安く買って高く売る行為は本当に経済の根幹なのか? ふりがなさん、転売の話題に乗ってみる
こんにちは、読者の皆様。
つい最近、転売の話題を拝見しまして、私こと、ふりがなが、ちょっと疑問に思った事を書いていこうと思います。
経済を単純な図としてイメージすると、生産→流通→消費となります。
転売とは、この流通部分の話です。
経済の根幹って生産だよな…という場違いな突っ込みは置いておくとして、件の安く買って高く売る行為というのは、この流通に関わるコストの事を指します。
消費者に製品が届いた時の売値とは、生産を終えた後、さらに流通に関わるあらゆるコストを足し終えた物になる訳です。
では、転売とは、この経済の図の、いったいどこの事を指すのでしょうか。
流通部分ですが、流通とは製品を消費者に届ける過程の事を言います。
そして、経済では、この流通で必要なコストの事を物流コストと呼び、その物流コストは高くなればなるほど、経済の足かせになるのです。
安く買うかは別として、高く売れば物流コストは高くなります。
例えば、自由貿易主義からすれば、物流コストの大きな障害である関税は、なくしていくべき存在で、物流コストは下げるべきと主張しています。
歴史的に物流コストを大幅に下げたモータリゼーションが無くなれば、非常に不便な社会になり、今の国際分業は一気に崩壊します。
魚介類の物流コストを、流通可能な所まで引き下げる冷凍技術がなければ、物流コストの上昇により、新鮮な魚介類は、食卓に届かなくなるのです。
転売の概念を、一旦物流コストまで引き上げた場合、物流コストは上げるどころか、むしろ下げる事が、経済の基本、と言えるのがお分かり戴けたでしょうか。
では、何故、真逆の物流コストを上げる事が経済の根幹なんだ、という意見が蔓延ったのでしょうか?
ここまで書けば解る方も多いかと思います。
転売の話は、マクロとミクロの典型的な合成の誤謬です。
個人レベルのビジネスとなると、物流コストをより上げていく方が儲かる手段が増え、経済レベルとなると物流コストの上昇は全体の損失となるのです。
もちろん、物流コスト内で、小売や運送に持続可能な適正な賃金を払えば、物価の上昇から経済はより豊かに持続していくでしょうから、流通だけは低賃金で働かせろという話には繋がりません。
問題は、転売、もしくは小売が、流通コストを不当に大幅に引き上げる事によって、利益を得ようとする時です。
その場合、元となった流通コストが小さければ小さいほどに、流通コストの不当な引き上げによって、得られる利益は大きくなります。
では、その小さな流通コストは、いったい誰の努力によって達成されているのでしょうか?
物流コストには、非常に多くの人が関わっています。
現代の小さな物流コストは、分業社会としての、私たちの共同体の成果の一つとして実現している物なのです。
その成果に無料乗りして、物流コストを無理やり引き上げ、成果をぶち壊し利益を得る。
そんな手法が、社会に快く受け入れられるでしょうか?
故に、手間隙をかけて、物流コストを引き上げる手法は、買い占めとして一般論として悪とされ、重要な製品では禁止されているのです。
最近私が日本に欠けてきているなと感じるビジネスの基本として、売り手よし、買い手よし、世間よしの、三方よしという物があります。
世間よしと基本的な経済原理を無視して、転売をビジネスの基本と主張する層は、果たして日本を豊かにすのでしょうか?