たちをまとめているルシルという娘が協力を名乗り出てくれた」
「なるほどね、街にいる娼婦を目として使って、アンタを匿い、あの坊ちゃんのいる隠れ家も見つけ出したと。だが安全とは言い切れまい。免畜符を欲しがる娼婦がアンタを売る可能性もある」
「莫迦にしないでくれる? そんなのとっくに対策済みだわ」
ルシルがカーテンの隙間にその薄い体を通して、二人の会話に割って入る。
「対策? 盗みでもしたのか?」
「そんなのすぐバレるでしょ。名前も歳も書いてあるんだから。ちゃんと発行してもらったのよ」
「は? 医者を買収でもしたのか? ……そうか、仲間内で妊娠した娼婦の贖宥状を使い回しているのか。呆れた……、バレたらまとめて死刑だぞ」
「そうよ、だから誰も仲間を売らないの」
自分の不利益が一番頑丈な鎖でしょ? と得意げな顔でルシルが胸を張った。
あまりに擦れっ枯らした少女の発言に隣で神父様が眉間に皺を寄せているが、居候の身分のためか何も言わずに黙っている。
「神父様、そろそろ時間だよ」
ベルナールと情報交換していたネドが一人の少女に呼びかけられて立ち上がる。
「どこへ行く気だ?」
拠点を移すつもりか? 確かに夜中なら市民の目は少ないだろうが、と問うベルナールにネドは決まっているだろう、と答える。
「人狼を殺しに行く」
確かに街の監視は増えたが、変わっていないものもある。人狼騎士の数だ。
人狼騎士という役割が「ご褒美」として用意されているのだとすれば、そう容易く補充することは出来ない。
そして昼間、一部の人狼騎士は狩人狩りに街の住民を利用するためにその姿を現した。ルシルは少女たちの目を使って、ある一人の騎士が人狼であることを特定した。そして人狼騎士は巡回の経路が平時と変わっていない、ということも発見した。バザンは人狼騎士を軸に衛兵による監視網を布いたのだ。
そしてベルナールからもたらされた情報により、人狼の総数と所在地も判明した。
レイス男爵ジギタリス、騎士団長バザン、男爵護衛コルネイユ、男爵付き料理人プレ、そして客人応対のルグランが城の内勤。
彼らを除いた五匹の人狼がシフトを組んで巡回を担当している。どの騎士が人狼であるかは衛兵や他の騎士には知らされていない。どこかで人狼騎士が聞いているかもしれない、その恐怖と疑心で人間同士での連帯を阻害しているのだろう。
ランタンを腰にぶら下げて、二人の衛兵の後ろで、馬の上の騎士が怠そうに欠伸をした。彼らの前に路地の影から女の声が誘う。
「兵隊さん、兵隊さん、一晩遊んで行かれませんか?」
ぞろぞろと現れた六、七人の少女たちが衛兵二人にまとわりついて、体を触り、両手を引いて行く。鼻の下を伸ばしている部下を前に忌々し気に馬上の騎士が舌打ちした。
「売女どもが……。何をしているさっさと――」
言いかけた言葉を最後まで発すること無く、騎士は馬上から滑り落ちた。落ちた衝撃で鎧が音を立てる。落馬した騎士の左胸には、鉄鎧を貫通したクロスボウの鉄矢が深々と突き刺さっていた。
衛兵二人が金属音に振り向いた瞬間、張り付いていた少女がその衛兵の腰から剣を抜き放ち、喉を突いた。信じられぬ物を見る目で言葉も発せず、衛兵の眼球だけがぐるりと動いて少女を見遣り、そして息絶えた。
コッ、コッ、コッと冷たくなっていく衛兵の間を抜けて、足音が聞こえてくる。
「死んだ振りか? そのままそうしていればいい」
ギチ、ギチチと何かが引き絞られる金属音がした。倒れ伏す自分の前で足音が止まったのを聞いて、人狼騎士は跳び上がり、足音の主の体を真っ二つに引き裂くべく、腕を横薙ぎに振るった。
「あ……?」
しかし臓物をぶちまけるはずだった司祭平服の男はなおも平然と自分の前に立ち、引き裂かれたのは己の左肩の方だった。鎧の隙間を通して振り下ろされた銀剣は人狼の左腕を斬り飛ばし、滝のごとく鮮血が舞う。
体が痺れ思うように動かない。毒だ。治るはずの傷が治らない。聖別された銀だ。こいつが狩人だ――。
遅ればせながら、人狼の頭が理解した時には狩人は義腕に固定した銀剣の柄を左手で操作し、斬り落とした左肩の傷口から心臓目掛けて銀剣の刃を突き落ろした。
くぐもった断末魔を上げて、人狼が倒れ伏す。狩人はぶんと右腕を振るって血振りをくれると竜頭の締め付けを解いて銀剣を背中の鞘へと納めた。左手で首元から麻紐を手繰り、その先に結わえられた十字架を手に取ると祈りを捧げた。
「何してるの、早く!」
ネドの腕を取ってルシルが裏路地へと姿を消す。付いた血には念入りに香水を吹きかける。ネドは衛兵二人にも祈りを捧げた。
「衛兵は殺さなくてもよかったはずだ」
「殺さなきゃあたしたちがあなたに協力してるってバレちゃうでしょうが!」
何を莫迦なこと言ってるの、とルシルが説く。
「それにね、この街で衛兵をやっているような奴なんて、男爵に取り立てて貰えるかも、自分も人狼騎士になれるかも、って考えているようなクソ野郎だけなんだから同罪よ!」
全員死んじゃえばいいのよ! というルシルの憤慨を掻き消すように街の空に遠吠えが響いた。遅れていくつかの咆哮が呼応する。
ルシルが拠点の一つ、娼婦小屋へとネドを引き摺りこんだ。カーテンの奥に押し込まれる。そこにはベルナールが待機していた。仮にここまで踏み込まれたら、彼が偶然を装って出て行く手筈となっている。仕事をサボって娼婦と遊んでいた振りをして。
小屋の外を緊張した面持ちで様子を伺う少女たちを尻目にベルナールは狩人に声をかけた。
「こうやって一匹ずつ人狼を減らしていくつもりか?」
「ああ」
「男爵が人狼を増やしてきたら?」
「そいつも殺すだけだ」
「……いつもこんなことやってんのか?」
「ああ」
短く、素っ気なく返すネドの横顔を見て、ベルナールは深く溜め息をついた。
「人狼に支配されているかもしれない街に派遣されると聞いた時、俺は自分がこの世で一番不幸な男だと思ったが――」
「……なんだ?」
「楽な仕事は無いってのは、アレ本当なんだな」




