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2. 推しが弟になりました

 わたしには前世の記憶がある。


 小説や漫画ではよくあるけど、現実で口にするとめっちゃ痛いこの設定に気がついたのはいつのことだったか。

 特別なきっかけとかはなにもなくて、生まれたときから空は青かったけどそれが青という名の色だと知ったのが後になってからだったのとおなじように、生まれたときから前世の記憶はあったけどそれが前世の記憶だと知ったのはもっとずっと後のことだった。


「お嬢さま、おしたくはおすみですか? 旦那さまがお待ちかねです」

「いま行きます」


 メイドが髪を結いおわるのも待たずに席を立ち、肩にかかる銀髪をさらりとはらう。鏡のなかにはひらひらのドレスを着たお人形みたいにかわいい女の子。


「いいできね。ありがとう」

「あの、まだこちらのお花が……」

「これだけでじゅうぶんよ。相手は身内なんだから」


 わたしは由緒正しき侯爵家の一人娘。

 名前はゼラフィーネ・シュヴァルツヘルツ。

 正式にはもっと長いけど、めんどくさいので置いておく。


 銀色の髪に紫色の瞳。

 弱冠十一歳にしてすでに傾国の佳人の片鱗をみせはじめている絶世の美少女であり、高貴な生まれとたぐいまれな聡明さから王太子殿下の婚約者候補の筆頭である。

 ……自分でいうのもどうかと思うけど、公式設定なのでゆるしてください。


 今日はわたしに弟ができる日だ。

 父が愛人の子を引き取ったのである。

 弟の母は貴族ではあるものの格下の家柄で未亡人。わたしの父からの援助で生活していたが、病気で亡くなったらしい。


 このあとの展開は知っている。

 はんぶんだけ血のつながった弟は白金色の髪に青色のひとみの美少年だ。


 なにをかくそう未来の推し、アルトゥール・シュヴァルツヘルツである。


 かくすけど。

 全力でかくすつもりだけど。

 破滅フラグは回避できなかったとしても頭がおかしいと思われるのだけは回避したい。


 乙女ゲーム『エルフリーデ』は孤児院で育った少女エルフリーデが大富豪にひきとられ、上流階級の子女たちがかよう王立学院に編入してあこがれの王子さまと恋におちるという王道ラブストーリーだ。

 悪役令嬢ゼラフィーネは王太子ジークフリートの婚約者として、侯爵令息アルトゥールの姉として、主人公エルフリーデのまえに立ちはだかる。

 こどものころから腹ちがいの弟をいじめていたゼラフィーネは、孤児院育ちでありながら婚約者にちかづいたエルフリーデをいじめていじめていじめぬき、めぐる因果のすえに死をむかえるのだ。


 あんなにもやさしくてかわいそうなアルトゥールをいじめるなんて……。


 わたしにはとてもできない。

 前世でいじめぬいたぶん、今世では全力でかわいがってあげないと。


 夢女子の素質がないわたしにとって血のつながった実姉は最高のポジションだ。

 天井か壁になりたい、もしかなうならクラスメイトのモブになりたいと思ってたけど、まさかこんな特等席で推しを鑑賞できる日が来るとは。

 これはもうべったべたにあまやかすしかないでしょう。




 回想をうちきって居間のドアをノックする。


 豪奢なソファはふたり掛けがひとつにひとり掛けがふたつの組み合わせで、ふたり掛けのほうに父と弟がならんで座っている。

 父は父で鑑賞にたえるダンディでふだんから目の保養にさせてもらっているのだが、今日はじめて対面する弟の破壊力といったらない。

 わたしは思わずドアのまえに立ち尽くした。


 なにこれ……透きとおる白い肌はビスクドールみたいに繊細な輪郭を描いていて、長いまつげの下に青玉の双眸がはめこまれている。

 月の光をあつめて紡いだみたいな白金色の髪は肩の高さで切りそろえられていた。


 尊い。

 尊すぎる。

 スクショできないのが無念でならないけど、これをリアルでおがめたんだから本望だ。圧倒的な高画質。視力が2.0でよかった。

 神さまありがとうございます。

 お布施はどこにしたらいいのでしょう?


