中編
途中で宿に泊まったり、休憩を挟みながら馬車で進むこと5日にしてようやく王都の一戸建ての小さな別荘に到着した。
私はここで新生活をスタートさせ、作戦を成功させるため学園に通うまでの数日間デリックと打ち合わせを重ねた。
入学して1ヶ月が経った頃……
「ソフィーナは本当に可愛いな」
「そんな、恥ずかしいですぅ」
サラサラの金髪が揺れ、透き通る碧眼を細め、私を眩しそうに見つめながら整った顔の青年が甘い言葉を私の耳元で囁く。中庭のベンチで私の隣に座る彼はこの国のたった一人の王子アルヴィン殿下で、ターゲットの王太子である。彼は学園の院生で最終学年の20歳。
彼を発見するなり殿下の前でわざと校内で迷った演技をして、道順を聞き教室に案内してもらった。帰り際にフェネルさん直伝の上目遣いで「ありがとう」と言ったら、アルヴィン殿下は簡単に落ちた。そして、今では激甘状態。
アルヴィン殿下には婚約者として侯爵令嬢のロザーリア様がいる。一目見たがロザーリア様は大人びた美しさをもつ洗練された女性で、勝ち目がないと思っていた。
なのに簡単すぎたろう。私のぶりっ子に落ちるなど阿呆なアルヴィン殿下は簡単に詐欺に会いそうだし、各貴族が年貢を横領してても気付かなそう。そして美人な婚約者がいるのに私を口説くなんて浮気性すぎる……私は即刻、クズ王子と認定した。
2ヶ月がたった頃にはアルヴィン殿下以外にも何名か勝手に落ちてきた。宰相の息子、近衛隊長の息子、財務大臣の息子、次期公爵。
私は特に何もしていない。アルヴィン殿下にきゃぴきゃぴしてたら勝手に側にいるようになったのだ。誰もが高位貴族で容姿端麗で、婚約者がいるのに私にヘラヘラする浮気野郎だ。
「本当に残念な男ばかり。これだけあれば何人も助けられるのに……デリック、これどうすれば良い?」
「とりあえず全ての作戦が終わるまで保管しましょう。夜会で身につけて彼らの自尊心を満たして、心を繋いでおいてください」
帰宅したら毎日学園での出来事を詳しく報告することが義務付けられている。
そして今日は報告をしつつリビングのテーブルに並べた数々のアクセサリーをデリックと見ながら、私は憤っていた。当主ではなく、ただの令息がこんなにも高そうな装飾品をポンポンと私に貢いでくる。
装飾品1つでどれだけの食料が買えるのか、どれだけの薬が買えるのか、どれだけの貧しい命が救えたのかと悔しくて堪らない。これがあれば私の故郷の隣村も滅ぶことはなく、友達と死別することなんて無かったはずなのに……。
貴族なら民をまとめる威厳として、ある程度は贅沢しても良いと思うが……あまりにも彼らは軽すぎる。
「ソフィーナ様、そんなに強く拳を握られては傷が付きます。貴女は少々お優しすぎます」
「だって……」
悔しさを耐えていたら自分でも気付かないうちに手に力が入りすぎていたようで、デリックがそっと手を取って解してくれる。優しい温かいデリックの大きな手に包まれ、それだけで私の心も解きほぐされて頭も冷静さを取り戻す。
「全てが済んだら装飾品は売り飛ばして、そのお金で貧しい人達への援助をしましょう。俺が援助先を見つけます」
「…………それでは遅いわ。ねぇ提案があるの」
「なんでしょうか?」
「あのね、私はとびっきりの悪女になるわ」
「…………は?」
デリックの眉間に深い皺が寄るが、説明すると賛成してくれた。私は更なる女優を目指すことにした。
「アル様、こないだの青い宝石のネックレスとっても綺麗でした。あの色違いのネックレスってご存じですか?私、ピンクが好きなんですぅ」
「確か宝石商が在庫があると言っていたが」
「まぁ、欲しいので是非宝石商の方を紹介して下さい。あ、王族の方が買われるものですよね……貧乏男爵家の私では買えませんよね……ごめんなさい。忘れてくだ」
「俺がソフィーナに買おう!」
「ミゲル様!良いんですか?私、なんにもお返しできないわ」
「ではまた菓子を作って欲しい。それで十分だ」
「ミゲル、貴様…………ソフィーナ、僕からはイヤリングを今度贈るからね」
「フランク様ありがとうございますぅ。フランク様には刺繍のハンカチをお返ししますね」
よし、高級ネックレスとイヤリングを簡単にダブルゲット!ちょろい。ちょろすぎる。そして馬鹿め!ちなみに菓子も刺繍もスーパーメイドのネネお手製だ。
新しいのを貰えたらバレないように古いものから売り飛ばされるとは知らずにアルヴィン殿下および取り巻きが貢いでくれる。
もちろん売り飛ばして得たお金で、薬草と畑に蒔く種や肥料を買って密かに援助するのだ。
