獣の足跡
初めて人を殺したのは七つのころだった。
使用人を屋敷の階段から突き落とした。首の骨が指三本分ほどもズレてしまった彼女の頭は赤子のそれのように据わらぬままぐらぐらと揺れていた。なぜそんなことをしたのかと問われれば、その方が得だと思ったからというより他に無い。
父の愛人でもあったその使用人のことを母はいつも悪しざまに語っていた。だから、そんなに言うなら殺してしまえばもう顔を見なくて済むじゃないかと思ったのだ。食卓での母の嫌味が減れば父も私も責められているような気持ちにならず、美味しく食事をとることが出来る。だから実行するなら早い方がいい、早い方が得だ、と。
家人たちの間では母が殺したのだろうと噂になっていた。だれも私を疑うことすらしなかった。
いや、唯一猫だけは気付いていた。死んだ使用人が隠れて餌をやっていた猫。その猫がまるで女の霊が憑りつきでもしたかのように私を見ていた。だから私は猫も殺すことにした。
毒餌には食いつかなかったので、何度か餌を与えて馴らしたところで頭をかち割ろうと石を振りかぶったが、直前で気付かれ、しこたま顔をひっかかれて逃げられた。
撫でようとしたら引っかかれたと嘘をついて、執事に怪我の手当てをしてもらったその晩に私は熱を出した。何か悪い病気でももらったんじゃないかと母は半狂乱だった。死んだ女の呪いだとすら言い始めた。そして父に半分懇願、半分命令するようにして屋敷の近くから猫を一掃させた。駆除された猫たちの死骸が裏庭で焼かれる匂いを嗅ぎながら、私は良く冷えた果物を口に運びつつ考えていた。チェッ、殺し損ねたな、次はもっと上手にやらなくちゃ、と。使用人よりもあの猫の方が余程難敵だった。私は生まれて初めての敗北で、獣を相手取るときはよくよく策を練らなければならないことを学んだ。
私はそれから色んな動物を観察しては捕まえるようになった。母に買い与えられた小鳥、屋敷に増えたネズミ、罠にかけた野良犬の内側を暴いて比べた。鳥は特に捕まえるのが難しくて、逆に最も簡単だったのが百姓の子供だ。お菓子をあげると言ったら疑いもせずについてきた。
家の者たちの私を見る目が変わってから間もなく、私は父方の祖父の家へと預けられることになった。祖父は先祖代々から続く男爵位を受け継いだ人物ではあったが、その人生の大半を戦場で過ごしてきた。彼はまだ十にも満たなかった私に数多の軍人としての訓練を行った。剣術、馬術、馬上槍術、銃の扱い、鎧を身にまとったうえでの徒手格闘。上手に出来なければミミズ腫れが出来るほど強く鞭で打たれた。祖父は一目見た時から気付いていたのだ、私を教育するにはこうするしかないと。訓練と称して暴力性を発散させてやる一方で、痛みを体に染み込ませることで生来持ち得なかった共感を疑似的に形成する。私は祖父の手腕を高く評価している。事実祖父の屋敷で暮らした間、私は一度たりとも人を殺していない。
その一方で実に多くの動物の死を祖父は私に見せた。領内の牧場に私を連れて行って小一時間豚と触れ合わせた後に、その豚がどうやって縊られるのか、どうやって血を抜かれるのかを見せられた。そうして豚肉になってしまった豚を屋敷に持って帰り、わざわざ厨房に入って、それがどうやって夕食のソテーへと姿を変えるのかを見た。
銃を扱うようになってからは二人でよく鳥を撃ちに出かけた。仕留めた鳥はその場で血抜きをする。祖父は私の手に刃物を握らせて、その上から大きな手で包み、鳥の腹を裂き、その暖かな血を共に浴びた。そのうち一人でも出来るようになった。
