呪い
カルローの街の「獣害事件」は解決した。
五匹の人狼の討伐の報が流れ、街から安堵した市民の、子供たちの声が聞こえてくる。
けどこの街の問題が解決したわけではないんだよな、とディムナは物思いにふける。
戦争から一度に大量の若者が帰還したことで、この街の、いやランドールと周辺国全体で失業率が跳ね上がっている。ディムナ自身だって父親のコネクションが無ければ職にあぶれていたかもしれない側だ。そして「狼の司祭」はそこに目を付けた。必要とされなくなり、鬱憤を抱えた若者たちの背中を押して一線を越えさせた。仕事が無い事も、若者たちが戦争によって心を病んだ事も解決していない。ならもしまたもう一度、「狼の呪い」がバラまかれたら? 同じように狩人が派遣されて、同じようなことが繰り返されるだけじゃないのか?
内心未来を悲観するディムナのことなどつゆ知らず、ネドは書き終えた手紙に封をして、借りていた便箋の残りをディムナへと返却した。数日前ディムナが街で購入して使った分が余っていたのだ。ネドは教会本部とアングレーズ神父宛てに人狼討伐の旨の報告書をしたためていたらしい。
「これで終わりか……」
「いやまだだ」
ネドの返事にディムナがぎょっとして椅子から転げ落ちそうになる。
「手紙を出すついでに、シスターに挨拶をしてくる。そうしたら帰ろう」
「ああ、そういうことね……」
またぞろ「もう一匹いる」などと言い出したら心臓が喉から飛び出していたところだ。
「俺も行くよ。教会の壁にクロスボウ刺しちゃったこと謝らなきゃだし」
「……」
それを言い出すとネドは教会の懺悔室の破壊を許した挙句、床を血で汚しているので何も言えなかった。
「ブラザー、ご無事でなによりですわ」
教会で出迎えてくれたシスターは、ネドに微笑みかけ、その後ろのディムナの姿を認めると深々とお辞儀をした。
人狼の脅威が去ったにもかかわらず、いや、去ったからこそなのか、多くの信徒が祈りを捧げるために礼拝堂に訪れていた。彼らの祈りの時間を邪魔しないように、三人はそっと教会の外に出る。
「今日か、明日の朝にもこの街を去ります」
「そうでしたか。お忙しいお体ですものね。お疲れ様でございました。街の者を代表してお礼を申し上げます」
「シスターはこれからどうなさるおつもりです」
「私はこの教会でこれからも祈りを捧げ続けます。人狼によって亡くなられた人々のために」
「……そうですか。きっとすぐに新しい司祭が配属されることになるでしょう。……この街を離れようとは思わないのですか? 思わなかったのですか?」
「いいえ」
「一度も?」
「ええ」
「それは――」
ネドは一呼吸おいて、唇を湿らせてから言った。
「『狼の司祭』があなたにそう命じたからですか?」
「……」
「は?」
問われたシスター本人は穏やかな表情のまま沈黙を保ち、代わりにディムナがぽかんとした表情を浮かべた。
「な、シスターが、え?」
「やはりお気付きになられましたか。賢くていらっしゃる。いつお気付きになりましたの? 私が『狼の司祭』の手先であると」
優し気な微笑みを崩さぬまま、呆気なくシスターは認めた。
「『共喰い』がグレンと敵対していることに気付いた時に。だから初めて俺がここを訪れた時に、グレンもあなたを訪ねたのでしょう? 自分以外に渡した『狼血』が存在するのか。仲間を殺した人狼がどこからやって来たのかを確かめるために」
「ええ、その通りです。グレンさん驚いたでしょうね。狩人と鉢合わせしたのですから」
うふふと手で口元を隠して笑う。まるでいたずらに成功した少女のような仕草だった。
「あなたはグレンに『狼血』は四本しかなかったと説明した。うち一本をグレンに使って残りを全て渡したと。だが実際にはもう一本あった」