どうせ彼らは領民から限界まで搾取しており、これ以上課税すれば領地が滅ぶことは分かっているはず。それは豪勢な暮らしをしたい彼らにとっては本末転倒だ。
現に私の村はもう何年も年貢は変わること無く、役人が視察に来たこともない。ひっそり還元してもバレないだろう。
デリックが滅びそうな危険度の高い村から手を回してくれる手筈になっている。
そして作戦は順調で、私に対する嫌がらせも始まっている。「尻軽女」「ぶりっ子」「まな板」「乞食」などの悪口を聞こえるように言われるのは当たり前。机に虫の死骸を入れられたり、鞄にカビが生えたパンを突っ込まれたり、 ロッカーの中に呪いの人形が入れられてたり、上の窓から水をかけられたり。実にバリエーション豊かで、次はどんな手が来るかと最近楽しみになってきている。
まぁ虫なんて慣れてるし、村にいた頃はカビの生えたパンは普通だし、人形なんて初めて貰ったし、水なんて雨と一緒にしか思えない。普通の令嬢は酷く傷つくのかもしれないけど、私は生憎タフな芋娘なのでノーダメージである。貧困の過酷さに耐えてきた経験を舐めては困る。
唯一「まな板」だけは傷付いた。私の胸は相変わらず沈黙を貫いているのだから。
一応、「私とっても悲しいわ、ぐすん」というアピールはアルヴィン殿下や取り巻きたちの前では忘れず行う。「俺たちが君を守る」といっても犯人が分からないため、現状は変わらない。無能め。
しばらくするとある令嬢たちから空き教室に呼び出された。指定された教室へ行くとアルヴィン殿下の婚約者ロザーリア様と取り巻きたちの婚約者である令嬢4名が待っていた。代表してロザーリア様が扇で口元を隠しつつ、無表情で話し出す。
「ソフィーナ様、単刀直入に言わせていただきます。婚約者がいる殿方に近付きすぎているように見えます。しかも復数……うまくいくはずがありません。貴女は破滅する気ですの?」
「……私はそういうつもりは」
「貴女がそのつもりは無くても、まわりはどうでしょう。その感情が丸見えの表情……貴族らしくない振舞いが新鮮で殿方は許すのでしょうが、今だけですわよ。」
「…………そんな」
ショックを受けてる演技中だが、心の中ではロザーリア様が真っ当過ぎて拍手をおくっている。クズ王子の婚約者なら同じく見た目だけのクズで、権力振り回して潰しにくると思っていたら堂々とした注意。令嬢たちも静かに後ろに控え、ロザーリア様をたてるように口を挟むことはない。もう少し、話を続けてみるか……
「そうですよね。今は珍しいだけですよね。でも私、感情を隠すのが苦手で……どうしたらお姉様たちのようになれますか?」
両手を胸元で握りしめて、少し涙を浮かべ教えをぶりっ子モードで乞うてみる。すると後ろに控えていた一人の令嬢がロザーリア様に目配せをしてから、私の前に立つ。
「ではこれをお使いなさい。口元を隠すだけでも違うでしょう。あとは意識して練習するのみですわ。差し上げるので……分かってますわよね?」
「では忠告はしましたわよ。失礼するわ」
私にシンプルで綺麗な扇を手渡してくれる。そしてロザーリア様も説教はあっさり終わらせ、みんなを引き連れて教室を出ていった。
凛とした佇まい、的確な注意とフォロー、見事な引き際……あんなクズ男の婚約者だなんて勿体ない。
でも素晴らしい令嬢だからといって気を許してはいけない。彼女たちも結局は平気な顔をして領民から搾取してるんだろうし。
※
「あぁ、ウザイなぁ」
誰にも聞こえないように私は呟き、校舎の裏側の木の上へ登り身を隠す。休み時間になる度にアルヴィン殿下や取り巻きたちに囲まれるのだが、容姿端麗でも好きでもない人に付きまとわれるのはストレスで逃亡したのだ。アルヴィン殿下たちは木の上には気付かず通りすぎてくれた。
まだ近くにいるかもしれないので、しばらく木の上で休んでいるとすぐ傍の校舎の窓が開く。すると女性たちの話し声が聞こえ始める。
「殿下たちは公務である書類整理もせずに放置なさって、全く……」
「ロザーリア様、わたくし達がお手伝いいたしますわ」
「ありがとう。大変だけど都合が良いわ……予算が好きなように使えるもの」
先日私を呼び出したロザーリア様と令嬢たちのようだ。殿下たちは仕事を放り出してしまい、婚約者たちが代わりにしているようだが話の内容がきな臭い。私はよりハッキリ聞くために、静かに木から降りて、開けられた窓の真下に隠れた。
「今が資金を取り戻すチャンスだわ。何としても隠さなければ終わるわ」
「でも財務官たちにはどうやって誤魔化せば宜しいのでしょうか」
「殿下がご熱中の令嬢の要望を叶えたいらしいと囁けば簡単よ。あの方たちは殿下のご機嫌をとるのに必死だもの……ねぇ?ソフィーナ様」