祖父は古い人間であったから主神への日々の祈りを絶やすことは無かった。そしてそれを私にも半ば強要した。思えばあれも教育の一環だったのだろう。何度も何度も繰り返し行わせることで習慣づけさせる。祖父は神そのものよりもむしろその習慣の方をこそ信仰していた節があった。たとえ獣であろうとも教育によって変われるのだと。実際に効果はあった。私はこれまで幾度となく神の実在を疑ったが習慣化された日々の祈りを絶やしたことは無い。そして神に祈りを捧げる間だけは、神への疑いを忘れる。神に祈りを捧げる間、私は誰も殺さない。だから私に殺される者たちは神に感謝をすべきだ。私が祈った時間の分だけ彼らは生き長らえることが出来たのだから。
数年後、私は従騎士となり、陸軍士官学校へと入学した。
そこで後に皇帝になる男と出会った。と言ってもこの時点ではわずかに面識があったに過ぎない。なぜなら彼は一年もしないうちに全課程を終えて歴代最速で学校を卒業していったからだ。だからきちんと会話したのは、祖父が心臓病で亡くなった後、私が卒業して軍へと入り、彼の部下になってからのことだ。
そこから先は、……一体いくつの戦場を経たか覚えてすらいない。国に幾たびもの勝利をもたらした彼が兵士たちに、国民に、祭り上げられて第一執政となり、クーデターを成功させて実権を握り、ついに皇帝へと上り詰めたとき、私は彼の懐刀と呼ばれるようになっていた。彼の独裁となることに反対の姿勢を取っていた両親を殺害したことが忠義の証とみなされたのだ。実態は違う。私はあの男に忠を尽くしたことなど一度も無い。なら、なぜ両親を自らの手で殺めたのかと問われれば、何度も同じことを言って芸が無いと思われるだろうが、その方が得だと思ったからというより他に無い。祖父から継いだ領土と母方から継いだ領土。その話を初めて聞かされた時に私は思ったのだ。じゃあ出来るだけ早く父と母を殺した方が得じゃないか、と。だが屋敷で貴族について学び、継承者があまりに幼い場合は監督者が付くと聞いてそれでは意味が無いと考え直したのだ。だから私がいつ両親を殺すことに決めたかと問われればそれはあの使用人を殺すよりも前のことであって、皇帝の片腕となってからのことではない。のだが、世間も、そして当の皇帝本人もそうは思わなかったらしい。私を自身の妹と結婚させて公爵にするなどと言い出したので辞退するのに手こずった。毎朝最初に見る物があの兄とそっくりの大きすぎる鼻だと思うとぞっとしたのだ。
自国に勝利をもたらすたびに国民たちが皇帝陛下を褒めそやす一方で、彼自身はどんどんと孤独に、偏狭になっていった。一切の反対意見を受け入れず、それでも能力の高さゆえに押し通せる。徐々に周りから意見する者が消えていく。当然うまくいかなくなっていく。それを何者かに妨害されていると考え始めるようになり、一度目の暗殺未遂以降、その疑心暗鬼は一層病的な物へと変質した。
彼の神がかり的なカリスマは国民たちには相も変わらず存分に発揮されていたが、かつてとは異なり、前線に立たなくなった彼を支持する兵士は随分と減っていた。彼自身その自覚があったのだろう。だから北部遠征には自ら総司令官として出向くなどと言い出した。その計画のあまりの実現性の低さ、そして相手国を侮った口振りに私は反対を具申し、そうして将軍としての任を解かれた。
兵士たちが、戦士たちが死ぬ場所は戦場であるべきだ。無謀な遠征での凍死など何の面白みも無い。何の歓びも無い。
私は謹慎と称して領地へと引き籠もった。だが、かつて祖父が押さえつけてくれた私の中の獣は、散々ぱら戦場で好きにさせたせいでその首輪が外れていた。
最初は男の子だった。