「はい。一本を手元に残したのは、彼らが力に溺れて手が付けられなくなったときの保険のつもりでした。……想像していた通り、使うことになりました」
「『共喰い』は誰だったのです?」
「モラグという名の中年の男性です。ブラザーたちがこの街にいらっしゃる二日か三日ほど前でしょうか。彼はグレン一派の『子供喰い』、たしかカッツとかいう人狼によって、息子さんを殺されていました。それはもう惨い死体でした。モラグさんは息子の顔を思い出そうとしてもズタズタに引き裂かれた亡骸の顔しか思い出せないと嘆いて、自らも命を絶とうとしていたのでお止めして人狼へと誘ったのです。復讐をしてはどうかと」
「そんなことをしてよくモラグという男はあなたを信用しましたね。少し考えれば自分の息子を殺した人狼たちも、あなたの手によるものではないのかと疑ったはずだ」
「疑うことなく信じてくださいましたよ。『先週教会に盗人が入って、パヴロー神父が以前から研究していた「失った体を回復させる代わりに人を狼へ変える薬」を盗んでいった。保管場所を変えていた一本だけは無事だった。足跡が奇数だったので犯人は傷痍軍人に違いない。司祭様が彼らの傷を癒すために研究なされていたものを、己の欲望のためだけに使うなんて許せない。よよよ』みたいなことを言ったと思いますわ、私。細部はちょっと覚えていないですけれど」
シスターは袖口で目元を拭う素振りをして、その嘘をついた時にやった泣き真似を再現して見せた。
「でもダメでしたね。こんな嘘を疑いもなく信じるような莫迦ですもの。人狼の死体を街に晒す、もう狩りが終わった場所に慌てて向かう、昼日中から街に姿を現す。復讐心で目が曇っている以前の問題です。衝動的な行動しか取れない。ほとんど動物です」
少女の笑みが、嘲りへと変わった。
「とても素直な方でしたわ。信心深くていらっしゃって……。ブラザーと会った時もそうだったのではないですか? 本当に追い詰められるまで彼はあなたを殺そうとはしなかった。彼にとって司祭様を殺すなんて出来ようはずがありませんもの」
「……パヴロー神父を殺せたあなたとは違うわけだ。彼はどこです」
「地下室です。元は人狼を捕えておくための銀製の檻の中。狼退治に出掛けようとしていたので後ろから殴って気絶させて、荷物と一緒に閉じ込めておきました。二週間以上経っていますから、……もう死んでいるでしょうね」
死体が見つからないはずだ。人狼を捕え、尋問するための部屋なら人目にはつかず、音も臭いも地上に届かないように作られているだろう。
「『狼の司祭』はどこにいるんです」
「私がそうとはお考えにならないのね」
「あなたが『司祭』ならもっと無制限に呪いをバラ撒くことが出来たでしょうから」
「確かにおっしゃるとおりね。……あの方の居場所は存じません。戦時中に何度かお会いしただけですもの。『狼血』はその時に頂いたものです。使うときに人狼を二つの陣営に分けて欲しい、というのがあの方のご要望でした」
「なぜ戦時中に貰った物を今になって使ったんです」
「ランドールが戦争に勝ってしまったから」
意味不明な返答に、ネドとディムナは暫し絶句した後に、言葉を継ぐ。
「それとランドールの傷痍軍人を人狼に変えることに何の関わりがあるというのですか」
「……以前、私が戦場で看護婦をしていたとお話しましたわね」
「何人もの手足を切り落とすことになって辞めたと」
「それが一番の理由ではないのです。私が看護婦を辞めて修道女になったのは、私が治療したランドールの男達に犯されたからですわ。信じられます? 献身的に看病して差し上げた私を押さえつけて、代わる代わる、何度も何度も……。ランドールの男は獣です。私の目的は彼らを本当の姿に戻してあげること……。そして出来るだけ多くの同種を手に掛けさせること……」
