8. 中学生になりました
「うららかな春の息吹が感じられる今日、この日。わたくしたちは王立学院附属中学校に入学いたします。本日はわたくしたちのためにこのような盛大な式を挙行していただき誠にありがとうございます。新入生を代表してお礼申し上げます」
春、四月。
入学試験に主席で合格したわたしは講堂の壇上で新入生代表のあいさつをしていた。
ヨーロッパ風の世界観なのに四月入学なんですね……とかつっこみつつ、やっぱり入学式は春がいい。風は穏やかで暖かいし、花壇には色とりどりの花があふれているし。さすがにソメイヨシノはないけれど、正門から講堂まではよく似た白い花で桜並木がつくってあった。
今年の新入生は王太子殿下とそのご学友たちをはじめ話題にことかかない。
これはわたしにとっても重要で、編入生であるヒロインをのぞく本編主要登場人物のほとんどが附属中学校からの持ち上がり。わたしたちの前後の学年に集中しているのだ。
例のお誕生日会のあとから見違えるように勉強熱心になった弟も無事合格し、新入生の席に座っている。
いまはまだ下の中くらいだけど、卒業するころには上位に食いこんでいるはずだ。
……いてほしい。
わりと切実に。
べつに破滅したいわけじゃないんだけど、ロキによると原作との乖離は現在かなり危険な水準にあるらしい。
わたしは今日もぼっちだった。
取り巻きができる気配はない。
しかもこの一年がんばっていじめてきたはずの弟はすっかり懐いてるし、容姿以外には氷の貴公子の片鱗もみられない。
剣の稽古と称してズタボロになるまでしごいてやっても「明日もよろしくお願いします」といってくるし、ピクルスを口いっぱい詰めこんでやってもふつうに食べられるようになってしまうし。
ベッドに入れておいたネズミの死体を「ロキにどうぞ」と笑顔で持ってこられて以来、わたしは弟へのいじめを断念していた。
あれは完全にトラウマだ。ネズミ捕りにかかっているのを移すだけでもたいへんだったのに……。
これ以上原作と乖離してふりだしに戻ってしまったら、わたしはなにを目標に生きていったらいいんだろう……。
いったいわたしのなにが悪かったんだろうと前世をふりかえろうにも、思い出せるのは大学時代まで。どうして死んでしまったのかは結局わからないままだ。
せつない……。
附属中学校は全寮制で地方から出てきた生徒もたくさんいる。
王都では例のお誕生日会の一件以来遠巻きにされているわたしだけど、ここに来れば友達のひとりくらいできるかも……という考えはあまかった。
四人部屋のほかの三人はわたしのことは腫れ物に触る扱いで、あの王太子殿下の婚約者候補筆頭として下にも置かぬ扱いではあるんだけど徹頭徹尾よそよそしい。
いつも三人でおしゃべりしてるみたいだし、わたしが部屋に戻るとぴたりとやめてしまうし、なんだか居づらくてついつい図書室に足が向いてしまう。
……待って。
わたし、いじめっこのはずがいじめられてない?
「まあ、相部屋に黒猫を持ちこんで毎日話しかけている同級生がいたら避けられてもしかたないんじゃないでしょうか」
……どうしよう、反論できない。
昼休みの食堂。
わたしはクラスのちがう弟といっしょに昼食を摂っていた。
今日のメニューはグリルチキンにサラダとスープ。わたしは黙って弟の皿から付け合わせのピクルスを取った。
「いじめられてるんだったら俺が話をつけに行きますけど。そういうわけではないんでしょう」
「まあ、そうね」
「だったらそれでいいじゃないですか」
弟はこの一年でずいぶんと率直にものを言うようになった。
それはいい。
「だいじょうぶですよ。友達なんていなくても。なにかあったら俺に声をかけてくださったらいいですから」
……そういえばこの子もコミュ障なんだった。
だれも寄せつけない氷の貴公子。
一匹狼とか孤高の人とかかっこいいことばで取り繕ってみても、要約するとコミュ障である。
「あなた、やっぱりわたしの弟よね」
「え?」
「よく似てる」
「どこが似ているんですか……」
弟は不機嫌そうな顔をしたけど、苦情を申し立てたいのは「友達なんていなくても」とかまったくフォローになってないフォローをされたわたしのほうだ。
姉弟そろってコミュ障ってどうなの……。
「やっぱりコミュ障も遺伝するのかしら」
「それは困りますね」
投げやりに答えてわたしの皿からデザートのいちごを取っていく。
……いやいやいやいや。
わたしはいじわるな姉でいじめっこのはずなのに、最近弟のわたしに対する扱いがどんどん雑になってる気がする……。
……わたし、もしかしていじめられてる?
