トンビとハヤブサ
その日、ハヤブサは副船長室――――つまり自分の部屋にトンビを呼び出した。そして、いつも通りの不機嫌そうな顔でやって来たトンビに向かい、宣言した。
「いいか、トンビ。おれはお前にまともな他人との関わり方ってもんを教えることにした!」
「なんだそれ」
トンビは眉間の皺を濃くする。ハヤブサはやれやれと首を振った。
「前から思っちゃいたんだが、いい加減見てられなくなった。仲良くなろうとした女の子にさんざん怖がられて落ち込むとか、空回りがひどすぎて目も当てられねぇ」
「何の話だよ」
ますます不機嫌な顔になるトンビを見て、ハヤブサは軽くため息をついた。
トンビは変わらない、とハヤブサは思う。数年前に出会った時から、ずっと。
「まあ座れよ、おれも座るからさ」
ハヤブサは固いベッドに腰かけた。トンビはベッドの前の椅子に、いつかの海賊稼業の戦利品である、場違いに豪華な刺繍のついたクッションを敷いて座った。
「で?何がしたいんだ、オマエ」
トンビが訝しげに首を傾げる。
「ん~~、そーだなぁ」
ハヤブサは構わず、ニヤニヤと笑った。かと思うと、トンビに向けてビシッと指を差す。
「まずは笑顔だ。不機嫌な顔に人は寄ってこねぇ。おれが思うに女の子に好かれるためにも笑顔ってのは一番大事で――――……」
「だから何の話だよ、女の子って」
トンビが口を挟んだ。
「コスモスの話に決まってんだろ」
「はぁ!?」
トンビは音を立てて椅子から立ち上がった。
「仲良くなりたいんだろ?」
しれっとした口ぶりでハヤブサが言う。トンビの眉間の皺が、まるでひび割れたような深さになった。
「なんでオレがアイツと仲良くならなくちゃいけねぇんだよ」
「そりゃ、お前の分かりにく~い態度を読み解いた結果がな……」
「変な勘違いをするんじゃねぇよ。ったく……オレはもう行くぜ」
盛大に顔をしかめたトンビはハヤブサに背を向け、乱暴に扉を開けて出て行ってしまった。バタンと閉まる扉の音が部屋に響き、後には居心地の悪い静けさだけが残された。
ハヤブサは、バタリと倒れるようにしてベッドで仰向けになった。
「…………やっぱり、うまくいかねぇなぁ」
呟きがひとつ、ぽつりと宙に浮かんで消えた。
「生まれつき、ってやつなのかなぁ。あれは」
途方に暮れた声を出す。
思いを怒りとしてしか表現できなくなってしまうのは、トンビの悪い癖だ。悲しくても怒るし、悔しくても怒るし、なんなら嬉しくても怒ってしまうことがある。お陰で、ありとあらゆる人や物に喧嘩を売っているかのような誤解を与えてばかりいるのだ。
大きなお世話かもしれないと思いながらも、ハヤブサはその悪癖を治してやりたかった。その思いは今に始まったことではなく、以前から彼は何度もトンビの気質を変えようとしていた。
けれど、トンビの心の奥深くに刻まれてしまっているらしいこの悪癖は、ハヤブサがあれこれなだめすかしたくらいでは消えてくれる兆しもないのだった。
「そういや、あの時もあいつはあんな感じだったっけな…………」
ハヤブサはふと、過去に思いを巡らせた。
*****
それは、彼が「ハヤブサ」と名乗り始めるより前のこと。
彼がトンビに出会ったのは、二人が九歳の頃だった。
その日の夜も彼はいつもの通り、石を投げてくる他の孤児達を返り討ちにして、奪った物を橋の下の寝床に持ち帰っていた。
金や物を奪う相手には事欠かない。どうせ喧嘩では敵わないのだからやめておけばいいのにと彼は思うが、彼にちょっかいをかける者は絶えないのだ。
