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狼たちを殺すには  作者: mozno
第一章 共喰い編

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人狼の条件

 茫漠たる夜の闇の中に、ふわりと一つ火の玉が浮かんだ。

 火の玉はすぅっと、通り慣れた道を通るように淀みなく移動すると、古びた礼拝堂の前でぴたりと止まった。

 火の玉の正体は修道女の恰好をした背の低い影が持つ燭台に灯された小さな火だった。黒い修道服は闇の中に溶け込んで、ともし火が扉にその光を反射して初めて浮かび上がる。

 そのシスター服に身を包んだ子供が礼拝堂の扉を開けると、蝶番がきしみ、悲鳴のような金属音が上げる。わずかに開いた隙間からその痩躯を滑り込ませると、再び扉が悲鳴を上げて、教会の外は闇に飲まれてしまった。

 明かりがわずかにともる薄暗い礼拝堂で祭壇に向かって、祈りもせずに立ち尽くしている広い背中に向けて声をかける。

「カルローの街で人狼が五匹死んだそぉですよ」

 舌ったらずで甘えるような幼い声の主は、礼拝堂の座席に腰掛けるとお行儀悪く足をぶらぶらと揺らす。ふぅと息を吹きかけて蝋燭の火を吹き消して燭台を自分の隣に置く。

「シスター・アメリアは失敗したみたい。まだ生きているみたいだけど、……口封じ、します?」

 暴力性の秘められた言葉を口にして、その子は小さく赤い舌でぺろりと、唇を濡らした。

「無用です。私が彼女と接触したのは数年前のこと。今更狩人に足取りは追えないでしょう」

 司祭平服に身を包み、首から十字架を下げた男が修道女姿を見もせずに言う。

 巨躯だ。二メートル近い背丈、司祭服の上からでも分かるほど厚みを持った胸板。鍛え上げられた肩、腕、太ももの筋肉が服を下から持ち上げている。

 その一方で、眼光は鋭く、知的だ。男はかけた眼鏡の蔓を中指で押し上げる。

 振り向いた「狼の司祭」の視線に見咎められて、年若いシスターのように見えるその子供は足を揃えて、お手々をお膝の上に置いた。

「でも、どうして今更? もっと早くに行動してくれれば司祭様の実験のサンプルにもなったのに」

「葛藤があったのでしょうね。だからランドールが勝った後も、しばらくは人狼を生み出せなかった」

「ちょうどいいのが見つからなかっただけじゃないの? 『こいつなら殺してもいいや』っていう相手がさ」

「そうかもしれませんね」

 その反論を司祭はあっけなく認め、首肯する。

「司祭様あんまり驚いてない? シスターのことどうでもよかった? 期待してなかった?」

 愉しそうに悪戯っ子はにやつきながら尋ねる。

「期待していなかったというよりは、分かっていたことを確かめただけになったという徒労感とでも言うべきでしょうか。かつて私がおこなったひたすらに人狼の数を増やし続けるという方針も、人狼同士を争わせることで淘汰圧をかけるという方針も、やはり真なる狼を生み出すには至らない、ということを確かめただけになりました」

 狼の司祭が腰かけると、その体重に椅子が悲鳴を上げる。背の低い影は立ち上がって、わざわざ司祭の横に座りなおす。にこにこと隣の男を見上げながら笑っている。

「どれだけ人狼を増やしても、どれだけ強い人狼を生み出しても、人狼である限り人の群れから離れることは無かった」

「お腹減っちゃうもんね」

「そうした強い群れ、強い個体が行きつく先は常に必ず人間の牧場です。暴力でにせよ、権力でにせよ、人間を捕食できる街を支配する。カルローはそこまで到達する遥か前の段階で狩人によって駆逐されてしまいましたが、仮に狩人を返り討ちにしたところで牧場までしかたどり着けない。そして、人間の牧場をつくるというのは、人間が家畜の牧場を作るのと何が違うのです? そもそも人間は人間の牧場も作っています。サトウキビ栽培の農場では奴隷を家畜と同じように殖やして使っている。これでは人狼はただの人間を食べる人間でしかない。そしてそれは特権階級、王族・貴族という形で昔から存在しています」