思えば先日のホームルームでも学級委員を押しつけられたばかりだった。
立候補がだれも出なかったので先生に指名されたのだ。理由は入試の成績がトップだったから。成績がトップだから学級委員って、よくある話だけどその評価基準は適性を反映していないと思う。
自分で勉強する能力と周囲を動かす能力とはちがう。周囲を動かす能力っていうのは、もっとこう……『エルフリーデ』本編の殿下みたいなのをいうのだ。
いまの殿下はただのわがままな王子さまってかんじだけど、成長するとそのカリスマ性に魅かれた人たちが集まってきてなにも指示しなくても殿下の意のままに動くように……なるんだろうか。ほんとうに。
クールっていうよりもただのコミュ障な弟をみていると自信がなくなってくる。
放課後、図書館で勉強してから寮の部屋に戻ると、ロキはわたしのベッドにカーテンを引いて新聞を読んでいた。
「ただいま、ロキ」
「遅かったね。夕食の用意がなかったから棚のクッキーはもらっておいたよ」
「……うん、了解」
となりのベッドでカーテンを引く音がした。できるだけ小声で話してはいるんだけど、どうしても奇異にみえてしまうらしい。
おかしいな。
猫にただいまって話しかける人なんてめずらしくないと思うんだけど。なにがいけないんだろう。
ちなみにロキの声はみゃあみゃあとかわいらしい鳴き声に聞こえているらしい。
とんだ詐欺である。
わたしは見た目だけなら愛くるしい黒猫を抱きあげて耳元でささやいた。
「ねえロキ、本編では中等部時代の回想なんてほとんど出てこなかったと思うんだけど、わたしはこれからどうしたらいいの?」
「知らない」
「……あのねえ」
「とりあえず、きみはまず自分の弟をなんとかして。彼がいちばんルートからずれてるんだから」
「またそんな無謀なことを」
一年かけていじめてもふつうに懐いてきたのだ。結局こっちの心が先に折れてしまった。これ以上どうやったって無理だろう。
「原因はきみなんだから、きみがやるしかないんだよ。きみはこの世界の人間じゃないから、きみとその周囲がいちばん影響を受けやすい」
「わたしのせいなの!?」
何度聞いても理不尽な……。
「というか、アルトゥールを本編のルートに戻すことでロキはなにかいいことあるの?」
「戻せなければやりなおしだよ。ボクはいいかげんくりかえすことに飽きたんだ。きみ、自分が破滅するルートを何回も何回もやりたい?」
「やりたくないですごめんなさい」
わたしが手慰みに喉のしたをなでてやると、黒猫はゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らした。これでしゃべらなかったらなぁ……。
「それに本編っていっても4人それぞれにグッドエンド、ノーマルエンド、バッドエンドの3つずつあって、隠しキャラにファンディスクまであわせたらぜんぶで20以上はあったでしょ。そのなかのどれに進めばいいの?」
ロキ曰く一度もうまくいった試しがないそうだから、隠しキャラは解放されていないはず。4人のグッドエンドをすべてクリアしないと攻略できないのだ。てことはファンディスクもありえないので4人のどれか、ではあるんだけど。
「それはそのときになればわかるよ。というか、きみがひとりでそこまでするのって難しいと思うし。とりあえず本編スタート地点まで調整してくれたら、ボクもちゃんと協力するから」
「……最初からそうしてよ」
「だって、いまはまだボクの声は彼女に聞こえないから」
ロキはひざから飛びおりて姿勢を正すと、深紅の瞳でまっすぐにわたしをみつめた。
「きみしかいないんだよ。これはこの世界の外側からやってきたきみにしかできないことなんだ」
「これって悪徳商法の手口だよね」
どうせならアルトゥールのヴォイスで聞きたかった。
ロキはロキでかわいいし、ファンディスクではルートまであるくらい人気だったんだけど、わたしの趣味からははずれている。人型は黒髪に褐色肌、深紅の瞳のショタなんだけど、ちょっとかわいらしすぎるのだ。
「きみも業が深いよね。ふつうに考えて本編アルトゥールよりいまのアルトゥールやボクのほうが付き合いやすいと思うんだけど」
「あんたはこの世界を本編に進めたいの、進めたくないの」
「進めたいよ。また彼女に会えないまま消えるなんて嫌だ」
ロキはめずらしく素直に吐き出した。
めったにみられない気弱な姿にさすがのわたしもかわいそうになってくる。
「わかった。もう少しがんばってみる。とりあえず明日はあの子の靴箱に……」
「その路線はもうやめたほうがいいと思う。きみはいじめのセンスがない」
「…………」
「きみの弟なんて『姉上は最初のころ怖い人なのかと思ってたけど、しばらくしたらちょっとわかりにくすぎるだけでほんとうは親切な人だってわかるようになったんだ』とか言ってたもん。悪役をやろうとする前のほうが後よりも怖いって、どういうこと? 対人スキルが壊滅してるにも程があるよ」
「…………」
「考えれば考えるだけドツボにはまるから、なにも考えないで天然の容赦ないところを活かす方向で行ったほうがいいと思う」
「…………」
わたしは無言で黒猫の首をつかみ持ち上げた。
「ちょっと待ってよゼラ、落ち着いて。動物愛護法って知ってる?」
「知ってる。魔物には適用されない」
窓を開け、下が植えこみと芝生なのを確認する。二階だしいざとなったら飛べるんだからなんとでもなるだろう。
逝ってよし。
わたしは黒猫を放り投げた。
「ゼラ、ゼラ、待って、落ち着いて、話し合おう、話せばわかる……うわあああぁぁ!」
ペットの猫を虐待する血も涙もないゼラフィーネ・シュヴァルツヘルツのうわさは一瞬で校内を駆けめぐった。
ロキは笑った。
わたしは泣いた。