「……失礼いたします」

「おお、ゼラフィーネ。今日もまたいちだんと愛らしい」

「おほめにあずかり光栄です」


 こどもとは思えない優雅なおじぎをしてあいていた席に腰をおろす。

 母はまだ来ていない。今日はもう来ないつもりかもしれない。わたしのしたくがギリギリになったのも母の相手をしていたからだ。


「お母さまは?」

「存じません。朝食のあとでお会いしたときはお忙しそうにしていらっしゃいましたが」


 彼女は生さぬなかの息子をよく思っていなかった。当然だと思う。父にはもうちょっと殊勝にしていてほしいものである。


「しかたない。ゼラフィーネ、この子が今日からおまえの弟になるアルトゥールだ」

「はじめまして。ゼラフィーネと申します。よろしくお願いいたします」

「……よろしくお願いします」


 わたしはもう一度おじぎをして、ここぞとばかりに弟を観察した。


 ああ、少年時代のアルトゥールはこんなにかわいかったんだ。


 全体的にあどけないんだけど、まなざしだけがどこかおとなびていて聡明さを感じさせる。

 表情も声もすこし硬いけど、初登場時のような冷たさはない。


 緊張してるのかな。


 かわいい。


 重要なことだから何度でもいうけどとにかくかわいい。

 この子がわたしに虐げられた結果あの氷の貴公子になるのかと思うと感慨深い。


 いや、さすがに今世はいじめるつもりはないんだけど。かわいがるんだけど。


「アルトゥールはこの家の跡取りになる予定だ。急な話ではあるが、できればおまえといっしょに来年度から王立学院附属中学校に入学してもらいたいと考えている」

「附属中学校に……ですか」


 王立学院は大学に相当する教育機関で身分を問わず優秀な学生を受け入れているが、附属中学校は全寮制で定員がすくなく奨学金制度もないためほとんど貴族しかいない。

 附属高校からの外部編入生であるヒロインが孤立する要因のひとつだが、目下問題となるのはそこではない。

 附属中学校の入学試験は定員の増える高等部とは比べものにならない狭き門なのだ。

 おまけに年齢制限があるため落ちたとき『浪人してまた来年』がない。


「附属中学校の入学試験は最難関と有名だ。もちろん、おまえもよく知っているとおり特別な試験対策が必要になる。ふつうは数年かけて準備するものだが……」


 わたしはものごころついたときから専門の家庭教師をつけられていた。


「アルトゥールには一年で合格してもらう」

「がんばってくださいね」


 わたしはにっこりほほえんで弟の顔をみた。

 返事はない。

 心なしか青ざめている。

 うん。まあ、そうなるよね。


「もちろんアルトゥールにも家庭教師をつけるがおまえも勉強をみてやりなさい。いい刺激になるだろう。おたがいに切磋琢磨してシュヴァルツヘルツの名に恥じぬ成績で合格するように」

「かしこまりました」


 わたしは弟の顔をみた。

 あいかわらず返事はない。はっきりと青ざめている。


 ……だいじょうぶなんだろうか、この子。


 おとなしいと言えば聞こえはいいものの、どうにもたよりないというか、弱々しいというか。

 はっきりいって覇気がない。

 率直にいって不安しかない。

 容姿だけならどこからどうみても氷の貴公子のミニチュア版なのに。こんなちょうしで魑魅魍魎のはびこる附属でやっていけるんだろうか。


 しかたない。

 これは教育的指導が必要だ。

 わたしはかるく呼吸をととのえてから口をひらいた。


「アルトゥール、お父さまにお返事をなさい」

「…………うん」

「お返事は『はい』です」

「は、はい」

「いいでしょう。入学試験には面接もありますから日々の生活が鍛錬とこころえてください。……お返事は?」

「はい」


 わたしは「よくできました」と表面上ほほえんでみせたが、内心でためいきを押し殺した。

 これは……さきの長い戦いになりそうだ。

 どんなに嫌われようとうらまれようと、わたしはこのかよわげな弟のお尻をたたいて附属中学校にねじこまなければ。

 じゃないとこの子はヒロインに出会えない。


 わたしは使命感に燃えていた。




 こうしてわたしと弟の受験生生活がはじまった。

 平日の午前はふたりなかよく家庭教師の先生についてお勉強である。


「それでは、我が国の歴代国王陛下のなかでもっとも長く在位されたのはどなたでしょう。理由もあわせてお答えください。若さまからどうぞ」

「……フリートヘルム三世です」


 アルトゥールはうつむいてぼそぼそとつぶやく。


「理由はいかがでしょうか」

「…………」


 弟もいちおうは貴族の子弟として教育を受けてきたらしく、先生の反応をみれば年齢のわりによくできるほうではあるようだ。

 しかし、わたしからしてみればまだまだなまぬるい。


「それではお嬢さま」

「はい、先生。我が国の歴代国王陛下のなかでもっとも長く在位されたのは七王国時代を含めるとロート王国第八代国王ヴォルフガング一世です。十八歳で即位したヴォルフガング一世は群雄割拠の七王国時代において外交手腕を発揮し戦争を回避することで国力をたもち六十年という長き治世を敷きました。ヴォルフガング一世の功績は数多く伝えられていますがなかでも特筆すべきは科学者の保護と優遇だとわたくしは考えます。七王国の統一後、我が国の国土がほぼ現在のものとなってからもっとも長く在位されたのがフリートヘルム三世で治世は四十八年にわたります。フリートヘルム三世の治世が長く続いた理由としてあげられるのは……」


