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7. 王子さま()との出会い

 演奏が終わった。


 会場からまばらな拍手がわきおこる。

 が、姉であるわたしは難しい表情で腕を組んでいた。

 わたしに気づいたこどもたちが拍手をやめ、こびるように顔色をうかがってくる。


「36点」


 けっして大きくはない、それでいて小さくもない声でわたしは容赦なく点数をつけた。

 まちがっても王族の方々に聞こえることがないように、それでいて近くのテーブルでおしゃべりしていた子たちには確実に聞きとれるように。


 ざわめきがピタリと止んだ。


 わたしは「ブルグじゃない?」といった男の子のほうをみて精いっぱい殊勝な表情をつくってみせた。


 休憩をはさんでつぎが彼の番なのは知っている。

 さっき従僕が声をかけにきたのをみていた。

 この子は身のほど知らずにも愛用のピアノを運びこませたらしく、会場責任者が舞台をととのえるのに休憩をはさませてくれと言ってきたのだ。


 時間はたっぷりある。


「失礼、愚弟がお耳汚しをいたしました。弟にかわりおわびもうしあげます」

「あ、ああ……」


 男の子は青ざめた。


「お耳の肥えたみなさまにはさぞ聞き苦しかったことでしょう。うつむいてフォームが崩れていたのはともかくとして、M.M.=100からはじまって第一章が終わるころには120まで上がっていましたし、第二章の変調もまちがえていて」

「あ、いや……」


 わたしが淡々と減点理由を連ねていくのにしたがって男の子の顔色が悪くなっていく。

 べつにあなたのことを言ってるわけじゃないんだけど。


「みなさま音楽にお詳しいようですから、きっと演奏もすばらしいでしょうね。たのしみにしております」


 わたしがまっすぐに目をみていうと、男の子は蒼白な顔でコクコクうなずいた。


 壇上にあがった男の子は出だしからつまずいた。


 中途半端な覚悟で殺ろうとするから殺られるのだ。

 殺っていいのは殺られる覚悟がある人間だけ。

 加えて、殺られそうになっても殺りかえすだけの実力がある人間にかぎられる。


 選曲はわたしもよく知っているピアノソナタだった。

 大きい口をたたくだけあって、技術だけなら年齢のわりにうまいほうには入る。知識と教養はないみたいだけど。

 けれど彼は致命的に度胸に欠けていた。

 いつもの演奏ならここまで動揺するようなことはないのかもしれない。

 けれど今日の彼はすっかり空気にのまれてしまっている。


 ……効いてる効いてる。


 演奏が終わった。


「62点」


 わたしは低くつぶやいた。


 後半はもちなおしたし、なんだかんだいって悪くはなかった。

 意図的にかなり低くつけたのだが、それでも60点未満というわけにはいかない。


 けれどその評価はわたしの近くに座っていたこどもたちを戦慄させるにはじゅうぶんだったらしい。


 そこからは50点未満のグダグダな演奏がつづき、とくにわたしの近くに座っていたこどもたちは総崩れだった。

 アルトゥールのひどい演奏はすっかり忘れられてしまった。




 呼ばれたのはいちばん最後だった。


 ずいぶんと恣意的なものを感じるが文句をいえる立場にはない。

 無表情のままステージに上がり、淡々とあいさつをしてアルトゥールが使ったあとのヴァイオリンをかまえた。


 しんとしてしずまりかえった庭園に和音がこぼれる。


 調律のために音出しをし、姿勢をととのえてから流れるようにすべりだした。


 弦からあふれる音が曲をつむいでいく。


 感傷的な物語をかろやかなメロディにのせて。

 タイトルの月明かりに包まれたしずかな夜のイメージが浮かぶように。

 やさしく、おだやかに、歌うように。


 音程と拍子はあくまでも正確に。

 楽譜どおりに、それでいて硬くなりすぎないように。

 表情ゆたかに個性を出して。


 演奏が終わって一礼しても観客席はしずまりかえったままだった。


 そのままステージを降りようとするとパンパンと手をたたく音がする。


 みると王太子殿下だった。


 殿下はあいかわらずつまらなさそうな顔をしていた。

 この人ときたら最初のふたりのときをのぞいて、招待されたこどもたちが自分のために演奏しているあいだも形式的に拍手するだけ。感想を述べるどころか、表情すらほとんど変えていなかったのである。