語るシスターの表情には最早どんな感情をも浮かんではいない。
「体を汚された私は死のうとしていました。その時、あの方にお会いしたのです、『狼の司祭』様に。話を聞いていただきました。洗礼もしていただきました。それでもなお私の心が癒されぬと知り、『血』をお授けくださったのです。……情けないことにそれでも踏ん切りがつきませんでした。一度は人を救うために看護婦になった身ですもの。だから私、毎日神様にお祈り申し上げました。どうかランドールを負かしてくださいと。そうなればこの血は捨てて、信仰に一生を捧げます、と」
遠くを見つめるシスターの顔に自嘲的な微笑みが浮かんだ。先程までの少女のものとはまるでかけ離れた、疲れ切った微笑み。
「ですがブラザーもご存じの通り、そうはならなかった。私を犯した男たちは英雄になってしまった。許せなかった。だから私は、血ではなく、神の方を捨てることにしたのです――」
「初めてブラザーがこの教会を訪れた前の晩、『共喰い』モラグは、グレン一派のうち新入りの四匹目を殺しました」
だからこそ人狼の死体は大通りに晒された。次はお前たちがこうなるぞ、という脅迫のために。
その後、グレンは教会に訪れ、ネドと鉢合わせた後にシスターから話を聞いた。
グレンには当然嘘をついた。渡した「狼血」はあれで全てだから、街の外から一匹流れついてきたか、あなたたちの中に裏切り者がいるかのどちらかだ、と。
「みっともなくいがみ合いでもしてくれれば多少は見応えもあったのでしょうけど、意外と仲間意識が強かったようです」
揺さぶられはしたはずだ。だからグレンたちは翌日以降、集団で狩りをすることを取り決めた。それは群れの構成員それぞれが裏切っていないことを仲間に対して証明するための手段だった。残虐な手口が多かったのは「俺にはこの群れ以外に居場所なんて無いんだ」というアピールを相互に繰り返し、ヒートアップした結果だ。
シスター・アメリアはネドに対して、両手を広げた。武器など何も持っていない。
「さあ、私を殺してこの事件を終わりになさいな」
「俺はあなたを殺さない。殺すのは人狼だけだ。あなたは人狼ではないだろう」
人狼になるための「狼血」を他人に全て使い切っているというなら、このシスターは人狼ではありえない。
「本当にそうかしら? ここまで散々嘘をついてきたのですもの。実はもう一つ隠し持っているとはお考えにならないの? とっくの昔に私自身が人狼になっているかもしれないとはお思いにならない?」
「あなたが人狼なら俺たちが教会に入った時点で殺せば良かったはずだ。そしてあなたがどこかの時点で人狼になっていたなら、被害者の数が合わない」
「……死体を隠しているかも」
「流石に二週間分を超える食事を詰め込んで露呈しないほど地下室は広くないでしょう?」
シスターが降参、と言うように両手を上げた。
「ええ、そうですわ。私は人狼ではありません。……そこまで莫迦じゃありません」
「人狼になる者は愚かだと?」
「そうでしょう? グレンたちは食べた人間をそのままにした。そこから群れの数が露呈するとちょっと考えれば分かりそうなものなのに。なぜそうしたか分かりますか? 誰かに見て欲しかったからですよ! 誰かに気付いて欲しくて、褒めて欲しくて仕方がないから、合理性よりもリスクを取る。幼稚で、莫迦だから、人狼になることを選択した。そもそも莫迦じゃなきゃ人狼になろうなんて思わないでしょう? 社会の中に紛れて暮らすのに、その社会の一員を削っていかなきゃ生きていけないなんて、そんな生き物が生き残れるはずが無い。貧しい人や差別されている人が人狼になるんじゃありませんわ。莫迦が人狼になるんです。物をまともに考えられない莫迦だけが! 人狼はね、人狼になる前から獣なのよ!」