 うんうんと頷きながら、頭巾ウィンプルを被った影は楽しそうに司祭の説教を聞いている。

「私はかつて人狼を人間を超越した、人間にとっての進化先のような生き物なのではないかと考えていましたが、長年の実験によってこの考えを覆すに至りました。人狼は『半分しか人間でなく、半分しか狼でない』とでも表現すべき中途半端なもので、決して両者の性質をいいとこどりしたような理想的な生命などではなかった。これでは私の目的には到底及びえない」

 ああ、鹿頭神よ、どうして半分だけを狼にする呪いなどにしたのですか。すべてを狼にする呪いにしてくだされば、私は喜んでその呪いを祝福と、秘跡と呼んだのに。司祭が嘆く。

「なぜこのようなことになってしまうのかを私は考えました。なぜ人狼は人の群れのそばで、死骸を漁ることでしか生きていけないのか? なぜ人狼は狼として野に生きていけないのか? 答えは簡単なことでした。人狼になるよりも前に、人間として生を受けたその瞬間から、人は社会という道具を使って自らを家畜化するからです。犬を再び野に放っても狼には戻らない」

 求めているのは真なる狼であって、野良犬ではない。

「私は人を救う」

 司祭がかつて誓った決意を口にする。男の瞳に宿っていたはずの知性の光はいつの間にか狂信者のそれへと変わっていた。

「そのためには一度社会を破壊しつくさねばならない。社会という首輪を外して、家畜化を無効にして初めて、ヒトは祈りの無い世界に立ち返ることが出来る」

 また始まったよ、と修道女の服を着た少年は肩をすくめた。

「祈りが悪い。楽園に祈りは無い。楽園に神はいない。いささかの痛苦も無いのであれば誰も祈らず必要としない。祈りがあるから、この世は地獄なのだ――」

 それは逆でしょと少年は思う。この世が地獄だから祈りがあるのであって、その逆ではない。だけれどシスターの恰好をした少年は司祭の言葉を否定も訂正もしない。だってこの人にとって、それが信じる物なのだ。祈りのすべてを貶め尽くせば楽園が訪れるに違いないというその思想こそが、彼にとってのこの地獄での支え、すなわち祈りなのだから。


 少年は思う。

 かつて過ごした孤児院で神父様にこっそり教わったことがある。

 人狼になるのは貧しい人や差別されている人だって。でもそれを言っちゃいけないよ。それをみんなが知ったらもっと彼らをいじめて、それが原因で人狼になってしまうかもしれないから。

 でも、少年はその時点ですでに知っていた。

 人は貧しいから、差別されているから、ましてや愚かだから人狼になるのではない。それらは要因の一つでしかない。

 人狼になる条件とは、所属している全ての共同体から排除されたと感じている人間であることだ。

 貧しさ、差別、愚劣はその人間の可能性を、世界を縮める。

 富み、機会に満ち、賢ければ、人はより多くの共同体コミュニティに所属できる。多くに所属していれば人狼になる可能性はそれだけ下がる。自分という卵を一つのかごに全て載せている者は、時代や環境の変化でかごを落としてしまった時に、もう何も残っていないと思ってしまう。そのとき、地面に落ちて潰れた卵の中から狼は産まれてくる。

 人狼は野に産まれない。

 狼は常に人の群れの中から生じる。

 人こそが(Homo )人にとっての(homini )狼なのだ。(lupus)

 少年はせせら笑う。

 おっといけない、と微笑みを愛くるしい乙女のようなそれに戻してから、司祭の体に頭を寄りかからせる。

 ちゃり、と首に付けられた鉄輪が鳴る。少年の肉体と半ば一体化したそれは常に彼の血を抜き続ける。

 喉元に付けられた容器がいっぱいになると、栓を絞めて空の容器に入れ替える。また器は血で満たされる。

 そうして作られた「狼血」は各地にいる「狼の司祭」の手先の元へと運ばれる。

 修道服の少年、「狼の母」は瞼を下ろし、微睡み、夢を見る。

 狼と狩人が互いの足跡を探してはぐるぐる、ぐるぐるといつまでもお互いを追い駆ける、終わることなく続く狩りの夢を。








<あとがき>

第一部完です。お読みいただきありがとうございました。

第二部はこれから書きます。一通り書き終えたらまた投稿すると思うので、よろしければその時はお付き合いください。




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