 最後まで意見を述べてからとなりのアルトゥールをみると茫然と固まっている。


 最初の授業の終了後、わたしは先生のあとにつづいて部屋を出ていこうとするアルトゥールを呼びとめた。


「お待ちなさい」


 アルトゥールがふりかえる。

 かわいそうなくらい強ばった顔にひるみそうになるが、ここで折れてはいけない。

 わたしはこの子を教育しないといけないのだ。

 いびりすぎて家出しちゃったらどうしようとか心配している場合ではない。

 このままでは入学試験に落ちてしまう。

 本編開始前に終了とかどんな罰ゲームだ。


「あの、お嬢さま……さきほどはもうしわけありませんでした」


 かわいそうな弟はわたしが話しはじめるまえに謝罪した。

 これはこれでどうかと思う。

 でも、それよりも。

 わたしはせいいっぱいやさしく聞こえるようにたずねた。


「いまなんていったの?」

「え……」


 弟の顔が青をとおりこして白くなる。

 そういえば、わたしの顔は美人ではあるけど悪役顔。印象の悪さには定評があり、どんなにがんばってもやさしげなふんいきにはならない。なにかしら裏があるようにみえてしまう。声も右におなじ。


「……さきほどはもうしわけありませんでした、と」

「そのまえです」

「? ……ええと、お嬢さま?」

「そう、それ」


 昨日から気になってはいたのだ。


「あなたはわたくしの弟です。わたくしのことはお姉さま、もしくは姉上と呼ぶべきです」

「……あの、俺は奥さまのことを母とは思わないようにとうかがっているのですが……」


 お母さまったらそんなことを。

 昨日はあの後もいらっしゃらなかったから侍女かだれかにいわせたのだろう。

 そんな扱いをしていたらこどもがひねくれて……って、ひねくれた結果が氷の貴公子なのか。


 弟はうつむいた。

 かんぜんに萎縮してしまっている。


 どうしよう。

 これでは教育的指導どころじゃない。

 青玉のひとみをうるませる弟をまえに早くも心が折れそうになってるんだけど。

 わたしのほうが泣きたい……。


 ダメよゼラフィーネ。

 あきらめたらそこで試合終了よ。

 いまがんばらなくていつがんばるの。


 わたしは年齢のわりに感情が顔に出ないほうだ。だから将来的に氷の姉弟って呼ばれたり取り巻きはいるのに友達はいないなんて事態におちいったりしちゃうんだけど、動揺をさとられないのは便利ではある。

 わたしは持てるかぎりの威厳をかきあつめてもっともらしくのたまった。


「それはお母さまのお考えです。あなたとお母さまとの間に血縁はないかもしれませんが、あなたとわたくしとははんぶんとはいえ血がつながっているのです」

「わかりました。……ええと、姉上」


 発音はぎこちないけどまぎれもない天使の声。


 どうしよう。

 かわいい。

 かわいすぎる。

 でもこれ、ちょっとかわいらしすぎない?

 わたしのアルトゥールはもっと冷たくて凛としてるはず。

 ああ、でもこれはこれで捨てがたい……。


 無表情のまま苦悶するわたしとそんなわたしの反応をうかがっている弟。

 廊下のまんなかで凍りついていたわたしたちはわたしを探しにきたメイドのひとことで解凍された。


「お嬢さま、そろそろ仮縫いのお時間ですがよろしいでしょうか」

「ああ、そういえば今日でしたね。いま行きます」


 五月に王太子殿下のお誕生日会があって、わたしは婚約者候補の筆頭としておまねきを受けている。


 本音をいえばゆううつだ。


 殿下はメインヒーローで眉目秀麗文武両道な王道の王子さまなのだが、一点のくもりもなく完璧なところが鼻につくというかなんというか。

 あと、性格が微妙。世界は自分を中心にまわっているとしんじちゃってるところがある。天上天下唯我独尊というやつだ。

 まあ、実際に殿下の世界は殿下を中心にまわってるんだけど。なにしろ王太子だし。

 オレサマって少女漫画とかではよく出てくるけどいったいどの層に人気があるんだろう。わたしには理解できない。

 そしてどうしようもなく迷惑なことに、わたしには理解できないオレサマがわたしの未来の婚約者なのだった。

 いや、まあ、ヒロインが殿下のルートに入った場合、殿下とわたしの婚約は破棄されることになるんだけど。そしてわたしは殿下と結婚したほうがまだマシなレベルで破滅することになるんだけど。


 ……今世では弟をかわいがって、破滅ルート回避して、田舎の領地かどこかでのんびり暮らそう。




 このときのわたしは、自分が破滅ルート目指して奔走するはめになるとは夢にも思っていなかった。











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