ふう、とシスターが胸のふくらみの上に、手を当てて、呼吸と気持ちを落ち着ける。はしたないところをお見せいたしました、とほのかに赤面した。
「ブラザー・ネドは頭が良いでしょう? そしてそちらのお貴族様も。だから人狼になんてならない。学校や孤児院で物の考え方を習ったから」
「俺が孤児院の出だと話したかな?」
「言わなくても分かります。教会は人狼被害にあった人やその家族を狩人に仕立て上げている。それが子供なら教育もおこなう。指令も読めず、人狼の数も数えられない狩人なんて役に立たないもの。だから狩人は人狼にならない。信仰心からではなく、人狼になってはいけないと教えられるからでもなく、教育を受けているから。莫迦じゃなくなっているから人狼にならないのよ」
「あなたの話を聞く限り、モラグを人狼にしたのは復讐心だ。グレンを人狼にしたのは市民からの嘲笑への衝動的な激怒だ。二人ともあなたがこの街に呪いをバラ撒かなければ、人狼になることは無かった。モラグに関して言えばそもそも人狼がこの街に現れなければその復讐心だって芽生えることは無かっただろう。グレンは確かに愚かではあったかもしれない。だが人狼になる前に人を殺していたとしてもそのことで社会の一員として法の裁きを受けるはずだった。彼が人間社会の外枠という一線を越えたのは、彼が愚かだったからじゃない。あなたが背中を押したからだ。あなた自身はその線の内側にいたままで」
「なら私にその一押しをさせたのは復讐心だわ。これはランドールの男たちに返すべきものだわ!」
「なら他の方法を探すべきだった。……人狼になってしまったら、償う機会さえ失われてしまうと、あなたは知っていたはずだ」
神父と修道女の応酬の後に、沈黙が流れる。先に沈黙を破ったのはネドの方だった。
「あなたがこの街から去らないのは、騒ぎを聞きつけた『狼の司祭』が接触してくると思っているからか?」
「……」
「来ないよ。正体の露呈した者に、奴らが再び接触することはない」
「……なら、どうしてあなたは私にわざわざ会いに来たの? 私に接触しに来た者を捕まえに来たんじゃないの?」
シスターには分からないのだ。ディムナには分かった。ネドはシスターのこともまた救いたかったのだ。グレンをそうしたように。だが彼女に罪の意識はない。彼女の魂のために祈っても、彼女がそれを必要としていない。
「何を躊躇っているの? もう用済みなら殺せばいいでしょう! 散々人狼をそうしてきたみたいに! 剣を使って殺せばいい。あなたは毒も爆弾も使うんでしたっけ? 手段なんてなんでもいいわ、さあ!」
ネドの左手がぴくりと動いた。
瞳を閉じ、たっぷり数秒の間を持たせて、シスターが焦れた頃に口を開く。
「あの剣は一人娘を人狼に殺された鍛冶屋が、俺のために鍛えてくれたものだ」
そして司祭平服の右袖をめくり、義腕を見せる。銀が日の光を反射する。
「この右腕はその娘の婚約者だった男が作ってくれたものだ。……俺が彼らの誓いの言葉を言う予定だった」
一瞬だけ、表情が、言葉遣いが、神父のそれではなく、かと言って狩人の物ほど険しくもない、ネド個人の物へと変わった。
「毒や火薬を作ってくれた薬師は顔に喰いさしの証として、爪痕を残された。俺がもう一日早く人狼を殺していれば彼女の母親は死なずに済んだし、彼女がその傷を負うこともなかった」
ネドは決意と共に口にする。とっくの昔に固めた決意と共に。
「たとえどれだけ人狼になった人間が哀れで、同情に値するとしても、人狼は存在するだけで周囲に不幸を撒き散らす。人狼は殺さなくてはならない。だから俺は人狼を殺す。けれど人間は殺さない。彼らが作ってくれた物を人殺しの道具にしないために、彼らに人殺しの片棒を担がせないために。だから俺はあなたを殺さない」
