ビバ煩悩
「ありがとう。宗哲クン」
垂れた目に泣きぼくろのねぎまがしっとりと笑みを浮かべる。
どきっ
なんだこの、体の芯に訴えてくるよな。一瞬オレの視線はねぎまのぽってりとした厚めの唇を彷徨い、頭はどこかへトリップ。
「宗哲君、感謝」
オレの左手首を持ったまま、ももしおが首をこきっと傾けた。やべっ。かわいー。
女の子と手ぇ繋ぐって初かも。あ、ちげー。これは手首掴まれてるだけか。
オレがもう逃げないと思ったのか、ももしおは白い細い指をオレの手首からぱっと離した。名残り惜しい。
「オレのこと知ってんの?」
「「うん」」
2人が同時に返事。
「相鉄線で通う宗哲クンでしょ?」
とねぎま。
「それに」
と何かを言いかけて止めるももしお。
「ね」「ね」
今度は美少女2人で目配せしあう。なんなんだ。気になるじゃん。
「あのさ、あっちでしゃべんない?」
オレは残り香(というより臭)の酷い場所から離れたくて、通りの入り口を指した。
「そーだね」
「ちょーどお腹すいてたの」
「私たち、マック行こうとしてたんだよね」
「シェイク飲みたくて」
オレを余所に2人で会話。マックへ行くのか。じゃ、もう礼は言われたし、オレは退散すっか。
「じゃ」
がしっ
帰ろうとすると、またまた左手首を掴まれた。どうでもいいけど、ももしお、反射神経いいな、おい。
「一緒に行こ」
「オレ、ラーメン食べたばっか」
「宗哲クンに相談したいことがあるの」
言いながら、ねぎまがラケットバックを背負い直し、ゆさっと胸元を揺らした。近くでこんなん見られるなんて、ありがてー。オレは視線を悟られないようちら見。そして胸元に気を取られてうっかり一言。
「相談?」
煩悩まみれの自分を呪いたい。しょうがねーじゃん。ピンでアイドルデビューできそうなくらいの可愛い系美少女と、グラドルになったら写真集が売上ナンバーワンになりそうな妖艶系美少女に誘われたらさ。ちょっとだけ。ほんのちょっと。男友達に嫉妬されない程度に。
駅近くのマックは今日も混雑していた。この店が空いているとこを、オレは見たことがない。
狭い階段を上って、更に上って、3階席。激混み。運よく目の前で席が空いた。3人でカウンター席。席順は、ねぎま、ももしお、オレ。ねぎまの隣なら、胸元を上から見られるかもしれなかったのに。白いポロシャツのボタンは1番上1コしか開けていないけど、谷間じゃなくても鎖骨くらいは見えそうじゃん。いかん、思考回路がオヤジ化。
「忙しいのに、ありがとね♡」
ももしおの隣、おお、いーかも。至近距離の笑顔でテンションあがりまくり⤴⤴
ところで、えーっと、百田志桜里さん? それを全部召し上がるのですか?
ももしおの目の前のトレイには、バーガー2個とポテトのLとマックシェイクがある。最初、半分はねぎまの分だと思った。が、ねぎまの前にはWバーガー1個とオレンジジュースが乗っかったお盆が鎮座する。腹の中がラーメンでいっぱいのオレはコーラだけ。
「いただきます」と手を合わせた後、ももしおはバーガーにぱくついた。可愛い唇がぱかっと大胆に開き、バーガーを侵食していく。
こいつってさ、美少女ってとこ省いたら、妹と変わんねーじゃん。ただの体育会系かも。
ももしおの向こうから、ふわっと顔を覗かせたねぎま。
「さっきの男の人ね、よく、いろんなお爺さんに話しかけてるの」
一挙手一投足に媚態を感じてしまう。ねぎまが色気を放つのは胸のせいだけじゃない。タレ目、泣きぼくろ、厚めの唇、ウエーブのある柔らかそうなセミロング。極めつけは柔らかい物腰。
うんうん、どこもかしこも柔らかそうだ。
「お爺さん?」
オレが首を傾げると、今度はももしおが答えてくれた。ちなみにももしおの髪はサラサラまっすぐのロング。
「うん。そうなの。私達、ときどき見かけてて。この間はATMへお爺さんに付き添ってた」
うっわー。関わりたくねー。
「さっきのお爺さん?」
「その時は別のお爺さんだった。普通のお爺さんじゃなくて、あんな感じの人」
つまり浮浪者風ってことか。アカン話聞いちまった。恨むぜ煩悩。
「ただの親切な人かも」
オレは最も核心に遠い推理を披露した。
「どんな親切? ATMの場所が分からないとか? 使い方が分からないとか?