「あいつらもよく飽きねぇよなぁ」
ボロ布を掛けて壁がわりにした家もどきの寝床の中で、彼は呟く。
光沢のある真っ直ぐな黒髪。どんなに光にかざしても茶色や灰色にすら見えない、真っ黒な瞳。少し平坦な顔立ちに、黄色がかった肌。
彼の外見は、彼が物心つく前に死んだ、遥か東方の国から来た父親に似ているらしい。母親が生きていた頃に教えてくれた。
父親は、母親の口ぶりからすると、相当に母親に愛されていたらしい。そんな父に似たと言うのだから、彼はこの外見を特に嫌っていない。むしろ、光を弾いてよく輝く黒の髪と瞳を気に入っているくらいだ。
けれどその容姿は、周囲から見れば往々にして好奇と嫌悪の対象だった。
気味が悪いと囃し立てられ、悲鳴を上げて逃げられ、挙げ句の果てに魔物などというあだ名までついた。程度の差こそあれ、大人も子供も、近所の人々は皆が彼のことを奇怪なものを見る目で見ていた。
彼はそのことに大して傷付きもせず、鼻で笑い飛ばしていた。ただ、この歳の子供にしては冷めた、可愛げのない性格が出来上がったことは確かだった。
囃し立ててくる声を無視し、手を出してくる者は叩きのめして金を巻き上げる。その金で暮らしが成り立つのだから、儲け物ではないかと彼は思う。頭の回る大人ならともかく、考えなしに向かってくるだけの子供達は彼の敵ではない。自分を攻撃してくる者から奪えば良心が痛まないのもよかった。
そうして、彼の寝床には今日も、戦利品のパン二つと銅貨二枚が並ぶこととなった。銅貨の方は念入りにポケットへ押し込み、パンは二つとも今夜の内に食べてしまうことにする。寝ている間に盗みにでも入られてしまっては癪だからだ。
明かりすらない暗い寝床で、彼がパンにがっついていた、その時だった。
突然、何かが砕け散るようなけたたましい音が頭上から降ってきた。
「うぉあっ!?」
思わず変な声を上げ、喉にパンを詰まらせかけて咳き込む。咄嗟に頭に浮かんだのは、誰かが寝込みを襲いに来たのではないかということだ。もしも徒党を組んでやって来たのなら、囲まれてしまうと分が悪い。彼は素早く、壁に立て掛けていた剣を掴んだ。奇妙な形に反り返った鞘からすらりと引き抜けば、東方や南方のものに特有の片刃が姿を現す。
これで相手を斬ろうというのではない。父親の形見だというこの奇妙な剣を呪いの元などと呼んで、相手が逃げ出してしまうからだ。
扉がわりの布をはねのけて外へ飛び出す。あたりを見回せば、川縁に住む浮浪者達が、皆同じようにそれぞれの住処から飛び出してきていた。
彼は煉瓦の階段を駆け上がり、川縁から商家の並ぶ道に出た。裸足だった足の裏に、鋭い痛みが走る。見れば、地面にはいくつものキラキラ光る欠片が散らばっていた。顔を上げれば、道の向こうでは商家の硝子窓が粉々に割れていた。
そして、窓の向こうには、九歳の彼よりも小さく細い人影が見えた。
その少年は、両手いっぱいに宝石や金貨を抱えて窓から這い出てきた。その目は夜だというのに異様に光っていて、彼は思わず息を飲む。
少年は彼に気付いて、鼻に皺を寄せた。
「何見てんだよ、テメェ」
野犬の唸る声によく似た響きが、その口から漏れた。
ボサボサの髪の隙間から見える痩せた頬は、夜闇の中でも上気しているのがよく分かった。肩で息をしながら、それでも瞳はぎらぎらと輝いて、吊り上がった口角から犬歯がのぞくのが見えた。
(やばい、こいつ、笑ってやがる)
彼の顔がひきつった。
それが、彼がトンビに出会った瞬間だった。