「……すばらしい演奏だった。だが、おまえはたしかピアノのほうが得意じゃなかったか?」


 沈黙が凍りつく。


 わたしは氷結した空気など意にかいさずに答えた。


「そちらのピアノは私物のようでしたので。入れ替えのために殿下の貴重なお時間をさいていただくのはわたくしの本意ではございません」

「だったらそれで演奏しろ。……かまわないな?」


 殿下はさっきの男の子のほうをみた。彼はガクガクと首を縦にふった。ふるえてるようにもみえるけど同情はしない。

 わたしがヴァイオリンをケースに戻すのをみながら殿下は冷ややかにのたまった。


「この茶番の趣旨くらい理解しているだろう。……手を抜くことはゆるさない」

「おおせのままに」


 観客席がどよめいた。


 なにしろお姉さまとそのご学友のふたり以外だれにも声をかけなかった殿下が、自分からわたしに声をかけたのだ。

 しかもわたしの得意なものまでおぼえていた。

 いまのでわたしはこの場に集められたすべてのお嬢さまたちを敵にまわすことになった。


 ……けんか売ってんのかな?


 無心のまま弾き終える。


 パチパチとわざとらしいくらい大きな拍手が聞こえた。


 みればマルガレーテ殿下とギゼラさまだ。

 おふたりがかがやく笑顔で拍手しているので、まわりからもぱらぱらと拍手が聞こえはじる。あっというまに庭園は拍手の渦にのみこまれた。

 わたしは淡々と、けれど優雅におじぎをしてステージをおりた。


 殿下の席のまえを通るとき、なにか音が聞こえた気がして思わず足を止めた。

 冷ややかな赤い瞳と目があって、わたしはさっきの舌打ちが気のせいではなかったことを確信した。


 ……えーっと。

 …………えーっと?

 わたし、この人にそこまでされるようなことをなにかしただろうか……?

 会うのは一年ぶり四回目……五回目? くらいで、たいした会話をかわしたこともないはずなんだけど。


 やっぱりわたし、この人が嫌いだ。


 品評会が終わり、張り詰めていた空気もいくぶん緩んだところでダンスがはじまり、みんなの興味はそっちに移っていった。


 わたしはひとり反省会だ。


 自分で言うのもなんだけど、マルガレーテさまとギゼラさまをのぞけば、わたしの演奏がいちばんうまかった。圧倒的だったといっていい。

 現に、ただでさえわたしを遠巻きにしていたお嬢さまたちはますますわたしから距離を取り、寄ってきたのはかわいそうな弟だけ。


「姉上、お疲れさまでした。……すばらしい演奏でした」


 青いひとみがきらきらかがやいている。

 肩の荷がおりたからか緊張はまだ残っているものの青ざめてはいなくて、薔薇色のほっぺがふつうにかわいらしい。


 すごい。


 この魔境でここまで無邪気な反応がくるとは思ってなかった。

 わたしはアルトゥールの尊さに汚れきっていた心が浄化される思いだった。


「あの……俺、これからもっとがんばります」

「そうですね。あなたはもっと努力したほうがいいと思います」


 わたしはいつもの鉄面皮でできるだけ冷たく聞こえるように告げた。


 わたしはいじわるな姉、わたしはいじわるな姉……。


「はい。その……さっき話した子が教えてくれました。僕の演奏は姉上の評価で36点だったって」

「そうですね」

「よかったです。先日の最後の演奏から3点も上がりました。……ありがとうございます。あまめにつけてくださったんですよね。自分でもひどかったなって思ったので」

「…………。自覚があるのなら精進なさい」


 弟はまっすぐな瞳のままうなずいた。


「今日はたいへんいい勉強になりました。姉上、これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」


 ……あれ。

 もしかして、わたしのいじめ、この子にあんまり効いてない?











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