「壊してやる」
その少年の目には、彼が見たこともないほどの激情が宿っていた。
細く小さな身体と顔で、ぎらぎら光る目ばかりが際立つさまは、教会で見た小さな悪魔の像のようで恐ろしかった。何より、その顔に浮かぶ自棄を起こしたような笑みが不気味だった。
その表情に柄にもなく怖じ気づいた彼は、少年に目を釘付けにされたままで固まった。
しかし、少年は一瞬の後に彼への興味を失ったようで、するりとその横を通り抜けた。
恐ろしげな目が視界から消え、こわばっていた彼の身体から力が抜ける。まだ心臓はどくどくと大きな音を立てているが、身体は動くようになった。
ほっと息を吐きながら振り返ると、少年が川の方に駆けてゆくのが見えた。そのまま寝床へでも帰るのだろう、と彼は思った。ぼろ切れのような服からして孤児か、せいぜい浮浪者の子であることは分かる。けれど、その割には見覚えのない顔だ。このような人々には妙な縄張り意識があるのが常だというのに、何を思ってここまでやって来たのだろうか。
不思議なことだ――――などと、彼が一瞬の内に思いついた、その時だった。
彼は、信じがたいものを見た。
少年はドブ川に身を乗り出して、ひきつれたような笑い声を漏らした。そして、腕の中の物を、何の躊躇いもなく放り投げたのだ。
キラキラ輝く物体が、いくつも宙を舞った。
「おいお前、それ…………!」
彼は思わず声をかけた。
つい先ほど盗んだばかりの手柄の数々が、川縁に、川の中に、ぼたぼたと落ちる。
川縁に住む浮浪者達はしばらく呆気に取られていたが、宝の山が投下されたのだと気付くや否や、争奪戦が始まった。夜の川はにわかに騒がしくなった。まるで祭か何かのようだ。
「いいのかよ」
彼は尋ねた。
「お前が盗った物だろ」
眼下の騒ぎに掻き消されぬよう声を張る。すると少年はゲラゲラ笑って言った。
「知らねぇよ、そんなもん。オレはただ、壊してやりたかったんだ」
「壊す? 窓をか?」
彼はまた尋ねた。少年はゲラゲラと笑いながら、やたらと光る目を彼に向けた。そして噛みつくように言う。
「全部だ」
奇妙な熱を帯びた目だった。そこに宿るのは怒りであるらしかったが、何に対する怒りなのかはさっぱり分からなかった。
「気に食わねぇもん、全部ぶち壊してやる」
ぞくり、と背筋に寒気が走る。気味が悪い。恐ろしい。けれど、その瞳に宿るひねくれた炎から、彼はどうしても目が離せなかった。
後になって考えてみれば、彼は退屈していたのだろう。それに、異民族の血が色濃く出た彼の外見も、彼が握った剣すらも気に留める様子がない少年に興味を引かれたのもあった。
しかし一番の理由は、やはりその目だった。貧乏人ばかりに囲まれて育った彼は、悲しそうな目なら見慣れていた。怯えた目もよく知っていた。しかし、あんな風にぎらぎら光る怒りを宿した目は知らなかった。
だから彼はつい、こんな台詞を口にした。
「それじゃあ、おれも連れてけよ。おれも一緒に壊してやる」
それが、後に「トンビ」「ハヤブサ」と名乗って海賊稼業を始める二人組の誕生だった。
*****
「はぁ」
回想を終えたハヤブサは、副船長室のベッドの上でため息を吐いた。
「悪いやつじゃねーんだけどなぁ、ほんと」
コスモスに事情を教えてもらえないのが信頼されていないようで悲しいのなら、素直に悲しいと言えばいい。一人だけ食事をしないコスモスが心配なら、優しく理由を尋ねてやればいい。しかし、トンビにはそれができないのだ。そのかわりに怒って、見当違いに当たり散らして空回る。
自分のパンをコスモスにあげようとして、その無茶なやり方で彼女を泣かせた今朝の件については、呆れを通り越して悲しくなる。貴重な食料を譲ってまで、相手に怯えられるとは。
悲しくても怒るし、寂しくても怒る。トンビはそういう人間だ。それが彼の強さであることを、ハヤブサは知っている。しかし最近では、この気質は直してやった方が彼のためなのではないかとも思われるのだ。
「まあ、どうにかするさ」
ハヤブサはそう呟いて伸びをした。
「あいつはおれの友達ってやつなんだろうから」