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#011~020

 ※紀尾井町

  皇居と赤坂御所に挟まれた辺りで永田町から赤坂稲荷にかけてら辺。

 紀伊徳川・尾張徳川、彦根井伊から1文字づつとって付けられたという

 いかにも「武家屋敷が集まっていました」な感じの街。

 昨今はホテルニューオータニの住所が紀尾井町なので、ブランド物屋さんとか高そうなお寿司屋さんとかのイメージの人も多いかもしれません。

 弁慶橋の辺りは清水が湧き出ていたそうです。


 ※御庭番

  徳川8代目以降にできた諜報活動のための隠密。

 それより前の徳川家では所謂、伊賀甲賀の忍者が務めていた役職のようだけど、御庭番がどこまで忍者のようなスキルがあったかは謎です。「壁に耳あり障子に目あり」の類であったことは、間違いないと思います。

 江戸城本丸の庭に拠点があったためお庭番と呼ばれているようです。


 ※斎藤一

 いわずもがなな元新撰組三番隊隊長。新選組時も明治になって内務省警視局時も諜報活動の逸話があるミステリアスな人です。明治では名前を藤田五郎と変えていますが創作方面では「斎藤一」のままが多いですね。


 ※陰間の宿

 陰間茶屋、若集茶屋などともよばれている男娼の売春宿です。本編にも書きましたが日本では身分の高い男子が結婚するまでお小姓と呼ばれる若い男の子に生活全般全てのお世話をさせていたので、男性が男性を買うための発展場は日本中どこにでもあってけっこう賑わっていたとか……

 陰間とは元々は歌舞伎用語で女形の修行の一環だったという記録もあるようです。実際、歌舞伎も今のような伝統芸能の敷居の高い感じではなく、〇〇歌舞伎のように呼ばれていた江戸時代のころは「芝居小屋」に近いものも多く「芝居小屋」とセットの陰間茶屋も多いらしいです。


 ※西南戦争

 明治10年2月15日~9月24日 西郷隆盛が中心になって起こった戦争。明治になり武士だった者をはじめとする士族と呼ばれる者達は生きづらくなったのではないでしょうか(想像)廃刀令もきっと矜持を傷つけられたと思います。反政府士族が起こした「士族反乱」も数回に及んでいて、特にこの西南戦争は維新の立役者である西郷隆盛を大将とした維新後最大規模の内乱であったようです。斎藤一は警視隊側で参加しています。

 

 ※津田梅子

 2024年7月くらいからの5000円札に登場予定の偉人。

 女性で初めての官費留学生(この時の女性は5人=永井繁子、上田梯子、吉益亮子、津田梅子、山川捨松←この人は後に大山巌と結婚する)。明治4年岩倉使節団に随行して渡米、明治15年に帰国した時には日本語を忘れていたとか・・・

 その後もアメリカの大学を卒業したとか女性の教育のために尽力したとか、現在の津田塾大学を創立したとか、とにかく偉人!

 

 ※太政官指令

 明治10年3月の「太政官指令」が決定された時、

 西南戦争が始まった時なのもあって、明治天皇も大政大臣も

 大久保利通内務卿も東京にいなかった……

 これを語るとこの先のお話にも影響するかもしれないので簡単にさわりだけでごめんね

 

 

 

 

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