神前に誓うように述べたネドを、キッと眉を吊り上げて女が睨む。
「莫迦げてる。例えあなたが殺さなくても、他の人がそれらの道具で誰かを殺すでしょうに。それに人狼に武器を与えた私は、あなたにとってのその人たちと同じじゃなくって? せいぜい用心なさることね。その方たちはきっと内心あなたを許していないわ。ああ、そうか。あなたにこそ人狼が必要だったのね、あなた自身の役割のために。猟犬は用が済めば煮られるだけだものね」
吐き捨てるようにアメリアは言った。
「そうかもしれないな。だが、人狼がこの世界からいなくなるのなら、俺は喜んで煮られよう」
ネドは振り向いて、ディムナに言う。
「すまない。最後に一つ、仕事を増やした」
ディムナは何も言わずに首を横に振った。シスターを自警団の詰所へと連行する。罪を犯した人間を捕まえるのは司祭の仕事でも、狩人の仕事でもない。警邏である自分の仕事だ。
◆◆◆
シスター・アメリアに事情聴取を行った結果、彼女の言葉通り、教会の地下に古い井戸を改造して作られた人狼の尋問と研究のための部屋が見つかった。部屋の中で檻に入れられたパヴロー神父の遺体は腐敗していた。目覚めた後、最後まで抗ったのだろう、檻を噛み、削った跡が残っていた。
聖職者の故意殺人はランドールでは極刑である。シスターには後日司法によって刑が執行されるはずだ。しかし彼女は「狼の司祭」と直接接触して生存している数少ない証言者だ。教会が刑の執行に待ったをかけて、情報を漏れなく搾り取るまでは牢に繋がれ、生かされるだろう。
モスコゥ町長に別れの挨拶をしに行くと、ディムナにそれはそれは丁寧にいっそ卑屈なくらいに慇懃にお礼の言葉を述べた。実際の功労者であるネドを紹介すると、初めてディムナにした時のように右手を両手でつかんで、それが作りものだと気付くと、慌てて手を放して汗を拭き拭き、左手を改めて両手で包んだ。ネドは素っ気なく返事をした。
町長が手配してくれたフロージエン行きの馬車に乗り込んで、二人は岐路に着く。往路まで届けてくれたグレオール家の御者は、初日の時点でこの街が危険すぎると判断し、ディムナが家に帰させたから、今頃家に着いているだろうか。
カルローの街を出てしばらく、フロージエンへとランドールの国土を東に横切っていると、ランドール王国の司法局の印を掲げた馬車の一団とすれ違った。ディムナは御者に合図をして、道を譲ってやってやるように指示をする。すれ違った制服を着た男が感謝の証か、ディムナに向けて敬礼をしたのに手を振って応えた。
「こっちは仕事帰りだが、あちらさんはこれから仕事だろうからな」
「……なんの仕事だ?」
「さあてね。どこかの汚職貴族に対して密告でもあったんじゃねえの?」
とぼけた調子でディムナが軽くのたまうと、馬車は再び動き出した。
からからと荷車の車輪が回る音だけが聞こえている。往路では沈黙が気まずくて色々話しかけたが、今ではこの神父様にももう慣れた。だから今は、彼の浮かない表情が気にかかる。
「なあ、ネド。ちょっと考えたんだけどさ」
「なんだ?」
「仮にシスターがあの街に呪いをバラ撒かなかったら、どうなっていただろうなって」
「俺とお前が派遣されることも無かっただろうな」
「街の人々は人狼の影に怯えず、平和に幸せに暮らせたと思うか? ……俺はそうは思わない」
うつむいていたネドの視線が彼を見つめるディムナの視線とかち合った。
「だってあの街には職にあぶれた傷痍軍人がいっぱいいて、彼らに対する仕事も保障もあまりに少なかった。俺はグレンたちがたまたま『狼の呪い』を手に取っただけなんじゃないかって思うよ」
「どういう、意味だ」