領内を視察していた時に畑で走り回る少年を見つけた。泥だらけになっていたが、瞳の大きな、利発そうな、整った顔立ちの少年だった。私はその子に両親の元へと案内させ、この子に城で小姓としての教育を施してやりたい、ゆくゆくは騎士としてそばに控えさせたいと告げた。両親は平身低頭し、泣いて喜んだ。私はわずかばかりの金貨を彼らに握らせ、少年を馬に乗せて城へと連れ帰った。
少年に湯を浴びさせた。爪を切らせて、髪を切りそろえ、古い服は捨てさせて絹の装いを与えた。慣れぬ装いに少年ははにかみながら言った。
『ありがとうございます、閣下。頂いた物をお返しできるように誠心誠意お勤めします』
彼を着替えさせた使用人がそう言うようにと教えでもしたのだろう。全く分かっていない。何を言えば良いのか分からずに戸惑う姿が見たかったのに。台無しだ、あいつは馘にしよう、と私は思った。
私は少年の髪を弄り、頤を持ち上げ、ほんのわずかに膨らんだ喉仏を親指と人差し指とで数度摘まむ。少年が緊張と恐怖から体を強張らせた。
若い鹿のようだった。栗色のくせっ毛も大きな瞳も、その細すぎる首も。
私は彼の背中を押して自らの寝室へと導いた。少年自身の匂いを消さぬようにほんのわずかばかりの香を焚く。
野を走り回り引き締まったふくらはぎと、二の腕や太ももを一周する日焼け跡がますます鹿を思わせた。肩から腰にかけてのラインのなんと美しかったことか。あと一年、いや数か月も経てば骨張り、この絶妙で艶めかしい曲線は失われてしまうことだろう。
そっと少年の胸に耳を当てる。とくんとくんといささか早い鼓動が、香が効くにつれて穏やかなリズムへと変わっていく。
私はその鹿のことが大好きだった。
だから翌朝、その鹿が冷たくなって、私の寝床で横たわっていることが悲しくて仕方が無かった。
せめてその悲しみを癒そうと、私は鹿の血を抜く。骨を外して皮を剥ぐ。大好きだった場所を切り取って厨房へと持っていく。そしてかつてと同じようにそれがどうやって朝食へと姿を変えるのかを見た。
そんなことをもう五年も続けている。今ではすっかり習慣となった。神への祈りと同じように。
ランドールとフロージエンの連合軍に敗走を喫し、ついには国内での反乱を許した皇帝は捕らえられ、その身柄を監獄島へと送られた。きっと彼はあそこで死ぬだろう。圧政者に神罰が下ったのだと誰もが言う。そう言った者のうちの誰もが、彼が皇帝の位にあったときにはその正当性を声高に主張していたというのに。神罰などではありえない。彼は民のご機嫌を損ねたから流刑となったのだ。
初めて人を殺したとき、私は裁かれなかった。家名が私を守った。
戦場で数多の敵兵を殺め、時に失策のために味方を死なせたが、私は裁かれなかった。目立ちたがりの主君が私を守った。
両親を自ら手に掛けたとき、私は裁かれなかった。それまでの戦場での働きが私を守った。
皇帝を見捨てたとき、私は裁かれなかった。私を主君と仰ぐ部下たちが私を守った。
そして今、少年少女に悪徳の限りを尽くしてなお、私は裁かれない。
法も、両親も、皇帝も、そして民も私を裁きはしなかった。唯一私を躾けた祖父はもうこの世にいない。
であるならば、この罪深き身を裁くのは神より他にあるはずも無い。あの男ではなく、私にこそ神罰が下るのだ。私の日々の祈りの時間は一層長くなった。
だが、ついこの間、とある生物学者の書いた本を読んだ。その本の中には、人は環境に適応し続け生き残った猿の末裔であって、神によって造られたわけではないと書かれていた。神はいない。最初からいなかったのだと。
だとすれば一体誰が私を裁くのか。
誰がこの獣の首に首輪を着けるというのだろうか。