付き添うのに、コンビニのときはコンビニの外で待ってるの。変じゃない?」
笑い混じりのねぎまが髪を耳に掛けた。薄らと汗ばんだ肌、色っぽいっす。
「親切だったら、宗哲君が『おまわりさん』って叫んだとき、どうして逃げたの? おかしいじゃん」
いつのまにかバーガーを1個食べ終わったもおしおが反論。食うの早っ。
「人間、悪いことしてなくても『警察』って言われたら逃げたくなるって」
「私は逃げないよ」
大真面目な顔でももしおがオレを見つめる。オレ、こんな美少女と見つめ合うことなんて、この先ないかも。ありがたさを噛みしめておこう。
「さっきのお爺さんね、『用があったから』って言ってたの」
ねぎまは酷い吃音から、老人の言いたいことを見事に聞き取ったようだった。
「じゃ、いーじゃん。用があったならあったで」
話がやばそうだしさ、至近距離の美少女はもうこれくらいで「ごちそうさま」にしておこう。オレはコップの蓋を開け、一気に喉にコーラを流し込んだ。とっとと帰ろう。
「宗哲君、カッコイイ」
不意の言葉に横を見れば、ももしおが両手を前でお祈りするかのように組んで、こっちをぽわわんと見ている。
「は?」
「コップの蓋取ってガって飲むの、男らしいかも~」
「え? こんなのが?」
にやける。こんな可愛い子に「カッコイイ」「男らしい」なんて言われてデレない男はほぼいない。
「男らしい宗哲クンだったら、一緒に来てくれるよね」
今度はねぎまがオレの背後に立った。こ、この高さは、きっと、今振り向けば胸部。
「いや、別に、男らしくなんて」
振り向いていいのか? 振り向くなら今。自然な感じで。
くるっ
振り向いてみれば、そこにあったのは、A4サイズのポストイットだらけの地図だった。ねぎま、噂通りのお色気キャラ。使い方を熟知してやがるぜ。しかも期待させて落とすって高等テク。いや偶然かも。
いかんいかんいかん。心頭滅却すれば火もまた涼し。
頭を冷やせ宗哲。お前のポリシーはなんだった? 平和な学校生活だ。学校中が注目するような美少女に関わるどころか、なんだかヤバそうなことに首を突っ込むなんて言語道断。ちょっと可愛いからって、胸がでかいからって惑わされるな。この先お目にかかれないほどの超絶美少女だからって、そんなのは皮一枚の差。ただの人間だ。吸い込まれそうな胸だからって、ただの脂肪だ。それに触らせてなんて貰えないんだぞ。よし! この2人に妹を重ねよう。そうすれば決して惑わされることはない。これは寝ているオレにチーズをかけるような、どうしようもない妹だ。妹。いもうと。いも……
「マイマイ、とりあえず座って食べようよ」
「うん。そうだね。シオリン」
ダメだ。ももしお×ねぎまが「マイマイ」「シオリン」と呼び合ってるなんて。かわいすぎる。
ビバ、煩悩。
「その地図って何?」
あー。オレってバカじゃん。なんで聞いてんだよ。
席に戻ったねぎまがふわっと花のように微笑んだ。
「食べてからね」
「分かった」
これ、なんか見たことある図。そーだ。コリー犬の諭吉が「待て」を命令された図と一緒。あっという間に主従関係が築き上げられてっじゃん。
オレは大人しく待った。
待ちながら店内を見渡す。知り合いに見つかったら何を言われるか分かったもんじゃない。特に野郎。
男の嫉妬ってのは複雑な構造をしている。可愛い女の子が自分の納得できる男といても嫉妬はしない。が、たぶんオレ程度だと、サッカー部、バスケ部辺りはイラつくだろう。同じテニス部だったら、友達のよしみで見逃してくれるだろうが、少しくらいイジられることは必須。
幸い、同じ高校のヤツはいなさそう。ほっと胸を撫でおろすオレ。
オレって、なんつーか半端な位置なんだよなー。要するに普通。クラスで目立つようなイケイケのメンバーじゃないし、いるのを忘れるほどの地味な存在でもない。
それにしても、どーしてももしお×ねぎまはこんな半端なオレのこと知ってたんだろ。クラスちげーのに。
隣からはマックシェイクとオレンジジュースを一口ずつ交換して飲み合う2人のくすくすした笑い声。
「シオリン、甘ーい」
「でしょでしょ?」
オレも混ぜてください。コーラ、いりませんか? あ、飲んじまったんだった。
食べる量が違っても、2人が食べ終わるのはほぼ同時だった。