「シスターは確かにグレンの背中を押した。それは許されないことだ。裁かれるべきことだ。だけど仮にシスターが背中を押さなかったとしたら、グレンが手に取っていたのは銃だったんじゃないか? あるいは剣、火炎瓶、もしくはただの棒でもいいけど」
ネドはディムナにグレンが懺悔室で口にしたことを共有していない。それが告解の決まりだからだ。
「『狼の呪い』を止めなきゃいけないってのは分かる。それを好んで撒き散らしている奴をとっ捕まえなきゃいけないのも分かっている。だけどさ仮にこの世から『狼の呪い』が消えてなくなったとして、それで人狼になることを選択してしまうような人たちが減るわけじゃない」
だが、今ディムナが語っている内容はグレンが語ったことをそのまま表している。グレンが最初の凶行に及んだのは、そもそも彼が追い詰められた人間だったからだ。どれだけ狩人が人狼を殺して回ろうと、職の無い人間は減らない、腹を空かせた子供は減らない。
人狼を、この世界から、本当に一匹残らず消し去ろうと願うなら、『狼の呪い』を突き止め、消し去っても意味が無い。人狼になることを選択してしまうほど追い詰められた人たちを減らさないかぎり、呪いは他の道具にその姿を変えるだけだ。
「つまり、俺がやっていることは手遅れな上に対症療法だと」
「そこまでは言わない。お前に命を救ってもらった俺にそれを言う権利は無いしな」
どうやったらそうした人々を減らすことが出来るのか。人狼を撲滅するには、本当の意味で狼たちを殺すには、どうしたらいい?
「それはきっと狩人の仕事じゃないんだよ」
「神父の仕事だと?」
「ああ、そして、……貴族の、国を治める者の仕事なんだよ」
国がそうした追い詰められた者たちを掬い上げてやって、それでもあぶれてしまった者を宗教が救う。それが上手く機能していないから、零れ落ちた者たちの中から人狼が生まれてくる。国を、教えを、世界を、祈りを呪いながら。
「……俺は」
ネドがゆっくりと口を開く。まるで懺悔室の中にいる罪人のように。
「俺はなぜ自分が人狼じゃないんだろうと考えることがある」
もし、あの夜、自分の肩を叩いたのが神父様ではなくて『狼の司祭』だったなら? 人狼になれば両親を殺し、右腕を奪った憎き敵に復讐するだけの力が手に入ると言われていたら? きっと俺は人狼になることを選んだ。
押された方向が違ったから、たまたま線の内側にいるだけだ。
「だから俺は人狼のことも救ってやりたい。だけど彼らを飢えから解放する方法はその息の根を止めることしか見つかっていないし、なにより、俺のことを『神父』と呼んで協力してくれる人たちは、皆、俺が人狼を殺すから、だから力を貸してくれている……」
ネドがぎゅうと左手で袖の上から、義腕を握る。
「俺は人狼を殺すことで、村での居場所を買ってるんだよ。本当は守らなきゃいけなかった人たちを、取りこぼしてしまった人たちを殺すことで、俺は人の社会の中にいる」
それは俺が人狼を殺す人狼だから、「共喰い」だから許されているだけなんじゃないのか?
「なら神父になるしかねえんじゃねえの」
ディムナが外の景色を頬杖をついて眺めながら、口にした。
「狩人として人に受け入れられている自分が赦せないなら、神父として、司祭として受け入れられるようになればいい。人狼を殺すからじゃなくて、人々を救うから『神父』と呼ばれるようになればいい。……だろ? 神父様」
にっとディムナが笑った。ネドはその言葉に目をぱちくりと瞬かせてから、穏やかに笑った。
「そう、だな」
そして訂正する。
「ディムナ。俺はまだ神父じゃないよ」
でも、いつかそうなりたいとネドは思った。
人を救う神父に。
かつて自分を救ってくれたあの人のような神父様になりたいと。
二人を乗せた馬車ががらがらと車輪を回して前へと進む。この道は帰る場所へと繋がっている。