「───!」
ロザーリア様が窓辺から私を見下ろして名前を呼ぶ。聞くのに夢中になりすぎて、私は逃げ損ねてしまった。アルヴィン殿下から逃げ隠れている姿を見られ、利用されたらしい。迂闊だった……
私は立ち上がり窓から距離を取るが、ロザーリア様は私を蔑んだ瞳で見つめている。
「殿下に近づいた目的は何?贅沢をしたいの?でもお分かり?その豪華なネックレスを買うために、どれだけ国民の血税を無駄にしているのか」
「…………っ!」
知っている。どれだけの国民の命が犠牲になっているかなど、私は貴女より身をもって知っている。でも作戦のためにバラすことはできない。
「わたくしは忠告したはずです。近付きすぎると破滅すると……殿下は貴女に貢ぐためにとある資金にまで手を出してしまったわ」
「資金……?」
「大切な資金を婚約者でもない貴女のために使われたのよ。なんて無駄遣いなのでしょう。陛下に知られれば……殿下を唆した悪女はどうなるでしょうね?ふふふ、貴女を悪女にして排除するのなんて簡単なのよ」
ロザーリア様は瞳は蔑んだまま、勝ち誇った顔で私を糾弾する。あの程度の忠告で終わるはず無かったのに……考えが甘かった。この人たちは腑抜けたアルヴィン殿下たちとは違うんだ。
あのクズ王子め、どんな金に手をつけたんだ!でも本当に罰が下る事になったら私は……
私は最悪の展開を想像してしまい、以前覚悟していたはずなのに体が震えだしてしまう。
「あら、今更怯えても駄目ですわよ?立場を間違えた貴女にはそれ相応の罰が下りますわ!」
「何をしている!」
声が聞こえる方を向くと。怒った形相のアルヴィン殿下が足早に近付いてくる。そして窓辺に着くなり、私を背に庇ってロザーリア様と対峙した。
「こんなに震えて…… ソフィーナに何と酷いことを……ロザーリア、どうなるか分かっているのか?」
「わたくしは殿下の婚約者として忠告しただけですわ」
「さぁ、本当にそれだけか?貴様の事は後だ……ソフィーナ、君の家まで送ろう」
私は怯えで言葉を発することもできず、アルヴィン殿下にエスコートされるがまま馬車に乗せられた。家までの間もほとんど会話することもできず、ついに家の前まで着いた。
「午後の授業は欠席すると私から伝えておこう」
「……ありがとう……ございます」
「本当にソフィーナには可哀想なことをした。だが安心しろ……ロザーリアにはもう手出しさせない。私が君を守ろう」
アルヴィン殿下は真剣な眼差しになり、私の頬に手を滑らし顔を近づけた。
「──!」
「これが私の本当の気持ちだ。来週の私の誕生日パーティーではソフィーナをエスコートする。その時に全てを解決させる」
「……ぇ?」
今、私はアルヴィン殿下と……。
唇に柔なか何か当たり呆然としている間に勝手に話が進んでいく。そして馬車の扉が開かれるとネネが玄関で待っていた。
「私はすぐ学園に戻る……ソフィーナ、私は本気だ。ではしっかり休め」
アルヴィン殿下はそう言い残すと、すぐに去っていった。ネネに支えられ家の中に入ると、中で待っていたデリックに出来事をすぐに報告した。するとデリックがネネに何か指示を出したようで、彼女は出掛けてしまった。アルヴィン殿下が伝えるとはいえ、きちんと当家から学園に 休みを申告すべきなのだろう。
家に二人っきりになるとデリックは温かいお茶を淹れてくれて、一気に気が弛んでしまい不安が爆発してしまう。
「ねぇデリック。私ちゃんと演技出来てたかなぁ?脅されて、キスされて、怖くて、嫌で……バレてないよね?私まだ死なないよね?どうしよう……もしロザーリア様の追及から逃れても、クズ王子とまたキスなんてしたくない……作戦のために我慢しなきゃダメなのに。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……うぅ」
自分でも何を言ってるのかよく分からなくなり、涙が止まらなくなってしまう。でもデリックは責めることなくソファに座る私の隣に並び、抱き締めてくれた。
「ソフィ……大丈夫です。何とかなります。他に言いたいことがあれば、全て吐き出してください。このデリックが全て受け止めます」
デリックはそのまま抱き締めてくれた手で、私の背中を優しく撫でてくれる。離れたくない。この人の腕の中にずっといたい。
「私……私……うわぁぁぁぁん」
想いを自覚しても告げられず泣き続け、デリックは私が泣き疲れ寝てしまうまでずっと静かに傍で寄り添ってくれた。彼からは規則正しい心臓の鼓動の音と、落ち着くいつもの紅茶の香りがした。